470話 『剣聖』救出作戦:最終段階④(別視点)
◇◇◇
「セシリィちゃん、ここ曲がるから転ばないように気をつけて」
「はい!」
薄闇の地下を騒がしく二つの足音が鳴らし、木霊する。
今まさに地上では喧騒が飛び交う中、アスカ達は多くの視線の目を逃れて逃走していた。
「これくらいのペースで平気だったかい? キツイなら落とすけど……」
「平気です! このままでも問題ないです!」
「そうか。ならこのまま行くよ!」
「分かりました!」
大人の足でもそれなりの駆け足であることに対し、アスカがセシリィに問いかけるもその心配は必要なさそうであった。
これまでの旅の中では殆ど歩いての移動が常であり、できる限り険しい山道であってもフリードが見守りながら自力での移動をさせていたこともある。子どもの成長は早く、セシリィの身体も心肺機能も大分鍛えられているのだ。
セシリィは余裕のある返答をすると、アスカのペースに合わせて足を動かすのだった。
「(結構な速度だと思うんだけど……やっぱり流石は天使ってことなのかな? 華奢な身体に似合わずタフだな)」
セシリィは年齢の割には身体が華奢な方であり、見た目はとても運動もしないような少女にしか見えない。それが大人でも息を上げそうな駆け足についてくるのは少々違和感ある光景であり、多少なりとも疑問を覚えそうな程に感じたのだ。
しかしケロリとした表情でピッタリと後を付いてくるセシリィを見たアスカは、言葉に嘘がないとすぐに理解し、また先程知った事実を裏付けるのだった。
「アスカ」
「ん?」
アスカがセシリィを安心して見ていると、抱えていたカリンがアスカを呼び、その声にアスカが気が付いた。
「あの……私達は本当にこのまま逃げて平気なのですか? 全て彼に丸投げしているみたいですけど……」
どうやらカリンはフリードの心配をしているらしく、果たして自分達は彼を置いて逃げて良いのか今更不安になってしまったらしい。
「フリード君なら平気だ。それに僕がいたんじゃ多分足手纏いにしかならないよ。僕と彼とじゃ一緒に戦いを共有なんてできないさ」
しかしその心配はないと、アスカは清々しいとも言える笑みを浮かべて返すと、目を逸らして明後日の方を見るのだった。
「貴方をしてそう言わせる程なのですか……。もしかして手合わせでもしたのですか?」
美しい見た目にそぐわず常軌を逸した技術を誇り、世界中の剣士の頂点として『剣聖』の異名を持つカリン。そのカリンが疑問を覚えるのも無理はない。
それは単にアスカの剣の技術だけではなく、実力そのものを知っているからであった。
「ついこの前したよ。まるで歯が立たなかった。僕の全力の何もかも……その全てをいとも簡単そうに一掃されたよ」
「……」
「最初は剣を使ってくれたけど、最終的には素手であしらわれちゃう始末でね」
「っ!? 貴方の剣を素手でですか!?」
一掃と言われても単に敗北したに過ぎないとカリンが思ったのも束の間、アスカから語られる先日の手合わせの結果の信じがたい一言はカリンを動揺させるには十分だった。
「うん。いやもうホント……笑っちゃうくらいだったよ。でも久々に全力を振るったかな?」
「そこまでなのですか……!」
アスカとは対照的にカリンはまだ事実を上手く呑み込めていない様子であった。それでもアスカの語りを否定する理由がなく、まただからこそアスカは彼に託したのだと悟ることもできていた。
「……不思議な方ですね、彼は」
次第にカリンは動揺が収まると、フリードについてを簡単にまとめるかのように不思議と称するに至った。
「確かに、不思議ではあるかな? こうやって知り合えたことも含めて」
「それもあります。でも、彼……牢に入れられていた私を見てすぐ、何故か泣いていたんです」
「フリード君が?」
「ええ」
まだ、自分とフリードのみしか知らないこと。
見ただけで涙を流していたフリードの姿……あの時の疑問は、同じく不思議なものであったのだ。
「彼自身、何故泣いているのか分かっていないようでしたけど、どこか……安堵しているような気もしました」
「安堵か……」
「色々と不思議な方のようですね。私も何故か彼には不思議と敵対心は湧きませんでしたし、何か縁のようなものでもあったのかもしれません」
