475話 『剣聖』救出作戦:最終段階⑨(別視点)
「ぐぅっ……!?」
「っ……?」
無数の斬撃が一点へと集中し、ロアノーツの身に着けた鎧に切れ込みが入る。胸板に裂けた鎧の隙間から血線が飛び、アスカの決め手になったものかと思われたが――その量がやや少なすぎた。加えて妙な手応えと途中で止まってしまった刀を見て、アスカが状況を察した。
身体よりも先に意思によって動いた風が辛うじてアスカとロアノーツの隙間に差し込み、防御壁となってアスカの刃を防ぎ止めていたのだ。
ロアノーツの纏う風が攻撃に転じた際、その威力の凄まじさは語るまでもない。この鋭くも重い風が防御に回れば相応の効果を発揮することなど簡単に予想がつくというもの。
幾層にも折り重なって凝縮された風が生む防御力もまた脅威的であった。
「(風を盾に咄嗟に受け止めたのか。なら――!)」
「くっ!?」
「うおおおおおっ!」
アスカはまずこの風をどうにかすべきと判断した。震える腕で風の鎧に食い込んだ刀を更に押し込むと、叫んでロアノーツを風ごと後方へと押し飛ばす。そして追撃の斬撃を放つと、自らも追いかけるように同時に駆けだすのだった。
「ちぃっ! 『グングニル』!」
アスカの異常とも言える突然の変化から事態を理解することを急いでいたロアノーツが、若干遅れて対処を開始する。
空中で身を制御したロアノーツはすぐさま斬撃と一緒に駆け出したアスカを見ると、二槍の槍で迎撃の構えを取った。飛来する斬撃は身体に捻りを加えて槍を軸に受け流すと、その捻った動作を利用して『グングニル』で牽制を加えたのだ。
「『水鏡』!」
「なっ!? (この至近距離でだと!?)」
しかしアスカは止まらない。緑の蛍光の一撃はアスカの刀に振れると途端に向きを変え、反転してロアノーツへと逆襲する。
先程跳ね返された時は自分と距離があったためにまだ躱すことのできたロアノーツだったが、今回はあまりに近すぎて回避すらも間に合わなかった。自分を覆う風の鎧に『グングニル』が突き刺さる。
風の鎧を貫けはしないが、それでも放置できる威力ではない。ロアノーツが『グングニル』の威力を殺そうとした時だった――。
「がっ!?」
ロアノーツから苦悶が零れた。
『グングニル』の刺さった場所にあった風の鎧が、不自然にもいきなり弾け飛んだのである。感覚としては閉じていたものが無理矢理開いたようなものに近い。圧縮された風が破裂音を立て、盛大に風を吐き出す。
自分の意思によるものではない乱れはロアノーツの思考を止め、身体の自由をも奪う。風の鎧が機能しなくなったことで、止められたはずの『グングニル』は威力は殺されずに元の場所へ向かって一突きしにいく。
腕を抉りつつ弾いてぶつかった『グングニル』により、ロアノーツが槍を握る力を失って一本手放した。ロアノーツの手から離れた槍は風の槍の方であり、離れると形を失って霧散した。
そこへ、相手の虚を突き渾身の一撃を与えるアスカの剣技が差し迫る。
「――『絶華・薊』!』
「(これが其方の本気か――!)」
ロアノーツが地に足を着ける頃には、アスカの刀による突きが既に振り抜かれようとしていた。
まさに一瞬の間の出来事。常人なら目で追うことも許されない、頂点に君臨する者同士の戦い。
「「…………」」
アスカとロアノーツの身体が密着し、膠着する。まるで時が止まったように。
今に至るまでの戦いの残響だけが未だ鳴る中、ガランと……金属の破片が大きく二人の足元に散らばった。
それはロアノーツの実態ある方の槍だった。
「……このアルテマイト製の槍が砕かれるとはな……。見事だ」
一頻り喧騒が鎮まると、ロアノーツは真っ直ぐに自分を見てくるアスカに向かって称賛の言葉を口にする。その固い表情がいかに今のロアノーツの状態を示していたものであったか、それはアスカが一番知るところであった。
「嬉しいけど素直に喜べないね。僕の方がこんなにズタボロにされてるわけだし」
「謙遜は止せ……! 大して、効いていなかっただろうに……!」
「馬鹿言わないでくれ。滅茶苦茶効いてるから……イテテ……!」
アスカが疲れた顔で反論し痛みを訴えるが、その訴えに説得力は欠片も感じられない。
