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神鳥使いと呼ばれた男  作者: TUN
第七章 悠久の想い ~忘れられた者への鎮魂歌~
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407話 慈しみを求めて

 



 セシリィがいない――。そこに当然在るべき光景がないのは異常を表しているのと変わらない。何故異常が起こったのか考えつけず、そのまま硬直して何故を頭で繰り返す。その瞬間から俺は冷静とはかけ離れた状態になっていたのだと思う。



「おにい、ちゃん……?」

「っ!?」


 もしも、その事実が本当であったのなら。


 動き出す前に部屋の片隅から声がした。か細く消え失せてしまいそうな声の方に反射的に視線をずらすと、縮こまって座り込むセシリィが俯きがちに俺を見上げていた。見上げた時に頭から被っていたであろう毛布が後ろにずり落ちたが、そんな些細な点は気にもせずセシリィと俺の目が合う。

 いないと思ったのは俺の早とちりで、狭まった視界の外にいたセシリィに気づくことができなかっただけのようだ。


「ど、どうしたセシリィ!? そんなとこで!?」


 部屋からいなくなったわけじゃなかったことに焦りは吹き飛んだが、一気に大きくなっていた心臓の音は挙動も大きくして落ち着きはすぐに冷め止まない。すぐさまセシリィの傍に駆け寄り、目線を下げて何があったのかを確認する。


 あんなにぐっすり眠ってたのに、なんだって部屋の隅なんかにズレたんだ……?


 薄暗いが重そうに開いた瞼は疲弊の表れであることが伺える。セシリィは時折うなされていることもあるので、辛い怖い夢でも見てしまったのかと思いきや――。


「起きたら……お兄ちゃんいなかったから……」

「え……」

「でも良かった……。ちゃんと帰ってきてくれた」


 そう言ってセシリィが少しはにかむ。やや歪に見える表情は多少の作りが入っているようで、無理をしているのがすぐに分かった。

 間の抜けた返事をしている場合ではなく、自分の立ち回りと配慮の浅さに辟易したくなって失敗の言葉を何度も内側で繰り返した。


 ああ……失敗した……。


「ちょっと外に出てたんだ。黙っていなくなってゴメンな……」

「……うん」


 表情はそのままにセシリィが小さく頷く。こうして俺の言葉に頷いてくれるのが分かってしまうだけに、頷かせてしまっている自分には嫌気が差す。


「……」

「ん……」


 セシリィの状態を思い、俺も隣に並んで座りこんで肩を寄せた。

 今何をすべきか考えた時、これが必要だと思えたからだ。そしてセシリィも少しだけ身体を俺に寄せて傾

 いてきたのが分かった瞬間、考えが間違っていなかったことが事実になり……自惚れだと思ってどこか否定していた自分とセシリィの関係も明確にされた。


 オルディスが言ってたことは俺が一番分かってたはずだろ。冗談抜きでセシリィが俺を信用してくれてるってことは。それに、一番安心させてやれるってことも。

 毎晩怖がってすり寄ってきてるんだから、その安心材料の俺がいなくなってたら怖いに決まってんだろうが。


「……」

「……」


 お互い無言で肩を寄せ合っていると、触れた箇所からセシリィの身体が震えていることに気付く。心情を察している以上はこういう時は俺の方から声を掛けてやるべきなのだろうが、この時上手い言葉が見当たらずそのまま閉口してしまったのは恥ずべきことだ。一度怖気づいてしまったことで切り替えが上手く出来ないまま更に無言が続いていく。


 ここはただ、もっと真摯に謝れば良かっただけだというのに。




 口下手で何も言えないなら行動で示すしかない。

 今俺がやるべきことはこの纏わりついてしまっている不安を取り除いて、セシリィに安心感を与えてあげることだ。


 そう思ってセシリィの肩に手を伸ばし、更に引き寄せてからそのまま俺は頭を撫でた。身体が触れ合っていると非常に不安な気持ちを抱えていても驚く程楽になるし、それに張り詰めた心が解放されたようになると思ったから。

 心が乱れた時、不安に押しつぶされそうになった時、人肌というのはこの上なく心を落ち着かせることができる。温もりにはそんな力があると俺は半ば確信している。


「お兄ちゃん……」


 この独論が基づくようにセシリィも多少落ち着かせることが出来ているのか、震えがほんの僅かにだが少しずつ収まっていくのが分かる。やがて震えが止まり、逆に落ち着いたことで抑えていたものが堪えきれなくなったのかもしれない。


