480話 セルベルティアの英傑③
「はぁ……はぁ……!」
「(今のでこれなら次は保たないか……)」
手に残る痛みと一緒に大剣の刃の部分にちらりと目を向ける。すると、どうやら中腹程にある刃の部分が少し刃こぼれしているのが目に付いた。
普通に扱うだけならまだ別段問題にならない程度の損耗ではあるのだろう。しかし、一体どんな素材を基にこの大剣が作られたことを知らず、ただとにかく頑丈だという認識のみしかしていなかっただけに、この事実には警戒を覚えずにはいられない。
これまで割と雑かつ無茶な扱いをしてきたものの、この大剣が刃こぼれを起こしたことは一度たりともなかったのだ。俺の怪力に今まで耐えていたのだから相応の素材が振るわれているのは明白なのに、である。
「『鉄身硬』」
いたずらに大剣で受け身に回ること自体が危ういと感じ、俺は大剣を握る右手を身体の後ろに引き、防御能力を高めた左手を牽制のためにそのまま前へと伸ばす。
一見腕を即斬り落とされかねない構えだと自分でも思うが、例えそうでも俺は自前の肉体の方が大剣よりもよっぽど強度があることを知っている。今の『斬破』の威力程度が許容限界の目安ならばこの構えの方がいいはずだ。
それに魔法と肉弾戦のどちらにもすぐに転じられるこちらの方が動きやすいというのもある。剣のみにこだわりがあるわけじゃない。
さてさて、どう動いたものか。体制を整える前に決着つけたいのは山々なんだけど、まだもうちょい時間は引っ張りたいところだしなぁ――。
『クク……! コヤツモ……イイ……!』
「っ!?」
自分の欲求とは別にこちらの事情がその邪魔をする。そう思ったその時――突然その声は聞こえた。
「っ……なん、だ……!?」
背筋がゾクリとした。それはもう未だかつてないほどに。空気が重いどころか、自分の身体がいきなり深海に沈められたように動かない。寒気が身体の内側から肩を震わし、今の声に対して底知れぬ恐怖に身体が硬直しながら身震いする。
『英雄』と相対している最中であっても一気に意識がその声の行方に引っ張られている自分がおり、この時は呼吸すら忘れていた。口は開いているのに、息を吸えないし吐けなかった。
周囲に視線を向けても状況は何も変わらないままだ。少なくとも俺の目には何も映り込んだりしてこない。
「……? 『聖光剣』!」
「っ!?」
これまで姿の見えない声を何度も聞いているため気のせいではないと思いたい。
ただ、今は確認するには状況が悪すぎた。俺が注意散漫になっていたことを見抜いたのだろう。『英雄』が行動を起こし即座に仕掛けてくる。
どうやら『英雄』に今の声は聞こえていないようだ。もしかしたら周りの兵士の声援にかき消されて聞こえなかったのかもしれない。
「光刃よ! 滅せよ!」
『英雄』が叫び、構える剣にも白い光が帯びると、元の刀身を伸ばして追加して光の刃が作り上げられた。
俺がその伸びた刀身の切先を目で追っている間に、気が付けば眼前すぐそこまで刀身が伸ばされ迫っていたようだ。動揺した思考の中では伸びたリーチが更に俺の判断力を鈍らせると同時に、その判断するまでの猶予すらも一気に縮めてきているようだ。
あぶっ――!?
「『転移』ッ!」
身体のみで躱すのは無理だと悟ると同時に、これはただの刃ではないと……そんな予感がした。
そう思いながら寸でのところで『転移』で『英雄』の背後を取って事なきを得た俺は、空ぶった刀身が起こした余波を後ろから眺め――再開した呼吸と一緒に息を呑んだ。
こっちもこっちで寒気を覚えるなこりゃ……!