何故なら、ロアノーツがアスカの刀を素手で握った手は真っ赤に染まっていたからだ。掌に出来上がった一本の刀傷は止めどなく血を溢れさせ、足元にある槍の残骸に赤い色を垂れ濡らしていく。
――が、それ以上にロアノーツの腹部に出来上がった真っ赤な染みの方が最も血を溢れさせており、とても軽視できるものではなかったと言えよう。
「くっ……!?」
ロアノーツが歯を食いしばり、今にも脚に力が入らなくなってしまいそうな身体に鞭を打つ。
アスカが刀を突き出した時、ロアノーツは残った片方の腕で槍を向けたのが幸いしたのか、アスカの刀による突きで絶命することはなかった。その拍子に槍はバラバラに砕かれてしまったものの、即死には至らず若干致命的な一撃に留まったのである。
今ロアノーツから流れ出すように落ちている腹部の傷がそれだ。アスカの刀は鎧を貫通するどころか粉砕し、そのまま抉り貫かれた脇腹は着込んでいたインナーがべったりと血を吸っていたのだ。
「(天は私を助けたのか貶めたのか……これでは分かったものではないな)」
ロアノーツには今の自分の状況が運が良かったものとは言い切れなかった。生きていることは喜ばしいことではあるが、この気の狂いそうになる激痛を味わうくらいならば一思いに死ねた方が楽ではないのかとも思えたのだ。
「ぬぅっ!?」
「……」
アスカはロアノーツの手と腹から刀を引き抜くと、そのまま後方へと下がって距離を取る。その際傷口の上から更に刀傷をつけられ、ロアノーツの顔は一瞬険しく歪み、片膝をついた。
「(風の層で狙いを逸らされたのか。ここで決めたかったところなのに……!)」
ロアノーツの纏っていた風の層の内部は荒れ狂う暴風を凝縮したようなものである。外側は非常に堅牢だが、内部に侵入を許せば留め続けている嵐が一斉にして侵入者を襲う。その影響は非常に大きく、アスカの正確な一閃を持ってしても軌跡に乱れが生じる程なのだ。
それ故に、思う場所に斬り込めない。最大限に力を発揮できなかったのである。
「フーッ……! フーッ……!」
叫び倒してもおかしくない状態ではある中、気が狂いそうになる激痛は逆にロアノーツの体感する痛みを麻痺させてもいるようであった。不幸中の幸いか、まだ思考する余裕が生まれていた。
「(この出血はマズい……!) 『風の鎧よ、我が身に纏え』……!」
「っ!?」
今は痛みにも耐えて意識を保てているが、このままでは出血死するのは明白だった。ここでロアノーツは矛に纏わせていた風を自身の傷口に寄せ集めると、圧力を掛けて無理矢理血の流れを塞き止める。
槍本体がなくなった分の余裕を身体の応急処置につぎ込み応用したのである。
「嘘だろ……そんなこともできるのかい? 本当に厄介な鎧だな……! それに……」
「ハッ……ハッ……!」
更にロアノーツを取り巻く風の鎧は一旦アスカによってこじ開けられたはずだが、開いた穴を塞ぐように風が再びロアノーツを包みこんでしまい、最終的には元の形態へと戻っていってしまう。その様子を見ていたアスカは、自分の判断が甘かったと自分に舌打ちをするのだった。
「っ……遂に……隠していた神髄を、見せ始めたようだな! 驚きの連続であったぞ……!」
傷を塞いでも痛みが変わるわけではない。呼吸激しくロアノーツが脇腹に手を押し当てながら今アスカが披露した技の数々に対して感想を述べる。
「この身体能力の異常な上昇に、風の鎧の不自然な引き剥がし。そしてまた技を跳ね返されたことも……。いやはや……全て説明がつかん限りだ」
「それはどうも」
参ったと言わんばかりに軽く項垂れるロアノーツ。原理は全く持って不明なままだが、ある意味これはこれで分かってしまってもいたりする。何故ならそういうものであるという認識をするしかないという諦めが既にあったからだ。
ただ、そのまま素直に諦めるようなことも出来ず、どうにか原理を突き詰めたかったのが本音ではあった。
「――これが、『気』と呼ばれる力というわけか」
「……」
ロアノーツがそう告げるとアスカは黙ったまま佇む。そのままロアノーツは続けた。
「万象に大いなる息吹で介入し、その性質そのものにまで変化をもたらせることができる技法。息吹と呼ばれるそれは……今では『気』と呼ばれている。文献を辿るならそうだな?」
