465話 『剣聖』救出作戦:第二段階⑤
「お兄ちゃん。ちょっと、こっち来てもらってもいい?」
「ああ。それで良いと、思ったんだな?」
「うん」
セシリィに呼ばれるまま、『剣聖』さんから離れる俺。そして歩きながら特に意味なく聞いてみると、セシリィは迷わず頷いた。
誰かに言わされたのでもない。あくまで自分の意思であり主張。
セシリィが自分で判断してそう思えたのなら、そのことに意味や価値はあるはずだ。
少なくとも俺はそう思う。
「……」
アスカさんに割って入る形でセシリィの隣に並ぶと、セシリィが無言で俺の手を握ってきた。
急に手に伝わった柔らかい感触に少し驚いたが、その行動の意味を察し、俺も握り返すことでその意思を後押しすることに決めた。
手、やっぱり震えてないみたいだ。覚悟は十分、か……。
「ごめんね? ここまで言っちゃってるし今更だとは思うんだけど……」
「何を今更。俺がこれくらいのことで困るわけないだろ?」
「あはは……。いつもありがとうね、お兄ちゃん」
一見自爆行為にも見えるセシリィの行動。しかし、これが俺も頼りにされての行動とあらば窘めることはできない。
申し訳なさげに笑うセシリィに俺も笑みを返す。
それに、多分これしか無理でもあるんだろう?
『剣聖』さんの意思は俺らの予想を超えて大きくて、言葉ではどうにもできないくらいだったんだって。
でもセシリィはきっとそれが嬉しかったんだろう? だからそう思ったんだ。
「多分、『剣聖』さんは誰から何を言っても頷いてくれない。だから私の方が一番説得力があると思うから……」
「……そうだな。この場合じゃ、究極のお告げになるだろうな」
「……? セシリィちゃん、その背中……?」
俺の予想は当たっていた。
セシリィのもう片方の手が、常に身に纏っていた黒のローブに掛けられる。
普段は目立たぬように縮めて隠している翼も広がり始めたのか、ローブを押し上げるように背中に膨らみを作っている。
アスカさんがいち早くそのことに気が付くも、答える意味はまるでないだろう。
「セシリィがそう決めたならそうするといい。俺はセシリィを信じるよ。だから自信持てって」
「私、お兄ちゃんがいてくれて良かったよ。そうじゃなきゃこうして信じれなかったと思うから」
「そりゃ光栄だ」
セシリィの新たな一歩を歩ませることが俺に出来たというなら、俺も自分のこれまでの行いに胸が張れる思いだ。
感謝すんのはこっちの台詞だよ。
やったれセシリィ。何か不都合が働いても全部俺が尻拭いしてやるから。
あの優しすぎる頑固な女性に遠慮なく自分の気持ちを吐き出してやれ。
労いと、感謝とを。そして、この負の意思からの解放を……!
――セシリィの手が、目一杯そこで引かれた。
「「っ!?」」
埃を舞い上げたローブが勢いを失い、セシリィの手にぶら下がる。
その行動の意味を理解しようとしていたのだろうが、二人はそれどころではない衝撃に見舞われたようだ。
目を見開いて微動だにせず、肌着一枚の恰好のセシリィに驚きを隠せない様子だった。
「なっ……!? う、嘘……だろう……!?」
「そんな……!?」
正確には驚くというよりも、衝撃の方が正しいか。
奇妙なものを見るとも違う。完全に釘付けな姿には同情の気持ちしか湧いてこない。
「貴女……天使なのですか!?」
「……うん」
『剣聖』さんの第一声に答えたセシリィは静かに、だがしっかり頷いた。
背中には大きく、美しい翼が広がっている。
「ま、こういうわけです。これが俺らが近い内に軍から目を付けられることになる理由です」
「理由……。それって、最初に言ってた……?」
「そう。この娘と初めて会った時に、俺は軍を相手に思い切り暴れてるんです。顔も見られてるし、明確な敵意も見せて怒りを買っちゃってましてね……。だからもう、手遅れなんですわ。近い内に暴れまわったその時の目撃者もこの街に戻って来る話も聞いてるので……」
「猶予がないってそういう……! そう、だったのか……!」
補足がてら俺が付け加えると、アスカさんが再びセシリィを注視する。
まぁ無理もない。目にしたことのある方が珍しいんだからな。
「アスカ、貴方このことを知らなかったのですか?」
「今初めて知ったよ……。でも、これでなんとなく納得できた。なんでフリード君がセシリィちゃんと一緒にいたのか……! 相応の理由があったんだな」
アスカさんも初めて知ったという事実にも『剣聖』さんは驚いていた。
まさかここで重大事実発覚なんて想像もつかなかったはずだ。俺だったら多分同じ反応を見せていると思う。
「天使と一緒にいる以上、普通じゃ守り通せないですから。この力がなきゃ死んでた場面はこれまでに多々ありましたよ」
俺もセシリィも、どちらもな。
――尤も、俺の場合これまでに一番死にかけたのはオルディスの家に招待された帰りでしたけどね。
水圧は屁でもなかったけど、身体がどんなに丈夫でも流石に酸素なきゃ軽く死ねるわな。
でも今は嘘も方便よ! 使える話は都合よく使うに限る。
「見ての通りだよ。色んな人が嫌っていて、死んでも誰も悲しまない……それが私なの」
「っ……」
セシリィが話している横で、それは違うと口を挟みたくなったが堪えた。
今セシリィが話しているのは一般論の話であり、そこに別の例外を持ち出してもややこしくなるだけである。
「それでもね、心の底からそれを違うって言ってくれる人がいるの。ずっと味方でいてくれて、心配してくれる人が」
……それ、もしかしなくても俺のこと?
