481話 セルベルティアの英傑④
「ば、馬鹿な……!? こんなことが、有り得るのか……!?」
「……」
絶望に染まった吐露の声を耳にしながら、俺は温まった身体から息を吹き出す。
上手く加減が出来たかといえば自信はなかった。だが加減しすぎてもイタチごっこになりかねないのも事実。
それならばやり過ぎるくらいで丁度良い。少年には気の毒な話ではあるが。
「ヒッ!?」
「……」
数回弾ける音がした後、『雷崩拳』で右腕に宿っていた紫電が落ち着いた。嘆く兵士達の方を振り向くと、その挙動だけで腰を抜かして数人が尻もちをつくなり後ずさりして怖気づいている。
戦意はもう失われているようだった。
なんだか悪いことをした気分になりつつも、俺は左手に掴んだままの『英雄』の剣を放り投げて瓦礫の山へと歩み寄る。
「さて、どこら辺に埋まってるやら……」
崩れて積み上がった瓦礫の山にはまだ瓦礫の破片が転がり落ちている。
手応えは感じたがこれでお陀仏ということはないはず。仮にも神気を纏える身……素の能力も十分に有ったし、これは容体くらいは確認しておいた方がいい。
それに、少年の張ったリストなんちゃらってやつがまだ解けてないからな……。
依然、城を覆う規模の結界は解除されずにまだ展開を続けている。魔力操作はおぼつかず不自由なままなのだ。
これが何を示しているのか……それはお察しだった。
「――まだ、だ……!」
「っ!?」
「こん、な……ところで……! 負けル……わケにハァ……!」
案の定というか、突然、崩れて山積みになっていた瓦礫が火山の噴火のように爆発し、瓦礫が四散する。咄嗟に爆風を手で掻き分けるように防ぐと、指の隙間からは立ち込める煙の中に薄っすらと『英雄』の姿が浮かび、力無く頭を垂れた姿が確認できた。
「しつこいな……!」
やっぱり無事だったかよ。無事だったらそれはそれで面倒臭くなってきたんですけど。
煙の中から神気の光を覗かせる姿からもまだまだ健在のご様子であり、退場するには程遠そうな印象を覚える。
次はどんな手を使って対処しようかと考えだしたところで、俺はすぐに異変に気が付いた。
「ここで、やられる……わけには……! 僕ガ……ヤラない、ト……! 皆を――ウ゛ッ!? や、ヤメろっ……僕ハ……こんなの……!?」
「……?」
「ぐぅうううっ……!?」
最初はただの独り言だと思っていた。しかし、急に錯乱し始めたかと思えば『英雄』は尋常ではない様子へと早変わりする。
両手で思い切り自分の頭を抑えつけると、何かをこらえるようにのたうち回り始めたのだ。必死に何かから抵抗するようでもあるその様子は演技などではないのは見て分かる。歯を食いしばって目をきつく閉じきり、小刻みに震えている身体には拒絶という言葉が俺の頭の中に真っ先に浮かんで来る程だった。
「――あ゛あ゛あ゛あ゛っ!」
「っ!? なんだ……!?」
その閉じていた瞳が見開かれ、『英雄』が怯えたような声を上げた直後だった。叫びとも悲鳴とも取れる声を上げた途端、『英雄』の周囲から見たことのない黒い波動が放出された。
波動は滴り水のように『英雄』の足元に溜まると、地面に滲んで元の面影を失くして闇を作る。一方で煙のようでもあり、風に乗って周囲へ拡散していくその波動は周囲の状況をも激変させ、その異常性を明らかにした。
「色が……!?」
明るかったはずの空間が曇天で切り替わったかのように暗くなった。
辺りを見渡すとこの空間内に彩られていた光の鎖は一気に陰を落とし、一斉に黄金から漆黒に色を染め上げて作り替わっている最中だった。今もなお変化を続ける鎖には滑らかな質感が失われ、代わりにゴツゴツとした突起の目立つ細工が施されているようだった。
この大規模な領域展開を瞬時に作り替えたのか!? んな滅茶苦茶な……!
