389話 無力
最初は村の中ということもあって周りに配慮しようとする節が連中には確かにあった。しかし余裕がなくなってきてそうじゃなくなったのか、途中から周りの被害を顧みない無造作に放たれる攻撃が目に付き始めている。
「ウィルや、これは一体何事だい!?」
「危険だから皆は離れててくれ! 来ちゃ駄目だ!」
俺単体を狙う攻撃から、とにかく少しでも巻き込もうとする範囲系の攻撃が随分と増えた。ウィルさんやミルファさんにはまだ実害も及んでいないみたいだがそれも時間の問題か。それに騒ぎを聞きつけた村の人達も随分と集まってきてしまっているし、このままでは巻き込まれる人が出ないとも限らない。俺から攻撃はするつもりがないとはいえ、万が一の流れ弾を避けるのは老人の多いこの村では酷というものだ。
数も無駄に多い……『バインド』じゃ多分足りないな。なら――!
「う、動くな!?」
嫌だね。それにもう遅い。
「『バインドクロス』」
『陣』とやらを構築する必要のある連中とは訳が違う。己の中にある力の塊から直に力を取り出し、右手に集中させて留める。そしてそのままイメージを確かに魔力を一気に解き放ち、動作を持ってイメージを安定させて顕現させる。
俺がしゃがんで片手を地面に押し当てると、地面から手のように伸びる無数の帯が押し出されるように現れた。帯は俺のイメージのままに最も近くにいた獲物を求めるように絡めとると、地面に組み伏せて身動きを取れなくさせる。
俺を中心に、黒い網がワラワラと動いているかのようだ。
「ぅあ゛っ!?」
「何だ……これ……!?」
「ふ、触れてはならん! 一度距離を――ぐぁっ!?」
次々と連中が不意に現れた帯に身を封じられていく中、流石隊長なだけあるのか初手を免れた男であったが、地を蹴って宙に浮かんだのが運の尽きだ。
『バインドクロス』は『バインド』の純粋な強化版なのだ。速度も射程もただの『バインド』とはまるで違う。免れるので手一杯の奴が身動きの取れない宙に逃げたところで結果は語るまでもない。
逃すまいと帯が男の足に巻き付くと、引力に吸われるように地面に叩きつけられ、土埃にローブを汚した男がうつ伏せに転がった。
「――さて、これでようやく落ち着いてくれたな。あれだけ耐えてたんだから敵意がないことにさっさと気が付いてもらいたかったんだが……聞く耳を持ち合わせるような奴等じゃないって分かったから強制的にそうさせてもらった」
「し、信じられん……!? これは、まさか未知の術式、か……!?」
訳の分からない雑音のような呻き声は聞き耳半分で拾いつつ、これで誰も危害を加えることのない状況がようやくできたことになった。手は出すつもりはなかったがこれくらいの手出しは許容範囲だろう。そもそも『バインドクロス』は攻撃性のある魔法ではない。
それにあのまま耐えてたら本当に終わりがなさそうだったしな。まったく……動いて危ないのは俺らじゃなくてお前等だろうに。余計な手間を掛けさせやがって。
「何故だ……何故貴様程の者が天使に加担する!? 奴らが我々にしたことは貴様も知っているはずだ!」
これからどうしようか考えていると、その邪魔をするかのように男がうつ伏せのまま俺にがなり立ててくる。
……言ってろ。馬鹿らしいことこの上ない。
良くも悪くも俺はただ、自分の目で見て判断したものを信じるしかできない立場にあるってだけだ。だからこそ俺はセシリィの言葉を信じたし、お前等のことを信じれないんだよ。
――だからこうした。……愚問だな。
「さぁ? 生憎とこちとら記憶喪失中なんでな。知らんから教えてくれ、天使がお前らに一体何をしたってんだ?」
「なに……?」
「俺が聞いたのは、濡れ衣を着せられて迫害されてきた過去を持ってるってこと。そして身の潔白を証明するために反撃せず、ひたすら耐えてただけの温厚な種族ってことくらいだけどさ……違うか?」
「違う! 天使は悪質極まりない種族だ! 他者の心を覗き、そして見下す。更にはあろうことか他者の理性すらも奪って支配する……! ――共存など馬鹿馬鹿しい! 天使は滅ぼさなくてはならんのだ。過ぎた力に溺れた種族には相応しい罰だ!」
「っ……」
一瞬、次々発せられる初耳かつ根も葉もない男の言葉に対し、僅かに反応したセシリィを見て言葉を重ねて反論しようとしたが、ここは我慢して連中の持つ言い分を聞くことに俺は決めた。