ハハ、超照れるやん。手汗でバレないよな?
「その人は世の中がおかしいって言って、私を受け入れてくれた。そして――きっとそれは、『剣聖』さんも同じように思ってくれてると思うんだ」
「……」
「それはまさか、心を視るという力ですか……?」
「そう。ごめんなさい、勝手に視て」
「本当にあるのですね……」
繋いだ手に力が入るのを感じる。
セシリィにとって自分の身を護るために他者の心を視るのは最早必須だ。それがなければまともに生活することすらも危うい。それが今の世の中の実態である。
でも……セシリィはやっぱり、視ること自体を快く思ってないんだな。なによりも自分自身が。
「私には何がおかしいのかなんて分からない。――けど、『剣聖』さんがこうして捕まってたことはおかしいと思う。誰かを助けたい気持ちがあるのに、なんでそんな目に遭わなければいけないのか……本当に訳が分からないから」
間違っているという確信があるのに現実はそうではない。
恐らく『剣聖』さんの葛藤も直に伝わっているはずだ。それが理解できて、今セシリィはそれを辛く感じているんだろう。
セシリィはその難解さに頭を悩ませたように、難しい顔を向けていた。
意思のことについてはセシリィにはまだまだ不可解に思う部分が多いはずだ。オルディスから釘を刺されたように、何かしらの力が働いていることは伝えたものの非情すぎる事実は話せていない部分もまだある。
まだ家族を失った心の傷も癒えていない状態で一気に話せる内容ではないのだ。もう少し時期は見極める必要がある。
「『剣聖』さんの言葉に嘘偽りはなかった。事実を知っても、私のこの姿を見ても微塵も変わらなかった。――そんな優しい人を助けない訳にはいかないよ」
「……」
セシリィと『剣聖』さんの目が交錯すると、セシリィの素直な主張に押し負けたのか『剣聖』さんが視線を逸らした。
心を視られたということは本心全てを視られたということに等しい。
つまりセシリィが言うことは、『剣聖』さんの本心を視たうえでの発言だということだ。
何もかも見透かされた以上、反論はあれど否定の余地はない。セシリィが話したものは事実であり、隠された心情も当然見抜いているのだから。
……アスカさんがそこにいるから、別の本心は俺にもモロ分かりですがね。
「お兄ちゃんと一緒でその数少ない心の持ち主の『剣聖』さんだから、ここでこんな理不尽で不幸な目に遭って欲しくないの」
理不尽な目に遭ったセシリィが言うからこそ、この言葉に込められた重みを俺は理解できる。
俺ですらあの悲惨な光景は忘れられない。
まだこんな小さな女の子なんだぜ? 『剣聖』さんよ。
「しかし……」
「天使を助けたいって本当に思ってくれてるなら――今ココで、私の言う事を聞いてよ! 『剣聖』さんは何も悪くない。お願いだから逃げて……これ以上、自分を縛り付けないで……!」
そんな娘が自分の不幸をひた隠しにして貴女を助けたいと願ってんだ。ついこの前死にそうな目に遭ってるのに。
世界の意思は誰かの手によって変えられるものじゃない。人の手に負えるものなんかじゃないんだよ……!
だから貴女まで巻き込まれる必要はない。もういいんだよ。
『剣聖』さんが折れることを俺も切に願うばかりだ。
「貴女の天使も守りたいという意思、それから脅されている問題諸々全て。それは俺が預かります。そうでなきゃ皆ここまで身体を張ってきた意味がなくなっちゃいますし」
「……」
「だから自由になってくれ、頼むから。その天使からのお願いなんだよ……!」
ここまできたら俺も駄目押しだ。実際俺が負の意思をもらうつもりだから、俺にも言いたい主張はある。
セシリィと一緒に『剣聖』さんへと、本心を俺は口にして伝える。
セシリィが信じてくれた俺の本心だから、俺も自分の言葉には自信が持てる。同じ志を持つからこそ、この言葉に迷いがないと伝わるはずと信じて。
後はもう、『剣聖』さんの答えだけが全てだ。
※12/3追記
次回更新は金曜頃です。