「っ!? オイ! 一体どうした!?」
「……」
取り乱していたこともあり、『英雄』の正気を確かめる意味で声を掛けたが応答はない。
それもそのはずだ。返答云々の前に意識がなかったのだから。
目は力なく閉じ、身体も立ち上がっているというのに崩れ落ちそうな程に頼りない足取り。それに加え口も少し開いたまま頬が緩んでしまっている。
にも関わらず、こんなにも周囲へ意思のある変化起こしてしていながら、『英雄』は意識を失っていたのである。
「……」
「くそっ! 何がどうなってんだ……!」
理解できない光景に不気味さと苛立ちを俺は覚えた。
意識がないはずなのに今までとはまるで違う気配も感じるし、少年の身体に何か異変が起きているのは間違いない。
それに途中ちょっと変な声色してなかったか……? まさかさっき聞こえたあの声が原因? それとも力の供給に耐えられなかった反動か?
……どちらにしろ嫌な予感がする。
「――『断空剣』」
「っ……!?」
その嫌な予感というのは当たっていた。
『英雄』がだらんと力無く右手を俺に差し向け、そして掌を開くと……その手には俺が放り投げた剣が呼び寄せられたかのように収まった。
剣はその精巧で無駄のない刀身を一瞬で真っ黒に染め上げると、無造作に俺に向けて振り下ろされる。一連の動きは緩慢だったはずなのにやけに早く感じられるようでもあり、俺はそのせいで対応が遅れてしまっていたらしい。
脇を風のように駆け抜け、漆黒の一閃で地面と天を両断して突き進む一撃を俺は見送っていた。
「「「……」」」
遅れて後ろを振り返ると、時が止まったようだった。俺を含め、この場の皆が一閃の駆け抜けた跡に釘付けにされた。
割れたのではなく、裁断されたかと思う程にパックリと割れた地面。俺と『英雄』が先程小競り合いで作り上げた亀裂と並ぶそれは比較すればするほどに際立つ跡となっていた。
そして割れた地面の先にある城壁は形を保ったままでありながら薄っすらと一筋の線を縦に走らせ、一閃が透過してしまったのかと一瞬疑わせるには十分な程自然なままを維持している。
見間違いかと目を疑う程恐ろしく静かな一撃。そして……恐ろしい一撃だった。
「あ、ぁぁっ……!」
城壁を背に、一人の兵士がズルズルとへたり込む。兵士のすぐ横には綺麗に縦に入った線があり、まさに一歩間違えれば即死していたと言える距離である。
今の一撃を最も危険な場所で間近に見てしまったのだ。もし今のが直撃していたらと考え、現状が語る事実に恐怖で心が支配されたのだろう。今にも錯乱しそうな状態に陥るのは無理もなかった。
「滅ビヨ――」
「よせっ!?」
恐怖の波がそこで止まることはない。この恐怖は他の者にも一気に伝染することになってしまう。
俺の静止の声も虚しく、『英雄』の見せる凶行は分け与えられていた恩恵全てを無下にするものであった。
次は一閃を縦にではなく、真横から薙ぎ払おうとしていたのだ。その一閃から予測される未来は眼前に映る全ての万物の両断である。
人も城も関係なく、自分以外の全てを斬って捨てる無慈悲なもの。冗談では済まされない許されざる所業だ。
っ……させるかよ!
「『雷崩拳』!」
俺は『縮地』で『英雄』へと一気に距離を詰め、その振り抜かれようかという剣に自らの拳を叩きつける。今度は『鉄身硬』で強化させた上での『雷崩拳』でだ。
俺だけ避けるならただ身を翻せば何とかなる。だがこの状況で避けることなど出来る訳がない。
ここで俺が躱せば間違いなくこの場の殆どの人が斬られて死ぬ。それどころか城外にいる人達すらも巻き込んで想像もつかない死人が出るだろう。
そんなことが分かり切っていながら見捨てる真似ができるはずもない。この作戦で死んでいい人は誰一人としていないのだから。
この凶行を防ぐ手立ては一つ。俺がこの一撃を受け止める以外にない。
「っ!? くっ……っのヤロ……!」
「……」
刃と拳が交えた瞬間、強烈な金属音と共に火花が紫電と一緒に弾け飛ぶ。
右腕に掛かる鈍重かつ鋭い一撃はこれまでとは別次元の威力へと成り果てており、あまりの苛烈さに呼吸が止まる。
あの範囲、あの威力だ。だから一切の手加減の必要性は感じない。
そう思ったからこうして全力で放っているつもりなのに、まさか押し切れないだと……!?
