473話 『剣聖』救出作戦:最終段階⑦(別視点)
「其方の持つ強さは凄まじいと言う他ない。身体能力、咄嗟においての状況判断、正確無比なる剣の技術の高さ。どれをとっても軍の一流と世の名のある傭兵達と肩を並べている。……この私も自分の領域下に容赦なく踏み入ってこられてしまってはな。もう不可侵などとは自分で語れまい」
「……」
ロアノーツが自嘲するように笑うと、その拍子に肩が僅かに揺れた。アスカも真面目な雰囲気で話してくるロアノーツの言葉に耳を傾け、黙ってその続きを待っていた。
大きな一撃を受けて傷つき、畳み掛けるには十分な状況で戦いを中断してくる理由は早々ない。自ら有利な状況を手放してきた行為はアスカにとって耳を傾けるのには十分な理由になっていた。
「その資質……是非軍に役立ててはみないか?」
「っ!?」
そこでロアノーツが口にしたのはまさかの提案だった。思いもしていなかったこの発言にアスカの表情が驚きに染まり、思考が疑問で溢れかえる。
「今世の中は変わろうとしている。『英雄』が現れ、これより軍は激動の時代の舵取りを迫られるだろう。そして世界もまたその流れに従い、大きな力に巻き込まれていく。そうなってしまった時、今のままではその荒波を軍に制御することはできないと私は思っている。この支部も果たして保つかどうか……といったところだろう」
「……何か企ててるのかい?」
最初は何を言い出しているのかが分からない気がしたアスカだったが、続いていく話に何か思惑が働いていると感じたらしい。見定める様にロアノーツへと質問する。
「声を大きくしては言えぬがな。――しかし、誰かが行動を起こさねばならないことだ」
自分の考えが誰かに悟られてしまうのはあまり良いことではないのか、ロアノーツの表情に気楽さはない。そして強く意思を感じる瞳でアスカへと語るのだった。
「私は軍人だが……元はこの国に仕える者の一人に過ぎんのだよ。例え立場が変わってもこの国に捧げたこの命の在り処が変わることはない」
「……」
「この国をこの先も守りたいのだ。そのために降りかかる火の粉を払う備えはしたい。……やがて来たるべき時のためにも」
ロアノーツの脳裏にあるのは近年の軍が軍事力拡大に向けて動きつつあるという点に尽きる。
一見セルベルティアは『英雄』を保有している関係上、各地にある軍の支部よりも戦力が飛び抜けて多い印象を世の中は持っている。しかし、実際はそれでも近年の各支部と比べても精々横に並んだ程度の勢力差だったりするのである。
元々は『英雄』が現れた影響により各支部が兵を補強した経緯があるのだが、これ以上極端にセルベルティアが勢力を伸ばさぬように抑制が敷かれ、各支部に均衡した勢力が揃うように取り計られた経緯があったためだ。
ただ、勢力が横並びになりそこで伸びが止まらなかったことがロアノーツの不安の種であった。
ただでさえ軍は力を拡大しすぎていたにも関わらず、その伸びが少しも衰えを見せないのだ。ロアノーツは定期的に入る各支部の情報からこの点に危機感を抱き、これ以上は不必要すぎると提唱は続けていたものの、『英雄』を保有している立場上説得力も虚しく為す術をなくしていた。
「どうやら随分先の未来を見据えてるみたいだね?」
「司令官を任されれば目先のことばかり考えてはいられんさ。過去を変えることはできない……だが、まだ見ぬ未来は変えられる。そのための準備はもう始まっているのだよ」
ロアノーツに『未来予知』があると知っているアスカは、一瞬は自分と違う世界がロアノーツに見えているのだろうと思った。しかし、アイズから『未来予知』も限定的な力である見立ては聞いていたためこれは元々の頭脳から導き出した言葉だということは察したらしい。
「『剣聖』も東の出の者だ。其方の共通するその恰好……先程名を呼び合っていたことからも今回の件、恐らくだが大方同郷の其方が救出しに参ったということで間違いあるまい?」
「流石に僕の恰好を見れば分かることだもんな。それがどうかしたのかい?」
自分の和服を見てのロアノーツの物言いにアスカは苦笑した。
セルベルティアの街中でもアスカの恰好は目を引く。独特ないで立ちは街の雰囲気に似つかわしくなく、何度すれ違う何人もの人達に視線を向けられたかは数え切れなかった実感があったのだ。
そして今も、誰とも会うこともない算段から和服のままで姿を隠そうともしていない。仕方ないとはいえ、不用心と言われても口答えできなかった。
――最も、アスカは自分が今日誰とも会わない可能性は捨て去ってはいたのだが。
「軍相手にこのような真似を仕出かした者は初めてだ。相当な決意がなければ出来ぬことだろう。故に誰かを……何かを守りたいという考えは其方も共通するものであると思う」
