454話 蠢く声(別視点)
「――そうか。なら計画に支障はなしってことでいいんだな? アイズさんの体調も含め」
アスカとアイズが出会って数分後――。部屋に先の爪痕が残されたままの中、アスカは此処へ来た目的を果たそうとしていた。
「ええ。ロアノーツさんのことであれば特に動きはありません。今日集まった内容通りでいきましょう。……この言葉をそのままお伝えしてもらって構いませんか? 少々危うかったですが、フリードさんには心配は要らなかったとだけ……」
「……? 分かった」
フリードの寄越してくれた回復薬により、身体の倦怠感からはとうに抜け出した。アイズは無駄なくアスカに聞かれる質問に答え、そう告げるのだった。
最も重要である計画に、変更はないと。
最後の一言が少々気になったアスカではあったが、ここで深く追求することはしなかった。
それは計画の根幹が揺るがないのならあまり自分は介入すべきではないと考えているためであり、根掘り葉掘り聞くのは野暮と思ったようだ。
「次お会いできるのは明後日ですねぇ。無理矢理にでも時間は作ります。入念に態勢を整えておいてください」
「ああ、そっちも了解したよ」
話すべきことは大体話し終えた。元々急な来訪でもあるため、速やかに目的を達成したのならば長居は無用。
アスカは本来なら疲れを癒すはずの時間が眠気を煽ってきているのを感じ、本来の形を催促していたこともある。ここらでお開きの流れを作ろうとした。
「――あとアスカさん。やっぱり、昨日私がお伝えしたことが実現する可能性は極めて濃厚と思っておいてください」
「っ!? ……もしかして、確信が持てたのかい?」
――が、そうもいかないようであった。
アイズの告げる内容が、アスカの眠気を一気に吹き飛ばす。
「はい。今日の出来事で大方把握しましたよ。そして――やっぱりでした」
「そうか……」
アスカが真剣な表情で口を閉ざし、何か考え込むように目を瞑った。
アイズの言った今日の出来事とはセシリィとロアノーツが接触した一件のことである。
一応アスカも要所を除いてその事実は知らされており、それが今アイズと接触したことに繋がったという認識と理解はある。
ただ、フリードがセシリィが天使であることを伏せたように、一方でアスカとアイズのみが共有する思惑も絡んでいるのだ。
「ですからアスカさんも武装の手入れと準備は怠らないでくださいよ? これで逃走の成功に貴方も五割方……いやそれ以上掛かっているのは確定的ですからねぇ」
「……分かってるつもりだよ。あの忠告は肝に銘じてあるさ」
僅かな間で全てを悟ったのか、アスカがゆっくりと目を開く。
その姿を見てアイズも安堵したらしい。
「ふふ、それを聞いて安心しました。当日フリードさんがいない以上、あの人の相手が務まるのはアスカさんしかいませんから」
念には念を。アスカが大きな確証たるものもなく油断するとは考えにくい上、それは作法や振る舞いから伝わってきている。
それでも、アイズは言葉として伝えて注意してもらいたい気持ちがあった。そしてアスカもその気持ちを汲み取っていた。
「うん。フリード君……彼は例外すぎたけど、僕もカリン以外の人にそう簡単に屈するつもりはないよ。……セシリィちゃんもカリンも必ず守り通してみせるさ」
アスカの言葉には重みがあった。
フリードが陽動役で同行できない以上、代わり役は自分しかいない。その役から逃げることは許されず、また確実にやりとおす必要がある。
フリードなら確実にできる内容でも、アスカの場合では確実ではない。口に出した理由は、そこからくる僅かな不安に対し重責を感じたからか。
「はい。頼りにさせていただきますよ。……ちなみに私の『眼』の力のことについては、気づかれてませんよね?」
下手に気にかけても余計に気を散らすことになってしまう。アイズがそう思い、別に聞いておく話題を振った。
「それは多分平気だと思う。……だからこのまま知らせない方がいいんだよな?」
アイズの持つ『眼』の秘密。フリードがアスカに知られるのを恐れ、アイズと秘密にしていた事実である。
それでも何故か、アスカもその秘密を知っているのだった。
「ええ。ロアノーツさんの力に確信が持てた今、そうしないとロアノーツさんの動きは変わってしまうでしょう。このまま知らせないままがベストに近い」
「ああ」