 静かになった部屋でセシリィの小さな声が俺を呼んだ。


「――一つだけ、ワガママ言ってもいい……?」

「うん。なに?」


 震えは止まっていても、声はまだ震えていた。だからセシリィを下手に刺激しないように、精一杯優しく聞こえるように、ゆっくりと小さく俺も返事をする。


 むしろ言って欲しかった。どうせこんなことを言ってもセシリィの言う我儘は俺の思う我儘の内に入らないのだから。拒否するということは考えられない。

 第一拒否などすれば俺の不安にさせたことへの罪悪感は微塵も晴れてくれない。


「お兄ちゃんにも事情があるのは分かってるの。私とずっと一緒にいてくれてるから、一人になりたい時だってあると思うから……」

「……」

「それでも……それでも、ね? 何処かに行くなら、一言でいいから言って欲しい、かな……」


 絞り出した声での我儘はやはりほんの小さな要求で、誰にでもできるようなものであった。


 それなのに……たった一言、出かける際のその一声さえ俺はしていなかった。

 毎回「セシリィが――」とあれこれ理由を付けているくせに、その行為がセシリィを逆に追い詰める結果にしていたのだ。俺の自己満足だけ満たされてセシリィの心と精神が擦り減ってしまう。それが今の俺らの関係と言えるだろう。


「皆……何も言わないでいなくなっちゃったから。お兄ちゃんまで本当にいなくなっちゃったら、私……どうしたらいいのか分かんないよ……」


 圧し掛かる力が強くなり、また震えが始まった。

 ギリギリで耐えている状態の中では少しの動作が発端になる。紡いだ言葉でまだ我慢出来ていた身体の緊張が解けたかのように、セシリィの感極まった心の内が曝け出した。


「だから、何も言わずに一人にしないで……! 一人は嫌……怖いから嫌なの……!」

「ああ……次から必ず一声掛ける。悪かった」


 いきなり一人になってしまったこの娘にとって、身内が周りに誰もいないという状況は緊急事態と変わらない。この前ずっと傍にいると約束していながら、その約束を破棄したように見える行いをしてしまったのだ。セシリィの味わった恐怖はさぞ大きかったはずだ。

 体勢を変えて受け入れの姿勢を取り、セシリィを両手で包み込んでやった。




「――夜、ずっと起きてたのか?」

「ん……分かんない。何も考えないでジッとしてたから……」

「そっか……」


 既に陽は大量の光を差し始めている。俺がいなくなってからどの位で目を覚ましてしまったのかは分からないが、見た限りの様子だとまともに寝ていないのは確かなようだ。元々眠たそうなセシリィの目が今にも閉じそうになっている。


「なぁセシリィ」

「ん……?」

「俺が何をしてたかなんて心を覗けば一発で分かるだろ? なんでしないんだ?」


 弱った所に付け込む形になるのは嫌だが、言いたいことを言えた今ならそれも聞けるのではないか? そう思ってセシリィが心を覗いてこないことについてを聞いてみる。

 俺の心さえ覗けば一体何をしてきたかなど丸分かりになるのだ。俺の嘘なんて意味はなく、ありのままの事実を知ることができる。


 でもセシリィはそれをしない。いっそのこと視られてしまった方が俺の取る選択肢が限られるから楽になるかもしれないのだが――。


「お兄ちゃんには……しなくていいもん」

「……なんで?」

「だって、お兄ちゃん優しいから……。何も言わないのは多分、私に余計な心配をさせたくないからだって知ってるから。視ちゃったらお兄ちゃんをきっと困らせる……。これ以上勝手に迷惑掛けたくないから視たくない」


 俺はセシリィを第一に考えてはきたつもりだった。でもセシリィも俺を第一に考えてくれてこれまでそうしていたようだ。

 心を視るという行為に対し、それで俺を困らせたくないから視ない。この娘の言葉を疑うのは有り得ないため、セシリィの口からこの事実を聞けたことがとても嬉しかった。


 誰かに気遣われるのは嬉しい。それにセシリィはちょっと特別だから尚更だ。


 ――だけどこれだと難しいな……。心が視られないことが分かり切ってしまった以上、この娘の優しさに甘えても不安にさせてしまう懸念は今後もある。伝えることで傷つけてしまうこともあるだろうから言えないことはあるし。


「ありがとな、信用してくれて。話してないこともいずれ話すから……もうちょっとだけ待っててくれ」

「うん」


 俺が先程聞いてきた真実全て。その全てはオルディスに言われたように簡単に切り出せるものじゃない。でもどちらかというと俺に言い出す勇気が湧かなかったというのが正しかった。

 セシリィが真実を知って激しい怒りと深い悲しみに囚われてしまうかもしれないことを考えると、まだ何も知らないままの方が結果的に良いんじゃないかと思えてしまったからだ。


 大事にしてやりたいだけのことがこうも難しいとは思わなかったよ。主に自分の弱さが原因なのが至らないばかりだけどさ。




「セシリィ、寝てないなら眠いだろ? もう朝だけど寝れるだけ寝ときな」


 後は俺が反省するだけなのが目に見えている今、セシリィも連れだってそれに付き合わせるわけにもいかない。本来なら約束されていた休息を遅ればせながら取らせようと促してみる。


「何処にも行かない……?」


 今にも眠ってしまいそうな声に加え、その寝ぼけ眼にも拍車が掛かってきた。疲労もあるが安心して気が抜けたこともあってそろそろセシリィも限界だ。それでもまだ意識を保っているのはたった一つの不安が根付いてしまっているからなのだろう。


