474話 『剣聖』救出作戦:最終段階⑧(別視点)
遅れてすんまそん。
「(来る――!?)」
二本の槍を手に、ロアノーツがアスカに向かって跳躍する。ロアノーツの周囲に展開された膨大な風が一斉に押し寄せ、一気に叩きつけるように唸りを上げた。
その押し迫る圧は竜巻そのものと称しても良いほどの存在感を放っている。アスカは一瞬迎撃するか迷ったが、ロアノーツの新たな構えとその気迫の強さに奥手の選択を取り、回避する行動に出て横に身を動かした。
「甘いっ!」
「っ!? 空気中で更に跳んだ!?」
アスカの機敏な身のこなしは、正確にロアノーツの領域からの脱出を試みていた。しかし空中に壁でもあったかのように、ロアノーツがいきなり軌道を変えてアスカに向かって行ったのだ。立地を使った立体的移動ならまだしも、何もない場所で本来ありもしない変則的な動きは予想できなかった。
「そこだ!」
「ぐあっ……!? っ……ハァッ!」
突き出された一本目の槍は刀で受け流すことができたアスカ。だが続いて繰り出された二本目の槍への対処は間に合わず、右肩が大きく削られる。
痛みと驚きを覚えずにはいられない中、アスカは反射的に刀を一閃して反撃するも、既にロアノーツは範囲内から逃れて悠々としている。
「っ……! ここで更に奥の手をこんなに解放してくるのかい? 全く勘弁して欲しいな……!」
「そうか? これでもまだ其方の神髄は隠されたままのように見えるがな……!」
肩を押さえ、非難するような眼差しで言うアスカに対しロアノーツの表情は固い。一撃見舞ったというのに、余裕を感じるどころか焦りを感じているかのように。流れる汗は疲労か冷や汗によるものなのか分からない程である。
「『風の舞』!」
「っ!? 竜巻が……!?」
その状態を継続したままロアノーツは次の動きを見せた。
ロアノーツが槍の柄を地面に突き立てて叫ぶと、部屋の四つ角から天井に届く竜巻が発生し接近、アスカ達を取り囲んだのである。
竜巻が巻き起こす風は強く、離れていても引き寄せられそうになる足は地の感覚を鈍らせる。アスカが足に力を入れて踏ん張ると――。
「これで逃げ場はないぞ!」
再び跳躍したロアノーツは、先程方向転換した容量で何度も宙を蹴って縦横無尽に部屋を駆ける。その度に突風の嵐が巻き起こり、砂煙が舞った。
荒れ狂う無尽蔵の風圧にアスカが身を抑え込まれ、一瞬目を手で覆った時だった。頭上を通過するロアノーツから雷電を纏った風の槍が投げつけられる。
「『落雷』!」
「っ!?」
投擲の際の一瞬の稲光はまさに落雷そのもののようであった。気づけばアスカのすぐ隣に深く突き立った槍にアスカは一気に肝を冷やす。
「(なんて速さだ!? こんなの刀じゃ受けきれないぞ!?)」
「(何故躱せる!? 先程身体を硬化させた時といい……やはり妙な力を使っているのか?)」
この一幕は現在互いに対極の関係にある二人を同時に慄かせた。それはここにきて更に感じた身の危険。叩けば叩く程出てくる相手の秘密の多さ故にである。
「っ……『迅雷』!『天雷』!」
「『歩法・葉隠』!」
逸る焦りから移動速度を更に増したロアノーツは、空中から次から次へと風で生成した槍に電撃を纏わせ放っていく。掛け声と共に威力、速度、攻撃範囲も増し、最早全方位からの攻撃は槍による雨嵐であった。
そんな中、一方アスカは緊張して硬直した身体をほぐし、すり足に近い独特の歩法を用いて最小限の動きのみで槍の雨を躱していく。
「また妙な術を使っているのは確定的か! だが――!」
「っ!? くっ……!?」
ひらりひらりと稲光の中で迫る槍から身を躱すアスカは軽い木の葉のように芯が捉えられない。直撃したように見えても、その次には風圧によって身に届いていないような光景にロアノーツは歯痒い思いしか抱くことはできなかった。
紙一重に見えてその実そうではない。これは到底人の身体でできるような芸当ではないと。
しかし、この現象がアスカの使っているであろう特殊な技法によるものだと察した以上、ロアノーツは先程『雷底』で身を強固にされた類のものと同類である可能性を強くするまでだった。厄介極まりないが恐らく持続はしないと踏み、そのまま超速移動による連撃を浴びせるゴリ押しを続行した。
「(好機!)」
(なっ!? 避けられない――!?)」
そこで始めは攻撃が掠りもしなかったアスカの動きに乱れが生じ、一瞬の隙が生まれてしまう。不自然に身体の重心が下がり、その自分自身の変化にアスカは動揺しているようであった。
