402話 海神③
「神獣を統べるより大きな存在か……。その君主の名前は? 今後関わりが出てくるなら聞いておきたいんだけど」
『申し訳ないがそれは言えぬ。しかし其方は必ずや知ることになることは約束する』
「あー……分かっちゃいたけどやっぱし駄目ですか、お預けですか」
ここまでの出来事に巻き込まれ、事の発端である存在が気にならないわけがない。一応駄目元で聞いてはみたが答えは予想通りで教えてはもらえなかった。
尤も、『言霊』は名前に対して強く反応してしまう。自分達と密接な関わりにあり、また秘匿しなければならない事情を抱えた状態では口にするのはご法度に近い行為そのものである。誓約に縛られているならしようと思っても無理なことなのだろう。
簡単なことでさえ不自由が付き纏う。それが誓約なのだから。
うーん……誓約がある以上答えられないことは多そうなんだよなぁ……。
ちなみにこっちについてはどうなんだろうか? 聞いてみたろ。
「君主とやらのことが駄目なら……じゃあ俺については? もうこの時点で俺が普通じゃないってことには確信がある。単刀直入に聞きたい……俺は一体なんだ?」
『……』
俺自身の核心に迫る質問には、自分で首を絞めたように胸の内が引き締まるのに似た感覚で締め付けられる。表情を全く変えないままのオルディスにそのまま言葉を綴る。
「なんで人の俺が神獣以上にこんな力を持ってる? なんで神獣と繋がりがあって声が聴こえる? なんで俺だけ、天使に何の憎悪もないんだ……」
口にしたのはこれまでの当然の疑問の全てである。言い出すのは取りあえず我慢していたが、一度口にしてしまったら立て続けに言葉が続いて出て行ってしまった。
『其方の正体は最も明かしてはならぬ最重要秘匿事項だ。たとえこの身が裂けようとも言えぬ』
「……ハァ~。だよな、まぁそうなるんじゃないかって分かってたけどさ」
最重要ときたか。なんだその秘密兵器みたいな扱いは。
そこまで言われてるってのに……もどかしいぞ全く。
予想はしていたが溜息をするくらいは許してもらいたい。というか自制できてる俺を誰か是非褒めて欲しい。自分の正体を知っている人物を前にして、知りたくてしょうがないことを我慢しているのだから。
『そして其方自身が自ら自分を知ろうとすることもならぬことである』
「えぇ……」
ちょ、ちょっと待ってくれ。そこで更にガチな顔されて言われると困るんですけど。
てか自分のことなのに知っちゃいけないんスか? なにその父親の「お前にはまだ早い」的な発言は。
た、確かに君達にそこまで言わせてるなら俺が自分から記憶を消すくらいのことって可能性もなくはないし? それなら分からんこともないわけで……。
でもそれだと俺は逃げたってことになる可能性も多分にあるんですが。
――なら駄目だろ。自分の可愛さに甘えて逃げただけなら、変な話自分のことながら許せない。
『案ずるな。其方は記憶を消すべきではあったが決してそれは悲観するべきものの類ではないし、其方自身が元々逃げのような姿勢と考えを持つような者でもあるまい』
「あ、え……なんかありがとう……?」
自分が罪を犯して記憶を消してトンズラした――そんな一度は考えてしまってもいた不安が現実味を帯びたと思いきや、その線はどうやらないらしい。安心と同時に評価されたことにドキリとしてキョドってしまった。
「俺って記憶消す前と今ってあんまり変わってないのか……? 人格とか」
『ん? ――全くと言っていい程に変わってなさそうだな。聞いた限りでは』
あ、ハイ。じゃあ俺は元からこんな楽観死野郎だったんですね。そんでそれが全部筒抜けと……。あー恥ずかしい。
なんだぁ、最初から終わってたんかい。心配して損したわ。
でもそれだとなんでそんな俺が自分のことも教えてもらえないか気になるところではある。駄目な子はちゃんと教えてもらわんと駄目なのにねぇ。
『其方には疑問しかないだろうが、今はまだ時期が悪いだけなのだ。来たるべき時期が来るまでは其方のその望みが果たされることを君主も私達も望んでいない。――いや、望めぬのだ。終わりの引き金を引かせてしまうかもしれぬ真似は絶対にな』
オルディスは俺に強く言い聞かせるように威圧感と共にそう告げる。まるで危険な場所に行ってほしくない忠告のようであり、でもどこか俺にお願いで頭を下げてもいるような気もする印象であった。
「終わりの引き金……? なんだそれは」
『終わりは終わりだ。それ以上でも以下でもない。物事にはいずれどんな形であれ終わりが来る……それと似たものとでも思っておけば問題ない』
「……」
終わりという不吉なニュアンスは聞いてはいけず、また踏み込んではいけないもののようなものであると今更ながらに思う。しかし一度聞いてしまったからには早々にこのフレーズが脳裏から離れることもまた難しかった。
これは一体どういう意味だろうか。俺が記憶を取り戻すことが終わりを意味する? 一体何の?