「我々がここで最も恐れることは、何処に彼が現れるか分からないという点にあります。その彼の現れる位置をおおよそ限定して特定できるのは非常に大きいですよ」
フリードがアイズと秘密を抱えているように、アイズもアスカと秘密を抱えているのだ。
それは全て作戦の為に。吉と出るか凶と出るかはともかく。
普通ではないという共通点を持つ者同士、偶然にも思考はどこか似た寄り方をしていたのだ。
そしてその吊り合いを上手く保ちつつ、少しでも緩めば暴走しかねない手綱を握っているのはアイズだった。
「それで……先程思い切り剣を振るいましたよね? どうでした? この空間内での戦闘は」
「多少はやりづらいけど、明確に勝敗を左右させる要因にはならないと思う。重要なのは位置取りと間合いだろうね。壁際に追い込まれないようにだけ注意しないといけないかな」
「既に場所を選ばぬ境地へと至っている。……フフ、私は武人じゃあないですけど、当日その場面を是非見てみたいものですよ。磨き抜かれた技と技のぶつかりあいはさぞ見応えがあるでしょうし。血沸き肉躍るかもしれません」
「ハハハ。アイズさんの場合、狂喜乱舞って表現の方が良さげに思えるけどね。巻き込まれて死んじゃっても文句は言えないぞ?」
「あら怖い怖い。なら弱者には後の語りだけで十分ですねぇ。結果を楽しみにさせていただきますよ」
重要でありながら、さぞ他愛もなく話す二人は酷く落ち着いているようだった。アイズの心配は無用だったらしく、アスカの精神状態も極めて良好だ。
この時点で、アイズの懸念はゼロに等しくなるのだった。
◆◆◆
「それじゃあまた。こんな遅くにすまなかったね」
「いえいえ。暗いですから帰りの道中お気を付けて……。仕掛けは全部解除しておきましたのでご安心を」
「良かった。あんなトラップはもうごめんだよ」
「フフフ」
暫く立ち話に興じ、頃合いを見て部屋の片づけをした後。アスカは地下水路へと出て帰路についた。
手を振って見送るアイズに向けた背中がやがて暗闇に溶け込み、完全に同化して見えなくなると、一層静かになった空間にアイズは取り残される。
「(ふぅ。急な来訪でしたけど身体は元気になりましたし、僥倖……でしたかね。明日朝イチで扉は直すとして、罠も仕掛け直さないといけませんねぇ)」
静寂がまるで自分の心を表しているかのような面持ちで、解決したものと発生したものを確認するアイズが一息つく。
流石に時間が時間のため罠の復旧作業は怠く感じたらしい。
「(一服したら今日はもう寝ましょ。明日も弁明とかで忙しくなりそうですし――っ……!?)」
無意識に欠伸をしながら、奥の部屋に戻ろうとアイズが部屋のドアノブに手を回そうとした時だった。
ソレは――突然やってきた。
「(っ……また、ですか……!? 最近出てこなかったと思ったら、忘れた頃にやってくるんですから……!)」
ドアノブに体重の殆どをかけ、残りは全身を扉に押し付けるようにアイズが足をもつれさせる。
静かだった部屋に一際大きな物音が立ち、部屋を震わせた。
『――寄越セ……応エヨ……! 我ノ魂ヲ……全テ――!』
「(くっ……久しぶりだと、堪えますねぇ……! 早く、鎮まってくださいよ……!)」
アイズは額を抑えながら身体を小刻みに震わせる。直接脳内に聞こえてくるその声に対して抗うかのように。
歯を食いしばる口元だけで辛さは十分に表れているが、それ以外にも一斉に噴き出した汗がアイズの全身を、そして頬を伝っている。
気を抜けば、自分が自分ではなくなるような感覚が今アイズの全身を覆っていたのだ。
『――我ニ……身ヲ委ネヨ……! サスレバ――!』
「(しつこいったらありゃしない……誰が応えるものですか……! こんな悪意に満ちた声、などに……!)」
今にも意識を飛ばしてしまいそうになる苦痛を堪えながらも、アイズは過去に何度か経験があるため慌てふためくようなことはなかった。
しかし、それでも平静ではいられなかった。額を抑えていた手を胸に移動させると、掻き毟るように服越しに肌に爪を食い込ませ、少しでも痛みによって気を紛らわせ始める。
そうしなければ、この声に身体を明け渡してしまいそうで仕方がなかったのだ。
暫くの間、誰もいない暗い地下の片隅でアイズは一人、正体不明の声に苛まされるのだった。
※9/10追記
次回更新は明日です。




