384話 見知らぬ名
二時間ちょっとは誤差だよ誤差(震え声)
遅れてすんません。
◆◆◆
「――う、ん……」
意識は唐突に覚めた。いつ瞼を開いたのかも分からないが、気が付けば茶色一色の壁が視界一杯には広がっている。そしてそれが家の天井だと気が付くのには少しの時間を要した。
……あれ……? 横になってる……?
自分の状態をボーっとする頭でそう捉えるも、身体はまだ起きていないらしく放心した状態に囚われ抜け出せない。何を考えているかもあやふやでどうでもよく感じるだけだった。僅かに五感も目覚めと同時に覚醒し始めているのだろうが、まだ機能しているとはいえない。
「っ!? お兄ちゃんっ!」
「……セシ、リィ……?」
聞き慣れた声がした。慌てたような声のする方に視線だけ向けると、そこにはすぐさま俺に近寄って来るセシリィの姿があった。横たわる俺の間近で屈んでいるからか、セシリィが大きくなったように見えて少し違和感を感じた気がしてしまう。前屈みになったことにより、金髪の髪の毛の何本かはシーツに垂れ落ちて絡まりそうになっていたが、セシリィに気にした様子はない。
「気分はどう?」
「気分? ……ちょっとクラクラするけど……平気だよ。それより、ここは……?」
セシリィはどうやら俺を心配してくれているらしかったが、一方で俺は状況がまだよく掴めていない。ゆっくりと上体を起こして室内を見回すと、すぐには浮かんで来ないがどうやらどこかで見たばかりの光景が広がっているようではあった。
「ウィルさんが貸してくれた家だよ。あの後、お兄ちゃんを寝かせに戻ってきたの」
「寝かせに……?」
へぇ、俺寝ちゃったのか――ん? それっていつだ? それまで何してたっけ……確か飯食ってそれから――。
「っ、そうだ!「わっ!?」ウィルさんは!? 俺、多分飲み物に何か入れられて……!」
朧気にあった記憶を頼りに直前までの出来事を振り返ると、一気に寝る直前までの記憶が蘇って鮮明に思い出せてきた。
そうだ……淹れてもらったあの一杯を飲んで俺は……!
「何かされてないか!? 大丈夫なのかセシリィ……!?」
「い、痛いお兄ちゃん……!」
セシリィが起きるまでの間に何かされてないかが心配になり、俺は思わず肩を強く掴んでしまった。ビックリしたセシリィが反射的に声をあげたようだが、この時の俺にはそんなことは気にしてはいられなかった。
――当たり前だ。眠っている間、セシリィは完全な無防備状態だったのだから。野営中にしていた対策をしているならまだしも。
丁度そのタイミングで――。
「入るぞー……ってあれ!? アンタもう起きたのか?」
「っ!? ウィル、さん……!」
俺がこの状態に陥った原因の主犯が、家の戸を引いてズカズカと家に入り込んでくるのだった。
「目覚めはどうだ? まぁ流石に良くはないに決まってるから……まだクラクラすんなら取り合えずこれでも噛んどけ」
「っ……!?」
会っていきなりの、まるで俺らの間に大したことがあったわけでもない――。ウィルさんの態度はそんな印象を俺に植え付ける。そして俺の容体を全て把握しているような思わせぶりなことを言うと、口を挟む暇も与えないで何かを摘まんでいる指を俺へと見せてきた。
……なんだ? 何かの種、か……?
「オイオイ、そう睨むなっての。セシリィちゃん、何とかしてやってくれないか?」
「お兄ちゃん、あのね? ウィルさんは――「いや、面倒だな。モノは試しだ……ホレ!」
「むぐっ!? うっ……!」
苦笑いしながらウィルさんはセシリィに一時頼み込み、セシリィは何故かそれに応じようとしていた。だが急にその素振りを取りやめたらしく、摘まんでいた何かを親指で弾いて一直線に俺の口へと撃ちだしたようだ。この時、セシリィがウィルさんに従順になっていることに俺は意識が向き、ウィルさんから視線を外していた為反応が遅れしまった。
突然飴玉サイズのものが綺麗に喉元を一瞬叩いて吐き気を感じたものだが、どうにかブツが口内に戻った頃には別の感覚でそれどころではなくなってしまう。ブワッと身体中から目に見えぬ僅かな汗が湧いたのを感じる。
「か、辛っ!? え、ちょ、何だコレ……!?」
「眠気覚まし代わりに僕らはよく使うんだ。後味も残らないから料理に使ったりもする。一気に目ぇ覚めるだろ?」
舌が焼けるように、既に焦げ目が付いたかのように熱くなる。汚いのも気にせず思わずブツを口から吐き出して掌の上でマジマジと見つめると、茶色い見た目からはこの辛さは想像もつかない、なんてことのない植物の種が転がっている。
その辛さはまるで口に劇薬をぶちこまれて炎症を起こしているかのようであり、熱さを痛さと錯覚するのと変わらない程だった。耐えられない程じゃないが……ただキツイ。
「一気に顔真っ赤になったなぁ。――で、寝起きの感想は?」
「っ……! 最悪ですね……!」
「そうかそうか、最高か。お礼はいらないから安心してくれ」
こ、コイツ……! 聞く耳持ちませんとはいい度胸だ。お礼してやろうか? 物理で。
寝起きで口の中が火を噴いてしまえば眠気が残るわけもない。今度は一気に脳だけでなく身体全体が目覚めたように熱を帯びていく。
「お兄ちゃん水あるから……!? ハイ……!」
「ありがと……!」
気を利かせてくれたセシリィから水の入ったコップを渡され一気に口に含み、喉ではなく口を潤してから飲み干す。一瞬熱は緩和されたものの効果は薄く、しかし幾分か熱はマシになったように思う。
熱さと痛さの残る刺激で目に涙が溜まり始め、痛みに口元を抑えているとウィルさんはいつの間にか椅子に腰かけて話しかけてくる。それまでは飄々とした様子だった筈が、ここで急に真剣な雰囲気を纏って。俺もこの様子には小言を言うよりも前に違和感が先行して口を噤むしかなかった。
慌ただしくなりそうな空気が一度落ち着いた――。
「さっきは無理矢理寝かせて悪かったよ。もう気づいてるか?」
「……ええ。さっき、飲み物に何か入れてましたね?」
「ご明察。ここらじゃ割とよく使われる方法だったんだけどな。――でもアンタそうでもしないと無理し続けるタイプの人だろ? ま、予想してた通り案の定だったわけだが……」
「……?」
予想通り……?
