385話 仮初めの名
「い、言わないって言ったのに……!」
「名は体を表すって言うくらいなんだぞ? 名前だって無いままなのも不便だから知っといてもらった方が今後的にはいいだろ。こんなに合うのも中々ないだろうし」
セシリィを見た俺だが、当の本人はウィルさんの発言に狼狽し、急に顔を赤くして声を上げていた。大声ではないがあまり聞いたことのないようなセシリィの声色が珍しく、これまた何がそうさせているのか気になるところである。
「セシリィ? その『フリード』っていうのはなんなんだ?」
「え、えっと、その……うぅ~……!」
自分の口では伝えづらいのか、セシリィは言い淀んでいて中々話してくれる様子が見られない。
フリード……フリード……。はて? 一体どんな人物のことなんだろうか? 俺がそれに該当するかもしれないってことはだ、多分相当頭おかしい奴なんだろうな。
それとも視点を変えて語呂的に考えて……俺は自由が過ぎるからドフリーで、並べ替えてフリードになるからってことだったり? ニュアンス的な。
うわぁ……なんかそれっぽい気もする。しかもあながち間違ってなさそうだから困る。
「お、教えない……」
ガーン……! そんな……セシリィからの初の拒否、だと……!?
セシリィは非常に素直な娘だ。だから言いづらいことでも多分言ってくれるだろうと軽く考えていたのだが、その認識が甘かったと言わざるを得ない。まさか拒否されてしまうなど微塵も思っていなかった。
ウィルさんには話して俺には話せんのか……く、くそぅ。 一体どんな意味を込めたんだ。
ウィルさんめぇ……。
「お、オイオイ……そう睨まれてもなぁ……」
ウィルさんが俺の視線に気が付いたのか、困った顔で反応する。
べ、別に睨んでねーし。拗ねてるとかそんな子どもみてーなことしたりするわけねーし。
ただちょっと思いがけないことだったから驚いて困惑してるだけだし。あとちょっと目から血涙出てるだけだし。
「――ハァ~……まるで親バカだな。なんでも『フリード』って人がこの娘の祖先にいたらしい「あ!?」あらゆるわだかまりを打ち砕く守り神とか言われてたそうでさ、アンタはまるでそれっぽいんだってさ」
嘘ついてごめんなさいウィルさんのことこの野郎とか思ったけど今すぐ訂正させてもらうんで許してよろしくお願いしますですハイ。
流石ウィル様お心が深い。私信じてましたから、貴方様はきっと代わりに話してくれると。
……でも、うそん? それマジ?
「そうなのか?」
「……」
セシリィにそう聞くも返事はない。代わりに赤い顔で俯いてオドオドしており、その反応が既に答えを言っているようなものではあった。
大層な人の名を俺如きに当てようとしてくれたのはくすぐったいものがあるが、別に嫌じゃない。セシリィがそう思ってくれるというなら。
ただセシリィがなんで恥ずかしそうにしてるのかはイマイチ分からないが……分かることを言わせてくれ。セシリィきゃわわ。
「アンタも今後名前が無いと色々と不便だと思わないか?」
「え? そりゃまぁ、あった方が都合が良いとは思いますけど……」
「ならこの際、記憶が戻るまでの間は仮で『フリード』って名乗ったらどうだ? セシリィちゃんも満更じゃなさそうだしさ」
とても話せる状態ではないセシリィを差し置いて話を進めるウィルさんの提案、それは突拍子もないようでいてその実俺にとっては必要ではあるようにも思えるものであった。
今後も行く先々で名無しの理由を行方不明が原因だと説明するのは億劫であるし、なによりわざわざ説明する理由もない。そんなものは聞かれたら答えればいいだけでこちらから敢えて伝えるケースは限られるはずだ。
そもそも行方不明の件は話してもあまり得策ではない可能性が高い。ウィルさんらは良い人だったからいいものの、世の中そんなに真っ当な人ばかりではない。
これがセシリィの望みとあらば俺に異存はないし、否定をする理由はない。俺自身、それ程の大層な人の名を借りるというのであればその名前に傷を付けないためにも気が引き締まる思いだ。
ならあとはセシリィの最終的な判断に任せるか……。
「――さて、随分元気になってるようだし……まだ他に何かあればすぐ呼んでくれ。僕は様子を見に来ただけだから……一旦邪魔者はここら辺でお暇させてもらうよ」
「ぁ……」
口を閉ざし、セシリィの心の整理がつくまで俺が待っていると、ウィルさんが椅子を軋らせて立ち上がりそう言った。まるで後は残る俺らに任せたとでも言っているようであり、家の戸に手をかけて出ようとするその背中を見ながらセシリィは名残惜しそうな声を漏らしている。