『英雄』の太刀筋は光の軌跡の跡を空中に残すと、時間差でその空間をこじ開けるようにパックリと割っていた。
どう表現していいものか、まるで立体的に見せる絵のような光景がそこに生まれていたのである。
「今のって……もしかして術式……?」
「……まぁそうだな」
顔が引きつっていた俺も俺だが、振り抜いた剣を構え直しながら振り返る『英雄』の顔も驚きに満ちているようだった。言わばお互いがお互いのヤバさを認識し合っていた。
「上位術式まで使えるだって!? クロスさんやアイズさん以外にも使える人がいるのか……!」
ここでアイズさんの名前か。もう一人のクロスって人の方は初めて聞いたけども。
アイズさんは無属性の適性はあってもまだ『転移』は使えないみたいだし、クロスって人は『転移』使えるのかな? それはなんて厄介な……。
クロスなる人物のことはよく分からないが相当な術者なのは想像に難くない。術式に長けたアイズさんクラスってことだろうし、軍でもかなり地位ある上位の存在と見受けられる。『転移』を使うとなればそれだけで脅威だ。
瞬間移動の凶悪さは使っている俺が一番知っている。特に『転移』に関しては個人的には『縮地』などの移動方法よりも遥かに凶悪と思っているくらいである。
いくら壁を隔てようと魔力さえ届いて制御可能なら瞬時に指定位置まで移動可能。直前までの自身の肉体の慣性も任意でゼロに変えることができ、かつ身体の姿勢まで変更できるチートっぷりだ。……本当にいつもお世話になってます。
「……」
――恐る恐る耳を傾けてももう今さっきの声は聞こえない。届くのは俺にとっては喧騒である外野の声だけだ。
悪寒も今の一瞬の攻防の間に収まりをみせているようだったが、それで綺麗さっぱり頭の中から忘れ去るなんてわけにもいかなかった。
さっきの身震い……あれは尋常じゃなかった。声が聞こえてきたことに対してとかそんなんじゃなく、 声そのものに悪寒を覚えたというか……。
これまでに感じることのなかった強烈な印象がどうしても拭いきれない。身の毛がよだつとはまさにこのことを言うのだと思う。それくらいあの声には俺自身が警戒してしまう何かを感じた。
「見たところパイルは持っていなさそうだけど、どこかに隠しているのか? それに詠唱すらもなかったみたいなのはなんで……?」
「わざわざ相手に有益な情報を教える必要があるのか? いきなり斬りかかってくるような人に教える義理はないな」
「くっ……うるさいな」
『英雄』が当然の疑問である俺の無詠唱を指摘してきたものの、俺の頭の中は声への恐怖感で一杯だった。まともには答えず適当に思ったことを口走ってしまったものだが、それは最早ただの煽りだったと言ってからすぐに気が付いた。
しかしながら相手も怒りに身を任せていたことに自覚はあったらしく、また気にしてはいたらしい。少しだけまともに対話が可能である余地があることが分かって俺も何故か少し安堵する。
ふぅ……まずは落ち着け俺。さっきの声は一旦『英雄』を片付けてからだ。急がば回れ……優先順位を違えるな。
「……ハハ……」
「なに笑ってるんだ! 馬鹿にしてるのか!?」
「いいや、別に……」
深呼吸して『英雄』と改めて対峙してみると、俺は自然と笑みがこぼれるのが抑えられなかった。『英雄』が噛みついてくるが自分で否定しても止まらず、気持ち悪い薄笑いが続いてしまう。
今さっきの恐怖と比べたら『英雄』の威圧感が可愛く感じる程に見えて仕方なかった。決して油断して自分を過信しているわけでもなく、大きく見えていた筈のモノがやけに小さいとしか思えなくなっていた。
ハハハ……なんで俺はこの程度の威圧感に少しでも危機を感じてたんだろうな……。
神気を使ってきたくらいで身構えてたのが馬鹿らしくなってくる。
まるで次元が違う。こんなもん、たかが虎風情が威嚇してきてるようなもんじゃないか。
本当に恐ろしいのは――。
「だったら術式を使わせなくするまでだ! 『星に与えられし聖なる光よ。光の鎖へと姿を変え、その者の動きを封じたまえ!』」
そこで、『英雄』の魔力が膨れ上がるのを感じた。触れ上がる魔力に触発されて纏っていた神気も震えるように蠢き、厚みを増して更に『英雄』を包み込んでいく。
「領域展開! 『リストリクションフォース』!」
「……これは初めて見るっぽいな」
目の前の光景を前に、俺は自分の記憶に何かが引っかかるのかと予想したが……生憎と今回それは起こらなかった。
ほぉ? 術式を使えなくとか……そんな手段まであるとは。万能タイプだな。
胸の前で切先を天に向けながら、両手で剣を握る『英雄』が俺目掛けて刃を差し向けた時だった。中庭どころか城を覆う規模で大きな変化が引き起こされ、黄金に輝く無数の光の球体が数え切れない程出現する。
その全てから縦横無尽に光の鎖が射出され、鎖は空を走り、地面から生えるように突き上げ、まるで俺らの周囲の空間を雁字搦めにして封じ込めてくるかのようだ。視覚情報の大半を占める勢いは圧巻で、かなり広範囲に影響が出るのがパッと見で理解できた。
「(すり抜けるのか。そういう演出ってことか? 凝ってんなぁ)」
試しに手近にあった一本の鎖に触れてみると、俺に特に害を与えるでもなくすり抜けてしまった。
察するに鎖は魔力で形成されているだけで直接地面を介しているわけではないようだ。鎖の生えた地面自体には何の変化もなく、あくまで魔力による視覚的イメージの顕れた結果がコレであるらしい。
「悪いけど術式は封じさせてもらったよ。この空間内では全てのマナの動きに制限が掛かるからね……術式は使わせない!」
「(少年よ、いきなり元気取り戻したな……流石に単純すぎないか? 純粋かっての!)」
得意気に意気込む『英雄』の表情が明るく、何を感じているのかすぐに分かった。
完全に優勢を取れた気になって緩んだような顔だ。どうやら頭の中は俺と一緒でそんなに出来が良くないらしい。一喜一憂がかなり激しいようだ。
現状的には振り出しに戻っただけで何も変わってないんだけど……まぁいいか。
それはそうと――あ、ホントだ。なんか魔法の発動地点がハッキリせーへん。これは確かに魔法は中々発動するのが大変そうだ。殆ど魔力無駄にしそう。
確認のために『ファイアーボール』でも撃ち出してみようとしたものの、体内で魔力は練り上げられても上手く発動地点の把握が掴めずにあと一歩届かない感じだった。
明らかに発動までのプロセスの一つを阻害されているようで、これは余程無理をしない限り発動は厳しいだろう。無理に発動しても利益に見合わないであろうし、大元を叩くのが一番手っ取り早い対応策と言えた。
「ここからは自由にさせないよ! 次は……僕の独壇場だ!」
こちらが現状を把握している間に、余裕を取り戻した『英雄』の動きもキビキビとしているようだ。声にもハリが戻っている他、力を注がれている影響か疲労の色が見えない。『斬破』で与えた傷も既に見当たらなかった。
体力も勝手に回復するんかい。最早なんでもアリかその力は。
こうなると俺が君に対してやることのランクを上げざるを得んぞ。
「別に独壇場に立っていたつもりはないが?」
「ハァアアアアッ……!」
聞いてねーし。
勝手な言い分に反論しようとしたが聞き入れられはしなかった。『英雄』が剣を構えて野太く叫ぶと、周囲の空間がぐにゃりと歪んで景色を狂わす。
後方に控えている兵士達が粘度のように曲げられ、平衡感覚を失いそうになりそうだ。このまま直視していたら気分が悪くなりそうであり、目を閉じている方がマシにすら思える。
素直にこんなのを食らってやる義理はないな――!
