381話 最強の宿命
「……」
「別に演武はそんな本気で身構えるようなモンでもないから安心してくれよ。肩に力入りすぎだろ」
俺が身構えた姿に苦言でも呈するように、ウィルさんが苦笑しながら言ってくる。
だったらその手に持ってるナイフを一旦下げてくれないですかね。それがあるかないかで緊張感がピンキリなんですがそれは……。
「凶器構えた人に安心しろって言われても無理があるんですけどね。というか後からこんなこと言われても……もう既に村に訪れちゃってるから断れないじゃないですか」
既に村は目と鼻の先。まだ入っていないというのは中々に難しい状況である。更には最初出会った段階で村に行く云々も言ってしまっているため、この割と強引な展開をする人相手に今更断りが通じるとも考えづらい。
これでは知らぬ内に既成事実を作られていたのと変わらない。思わず重い溜息が出てしまっても仕方のないことだと思う。
「まぁそこはあれだ。えっと……気にするなって」
気にするわ。確信犯が何を言うか。
「これがアニムのお楽しみの一つでもあるだろ?」
どんな楽しみやねん。楽しいのはアニメの間違いだろうに。
「小言はいいからサクッとやって終わらせよう。な?」
ハイ、サクッと殺って終わるんですね。分かります。
いやまぁ……なんか腑に落ちない点しかないけどさっき必要以上に疑っちゃった罪悪感もあるし? 悪意がないなら妥協はしますから断りませんって、取りあえずは。
しかし悪意ゼロの手合わせとはなんて厄介な。しかも初対面の人相手に。
考えによってはここ最近は獣の相手ばかりで偏っていたのは事実だから……人との対峙の仕方に触れておくには丁度いい機会ではあるのかもしれないが……。
「ごめんなさいね。命のやり取りをするわけじゃないし大事にはならないのは保障するのだけど……形だけでもこの馬鹿にちょっと付き合ってやってくれる? アナタも弱ってるのは分かってるつもりよ。けどコイツ一度決めると頑固で聞かないから……」
「そういうことだ」
ウィルさんの後ろで両手を腰に添えたミルファさんが、俺に申し訳なさそうに頼み込んでくるとウィルさんもそれに便乗する。
ミルファさん的にはウィルさんの性格を身近でよく知っている故にだろう。察するに本人はあまり好ましいとは思っていなさそうだが、過去にも似たことがあったからこその発言であるのは容易に分かってしまう。
それでも、とんでもないこと言っていることは間違いないのだが。これは惚れた弱みというやつだろう。
あとウィルさんはそういうことは自分では言うな自分で。長所ならともかく、それはアンタの短所で反省すべき部分だろうが。そこは肯定されてねーから。
「……はぁ……なんでこうなるんですかねぇ……」
くっ……駄目男が夫なら嫁の方も感化されてるとでもいうのか。この駄夫婦め。
「ちなみに拒否するっていうなら……僕が凹むからな。アンタが村にいる間ずっと不貞腐れてやるからな」
「どんな脅しですか」
なんじゃそら。てか別にやらなくても村に入れてくれるんじゃねーかよ。なんて不毛なイベントなんだこれ。
「ついでに期待してたのに裏切られたって、これから先偶にアンタを思い出してちょっと呪うからな」
そこは一生じゃないんかい。なんだよ滅茶苦茶良心的じゃねーか。
一時の休息のために、今後会うかも分からないしょうもない一人に時折恨まれるだけとは……めちゃ安いモンなんですけど。
というか期待して裏切られた気分なのはこっちも一緒なんですが。
俺に向かって脅し紛いの発言をしまくるウィルさんはムキになっているような、それか焦ってもいるようにも取れる言葉遣いでこちらを捲し立ててくる。
その姿に俺は悪意がない人が悪意あるフリをするとこうなるんだなと、なんとなくそんな感想を抱いてしまう。普段言わないことを言うのは案外難しかったりするのでそういうことかもしれない。
「……いいですよ、受けましょう。言っておきますけど一回だけですからね」
「よし! 聞き分けが良くて助かるよ。アンタやっぱり良い人だ」
無理矢理言わせといて何言ってるんですかねぇ。ミルファさんが言う通り、確かに調子良い人だなアンタは。
ただのお人良しなだけだと少し思ったけど、それでもやはり俺の感性とどこかズレた常識の違いはあるにはあるってことが分かったのは幸いか。ここらの地域には地域特有のルールがあることも分かったし、俺も当初感じた弱肉強食の地って感覚は当然そこに住んでる人達の中にもしっかり根付いていると……。