「それは……」
ロアノーツの言葉に少し考え込む様子をアスカは見せた。
軍は世界に現存する組織の中で最大の規模を誇っており、その組織に手を出すことがどういうことかは大抵の者は理解するところである。
その組織に手を出した行為は当然ともいえるしっぺ返しを食らうのが予想されきっているが、それを知ったうえで刃向かってくる姿勢はある意味それだけの意思がなければできないという裏返しにもなる。
アスカもカリンの存在でなければここまでの行動力を発揮することはなかった。だからこそ守るという言葉の意味は通ずるものを感じたのだ。そしてロアノーツもアスカのその意思に感心を抱いていた。
「其方の腕ならば一介の兵士の扱いはできまい。部隊長どころか軍の武術指導役も十分任せられよう。望まれれば国の重鎮の護衛官としても申し分ない。むしろ安心して任せられるというものだ」
「……」
「厚遇は私の名に懸けて約束させてもらう。此度の騒ぎ……この罪も帳消しにして揉み消そう。……どうだ?」
ロアノーツの提案は今地上で騒ぎの対処に当たっている者達からすれば信じられない内容であった。
情状酌量の余地ですらあれば驚きだというのに、その逆の厚遇がこれでもかという程に積み重ねられていたのだ。この場に軍関係者が他にいたら再考を申し出ていたであろう。
「この前代未聞の罪を帳消しにって……それはまた随分と寛大な処置だね。ちなみに、僕が承諾したとしてカリンはどうなる? また連れ戻そうとする気かい?」
アスカも言われていることの意味が違う意味で理解できるはずがなかったらしく、何か裏があるのではないか? そう勘ぐっているようだった。そして念のために最も重要な点を聞くのだった。
「いいや、此処に留めておけぬから其方は救出しようとはるばる来たのだろう? そんな繰り返すような真似をするつもりは毛頭ない」
「……」
破格に次ぐ破格の提案。ロアノーツの真摯な態度は嘘を吐く人のものとは思えない雰囲気を放ち、もし本当の罪人であったなら真っ先に飛びついてしまっている光景が目に浮かぶ。
最早提案に際限はないようにすら思える程であり、そこまでの無理をしてでも成し遂げたい何かがあるとアスカに思わせるのだった。
「――いや、やめておくさ」
激しい戦闘の音は完全に消え去り、部屋に舞っていた埃や塵もいつしか収まりを見せていた。
ロアノーツの真面目な言葉には確かに耳を傾け、一考したアスカは少し間を置いて答えるのだった。今の提案全てに対する拒否を。
「貴方にも何か世の風潮とは別の目的があるのは分かったよ。それに本気で臨むつもりなのも。けどさ、先約があるんだ」
「……」
今度はロアノーツの口が閉じ、アスカの言葉に耳を傾けられる。
アスカは別にロアノーツが企てる内容に悪意を感じたわけではなかった。そもそも『剣聖』を逃すこと自体連合軍からしてみれば有り得ないことなのだ。それすらも容認する提案はすなわち、ロアノーツが他の者と比べて異質であることを指している。
アスカは自分達と同じ気配をロアノーツから感じたのだ。
――しかし、時期が少し遅かった。
「彼らを裏切るわけにはいかないんだ。僕らを信じてくれた、彼らのことを……! 僕の無理な要求に応えてくれたのに、ここでそんな甘言に頷く訳にはいかない」
アスカは口元の血と汗を拭いながら重い笑みを浮かべてそう言った。
表情から滲み出る残念さは体裁でありまやかしだ。その心の内は己の仁義に従い、微塵も揺らぎはしていなかった。
フリードとセシリィが見せてくれた誠意。受け答えや姿勢から感じ取った想いはアスカの決意をそのまま固く結んで縛っている。
「彼らは自分達の身が危なくなるにも関わらず僕にここまで協力してくれたんだ。一人じゃ何も出来ずに終わってただけの僕に手を差し伸べて……今も身体を張ってくれてる。僕だけ楽な道を選んでは申し訳が立たないよ」
「彼ら……。あのお嬢さんと、今上で騒ぎを起こしている者のことか」
ロアノーツは依然変わらぬままの姿勢でアスカの語る人物を予想し、天上を見上げた。その間にもアスカの語りは続く。
「もしも彼らと出会う前で、僕がそうなる代わりにカリンを解放してくれるっていう話だったら受けてたかもしれない。けど残念ながらもう手遅れだから……その話を受けることはできないよ」
「……」
「受けた恩を仇で返す真似はできない。温情も感じない自分に誰かを守れるとは思えないからね」
「そうか……」
きっぱりと話を無に帰したアスカに後悔した様子はない。ただ、その一方でロアノーツには若干残念そうな節が見て取れるのだった。
閉じた瞼の寂しさは形容しがたく、瞳に映したアスカを瞼の内に焼き付けているかのようであった。