「そうだな。全部終わらせて落ち着いたら、フリード君に聞いてみてもいいかもしれないな」
「そうですね」
フリードにも分からない出来事だったのであれば、フリードが気になっていることの可能性は高い。アイズがフリードを未来人である可能性を提唱していたが、フリードも記憶喪失のため真実は半永久的に闇に沈んだままの状態だ。もしも記憶の目覚めの切っ掛けにでもなるならばフリードも喜ぶはずである。
アスカは今回の騒動が無事終わることを前提に、そう考えるのだった。
「――さて、それだと僕らは僕らでこっちの問題を片付ける方が先かな」
「……」
疑問を全て内にしまい込むことはできていなかったものの、それらの疑問はこの後に解消されるかもしれない期待がある。それならば後回しで良いと思ったのだろう。――今の状況を考えれば。
アスカの表情がやや強張り、カリンを抱える手に力が入った。その変化をいち早く感じたカリンは、同じ感覚を共有する者として聞くのだった。
「アスカ、やはり気づいていますよね……?」
「ああ。気づいてるよ。だからできるだけ急いでるつもりだ」
「そうでしたか。流石に感性は健在のようですね?」
「それが取柄だからね。……しかしマズいな。この人かなり……というかとてつもなく速いぞ……!」
「……?」
後ろから二人の会話を聞いていたセシリィであるが、フリードの話はともかく後半の会話については分からずに困惑するだけだった。心を視れば一発で理解できるところではあるが、心から信用した相手にこの力を使うことをセシリィは良しとしていないのだ。
セシリィにとってこの二人は最早、完全な味方に映っているのである。そのため、心を視る行いがフリードへの信用をその程度の信念で行っていたことにしてしまうということを、本人に自覚はなくても理解していた。
だからこそ、分からなくても心を視る気はなかった。
「セシリィちゃんこっちだ。ちょっと迂回するよ!」
「え? 道は大丈夫なんですか?」
所々に地下に点在する灯りを標に進んでいたアスカが、暗闇に閉ざされた通路へと進路を変更し、曲がり角を曲がってしまう。
セシリィは何も分からぬままアスカの指示に狼狽えるしかなかった。ただ、アスカの少し切羽詰まったような顔から只事ではないことだけは分かり、その上で質問を重ねるのだった。
「地下の構造は全部頭に入ってるから問題ない。少し速度も上げるからしっかりついてきてくれ!」
「わ、分かりました!」
結局何故焦っているのかは分からぬままではあったが、幸いにもセシリィはまだ速度については余裕があった。
この時、アスカ達の速度はセルベルティアの一般兵に求められる平均を超えていたことを本人らは知る由もないだろう。アスカは言わずもがな、セシリィの天使としての片鱗の一部が明確に表れ始めていた。
駆け足を早めてから暫く経ち、逆に暗闇に目が慣れてしまった頃。やがてぼんやりと比較的明るい煌めきを放つ場所へと手を引かれるように、アスカ達は開けた小部屋へと躍り出た。
「ハァ……ハァ……。ここって……?」
そこはドーム状に天井が少し高くなっており、部屋が円形の造りをしているようだった。
少し息を乱してしまったが、セシリィもこの部屋については見覚えがあった。アスカの言ったことが本当であったとここで理解し、立ち止まったアスカに続いて自分も膝に手を当てて屈んで休みを取ることにしたらしい。
途端に身体全体に帯びた熱が纏わりつくように肌に感じ始め、流れる汗をセシリィが腕で拭った。
「随分広い所に出ましたね? それに、壁のこの煌めきは……鉱石でしょうか?」
どうやら壁一面に僅かに光を放つ鉱石を散りばめているらしく、ここまでの通路と違って部屋全体の構造を眺める程度の灯りは自然と確保されているようであった。
どこを見回しても無数に煌めく光は星を思わせ展開し、上下左右を分からなくさせる。まるで宇宙に放り出されたような不思議な感覚を三人は共有するのだった。
「多分、純度の高いアルテマイトじゃないかな? 大分昔に造られたこの地下が残ってるのも、アルテマイトの鉱石の強度の賜物なのかもしれない」