でも掟だってんなら受け入れてやらぁ。俺も第三者からの世界の情報はどうにかして欲しいところだし、ここまで友好的? なら大抵のことを聞くのも困らない可能性は高い。だったら悪意のない演武って話だし俺も気にせず相手をしよう。
悪意なく後悔させてやろうじゃないの。
「セシリィ、ちょっと離れてな」
演武は明らかに戦いのことを指している。それならセシリィを後ろに下げる必要がある。退避を促すために引っ付いたままのセシリィを見下ろしてみると、顔を上げて既にセシリィは俺を見ていた。
「大丈夫、だよね?」
「当たり前だろ? ガチじゃないならそんなに心配要らないから。いつも通りお兄さんに任せときなさいって。――俺は強い。知ってんだろ?」
「……うん……」
不安そうなセシリィの頭を一撫ですると、セシリィはそのまま後ろにそそくさと離れていく。
これまでの旅の中でセシリィを危険に晒さなかった自信が俺にはあるし、それはセシリィも分かってくれていることだと思っている。例え不安には思われていても、俺の力を信用はしてくれているからすんなり離れてくれたのだろう。
だが――これではまだまだ足りない。
そのためにも、セシリィの前では俺は絶対に誰にも負けられない。
セシリィがある程度距離が離れたのを確認してから、俺も既に構えを整えているウィルさんに向けて構えを取った。ウィルさんの尻尾や耳は別段変わった動きもなく平常心を保っており、重い必要のないらしいこの演武をどうもその気にさせてくる。
記憶を失くす以前の俺は常に戦いに身を置いていたとでもいうのか。嫌ではあるが、これを日常のように感じてしまう。
「変わった構えだな?」
「……我流なので」
俺がウィルさんを観察できたのならそれは向こうとて同じこと。
ウィルさんから言われたことはご尤もかもしれない。正直自分でもそう思える程なのだから。しかし、それでもいつも気が付いたらこの構えを取ってしまうのだ。両手を重なりあわせるようにして口元を隠し、片方の肘を相手に向ける構えを。
色々と他の構えらしい型も試してはみたが、これ以外の構えはどうもしっくりこなかったし、俺に最も適しているのがこの構えなんだと感覚で分かる。それは獣が相手であろうが人が相手であろうが変わらないらしい。
やっぱり……これは俺なりの万能の型ってとこか。
「それで演武の決まりごととかは? あるんでしょう?」
「そいつなんだが……まず一対一の近距離でのぶつかり合いが必須だ。これは獣神が緊迫した展開を好むって言われてたからでな。絶対守ってくれ」
ほぅほぅ。流石脳筋獣神様、随分とお考えがキマッてらっしゃる。
距離を取った戦いは血沸き肉踊らないとでも言いたげだな。俺はそうは思わんけど。
「軽傷で済むなら激しく組手を交わしても構わないが、何があっても命を奪うのはもっての外だ。この村も一昔前は決闘も兼ねてて死ぬ人もいたらしいんだが……流石に禁止になってな」
は? てことは緩和されてこのルールってことか? なにそれ怖すぎませんかねぇ……。掟で死ぬなんて俺は嫌ですわ。
「だからといって手加減はしても相手をいたぶるような卑劣極まる行為は厳禁だ。そう見られた時点で演武は即中止。それ以外の演武の終わりは相手を屈服させるかお互いが満足するか、または第三者による静止が入るまで……ってことくらいだな。それが演武の簡単な取り決めだ」
曖昧だな――いや、死人を出すことを防いだことでこうなったのかな……。多分、以前までは力ある限り死ぬ気で戦り合えとかそんなのだったんじゃないだろうか。
取り合えず……紳士的に真剣に相手と向き合えばいいんですね。そう考えると割と普通な気がする。
「あとはそうだな……えっと……」
一応はミルファさんの言ってた通り演武のルールが緩いことに安堵すると、そこでウィルさんが首を忙しなく動かしては足元に落ちていた石ころに目を付ける。この時のウィルさんが自然に拾い上げる動作に俺は大した疑問を持つことも無く、これはまだ説明の途中でただの意味の分からない行為に過ぎなかった。
ウィルさんは拾い上げた石ころで軽く遊びつつ適当に観察していたかと思えば……何を思ったか急に上に放り投げる。全員の視線が上に向き、石ころに視線が注がれる。
やがて空を突き進む石ころが早くも途中で静止し、来た道を戻り始めた時だった。マジマジとただ見つめていた俺に、ウィルさんは突然言う。
「……?」
「ま、そんじゃそろそろ始めるか――演武開始のタイミングは「お兄ちゃんっ!」石が落ちた瞬間だ!」
「「ちょっ!?」」
うわせっこ!?