セシリィの言いたいことは俺にも分かる――が、どうせ話の通じる相手ではないのだ。俺らが何を聞こうがまともな答えが返ってくる可能性は低い。ならば思っていることを全て言いたいように言わせる方がまだマシな結果が得られると思ったためである。
「セシリィ。そうなのか……?」
――しかし、そう思っただけでその考えを俺はすぐに取り払うことになったのだが。否、我慢するのが無理だった。セシリィの泣き顔が見ていられなくて。
今すぐにでも思いの丈をぶつけたそうにしている、それ以外に楽になる方法が分からない様子を見てしまっては、とても俺には我慢などできるわけがなかった。
既に分かり切ったことを……俺はここで敢えて聞いた。
俺がセシリィの立場だったら……どうなってただろうな。今はまだ何も思い出せてないから分からないけど、最悪の場合――。
「違う……そんなの違う! 操る力なんてない……私達ずっと……ずっと耐えてたって、皆言ってたもん……!」
「……だよな」
「なんで……村を襲ったの? 何もしてないのに。なんでなの……? ねぇ……返してよ……お父さんとお母さんを……! 皆を返して……っ……!」
セシリィの身体は震えながら世に訴えた。俺にしがみつく手にも力がこもり、その言葉の信憑性を裏付ける。
まさに心の叫びだった。敵に向かって言いたかった言葉が、行き場のなかった憎しみと悲しみの憤りが、ぶつけたくてたまらなかった人物へと放出される。
これが通じないのであればコイツらはそこまでだ。
「返せだと……? どこまでつけあがるつもりだ小娘風情が! 天使が……お前という存在自体がこの世界に邪魔な分際でふざけた主張をするなっ!」
「っ!? ぅ……っ……!」
そして現実は容赦なく非情だ。ほんの少しも考える素振りを見せることなく、セシリィの声を蹴散らすかの如く男が激昂して反論した。儀は我らにありとでも言いたげに、自分達のしでかしている事実を気にもしない強烈な様子を、俺とセシリィは目の当たりにしてしまった。
背中にのしかかる体重が重みを増した。ただでさえ縋っていたセシリィが瀬戸際で耐えていた少し……それが崩壊してしまったのが分かってしまった。
ああ……なんとなく、分かってはいたさ。俺らが何を言おうが、結局はそんなの関係ないってことは。
「セシリィ……いきなりキツイことさせてゴメンな」
「えぐっ……ひぐっ……!」
「――後は任せな」
顎をしゃくる拍子にも涙を流し続けるセシリィの立場を交代し、再び俺は矢面に立つ。
ここから先は俺の番だ。たった一人の娘にこの非常な現実を押し付けてすぐに受け入れさせるのは厳しすぎる。なら非常識な俺が盾になってやればいいと……心の底からそう思える。
「……なぁアンタ。天使が人を操る力があるとかいうそれさ、一体どうやったら証明できんだ?」
「証明だと? ……何を馬鹿なことを」
「アンタこの前会った時、俺が操られてるとか言ってたよな? なんでそう思ったんだよ?」
「そんなこと……天使に加担する者がいるわけがないからに決まっているだろう! あの状況で、お前は不自然にも唐突に現れた。それも、我々に敵対するという形で。……これでそう思わない方がおかしい」
……一応、俺は現在進行形で操られてると連中は思ってるわけか。
けどさ、だったらなんでそのタイミングで急に? って話なんだよな。
「おかしい? おかしいのはお前等のその認識だと思うが? だったらなんでこの娘はお前らの内誰かを操ろうとしなかったのか教えてくれや。お前らが操れないのに俺だけ操れるっておかしいだろ」
セシリィは命の危機迫る局面を数日過ごし、俺と出会うタイミングが下手をすれば命を落とす最期のタイミングになっていたのは間違いない。
極限にまで追い詰められたらどんな手段を使ってでも生きるために行動を起こすはずである。セシリィに他者を操る力があったとしたら、そもそもああなる前に使用していてもおかしくないはずなのだ。
「答えは簡単だ。天使にそんな力は存在しない。俺があの時お前らを蹴散らしたのは、寄って集ってこの娘を殺そうとしたお前らが危険極まりないと思ったからだ」
「フン……それが操られたが故の行動なのだ、愚か者め。自覚がないのなら仕方がないとはいえ……!」
まだ言うか……!