「成程」
三人は部屋の煌めきに目を移らせ、その煌めきを目に焼き付けていく。
「この部屋ってこの前草原から街に戻る時にも通った場所ですよね。ならあともう少しです。水の流れる音も聞こえてきますし」
耳を澄ませば近くを流れる大量の水の音が奥からは響いてくる。出口が近い証拠だった。
セシリィは顔を明るくさせると、もう少しで作戦が無事終わることを表情に出して笑みを浮かべるのだった。
「そうだね。その前に……ひと悶着ありそうなのが前回と違う部分になるのかな……」
「え?」
が、そう思っているのは自分一人だけだということをすぐに知ることになってしまう。
気が付けばアスカの身体が微動だにせずに前を向いており、大きな背中を見せていた。
「やっぱり一筋縄ではいかないのか。ここで立ち塞がってくるとなるとね……」
「アスカさん?」
「セシリィちゃん、カリンに肩を貸してもらえるかい? それとカリンを連れて少し僕から離れててくれないか?」
「ど、どうしたんですか急に? ――ぁ……うそ……!?」
「どうやらアイズさんの予感は当たってたみたいだ。それもドンピシャで」
突然、アスカが抱えていたカリンをここで下ろした。カリンも特に慌てることもなく順応して自分の足で立ち上がり、ゆっくりと一歩後ろへと身を引いていく。
アスカの呟きを聞いてすぐ、セシリィはアスカの背中の横から顔を出して出口のある方を見た。
そこで……セシリィは言葉を失うのだった。
一体どうしてなのか、全く予想していなかった人物がそこにはいたからだ。
「そこまでだ」
有り得ない第三者の声が小部屋に轟き、アスカ達に向けられる。
その落ち着きある声色を、セシリィはついこの前に直接知ったばかりだ。そして、非常に恐ろしい人物が持つ声であるということも知った。
「つくづく自分の勘には驚かされる。まさかこんな場所で誰かと遭遇するとはな……」
セルベルティアの東に広がる平原はすぐそこだ。それなのに、その気持ちを奪われる思いだった。
アスカ達の進路を塞いで立ち塞がり、最奥の小部屋にてセルベルティア連合軍の司令官であるロアノーツがその姿を見せた。
明らかに厳かな青いマント付きの鎧を身に纏い、槍を片手に出口に仁王立ちするその姿はまさに強大な壁そのもの。後ろに続いて見える出口が遠のく錯覚を覚えさせ、とても近寄れる気のしない気配を漂わせている。
「エルヴィオン・ロアノーツ……!」
「ふむ……何故この前見たお嬢さんがここにいるのかは分からないが、どうやら今回の騒ぎの関係者だったようだな」
「っ……!?」
ロアノーツの瞳がセシリィに向けられ、セシリィが身体をビクッと震わせる。
前回と違って今回は立場が違う。不審な者達の一人として見られている以上は友好的な態度は望めない。視線だけで金縛りにあったように身体が震え、またあの時と同じように自身の力が上手く扱えなくさせられてしまったようだ。
今、セシリィに天使の力を使う心の余裕はなかった。
「察するに、私がこの場で出くわすことを分かっていたとみえる。さては『白面』の入れ知恵か?」
「ハハ、そこまで把握済みなのか。まぁね……出来れば外れていて欲しかったけど、聞いていた通りになるとは……。やっぱり、貴方はとんでもない力を隠しているみたいだな」
「……」
ロアノーツの重圧から盾となるが如く、縮こまるセシリィを守るため身をもって視線を塞いだアスカはロアノーツの言葉に返答する。
思い出すのは、先日アイズを訪問した時のことだった――。
□□□
「アスカさん。ちょっと……」
「?」
先日の真夜中のひと時のこと。アイズの身を案じたフリードに回復薬を届けることを託され、役目を終えたその後の話だ。アイズはこれ幸いと言わんばかりに、フリードとは別にアスカにはアスカにだけ伝えておくべきことを告げていた。
「多分フリードさんに伝えておくと何が何でも介入してきそうな気がしたものですから。あの人も感情に動かされるタイプでしょうしこの話は彼には内緒にしていただけると有難いのですが……」
「なんだい急に?」
「ハッキリ言いましょう。多分今回の計画で貴方が安全に『剣聖』さんを連れていける可能性は極めて低いです。例え、今回採用した案を実行したとしても」