「言ったろ? 目を見ればそいつのことは大体分かるって。それにさっき結構色々と話もしながら確信したのさ。――アンタはどう考えても根っからの善人だよ。それも自分を厭わないタイプの。セシリィちゃんすっごく感謝してたぞ」
「は? へ? ん?」
何が、どうで、こうなってんの? 何の話だそれは。
……はい……?
無言でウィルさんを控えめに指差しながらセシリィに無言で意味を尋ねるも、セシリィは落ち着き半分、照れ半分な態度を見せるだけだった。この場で俺だけがこの空気と展開についていけていないようである。
そのまま……ウィルさんの語りは続く。
「こっちの早とちりで一応身体に本当に怪我らしい怪我がないのは悪いがさっき診させてもらったよ。けど、流石に疲労は溜まってたみたいだし、身体は正直だったのが浮き彫りになったな。さっき飲み物に入れた薬はさ、疲弊してる奴にしか即効性はないんだよ」
「疲弊してる奴、だけ……? じゃあそれって……」
「ああ。アンタ寝るまでが早すぎてこっちが逆に驚いてたんだぞ? 身体……相当疲れすぎてる証拠だ」
俺が眠った原因はやはり盛られていた薬による影響だった言質は取れたが、その薬の効果は俺が疲弊していたことが最大のポイントらしい。特に寝ている間に何かされたというわけでもなさそうで、ならわざわざ寝かせられたのかの理由が俺にはまだ分からずじまいではあったが。
――いや、セシリィの様子的に悪意とかそういう気配がなさげなのは一先ず分かった。でもそれよりも俺の身体を診たって……。
じゃあ腹にある傷……見られたのか。
「……」
「あー……その、すまない。そんなつもりはなかったん、だけどさ……。傷……見ちまった」
気が付けばいつの間にかボロボロになっていたローブは外され、俺は現在シャツ一枚の状態になっている。寝ている間にローブを器用に外せるはずもなく、意図があって外部の者から外されたのならこうなるのも分かってしまった。ウィルさんがここで気まずそうな表情になっているのも、俺が無言になっているのも、だ。
どうせ意味はないだろうが念のためセシリィを見てみると、こちらもウィルさんと同じような反応をして困り果てている様子である。
見られたんなら……まぁそうなるか。セシリィにはなるべく見られないように隠してきたってのに……。
こんな傷……口には出さないだろうけど見たらドン引きに決まってる。
「相当な修羅場潜ってたんだろうな、アンタ。あの傷を見たときは正直驚いたっていうか……悪い、背筋凍っちまったよ」
だろうな。俺も当初似たような感想を抱いたもんだ。それが正しい。
剣で刺されたような大きさの傷痕。背中から腹を貫通しているような、恐らく致命傷になり得る程危ない傷痕は見たら怖気づいても仕方がないことだ。痛みはないが蚯蚓腫れしたように見える不完全な治癒痕も気味悪さに拍車を掛けてしまっていることだろう。この要素は正直得体の知れなさしかない。
俺もこれに気が付いたのは旅をして間もなくの時だった。この痕はまさしく俺が想像もつかない環境下にいたことをその身に刻んでいるようなものに近い。
多分、セシリィとは違った意味で俺自身もヤバい認識を持たれかねない。
「……勝手に見たんなら自業自得です。堪えてください」
「ああ、戒めにさせてもらうよ。悪かった」
まぁこの人に限って言えば、そこら辺はある程度寛容で気にはしていなさそうなのが幸いか。
――が、ホントだよ全く。寝ている間に人の身体を診るだなんて……俺だったからいいものを。これがセシリィとかだったら容赦なくぶちのめすだけに留まらない案件だぞ。
「見られたんならそれはもういいです……。それで? なんで俺を眠らせたりなんかしたんですか。セシリィの様子を見れば何か悪意があってこんなことをしたってわけではないんでしょう? ……そこら辺、理由を聞かせてもらいたいもんですね」
俺が疲れていた様子を知ったからといって、俺を寝かせた理由が全く分からない。やるからには何かしら理由があったはずだ……。
一見ウィルさんは飄々としているので分かりづらいが、村では立場的には上にいるような節を先の会話でそれとなく聞けて判明しているのだ。必ず、何か理由はあるに違いない。
「ああ……それな。さっきも言ったけどアンタは無理し続けるタイプってのが分かったからさ、急ぎの旅ってわけでもなさそうだったから休める時に目一杯休んどけって思ったんだ。……寛いでもいいとはいってもアンタは遠慮しそうだったしな?」
そりゃそうだろ。腰を落ち着けられて気が緩んでいたとはいえ、人様の生活領域で目に余る羽目の外し方なんてできるわけないだろうに。村の人が畑やらに出て働いている中、余所者が何もせず好き勝手やって羽目を外してたらいい気持ちはしないし。
……まぁ既に爆睡という失態を犯してしまった身で今更ではあるけどな。それもこれも全部ウィルさんが悪いから今は気にはしないが。
「……」
「……」
…………ん?