ポスンと石ころが地面で弾んだ音がした時、既に不意打ちを食らっていた。唐突な演武開始の知らせは俺のみならずミルファさんにも予想外であったらしく、俺らは同時に戸惑いの声を口にしていた。
この時はあまり気が付いてやれなかったが、いち早くセシリィはその意図を察知して知らせてくれていたようだ。しかし、伝える速度と開始タイミングが絶妙に重なってしまったが。
「シッ!」
「っ……」
ウィルさんは地を蹴って俺に直進してくると、ナイフを持った手で殴りかかる様に襲い掛かってくる。俺が一歩退いてやり過ごすと、その動きは想定済みであったように連撃へと繋げ、そのまま踏み込んだ脚を軸に回し蹴りが横に飛んでくる。
「ウィル本気出しすぎでしょ!? ――って嘘……!?」
「……」
「オイオイ……マジか……」
ウィルさんの回し蹴りを、右手で支えた左手で真っ向から受け止めると、その状態でウィルさんの動きがピタッと止まる。その時俺は鈍い音と衝撃が骨に震動し、その後から軽く熱を帯び始めていくのを感じていた。
「……卑劣な行為は厳禁じゃなかったんですか?」
「戦いで勝つために相手を出し抜くのは当然だろ。負けられない戦いの時、アンタだって試行錯誤するはずだ。それと一緒さ」
知略を張り巡らせて勝利を掴みとる……内容がどうであれ要は捉え方の違いみたいなもんか。一理ある。
紳士的って思い込みは俺のミスだったか。
「そうですか……! なら今のは細かいルールの実演をしてくれたこととして捉えますよ」
「おおっとと……!? 案外力あるのな……」
受け止めた足を軽く押し返すとウィルさんとの距離が再び開く。
森で相手にしてきた獣共とはまるで比較にならない速度と動き。この獣共との明確な違いはこれまでにはない真新しさがあり、そして新鮮だった。
恐らくこの様子だと近場ならウィルさんは敵なしだと思われる。この森で生きていく分には全く困らない程申し分ない実力を持っているのは今分かったし、ただ正面からぶつかるだけじゃないタイプであることも。
「不意打ちにまんまと引っかかって尚その対応と落ち着きか。……アンタ、相当やるんじゃないか?」
「……ええ、そうですね。正直自分でも驚いてますけど」
「ハハ……食えない奴だなアンタ……! ――なら話は早い、本気で舞わせてもらうぞ!」
一時目を丸くしたかと思いきや、再び構えながら目を鋭くして集中し始めるウィルさんの気配が変わった。尻尾と耳の毛を震わせて逆立たせると、口元から僅かに覗けた八重歯がいやに光る。
初撃に関しては最低限の配慮としてお手並み拝見の意味で加減でもしていたのか、本人が言った通り構えに隙が見当たらなくなっていく。
どうやら初撃を防いだことでウィルさんの警戒心を上げてしまったようだ。
ただ……ウィルさんとミルファさんが俺に驚いているのと一緒で、俺も驚いている。そんなウィルさんを相手にしても、これまで見てきた獣達と大した違いがないと感じてしまっている自分に。
恐らく今使っていると思われる力を目の当たりにしても、何も変わらないことに。
「『身体強化』ですか」
「ああ、獣人にはこれがあるからな。アンタ強そうだし早速だが使わせてもらった。――んじゃ、行くぞ!」
俺の答えを待つよりも前にウィルさんが動き出す。
『身体強化』――それは一時的に自らの身体を強化し、戦闘能力を飛躍的に高める獣人のみに許された力。
俺はこの力のことを知っている。相手との実力が五分であるなら一気に格上に成り代わることすらできてしまえる程、獣人には当たり前だが俺ら他種族からすれば反則的な力だ。これが俺にも使えたらなと何度思ったことか……。
「どうしたよ? アンタまだ本気だしてねぇんだろ? 見りゃ分かんぞ……!」
最早まるで別人と言ってもいい。初撃で認識したウィルさんに対する情報は無いも同然に近い。
肉体を酷使して吐き出されて聞こえてくる力みの数とは対照的に、突きや蹴り、ナイフを一振りしてくる数が一致しない。一つ一つの挙動が目まぐるしく目に映り、一回の行動で何度も行動しているかのようである。
――尤も、ウィルさんの能力が上昇したという事実そのものが結局は俺にとって意味のないものに変わりはないのだが。
これもきっと俺が凄いわけではなく……恐らく異常なだけなんだろう。人と相対することそのものが間違っているんじゃないかとさえ思う。
「やっぱいいよな! こうやって思い切り直接身体をぶつけられるってのはさ!」
攻撃の手を緩めずに動いたまま、ウィルさんが楽しそうに俺に言葉をぶつけてきた。あっちこっちから聞こえる声は耳を騒がし聞き取りづらいが、なんとも楽しそうでなによりである。