「俺からすりゃ、お前等の方が何かに操られてるように見えるわ! いきなり平気で人を殺すことを厭わなくなる残虐な奴等なんだからな。天使を見れば何も考えずに無鉄砲に殺そうとするだけの馬鹿共、俺が相手であっても勝てる勝てないに関係なく突っ込んでくるなんて本当に馬鹿の極みだろ」
「我々を愚弄するか貴様……!」
「愚弄してんだよ。気づけや」
お前らの行動は見てて短絡的なものにしか見えないんだよ。感情に身を任せただけのような玉砕覚悟としか思えない特攻をしておきながら……まったく何を言っているか理解に苦しむぞ。
「反論があるなら言ってみろ、この惨状を見て言えるもんならな。――ウィルさんから聞いたぞ、アンタ優秀な隊長なんだってな。……それがなんだよこの馬鹿な判断で壊滅した結果は。俺に対して策らしい策の一つもなかったみたいだが?」
「貴様に小細工は通じないと先日の件で判断したまでだ。お前を潰すには真っ向からの力のぶつけ合い以外に存在しないと考えた」
……だからって普通、勝ち目のないのが分かりきってるのに実際に行動を起こすか? 小細工が通じないと判断はできるくせに、なんでそれに対抗できる人材がいないのが分かり切って尚突っ込んできたのか意味が分からん。
俺だったら一瞬でボコされた相手に再度すぐ戦いを仕掛けようとは思わないけどな。まだ綿密に練った策を何個も張らせて勝機が僅かに生まれたとかならまだしも。どうも現実的じゃないよな。
「例え……この身を燃やしたとしても必ず駆逐する! それが我々の使命なのだ! 天使に操られた貴様には分かるはずもない」
こちらを睨む男の眼光の鋭さは増すばかりであった。絶望的な状況に立たされても対向意識は一切曇りを見せない。
けどその言い分はもう聞き飽きた。
はいはい……操る力がーとかそこまで言うならもうあってもいいんじゃないかって思うことにするわ俺は。
仮にそうだったとしても、絶対にまだ揺らいでいない事実があるのだから。それも現在進行形の。
そこが覆されない限り、俺は連中の言い分を真っ向から否定できるし認めることは微塵もない。
「そんなに頑なに聞く耳を持たないなら、じゃあ操られてる前提でも構いやしねーよ。その上で一つ質問があるからそれだけは答えろ。……お前らは自分の大切な人が目の前で殺されたら……どう思う?」
「なに……?」
「俺だったらそいつを徹底的に追い詰めるし、逃げられても必ず見つけ出して捕まえて然るべき場所で裁いてもらうが……お前らはどうなんだ?」
この答え次第ではお前らに根付いたモノの認識が変わるかもしれないわけだが……さぁ、なんて答える?
「――その者を恨み、憎んで裁くだけだろう。到底許すことなどできぬ」
男が少し考えた末の言葉……この声を俺が忘れることはないだろう。
自覚があって気づいていないのはそっちの方だと言ってやりたい。如何に身勝手かつ無責任な矛盾を堂々と言っているのかと。
そしてこれが……恐らく向こうが俺に対して感じている様に、俺らが感じていた違和感の正体。両者の間の差異を生んでいる原因だということも。
「……なら、今言ったことがお前の本心なら……お前等は今、全員生きていられてねぇだろうが……! なんでそれが分からない! 親を殺した敵のお前等を前にして、この娘が憎んでいるはずのお前らを俺に殺せって命令してもおかしくないってのに……!」
今コイツらが全員大した実害もなく生きていることが、俺が操られていないという確信だ。俺ならコイツらを皆殺しにすることは容易い。それもほんの一瞬でだ。
「大方我々を嬲るたm「それとも何か、お前等は自分達のやったことに対して天使に殺されない理由でもあるってのか? ……ないだろ? だってお前らは、この娘の家族を殺したんだぞ? それなのに俺はお前らを殺そうとしてないんだが……なぁ? ここまでされても俺が操られてるとか言うのか?」
向こうの余計な横槍を入れさせたところで話が進まないのは分かりきっていたため、強引にそのまま俺は続ける。
肝心なのはここから先の答えだ。
「――あのさ……お前らが生きてることがすなわち、この娘にそんな力がないってことの証明だろ。実際、お前らはこの娘を殺しかけることはできたんだからな。……そんな力を持たない娘が危険に思えるか? ――いや、思えたのか?」
「危険極まりない。その忌まわしい存在は何がなんでも直ちに排除すべきだ。いずれ脅威となる前に、早い内に潰しておかねば手遅れになってしまう!」
「俺の心を視ようとするとき、わざわざちゃんと視てもいいかどうか聞いてから視るくらいの、お前らより遥かに真っ当な性格をしててもか?」
「心を視るような者が真っ当であるはずがなかろう」
「……俺自身がお前等を殺してやりたくなるくらいだってのに、お前らが今生きていられるのが……この娘がその俺を繋ぎ止めてくれているとしてもか?」
「……先程から何を企んでいるのだ貴様は。殺すなら殺せ。相容れぬ者同士、馴れ合うなど夢のまた夢だ。ここで果てようとまた別の者が現れて貴様らを滅ぼすために立ち塞がるだろう。その初めの礎となるのであれば我らは死すらも是だ」