というのも、既にこの部屋はどこもかしこも綻びだらけとなっていたのだ。床には多くの亀裂や剥がれが出来上がり、その破片がそこかしこに散らばっている。
アスカは攻撃を注視するあまり、足元の確認が疎かになっていた。ほんの僅かな石の破片がもたらした足裏の踏み込みの甘さは速度を緩ませ、迫る槍に接触の機会を許してしまう。
「穿て! 『天帝雷覇』!」
「っ――!?」
ロアノーツは両手に持つ槍を重ね合わせると、融合してその大きさを倍に膨れ上がらせる。火と火が重なる時のように雷電と風もまた一体化し、その変化がもたらす脅威は語るまでもなかった。
一際大きな稲光の後、轟音が部屋を満たした。ロアノーツが槍を放るのではなく、直接アスカを突き刺しにかかったのだ。ほぼ頭上から垂直に向かうその勢いたるや凄まじく、肥大した槍から放たれ生まれる威力はこれまでの比ではない。振動がそのまま壁を伝い地表まで到達していても不思議ではなかった。
「――ハァ……ハァ……! また……寸でのところで……! くっ……!」
「ぁ゛……っ……! 『葉隠』を使ってコレか……!」
周囲の壁に亀裂を作り、天上からは石の破片が埃と共に落ちる。稲光と立ち込めた煙が収まると、そこには衝撃のあまり転げても尚立ち上がる二つの影があった。
「っ……! 空中を駆けまわれるなんて羨ましいよ……! それができたら、どんなに有用だったことか……!」
「其方を翻弄できて……ハァ……いるなら、そうであろう、な。だが……ハァ……その分、消耗は激しいのが難点だ……!」
「みたいだね……」
息も絶え絶えに肩で息をするロアノーツが言うと、和服のあちこちが破れ、右目の瞼の上から盛大に血を流したアスカが呼吸荒く羨んだ。
見た目はアスカの方がかなり重傷を負っているように見えるものの、ロアノーツの方もかなり憔悴した様子でありどちらも似た状態であるようだ。心身共に回復が必要なのは間違いなく、これ以上の戦闘の継続はどちらも身体が危険信号を発することとなることが予想された。
「(くそっ……右目がぼやける……! 鼓膜もやられたか……!)」
目の下を流れる血とは別に、耳の下にも流れていく温かな違和感にアスカは気づき、顔を顰めた。
今の攻防でアスカは右目だけでなく、右の鼓膜も破れてしまっていた。落雷が引き起こす轟音は凄まじく、特に最後の一撃に関しては一層強力なものだったため無理もない。むしろ片方だけで済んだだけマシではあった。
「(おかしい……確かに手ごたえはあったはず。それでいてこの程度の損傷で済むとは……身体が先程の時よりも強化されているのか……?)」
お互い自身の態勢の立て直しで動けず、ロアノーツもアスカの様子に疑問を隠せないことで考えが頭の中を巡っていた。
ロアノーツは呼吸は荒くしつつも震える両足を隠し、未だ立ち続ける目の前の猛者を見る。
「いっつ……! 少しクラクラするな……」
そこには片手を額に当てて何度か叩き、ここまでして尚攻め倒すことのできない防御能力を秘めた怪物がいた。
多少痛そうな姿を見せる程度などとはとんでもない。一体どうすればこの猛者に片膝を付かせることができるのか? 持てる全力を振るった今、改めてその兆しを感じられずロアノーツは困惑するしかなかった。
明らかに手傷を追わせているのはロアノーツの方である。切り裂いた数も多く、掌底も叩き込んで身体の内部への攻撃も決めた。そして今も電撃による全身への負荷と槍による裂傷をくれてやったはずなのだ。
それでも、アスカはまだ立ち続けている。
「(やはりこれも全て……東に纏わるという例の力なのか!?)」
いくらなんでもアスカの身体が頑丈すぎると、ロアノーツは思った。そしてその秘密は以前自分も漁った東の文献の通りであると思うのだった。
今の一撃はこれまでよりも更に強力な威力を秘めていた。先程はこれ以下の威力で手傷を負っていたアスカであるなら、もっと深手を負わせられてもおかしくなかったのだ。
しかし、アスカに与えられた傷は予想を遥かに下回っている。そもそもあの近距離で電撃と全力の突きを浴びせているのだ。消し済みになっていてもなんらおかしくはない。この場合、これだけの高威力の攻撃を仕掛けたロアノーツよりも、アスカの方が何倍もおかしいのである。
そのアスカのおかしさの秘密こそが、ロアノーツの理解できなかった部分であった。