「……どういうことだい?」
「どんな裏を突ける案を考えても、ロアノーツさんは確実にフリードさんの陽動には釣られない筈なんです。必ず、思い通りには動かず私達の目指す方へ立ち塞がってくるはずです」
「嘘だろう? これだけ軍に損害を与える案だぞ? 被害を最小に抑えるどころか、放置して僕らの方に来るだって……? 大体地下の存在も知らないはずだろう?」
「そうです。しかし、何のヒントも無しに答えを導き出し、都合の良い強運を発揮する。でも、これは決して強運なんかじゃあ説明がつかない場面を何度も私は見てきてるんです。だからこそロアノーツさんの行動パターンはある意味読み切れると踏んでこの案を採用したんです私は」
「……」
「信じられないかもですけど、ロアノーツさんには恐らく――」
□□□
「『未来予知』。それに近しい能力を備えているのは本当みたいだな?」
「……」
アスカはそう確信し、ロアノーツへと問う。ロアノーツは無言であったが、それが肯定しているようなものであった。
更に証拠を提示するようにアスカは続ける。
「迂回してやり過ごしたつもりだったのに、貴方はここに辿り着いてから微塵も動く気配を見せなかっただろう? まるで、僕達が必ずここを通過すると信じていたみたいに」
「……ほう?」
「僕らを追いかけていたというなら、多分灯りを辿らずとも暗闇の中を追って来ても不思議じゃないはずだ。でもそうはせず、僕達が進路から外れた瞬間から貴方は移動速度を更に上げていた。そして僕達を追い越し、この場所で急に足を止めたんだ。こんな急な変化は普通しないはずさ」
「フッ……追いかけていたことに気が付いただけではなく、こちらの状況をそこまで認知していたというのか。実に大したものだ」
ロアノーツは特段驚く素振りは見せなかった。だがアスカがそこまで見抜いていることは認め、素直に賞賛の言葉を口にするのだった。
お見通しであるのはお互い様であったようだ。
「アイズさんから聞いた時は信じられなかった。でもこうして地下の存在を知られ、迂回して撒いて尚先回りされて待たれたんじゃ信じるしかないし、決定的だと思うよ」
「今回ばかりは勘では済まされないだろうからな。私も言い逃れはできまい。よもやこんな空間が地下に存在していたとは……。随分と古くからあるようであるし、王家しかしらないかもしれんな。『白面』にはじっくり話を聞かねばなるまい」
溜息混じりに呆れを見せるロアノーツは、いつもトラブルを起こすアイズを考えてなのか、毎度の反応を露わにする。その仕草はこの場の緊張を生み出した人物であるが故に、空気をほぐすには絶大な効果をもたらした。
「それで? 私が立ち塞がって其方らはどうする? 尻尾を巻いて後ろへと引き返すか?」
しかし、すぐにその緩みも正される。
現実の状況が変わったわけではないのだ。ロアノーツが動かない限り、何も変わることはない。
「まさか。そもそも背中を見せる余裕なんて与えてはくれないだろう?」
「アスカ……!?」
ロアノーツの態度から、素直に通してくれることも引き返すことも許してくれないことをアスカは察した。腰に下げた刀を鞘から引き抜くと、一歩二歩と前へと出てロアノーツと対峙する。
アスカと違い、カリンにロアノーツと相対するという想定はなかった。今は作戦に流されるままの身であるため無理もない。一際落ち着いているアスカの身を案じて声を掛けるも、アスカは離れていくばかりであった。
「大丈夫だよカリン。覚悟はもう決めてきた。準備もとっくに万全だ」
「ほう?」
心配は要らないと、アスカはカリンに向かってそう言った。後に続く言葉の数々をアスカは胸に留めると、残りは背中で全てを語るのだった。
「相対してみてよく分かる。貴方の持つその力、カリンと肩を並べる程のものと見受ける」
「……」
「僕らはここで立ち止まるわけにはいかない。立ち塞がると言うなら……その壁、僕の全力を持って打ち破らせてもらう!」
刀を前に突き出し、アスカの覚悟を秘めた宣言は堂々と地下道を駆けて行った。
超ギリギリになってすみませんでした。
来年もよろしくお願いします!
よいお年を!