「後戻りはできないんだ。もう僕は自分の信じた道を突き進むだけ……彼らが見出してくれた、この道を……! 過去はもう変えられないのだから!」
ロアノーツの反応を知りつつも自分の意思を表明するアスカは、下げていた刀を突きつけるように向けた。
空を裂き向けられる刃、そこには一片も殺意はなくアスカの意思のみが込められているだけである。この場の解答の一つとしてこれ以上分かりやすいこともなかった。
「決意は固い、か……。まぁこんな提案など愚問であったか。すまないな、忘れてくれ」
拒否に対し肩を落として承諾したロアノーツの表情は明るいとは言い難い。だが、ロアノーツはどこかアスカがそんな返答をしてくることを知っていたかのようでもあった。
「……先程よりも大分気力に満ちているようだ。今の其方の相手を務めるのは可能なら避けたいものだ。しかし、私も責務を放棄することはできん。――その命、我が糧とさせてもらうぞ」
「っ!?」
交渉が決裂すれば二人の関係はまた振り出しへと戻るだけである。
アスカが意思を示したのならばロアノーツも自分の意思を見せないというわけにはいかなかった。アスカの放つ気迫とは違う雰囲気が更に強まっているのを感じ取り、ここで新たな一手を投じた様だ。
槍にだけ纏わせていた風を広げ、その身に纏い始めたのだ。それもより一層大きな規模で。ロアノーツを中心に螺旋状に覆う強い風が音を立てて唸り、何者をも寄せ付けぬ雰囲気と共に君臨したのである。
「ハハハ、容赦ないね……! 流石軍人さんだ」
アスカは額に痛みとは別の汗が流れ、人知れず肝を冷やしていた。
近づくだけで切り裂かれる風がここまで膨らんだことに脅威を感じないわけがなかったからだ。矛を交えただけで傷んだ身体が疼き、否応なしに味わった時の感覚を彷彿とさせる。
これがロアノーツの語る不可侵の領域の意味なのかと、アスカはここでようやく知ることができた。
「――いや、これでもまだ其方には足りぬな……。あまりこの手は好かんのだが、其方が相手となれば仕方あるまい。純粋な武力同士の戦いには相応しくはないこの力、癪だがそれも使わせてもらうぞ……!」
「(まだ何かするつもりか!?)」
ロアノーツが解放していく力は既に大きく膨れ上がり過ぎているくらいである。しかしまだその解放を続けようとするロアノーツに慄くアスカがいる一方、ロアノーツもまた内心ではアスカの底知れぬ未知の力に恐怖を感じて心臓が騒ぎ立ててしまっていた。
「(一体どこまで膨れ上がると言うのだ……! その内に秘めた力は……!?)」
自分のように風を形として纏う形態の力……言わば可視化できる類のものであれば単純に力が把握できるだろう。相手に威圧も図れ、大きな力の特性をいかんなく発揮できる。
だがアスカにはそれがない。アスカが見せるのは一見己の身体一つのみの脅威。一般人からすれば只の無害な人としか見れない形態しか見せていないのだ。
その上でロアノーツが危機感を煽られるのは、アスカが自分と同等かそれ以上の力を内側に秘め続けているということにある。
アスカが不思議な雰囲気を纏っているのは知っていたが、その気配が明らかに戦いを始めてから強まりを見せ続け、ここにきて更なる増大を見せているのだ。それは単純にアスカが内側で膨れさせている力が強まっていることを指す。
問題は抑え続けて感じる程の気配が爆発して表に出てきてしまった場合だ。そうなった時、最早ロアノーツの予想する未来に光はない。
「私の未来を汲む先手、これまでと同じと思うなよ!」
「っ!? なんだ、風が集まって……!?」
アスカも大分傷を負っているが、自分が負っている怪我もこれまでの激しい動きで傷口が広がり出血も増している。そして最大まで発揮した力も後は消耗を見せていくだけである。
刻限まで秒が刻み始め、早々に決着をつける必要に駆られたロアノーツがここで動いた。ロアノーツの元に一本の風の流れが出来上がり、手元に徐々にだが細長い形が形成されていく。
「風の槍を使っての二槍の構え……!?」
やがて風が収束してロアノーツが構えてみせると、アスカは驚きの声をあげその姿に動揺するのだった。
これまで一本の槍を両手で巧みに操っていたロアノーツだが、今は片方ずつの手に槍を持っていたのだ。それも、片方は風で作り出した常に渦巻く槍をである。
従来の槍は肩の位置まで、そして風の槍を腰の高さにそれぞれ構え、これまでは中腰で構えていた姿勢は大きく前屈みになるという変化を遂げていた。
「この構えを見せたのは其方が初めてだ。久々の解放……派手に暴れさせてもらうぞ!」
「っ……!」
ロアノーツの気迫に合わせ、周囲に渦巻いていた風から雷が放電し今にも弾けそうに光を放った。
二つの矛を前に、アスカの握る刀に力が入った。
※1/27追記
次回更新は金曜辺りです。