「(本当に強い人だ……! 技術もだけど、持ちえる能力を全て洗練して使いこなしている! これが狭い世界でしか生きてこなかった僕と、死と隣り合わせの戦場を生き抜いてきた人との経験の差……!)」
一方ロアノーツが何を考えているかなど知らず、アスカは自分とロアノーツとの差をその身を持って感じていた。
アスカはこれまで東の地から外に出ることは殆どなかった。対人経験もロアノーツに比べ多くはなく、故郷では自分と似た相手との稽古試合が主でありそれも大分昔の話である。そして多種多様なモンスターや人種とまみえてきたロアノーツに対し、精々自分の生活を守る程度の狩りなどしかしてこなかった差は埋めようもない。ロアノーツの見せる多用な技の数々と応用力には関心を示し、自分の見識が狭く圧倒的に経験が足りていないことを痛感していたのである。
「(もっと外のことを知っておくべきだったな……。いくら閉鎖的とはいえね)」
これまで過ごした時間を無駄とは思わないが、その時間の一部を一歩踏み出して模索する時間に当てれば良かったとアスカは思うのだった。
経験も重要だが、知識を得ることも重要である。培った技術が発揮されないのでは意味がないのだから。
「(だけど、今ので十分に高まった! 僕も彼もこの場の全ても!)」
そんな嘆くアスカであったが、人はいきなり変わることはできない。また時間が戻ってやり直しができるわけでもない。
アスカのある意味外に踏み出さず狭い視野でしか培ってこなかった技術は、この一点に限れば社会の枠組みを外れ極限まで研ぎ澄まされているとも言える。
ロアノーツが多様な技と応用力を見せるのであれば、アスカはずっと研ぎ澄まし続けてきた武器のみで戦うしかない。元よりアスカにできることはそれのみであったのだ。
「『神華黎明』――。すぅ~……!」
アスカはようやく全ての準備が万全となったのを確認すると、呟いた後肩の力を一旦抜いて深く息を吸い込む。少し胸板がせり上がる苦しくない程度まで肺に空気を送り込むと、そのまま息を止めた。
「(む? なんだこの気配は……? ついに来るか!?)」
途端――アスカがひたすら内側に留め続けていた力が、少しだけ……だがとてつもない力を匂わせ滲み出す。それはロアノーツがこれまでに見たことのない顕れ方をしており、徐々にだがアスカの周辺の空間が揺らめきを放っているようであった。
周囲を吹き荒れる風とは別に、アスカの近くにあった石ころが震えていた。
「……」
アスカは刀の鞘はないものの居合の構えをゆったりと取る。それに合わせ周囲の揺らめきがアスカに向かって収束していき、今度は揺らめきがアスカの肌に付着するように纏わりついた。
さながら輪郭のぶれた見た目の変化を遂げており、薄暗いこの部屋の中で存在自体が強調されていると思える程であった。
「っ――!?」
片目で自分を見てくるアスカを見て、ロアノーツは戦慄を覚えた。何に対してそう感じたかで言えばそれは分からない。だが理屈ではなく直感的なものだったのだろう。
アスカの纏う雰囲気の変化を感じ気圧されたロアノーツは、重い腰を上げてアスカに二槍を突き出して遅ればせながら構える。そしてそれに呼応するかのように周囲の風も唸りを上げた。一見威嚇にも取れ、また自身への鼓舞ともとれる様子で。
いくらロアノーツが憔悴しているとしても、迎え撃つ余力はまだあるのだ。例えなくても身体の奥底から捻りだす闘志がロアノーツにはあり、そちらはまだまだ尽きる兆しはなかった。
「(まともに迎え撃つわけにはいかない!)『嵐天壁――っ!?」
「っ……!」
常に膨大な風を身に纏う状態となった今、ロアノーツは呼び動作無しにいくつかのスキル技を放つことが可能となっていた。纏った風は自分の意思で動かすことのできる、言わばもう一人の自分に近い。
定石として防御の布陣を張るべく竜巻をまた発生させようとするも、動作を省いたにも関わらずロアノーツはそれすらも許されはしなかった。
――刹那の出来事であった。まだ居合の構えを取ったまま、アスカが自身の懐に入ってきたのだ。
「(馬鹿なっ!? これは『縮地』!? 予備動作もなしにだと――!?)」
ロアノーツの視線だけが先に動き、目下のアスカを捉える。これまでにない段違いの速力は既にアスカの速さに慣れてきたロアノーツに深く付け入り、簡単に領域化への侵入を許してしまった。
無防備なその胴体に、アスカの振り抜いた刀が迫り――。
「『絶華・紅葉』!」
無数の斬撃の軌跡が同時に炸裂した。
※2/7追記
次回更新は水曜日辺りです。