「うっ……。そんな頼るような目をされてもな……。セシリィちゃん、君の頼るべき人はすぐそこにいるだろ。――大丈夫だ、ちゃんと伝えればきっと伝わるはずだから」
頭を掻きながら困った顔をするウィルさんは最後、参ったようにセシリィに去り際にその声を残して姿を消していった。
「……」
「ぁ……っ……」
再び残された俺とセシリィ。俺はともかく、セシリィだけがテンパっているという状況なのがさっきと違うところか。声を出そうとしているが思うようにいかず、あわあわとしている挙動を全身でしているようだ。
てかウィルさんにお礼を言い損ねちゃったな。それはまた後で改めて言わせてもらうとするとして――さて、こっちはこっちでどうすっかな……。
「セシリィ。その、『フリード』って人の名前? 「っ!?」俺でもいいのか……?」
しょうがない。このままじゃ埒が明かなそうだし、こっちから切り出していくとしますかねぇ。
折角のセシリィが言いたかったらしい主張だから口出ししたくはなかったけど、これくらいはいいかな。
俺が切り出すとセシリィがビクッと反応して動きをピタリと止める。そして俺をマジマジと見つめると、その次の言葉を待つようにジッとするのだった。
「嫌なら嫌でいいんだ。でも、正直名前がないのが不便なのはウィルさんも言ってたように本当だと思ってたからさ。セシリィがその人と俺が似てるっつーなら……この機会にその名前を借りさせてもらってもいいか?」
「っ!? (コクリ)」
「……そっか」
俺がそう言うとセシリィはゆっくりと小さく、でも確かに頷いてくれた。
直接言質が取れたわけじゃないけど……まぁ最初の一歩だしこんなもんか。意思表示は見れたことだし確定、だな。
仮だけど……今日からは俺はフリードと名乗ろう。その守り神という人の名を。期間限定の、俺が本当の自分の名前を思い出すまでの間だが。
「フリード……俺がフリードねぇ。流石にまだしっくりはこないな。――あらゆるわだかまりを打ち砕いた守り神だっけ? 具体的になんか逸話とかあったりするなら教えてくれないか?」
「(コクリ)」
まだ『フリード』とやらが実際に何をしたという人なのか俺は知らない。その話を聞きながらセシリィの緊張をゆっくりほぐすことから始めるか。
セシリィを俺の寝るベッドに腰掛けてもらうように示唆し、ゆっくり……焦らせないように俺はセシリィの語る『フリード』の話に耳を傾けた。
◆◆◆
――それから約一時間後。
セシリィの『フリード』語りは最初は鈍行を極めた。どうやら話すことに抵抗があったようだが、しかしそれも語る内に忘れ去られたのか今では緊張の糸をほぐし、既に先程のオドオドした姿は見る影もない。それどころか現在テンションMaxでマシンガントークを実演しているくらいだ。対照的な状態に切り替わったといって差し支えないだろう。
そして俺はというと最初から今に至るまでの間、ずっと『フリード』とやらが残していった知られざる逸話の数が自分の記憶に次々と更新され続けるのをひしひしと感じている状態である。聞いている間にとうに喉は渇ききり、胃はこのまま放置していれば穴が開くのは時間の問題かと思われる。
「今もどこかにあるっていうレイフォードって場所はね、その時に出来たんだって。フリード様が一から統治して落ち着いて、死後数百年の間もずっと栄えてた歴史ある場所ってお母さんが言ってた」
「うん」
「それでね、生きてる間にも何度か民族抗争とか革命運動で争いがあったみたいなんだけどね、誰一人として殺さないで事態を収拾したのも有名みたい。それからね――」
「うん。うん」
しかし、一時間前の俺よ……お前の選択はまさに浅はかと言わざるを得んぞ。この状況を見て間違っても違うと、嫌ではないと言えるか? オイ。
「――誰もが絶望したと思われた時、『法術』と『封術』の両方を使って対抗したって聞いた時は驚いたよ。だってどっちかしか使えないって言われてるんだもん」
「……うん。そんなとんでもない奴だったんだナー」
「うん!」
セシリィが嬉しそうな顔で頷く姿に今は俺が緊張してしまう。こうして本調子どころか絶好調になってくれたことは喜ばしいのだが……これは想像以上すぎたようだ。
セシリィの『フリード』という名に込められた期待、これがまたヤベェくらい重くてビビりました。
なんなんだよこの『フリード』って、まさに逸話の中の逸話、聞く限りじゃ守り神どころかマジもんの化物じゃねぇかよ!