「っ……!」
「……」
力同士がぶつかり合う中、俺の右手の甲が裂けて血が滲み始める。全身がかつてない程力み、猛烈な風圧に身体が押しつぶされそうだった。
拳をいくら前に突き出して押し返そうと力を込めても、拮抗するばかりで微塵も前へと進まなかった。俺の必死の抵抗とは裏腹に、『英雄』の様子は対照的なまでの無だ。とても意識を失っている様子の力とは思えない。
こりゃ世界がとか気にしてる場合じゃねぇな……! 手加減できる相手じゃない!
「悪いが使わせてもらうぞ……!」
俺は意識を一瞬だけ自分の身体の内側へと向けた。そして今微力ながら供給されている力の源を探り当て、制限していた力を更に引きずり出す。
ドクン――!
途端、全身に流れ始めた力が身体に馴染み、俺を支えてくれているかのように包み込んだ。
脳裏をよぎったイメージが錯覚なのか現実なのかは不明だが、眩しく輝く金色の存在が感じられたように思うのは間違いない。
――これならいける!
「らぁああああっ!!!」
身体に鞭を打ってギリギリ耐えていたのが嘘であったかのように、あったはずの負荷が丸ごと綺麗になくなっていく。まるで何かが取り除かれみたいに。
湧き上がる力を叫びと拳に乗せ、止まっていた腕が限界まで突き出された。すると、『英雄』の剣に集まっていた黒い波動が弾かれた拍子に四散し、逆流して『英雄』を吞み込んで押し流す。
「……ふぅーっ……!」
俺は拳を突き出したまま静止し、大きく息を吐き出した。
遅れてやってきた疲労が心臓を跳ねさせているのが分かる。身体中から湧き出す汗が蒸気のように噴き出して服の内側にこもり、熱気に満ちていた。
「まぁ、これで終わりなわけないよなぁ……」
「……」
黒い波動が掻き消えていく方向を向くと、そこにはやはり健在なままの『英雄』がいた。
俯いているが俺の方へと身体だけは向けており、敵意はしっかりと感じられる。肌に突き刺さる殺気がそれを物語っており、俺以外は眼中にないような印象だった。
滲み出る波動は、今や燃え盛る炎のように『英雄』の周りに揺らめている。
「くっ……!?」
よく観察する間もなく、波動の揺らめきがフッと消える。そして殺気と共に僅かに黒い尾を引いてこちらに急接近するのが見えた。
気付けば『英雄』の実像が現れるのと同時に曲線を描いて伸びてくる黒の一閃がまた繰り出され、俺が反射的に手刀をぶつけるとお互いに仰け反る形で相殺する。
「う、うわぁああああっ!?」
「逃げろーっ!?」
「っ!?」
直後、一斉に多くの悲鳴が聞こえてきた。
周囲に目を向けると今の接触時の波動の余波が兵士へと振りかかり被害を出していたようだ。飛び散った波動が針のように降り撒かれ、辺り一面へと刃が弾丸の如き勢いで牙を剥く。
先程霧のように消えていったのを見たばかりのため、俺は同様のことが起こるものとばかり思っていた分、予想外すぎる結果の違いにギョッとさせられてしまった。
あの波動、余波だけであんな殺傷性があんのかよ!?
これじゃ生半可な受けじゃ駄目か! 余計に周りを巻き込んじまう!
ただでさえ余波だけでも気を遣ってたってのに、本当に洒落になってねぇ!?
「どういうことかサッパリ分からねーけど、どう見ても正気じゃなさそうだ」
「……」
頭の中で考えていたことは、如何に手加減できない状況下で被害を極力抑えるかということだった。俺は【隠密】があるからともかく、この様子だと『英雄』は【隠密】を身に着けてはいないと考えるのが普通だ。
これだけ被害を出している時点で気にしていないと言えばそれ以前の話にはなる。しかし、意識がない状態ではそれこそそれ以前の話だ。どうしようもないことである。
「……上しかないか」
これ以上この結界の中に囚われ続けている余裕さはなくなった。
そこで俺は上空を見上げた。結界越しに外に広がる広大なフィールドを。
あそこなら――。