「……ご名答。そこまで文献を見てるならもうある程度知ってるだろうから言うけど、僕ら東の者はさ……先祖代々『気』を読み取る力ってのに長けててね。その力を利用して武芸に取り入れてるんだ」
「よもやそんな技法が本当に存在していたとは……いや、ある意味マナも似たようなものか」
アスカが見せたこれまでの不自然な現象がどんなものであったのか、ロアノーツに今までの種明かしをすると腑に落ちない様子ではなかったようだ。
むしろマナという存在と置き換えれば不思議なものでもないとロアノーツは思えるのだった。
「『気』はどんなものにも存在する。目に見えないだけで生き物にも無機物にもその力は宿っている。僕らはその力を感じ、理解し、触れることで自分の感覚と結合させて自分の力に変えるんだ」
「……この世に自然にある力の手を借りるか。まるで自然の『担い手』だな」
「……? 貴方は僕から奇妙な気配がするのは分かってたみたいだから、多分『気』に対しての感受性が高い人なんだろう。正直驚いてたよ。故郷でも分からない人は分からないものだからね」
『担い手』という言葉を知らないアスカは一瞬首を傾げたが、今は適当に流して自分も遅れながらも感想を告げるのだった。
既に武力とマナを遥かな高みまで磨き上げたロアノーツが、本格的に学べば『気』の分野でも力を発揮できる気がしたからである。そのポテンシャルの高さに、アスカはロアノーツがまだ道半ばであることに安堵する他なかった。
「その身体能力も……『気』によるものなのか?」
「そうだね。『神華黎明』は自然の力に浸るものなんだ。強制的に潜在能力を引き出すものなんだけど……この場の全ての『気』と波長を合わせないと使えないんだ」
「ならさっき風の鎧を引き剥がしたのは?」
「あれは『絶華・楓』って言ってね、直前に放った『紅葉』に込められて刻まれた『気』を強制的に開放するものだよ。モンスターの固い皮や鱗を内側から裂くために考案されたらしいけど……『紅葉』と『楓』は合わせて使うことが多いかな」
「……なら、こちらの攻撃を二度もそのまま跳ね返したあれはなんだ?」
「『水鏡』のこと? 『水鏡』は相手の攻撃をそのまま威力すら殺さずに跳ね返す絶華の型の一つさ。触れた『気』を瞬時に読み取って相手の武器、性質、全てをそのまま鏡で映すように返還するって言った方がいいかな。まあ簡単に言うと『気』の流れる向きを変えるだけなんだけど……」
元々悟られており、ここで明かしたからか。自分の質問に素直に答えるアスカが何気なく言った言葉にロアノーツがある変化を見せた。
「フ、フフフ……! そうか、変えるだけ、か。なんだそれは……最早技量の範疇を超えているではないか」
それは笑いだった。
『気』の力がどんな感覚かは知らないが、それは一つの技術である。そしてその卓越した力を如何なく発揮できているのはアスカの才能以上に努力も大きいのだろう。アスカが鍛錬を怠るような人物であるかどうかと問われれば、まず間違いなく違うと言い切れる。
そのアスカが事も無げに言う時点で、最早とんでもないことすらその程度という認識をロアノーツは覚えたのだ。
「化物だな……。こんな力を扱いこなす其方は、やはり……」
自分が先程聞いてはぐらかされた部分。今ならば今一度返答をもらえるのかもしれないとロアノーツは考える。
その意図を汲み取ったのか、アスカももう一度答えることにしたようだ。
「さっきの回答になるけど、剣技だけなら僕はカリンに劣る。だけどこの力に関しては僕はカリンよりもハッキリ言って上だ。『気』も込みならカリンにだって勝る自負はある」
「『剣聖』に勝る、か……フフ」
世界に『剣聖』の異名を広めるカリンに勝る。そんなことを言える人物が果たして世界に何人いるのだろうか?
真剣な顔で啖呵を切るアスカを疑えるはずもないが、そんな人物に出くわしたことがないためロアノーツは新鮮とも畏怖とも言えぬ印象を覚えるのだった。
「(『剣聖』も化物であったが……それを助けに来た者らが揃いも揃って化物とは。面白いこともあるものだ)」
アスカの隣にこの場にはいないはずの別の存在を並べ、ロアノーツは人知れず両者を一括りにそう称した。
※2/21追記
次回更新は明日です。