「ホラ、早くアンタも仕掛けてこい……! 一方的な演武をやったってつまらないだろ?」
極力動くことはせず片足を軸に立ち回り、延々と右腕と左腕を使って攻撃を捌いていると、まだこちらから仕掛けない俺にウィルさんは待ち遠しそうさを匂わせ言ってくる。こちらの本気を早くみたいらしく、演武を抜きにしても興味があるのを抑えきれないようであった。それ故に、なんだか動きに子どもがはしゃぐような無駄があるような気がしてならないのは気のせいか……。
――なら丁度いい。もう十分だ……俺も今後力をどれくらい出せばいいのか大体決まったところだ。そんなに本気が見たいなら一瞬だけ見せてやりますとも。
どうせ俺の力は今後隠し通し続けられるものじゃないのはウィルさんと以前一蹴した例の連中で見当がつく。余りに力の差がありすぎているのは俺の過信ではなく事実であることは確実……過ぎた力は必ずどこかで露見し、バレるのは今の予想外の展開に巻き込まれたことからも目に見えている。今みたいに人の目がそれ程ないならまだいいが、町や都市ではこうはいかないかもしれない。
だったら極端に力を抑えておくよりも最初からほんの少し本気を出してしまった方が良い。俺としてもそっちの方が気が楽だし、下手に神経を張り巡らせて思わぬところで力が暴発するよりかはマシだ。しかも傍目からすりゃ小さい子を連れているわけで、セシリィと一緒にいることを不審に思われるリスクも減るはず。
「そらっ!」
鈍い――!
「なっ!?」
突き出されたナイフを今度は弾くのではなく、リスクを背負って指の隙間に通すことでウィルさんの拳を直接握って動きを止めた。俺が只の防戦一方から急な反撃に転じたことでウィルさんの動きに迷いが生じたらしく、ただ力任せに逃れようと足掻いたのは悪手だ。この時点でもう逃れることはできないし、無防備をさらけ出しているのと変わらないようなものである。
「もう、いいですか?」
「ウッ――!?」
握られた拳を振り払おうとするウィルさんに向かって、今度は俺がウィルさんの答えを待つよりも前に仕掛ける番だ。
暴れようとする拳を無理矢理抑えつつ、掴んだ拳を後ろに引いて前のめりになった瞬間に手放し、もう片方の手で胸倉を叩く勢いで俺は掴み上げた。一瞬漏れた苦悶の声は気にせずそのまま一歩だけ踏み出し、身体全体を使ってウィルさんを下から浮かせるように割り込ませながら両足を宙に浮かせ――腰と腕と足の三つを使ってウィルさんを一回転させて投げ倒す。
「っ……!」
始まりが唐突なら終わりも唐突でもいいだろう? 取りあえずお望み通り本気は見せたぞ。
ウィルさん一人による雑踏染みた音がパタリと消え失せ、辺りがシン……と静かになる。
仰向けに伏したウィルさんの手からはナイフが落ち、硬直したように瞬きも止めて静止している。その姿は何が起こったのか分からないといった様子であり、ウィルさんの瞳は至近距離にいる俺を見ているわけではないようだった。ただ、目の前だけ見ながら何も見えていない状態と言えるだろう。
外で敷物はないからちゃんと受け身は取れるように配慮したし、俺も手は離さないでそのままだから見た目よりもそこまで痛くはないはずだ。
服も破けてないようだし……仮に伸びててもそこは許して欲しいところだ。
「「……」」
「……セシリィ。だから言ったろ? 問題ないって」
「……あ……」
外野で相対風景を眺めていた二人も何も口にしてこないため、取りあえずはセシリィに向かって先の心配を払拭する意味で声をかける。すると、マジマジとした見ていただけの瞳が次第に明るくなり、笑みへと変わっていくのが分かる。
「な?」
「……うん……!」
今後もセシリィにはこの笑みを絶やさないで欲しい。セシリィが笑いかけてくれるのは俺も嬉しいし、それだけ俺が頼りにされる指標にもなる。またこの娘を一切の危険から遠ざける自信にも繋がる。
演武だろうが本気の戦いだろうが、仮にそれが遊びであろうが関係ない。俺がセシリィの前で負けることはできないだろう。
「俺の勝ちです。まだ足りないならこの同じ結果を何度でも叩きつけますけど……どうしますか?」
だって俺が負けたらセシリィが危険に晒される可能性があるということに他ならない。そんな不安をこの娘に植え付けるわけにはいかない。
セシリィがいる限り、俺はこの娘にとって最強で在り続ける必要がある。そのためなら力が露見して恐れられるリスクは優しいものだ。死ぬ可能性が生まれるかもしれないセシリィの恐怖よりも断然、な……。