でも今知ってはいけないのにいずれは知ることになるって言ってたし、それだとこの知るまでの期間がそんなに重要だってのか? 良く分からん変な話だなぁ。
これで問題ないと思える方が問題じゃろがい。
――ま、俺としてはいずれ知れるって分かっただけでも収穫だ。これ以上言えないことを追求しても仕方ない。取りあえず今は引き下がるとしますか。
「俺のことで何か教えられることってのは他にあるんかね?」
『そうだな……何度も言うように其方に祀わる事柄はほぼ話せないが、其方にこれから是非進んで欲しい道を助言することくらいは可能だ』
「道? へぇ……それ聞いても?」
『分かった』
これ以上は多くを望めない。そう思って軽く仰け反って暗い天井を見ていたがオルディスの言葉に姿勢をすぐ前傾に戻す。
大した宛もない旅を予定していた俺らに主目的となるものが生まれようとしていたためだ。それも意味のあるかもしれないという。適当なことでも聞いてみるものだとまさに思う。
『勿論私のこんな言葉に強制力などはない。しかし其方の中に眠る最も大きな行動原理を私達は知っている。……だからこれは敢えて、だ。きっと誰が何か言わずともその道を辿るはず……そう信じているので伝えても問題はないと判断させてもらう』
「お、おう」
言葉はこれまで通りやや真面目さを秘めたままに、オルディスも座っていた椅子へ更に深く体重を掛けるように座り直す。なんだかオルディスの方も俺と同様に気を楽にしているように見えるのは……察するに誓約が関与していないからかもしれない。
というかさ……なんでしょう? この初対面なのに圧倒的信頼されてます感は。もしかして俺が雰囲気に乗せられてそう思ってるだけ? でもとてもそんな風に見えないし思えないぞオイ。
こっちはオルディスのことをちっとも知らないけど、向こうは俺のことを知ってて親し気にしてくれている。このアンバランスさは状況的にマズくはないがちょっとした違和感が拭えない。今俺が体験しているのは一見、私はアナタをアナタ以上に知っていますよ? ウフフフフ……! みたいな恐怖シーンそのものだからだ。
……いや、オルディスがそんな奴じゃないってのは分かってはいるんだけども。
「……で?」
一瞬、ヤンデレ属性を帯びた有り得ないオルディスを想像してしまったことを後悔しながら続きを促す。
すると――。
『――守れ。其方がそう思ったものでも、概念でもなんでも。願望で無謀であろうとそれは問わない。其方が示した意思を貫き通し、そして進めばいい。其方が本当に望んだものはその先に待っている』
「え……」
俺の抱いていた期待は見事に打ち砕かれたと言ってもいい。期待して想像していたものとはまるで違った内容には一瞬放心するしかなかった。
だってそうだろ。なんでしょうかね……この圧倒的コレジャナイ感は。俺はもっと具体的なことをこう……言われると思ってたんスよ。例えば何処を目指せとかのシンプルな。
それがこんなにも抽象的で俺の意思のみに重きを置いた方向性ときたんじゃなぁ……。俺の在り方としていえば助言ではあるのは間違いないけどさ、やっぱり残念さは残っちゃうわ。
だって言われるまでもなく俺のやることは決まっているから。俺はセシリィを意地でも守り通す。天使の秘密も解明して、あの子に本当の笑顔を取り戻してやりたい。
どうせ今の俺にそれ以外に守りたいと思えるものはないんだからな。
『フフ……そうだろうとは思っていた。先の其方の質問に少し戻るが……あの娘は世界で最も運の良い娘であろうな』
気を楽にしていオルディスは依然変わらずそう告げる。俺の心を読み取ったらしく、それに満足してくれたことについては喜ばしいが、俺の予想が正しければ反論を我慢できない最後の部分が気になった。
「娘……? それってまさかセシリィのことを言ってるのか?」
『そうだ。其方がいれば理不尽な運の悪さも幸運へと導くことができよう。あの娘はまさにそれを手にし、そして選ばれたといっても過言ではない』
は? 何を言ってるんだオルディスは。
セシリィが運が良い……? それ真面目に言ってるのか? だとしたら全然頷けないんだが。
俺はこのオルディスの発言にどうしても納得がいかなかった。