 それなら当然俺の答えは一つしかない。


「行かないよ。起きるまで一緒にいるから。……約束する」

「……うん――」

「――あれ? セシリィ……?」

「……」


 俺が呟いた直後、セシリィは糸が切れたように身体を預けてくる。そして微動だにしなくなると、驚く程の早さで寝息を立てて身体がリズムを刻み始めるのだった。

 脱力した時とそうでない時の力の掛かり方は違く先程よりも少し重みを感じたものだが、俺は今だけはその重みに安堵できた。


「……はぁ~……」


 セシリィが寝てくれたことで俺も眠気に誘われてあくびが出た。なんだかんだで俺も夜通し寝ていないのでそろそろ寝ないと明日に触る。……まぁ既に今日になってはいるが。


 嵐への対処に溺れかけたことも重なって疲れも十分に溜まったし、もういいや。俺もこのまま寝よ……。というかベッドに行くまですら面倒だわ。


 眠気に誘われるまま、セシリィの温もりを感じながら俺も同様に目を閉じた。




 ◆◆◆




 ――それから三日後、俺達はヒュマスへと無事到着した。

 嵐に遭遇しながらの極めて早い到着は前代未聞であり、不可思議な現実に首を傾げる人が多発していたが俺らは全て素知らぬ顔で船を降りた。騒ぎになって注目を浴びずに船を降りることができたため、嵐での被害がうまいこと幸運に繋がった形だ。


 新大陸への第一歩を噛みしめ、その足で目標であるセルベルティアへと俺達は旅を再開した。





 ◇◇◇




「――おはようございます。まだ、お考えは変わりませんか?」



 時を同じくして朝焼けが差した頃、光に晒された石造りの部屋の中に向かって一つの声が投げかけられた。

 部屋とは言っても、そう見えるのは簡易ベッドや簡易トイレといった内装に焦点を当てた場合に限る。この部屋に入り口などというものはなく、何本もの鉄格子で閉ざされた隙間から中が丸見えの状態は部屋とはとても言えない。牢屋というのが妥当であり、それに似合わぬ機能を備えている歪さがここにはあった。


「ええ。私は何方に言われようとその気はありません。謹んで今日もお断りさせていただきます」


 寝ていたのか起きていたのかを悟らせず、声に対し部屋の中心で正座したまま目を閉じていた女性は静かに目を開けると、声の方に見向きもせずに一蹴するように言い放つ。

 固まったように動かない身体は拒否の言葉を身体でも表しているかのようであった。


「同じ場所にずっと閉じ込められているのに我慢強いのですね。……悪いことは言いません。そろそろ観念した方がよろしいのでは?」

「それは私も同じですよ。私に貴方方に協力する気は毛頭ないのですからもう諦めて頂けると……。私のような気の持ちようをした者がいれば士気に関わるでしょう。私がいても不利益しか生みませんよ」

「それ以上の利益が見込めると国王はお考えなのですよ。貴女は自分の価値を分かっていない」


 声を掛ける兵士は呆れた様子を見せながらも、そこにいる女性の芯の強さには敬服したくなり、それと同時に惜しいとすら思うのだった。この芯の強さを味方にできればさぞ大きな力になってくれることは、末端である兵士の身分の自分にも簡単に予想できたからだ。


「評価して頂けることには恐縮です。しかしながら何度も申し上げたように私の剣は誰かを傷付けるために培ったものではありません。これまでの自分を否定し、信条に反する行いに加担するのはとても容認できませんから」

「そうですか。貴女が直接手を下す必要はない――そう言っても変わらないんでしょうね」

「ええ。このような話し合いをしていても無意味です。――お引き取り願えますか?」

「ッ!?」


 柔和でいながら冷たい視線に兵士は怖じ気づき、一歩後ろに後退した。兵士も女性が非常に温和であることを知っているので危害を決して加えてはこないということは十分に分かっていたが、温和でも持っている気迫が常人と桁違いに恐ろしいものだと痛感したためだ。

 一瞬だけ放った気に当てられ、兵士は身を持って感じた寒気は自分ではとても及ばない別の部分が格上のように感じていた。


「(この人は自分を曲げないな……絶対に)」


 自分らとは別格の存在。『剣聖』と呼ばれる肩書きだけの人ではなく、それに見合うモノを実際に備えているのを確信したらしい。

 兵士は牢屋から身を翻すと、諦めしかない考えのまま女性に最後一言だけ告げるのだった。


「国王は一度決めた取り決めを覆したりはしない方です。『英雄』が来てから高まった士気を削がれてはたまりませんからね。このままではずっとそこに閉じ込められることになりますよ?」

「誰も傷つかないのであればそれでも構いませんよ。私が動くことで誰かを更に傷つけることになるならば喜んでここに居座らせていただきます」


 培われた己の芯が揺らぐことは決してない。女性の凛とした表情はまるで自らの最期を決めた武士のようであり、清々しい朝日よりも眩しく映った。



※9/26追記

次回更新は明日です。

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