何? 天使にしか知られてないけど世界滅亡の危機を一人で回避した? 天使の力以外にもこの世ならざる人知を超えた力を使ってたらしい? そのくせ力の乱用はしないで弱者の味方で在り続けて不殺を生涯貫き通す、他人に優しくとことん自分に厳しいストイックな性格でかなりの人格者だぁ?
フッ……当時俺がそこにいたなら喜んで平伏すわ。三回回ってワンッって普通に鳴いてやるよ。
こんな聖人が人な訳ないやろ! 過ぎた力が身を滅ぼすなら、それでも身を滅ぼしてない出来過ぎた人はじゃあ最早神みたいなもんでしょうが!
褒め言葉で言わせてもらうけどやっぱり頭可笑しいんじゃないの『フリード』さん? アンタは生前は人じゃなくて神か何かの間違いだろ絶対。もう未来永劫ずっと崇め奉られてろよ……!
天使はどちらか一方しか使えないっていう『法術』と『封術』の二つの力。そのどちらも使えて更には極めてたとは……何もかもから恵まれた完璧超人で非の打ちどころがねぇ。
……俺、本当にこの名を名乗っていいのか? この名前ってもう世界共通の永久欠番みたいにしとかないと全員が申し訳なさで自決するレベルなんですけど。ある意味絶対付けられたくない名前ランキングに堂々の一位に君臨するやつですよコレ。
「――お兄ちゃんを見ててさ……なんだかフリード様みたいだなって思ったの。お兄ちゃんも何があっても負けないような……そんな気がしたから」
「(グフゥッ!?) な、なら俺はその名に恥じぬ働きを見せない、とな」
む、無意識のこの追い打ちに胃が裂けちまいそうだわ……!
でもセシリィの期待は裏切れねぇんだよなぁ……。しかもこれ初の期待だし。
ホンットにツイてないな俺ってば。
「ま、任せな。記憶を取り戻すまでの間、俺はフリード、だ。だから大船に乗った気でいて、いいぞ」
「うん……!」
冷や汗がダラダラと流れて心臓は張り裂けそうだったが、セシリィの髪を撫でながら声だけは虚勢を張って意気込むと、セシリィはコテンと俺の胸に頭を乗せてきた。目を瞑ったまま身体を委ねてくる様子にとても訂正の申し入れをすることもできず、そして心臓の音が伝わってしまわないかで焦る焦る。
このセシリィの完全に気を許されている態度は就寝時以上の近さを感じ、これが俺をもう後ろに引けなくさせる引き金となった。
セシリィが本当に安心できる場所として俺を見てくれている。この時、初めてそう思えたのだ。
し、ししし仕方ない。い、一応一度決めたわけだし? き、気持ちだけは目指すよ『フリード』とやらを。微塵も届くとは思わんけども……。
まぁそこら辺、流石にセシリィも俺に望んじゃいないだろうし……な? そうに決まってるよな?
ゴメン、意地張ったこと謝るから誰か助けて。
5/4追記
次回更新は明日です。