「……あの、それだけ?」
「え? それ以外に理由いるのか?」
身構えていた無言の時間の長さはそれなりにあり、張り詰めた空気を感じていたのは俺だけだったとでもいうのか。それを見事に粉砕していく、まさにウィルさんという人物への読みの甘さ極まる思い、今ここに。
理由それ以上ないんかい。やっべ頭抱えたくなってきたわ。
というか本心で言ってんならアンタも相当アレだな。筋金入りの真人間じゃねーか。
やっぱりこの人、良い人すぎて逆におかしいレベルだ。それがちょっと手段と思考をおかしくさせてるのかもしれないと思う程に。
「理由? う~ん……まぁ結果的にだがそうでもして時間潰してくれないとこっちが困るってのも理由っちゃ理由、か……? なんせただ生活してるだけで村には何もなくて見るとこもないし?」
「な、ないならいいです……」
何故に疑問形? 知らんがな。この果てしない優男め。その尻尾モフるぞこの野郎。
あの、理由は無理して作らなくてももういいんで。その天然で優しさ溢れてた気持ちだけで理由としては十分すぎたんで。それ以上気にせんでください。
ウィルさんがガチで無害だってことに今こっちも身を持って確信持ったんで、だからそんな縮こまった子犬みたいに困った顔しないでくだされ。アンタ狐ですけども。
「そうか? ならいいんだが……。――それより、眠っている間セシリィちゃんから色々と聞いたぞ。二人のこれまでのこととか、アンタのこととか、セシリィちゃんの個人的な話とかさ」
気を取り直したように、俺が警戒しなくなったのが分かったからなのか。ウィルさんが話題を変え、俺の空白の時間の出来事を話し始める。
ほう? 割と結構俺らのことは話したと思ったんだが、寝てる間に更に色々話したのか。というかセシリィの個人的な話ってなんぞ? 私、それ気になるんですけど。
「聞いてて飽きなかったよ。セシリィちゃんも結構多彩なのな? まさか大人の僕が色々教えられるとは……この歳で生きていくための知恵が十分備わってるのは凄いことだ。それにアンタもアンタだよ。セシリィちゃん抱えてこの高い森の上を飛び回ってたとかとんでもなさすぎるだろ。一体その身体のどこにそんな力があるんだよ」
HAHAHA! それな。
できることならそう笑い飛ばしてやりたかった。でもウィルさんが俺を見て苦笑するのに対し、俺はスッと視線を逸らすことを選ぶ他なかったが。これが冗談ならともかく、流石に人外みたいな真似が知られ、それを思い切ってYesと肯定できはしない。
直にぶつかり合ったからこそ、多分俺が演武の時本気じゃなかったことにウィルさんは気が付いているだろう。どれだけその差を把握しているかは知らないが、それがにわかには信じがたい事実を信じさせることに繋がっているように思える。
――ちっ、まぁ御託はいい。そんなことよりセシリィの個人的な話とやらはまだか? 俺には女子が恋バナで盛り上がるくらいそっちの方が気になるんじゃい。
あとセシリィの凄さはもっと褒めていただきたいものだ。この娘マジで凄いんスよ、一家に一人欲しいくらいに。絶対あげませんけどね。
「僕がアンタに敵うはずがなかったわけだ。確かにその強さ……そしてその人格なら、聞いた『フリード』って名はアンタにピッタリだと思うよ」
『フリード』って……誰? それにピッタリとは?
聞いたことのない、ウィルさんが口にしたその名はこの時では知る由もない。
突拍子もなく初めて聞いたその人物の名が名無しの俺に合っているとは一体どういうことなのか? ウィルさんの視線の先を辿って目の前のセシリィがその答えを知っていると察し……俺は理由を求めて返答を待つことにした。
※4/28追記
次回更新は今日です。