「レイ――ッ!?」
「遅ぇ」
対処は決まった。力を溜め終えた『英雄』の動き出しに合わせ、俺も出鼻を挫くために仕掛けに入ると、それは綺麗に俺の予想通りの形へと収まった。何か口にしようとした『英雄』のその先が綴られることもなく。
今は魔法が使えないので俺も『縮地』で距離を詰めると、強化してある左手で動き出した瞬間の『英雄』の剣を掴んで捉えたのだ。
『英雄』の何もかも理解が追い付けていない様を見つめながら、既に優勢が覆っている事実を突きつけてやる。
「悪いが私も『縮地』くらい使える。予想が甘かったな」
「なっ!?」
間近で聞く掠れたような驚きの声は、思うように言葉が出てきていないかのような印象だった。
でもまぁ『縮地』を使ってきても気配察知だけで対応できてたんだ。その俺が『縮地』使ったらそりゃ対応なんてできるはずないわな。多分まるで見えなかったろ?
こう見えてお兄さん割となんでも出来ちゃう化物なんです。とりあえずその武器は危ないから手放してもらおうか!
「づぁっ!?」
掴んだ左手で無理矢理剣をひっぺ返すと強く握っていた手が擦れたのだろう。妙に痛々しさのある声を『英雄』があげた。
こういう小さな痛みの方がやけに瞬間的な痛みは強かったりするんだよな。咄嗟に声が出るのはうん分かる。
「しまっ――グフッ!?」
「『雷崩拳』!」
剣を抜き取ったことで『英雄』が若干仰け反った。俺は悲鳴を無視し、手持ち無沙汰になっていた右手の大剣を容赦なく下から思い切り振り上げようとしたところで――途中大剣を手放して攻撃を変更する。
この大剣の耐久力では神気を貫く以上の威力は発揮できないからだ。悪戯に愛着あるこの武器を失うのは憚れた。
魔法は使えないがスキル技が使えなくなるわけじゃない。『鉄身硬』が消えないからそうと踏んだけど間違ってなかったみたいだな……!
「術式の排除で安堵してたなら残念だったな。どのみち私は物理の方が得意だぞ」
「ウ゛ッ……ガハッ……!?」
大剣の代わりの拳をがら空きの『英雄』の腹に捻じ込むと、硬い鉄板を殴ったような振動が俺に返って来るがそのまま押し切った。一気に神気にヒビが入り、鎧を壊した拳は『英雄』の生身へと到達すると柔らかな感触と手応えが応答として伝わってくる。
魔法が使えなくなるからどうした? だったら自分の生身のみで代替すればいいだけだろうに。
何のために自前の身体があると思ってる。まさしくこういう時のためだろう? 身体は資本だ資本。
強烈な一撃が生み出した圧に『英雄』の身体が仰け反りそうになって前髪が反り返る。腹部から上方に噴き出す焼き切れそうな熱気に晒された肌は今にも焦げ付きそうなくらいだ。仮面越しだが湧いた汗を瞬時に吹き飛ばす勢いであるのが分かる。
神気がなんだ? んなもん纏わりついてるなら引き剥がせ! 剥がせないならそのままぶっ壊せ!
天使の味方になろうって奴が、ここにいる奴等全員を相手どれなくて務まるかってんだ!
「吹き飛べ……!」
拳を前へと突き出すと掛かっていた重みが消えて『英雄』の身体が飛んでいく。そして兵士の群れを掻き分け、城壁へと盛大に激突すると崩れた瓦礫が覆い被さって下敷きになった。
この一瞬の出来事に声援は止み、崩れる瓦礫の音だけが代わりに聞こえてきた。
※5/21追記
次回更新は次週の火曜日辺りです。