「――そうかよ。ならもういい」
ここまで、か……。意思表示が変化しないならこれ以上ここにいる意味はない。
もっと過激な手段に出る手もあるんだろうが、やったところでそれに見合う結果は得られそうもなさそうだ。それに拷問をして情報を吐かせようとしたところでその情報が正しいかは分からないしこちらが胸糞悪くなるだけだろう。好き好んで人を痛めつけるのは俺からすればそれこそ拷問だ。
それよりも今は、セシリィの傷ついた心の回復を図るのが先である。これ以上コイツらの近くにセシリィは置いておけない。ただでさえ心の整理が追い付いていないのに、こんな殺意の視線に晒されて平常心はおろか、理性をまともに保つのさえ辛いだろう。このままここにいたらセシリィがどんどん傷ついて壊れてしまいかねない。
「行こうセシリィ、これ以上ここにいても無駄だ。暗くなったけど先に進もう」
先程まではオレンジ色だったはずの地面が、意識してみると薄っすらとだが黒に移り変わっているのが分かる。直に連中を縛り付けている『バインド』の帯も見えなくなってしまうのだろう。
夜間は何かと危険が付きまとう。夜行性の危険な動物達の活性化、暗闇による視界不良で進むべき方向を見失いかねない。本来なら夜が明けるまでジッとしているところだが、状況がこれでは仕方がない。
戻ることは論外だ。そこに留まれないなら、俺らはもう進むしかないんだ。
ふと、目を横へと向ける。一瞬ウィルさん達と目が合ったが、俺らがこの村に入った入り口とは別の、裏口に当たる出口の門が影を濃くしながらもまだ確認できる。
……あっちか。
不自由なセシリィの肩を支え、ゆっくりとだが歩調を合わせてそちらへ進もうとすると――。
「ま、待て!? どこへ行く!」
「……」
引き止めてくる声が邪魔をしてきたので、一旦俺らは足を止めた。声の正体は、やはりあの男であった。
「何のつもりだ、何故我々を――「力を持って自由を絶て……『バインドクロス』!」
うるさい! 失せろ……! その口をもう開くな。
何を言っても無駄で、どうしようもなくて、募った苛立ちを解消するためだけの癇癪を俺は起こした。
詠唱に動作を付け加え、本気の力で魔法を発動すべく一旦セシリィの肩から手を放して両手で地面に手をつく。地面のひんやりとした温度を感じてすぐ、先程とは比べものにならない数の黒い帯が地面を黒で染め上げ、呑み込むように既に拘束済みの連中の上から更に縛り上げる。
「かっ……!?」
「ぃぎ……っ……!?」
今度ばかりは本気で発動してやった。俺の持てる最大出力での拘束力だ。時間経過以外で外せる奴はいないだろう。無論、外させるつもりがないからそうしたわけだが。
「死にゃしねーよ。でも数日間、ずっとそのまま這いつくばってろ。糞が」
肉に帯が食い込み、容赦なく全身を圧迫し、張り付くようにしながら全身が黒に染まっていく連中の呻き声が徐々に小さくなっていく。
勘違いも甚だしい。たかが中級の魔法程度で何も出来なくなる程度でよくここまで息巻けたもんだ。……多分、コイツらにその自覚はないんだろうけどな。
「「「……っ……!」」」
呼吸も微かにしかできない奴もいるだろうが、苦しいだけで村の人の介護があれば取りあえず死にはしないだろう。俺らは加えて、晴れて確実にここで連中の追手から確実に免れることもできる。
生き恥を晒して命が助かるなら儲けもんだ。そのちっぽけな命を精々大事にすることだな。
「良かったよ……俺が最初に会ったのがお前らじゃなくて。心のないお前らと敵対できて……本当に良かった」
聞く余裕があるのかは知らないが最後にそう連中に告げ、再び俺らは歩き出す。バタバタしてまともに挨拶もできないのが心苦しいが、固まったように動かないウィルさん達とすれ違う途中、軽く謝罪だけはしておくことにする。
「迷惑を掛けてすみませんでした。……これ、価値があるかはしらないですけど……お金になるんなら使ってください」
「え……?」
『アイテムボックス』から取り出した、用途不明だが大量に所持していた貨幣の塊。その一部である金色の貨幣を適当な数だけ袋に包み、ウィルさんに押し付けるようにして渡す。呆気に取られていたウィルさんだが、なんとか形だけは受け取ってくれる理性があったのは幸いだ。
価値がどれほどのものになるかは知らないが、これが金であることは確かだろう。それがまとまっていれば多少のお金になるかもしれないし、この村に掛けてしまった迷惑料としての価値くらいにはなると思ったのだ。出来れば無くなってしまった家に、一部荒らしてしまった村内の修復及び復興費用にでも充てて欲しいところだ。
「……お世話になりました。さよなら」
ウィルさん達にこれ以上迷惑は掛けられない。
逃げるようにではなく逃げるため、俺とセシリィはまた暗い森の中へと身を隠した。
※5/31追記
次回更新は今日です。




