379話 遭遇
「ッ――!」
「セシリィ!? お、オイ……」
獣人の男性の登場により、セシリィが咄嗟に俺の後ろに隠れて服を引っ張ってくる。その極端な動きはやはり他人と会うことは怖いらしく、自分の正体が露見してしまわないか不安で仕方のない様子の表れであった。
セシリィからすれば外に出てから出会う初めての人ということになる。未知との遭遇に似た状況は急に心の準備もなく遭遇したことで、セシリィの心を盛大にパニックに貶めていた。
――まぁ勿論、それは俺自身にも言えることではあるのだが。
俺も心臓が耳にまで震動して音が伝わってくる勢いで激しく暴れている。背中にくっついているセシリィもこのことに気づいているかもしれないが……俺がなんとか立ち回らないとな……!
「ん? その子人見知りでも激しいのか? ならいきなり出てきて悪かったな」
身体が熱くなっていくのを感じながら俺は謝って来る男性の全体を見て確認する。生やしている黄色模様の狐のような耳と尻尾は特に動いて反応はしておらず、男性が至って素面でいることは明白だった。一応はまだそこまで不審に思われてはいないようである。
人と会うことを目的としている以上、セシリィには翼が見えてしまわないようにカモフラージュの意味を兼ね、余っていたローブを身に付けて貰ってはいるが……あくまで手元にあるもので賄っただけの代用に過ぎない。背中辺りを触られてしまえば気づかれてしまうし、至近距離で見られても僅かに隆起したように見えるために危ういことこの上ないのは変わっていない。
なるべくセシリィへの意識を遠ざけつつ、友好的に接することを心掛けろ、俺!
「え、えぇまぁそんなとこです。……すいません、この子も直そうとはしてるんですが……」
セシリィの行動の理由を不自然なく伝えて会話を繋げる。自分でも声がいつも通りに出ていないことがすぐに分かり、緊張しているのだと嫌でも思ってしまう。そして土壇場で肝の据わっていない自分に舌打ちをしたくもなった。
「そうだったか……。おう! 気にすんな。むしろ知らない奴から声掛けられて警戒してんだから正しいだろ。見知らぬ輩は只の獣と変わらんしな、ハハハ!」
「そう言っていただけると助かります」
若干上ずってしまう声を矯正し、不審を抱かれぬように取ったコンタクトはまずまずといったところか。男性は誤った点はどこにもないと言うかのように中性的な声で陽気に笑うと、まるでこっちの焦りも晴れていくような気がし、なんだかこちらが一方的に緊張していていることすら馬鹿に思えてきてしまう。
良かった……セシリィの態度はさほど気にしてもいなさそうだ。第一印象で不審がられたら面倒だったかもしれないし助かった。
「僕はすぐ近くの村に住んでるモンだ。……そんでアンタらは? まさか旅……って感じでもなさそうだけど?」
「村が、あるんですか……!?」
何故俺らがこんなところにポツンといるのかは当然の疑問だろう。旅という予想は正解であったものの、可能性が低いと判断されてしまって少々惜しい結果なのは置いておく。
俺はというと、そんなことよりも近辺に人の住まう村があることに驚きで思わず声を出してしまっていた。
「ああ、少し歩いた先にな。へんぴなところで小さいしなにもないけど」
し、知らんかったわ。危ねぇ~、通り過ぎるとこだった。
うっかりでは済まされないミスを犯す手前でのこの救済には感謝しかない。ここで逃していたら冗談抜きで途方に暮れていた可能性すらある。
「人の声が微かに聞こえてきた気がして見回りに来てみたんだが……正解だったみたいで良かったよ。アンタ随分弱ってるみたいだしな?」
「え?」
と、ここで男性が俺の容体に何故かホッと肩を撫で下ろしている。そこで自分の身なりがつい今しがたの一件で貧相になってしまっていたことを思い出し、成る程と納得する他なかった。
あちゃー……これはお恥ずかしいところを。そりゃ勘違いされるわ。
「目元に隈が出来てるし服も随分とボロボロ……。後ろの子の様子を見ればアンタがこれまでどんな生活を送ってたかはなんとなく、な……。ここら辺の獣は見境なく人を襲ってくるからむしろよく無事でいられたと感心するくらいだ。いや、運が良かっただけと見るべきか……」
腕組みして同情している素振りを見せる男性は俺らを一度褒めたと思いきや、ただ俺の服装の貧相さに加え健康状態を見てその考えを改めたようだった。確かにこの穴だらけになった服を見てしまえば思い切り安全に過ごしていたとは思いづらいはずであるし、実際にここのところ夜更かしが続いていて寝不足なのは事実でもあった。
でもすいません。服に関してだけはこれは今朝のしょーもない戦争でできただけで大したことでもなんでもないんですよ? 面倒だから言わないけど。
あと奴は獣なんかじゃありません。奴はキング・オブ・ザコです。そんな雑魚に私は滅茶苦茶にされたんです……うぅっ。
「なんか放っておけないな……迷惑じゃなければ僕らの村に一度来るか? ここじゃ落ち着けないだろうしさ」
辱しめに遭ったか弱い俺は若干勘違いされたままであることをこれ幸いに思いながらも、この非常に危険極まりないが非常に有り難くもある申し出に俺は運が良いと思った。
お兄さんグッジョブ! そして悲鳴を上げて無意識のSOSを送った俺はもっとグッジョブ!
朝の戦争は無駄じゃなかった。
「……(コクリ)」
だがこの善意を受け止めるかどうかを決めるのは俺だけの判断ではいけない。俺の背中から男性をそっと覗くセシリィに俺はアイコンタクトを取ってみると、ほんの小さくだが頷いたようだった。
◆◆◆
見慣れていた小川上りが遂に終わり、道を逸れてまた緑一色の見飽きた世界を再び歩く。後戻りした気持ちのようにも思える光景だが、確かに前に進んでいることの証明として今は初遭遇した人物が共にいる。
先の会話でこの前人族が俺とは別に訪れたことを匂わす発言があったからなのか、男性は警戒心はそこまで持っていないらしく向こうから友好的に近づいてきてくれた。今も俺らに無防備にも背中を見せて案内をしてくれているので、不用心ではあるが危険性は必要以上に感じることはなさそうである。セシリィの反応からしてもそうで、ずっと俺の服を掴んで離れないのは変わらないものの身体の震えは止まって今は安定していることも後押ししている。
察するにこの人の心を視て見定めをしたのだろう。まだ継続しているみたいだが、どちらにしろセシリィにとってはこれまでに殆ど出会ったことのない身内外の存在である。警戒心と一緒に興味もあるのか先程から揺れ動いている尻尾を目で追い掛けているようにも見える。
「(会う人会う人が危険かどうか分かるってのは楽なもんだな……)」
実際にセシリィがどの程度まで把握しているかは不明だが、この心を視る力が冗談抜きでチート級に便利なのは分かる。自分のことだけを考えれば危機回避能力が凄まじい域にあるとしか思えない。
しかし弊害としてセシリィが今後人間不信にならないかが少々不安でもある。この情勢の中では利用しない方が難しいもどかしさはあるが、この力に頼りきって依存してしまったときのことを考えると自信をもって使い続けることをなんとなく推奨はできない。
相手の何もかもが分かってしまったら、相手が気味がることよりもセシリィ自身の精神がもたないように思えるのだ。常に相手の内心が分からないまま過ごす俺らと、全て見透かしたまま過ごすセシリィの噛み合わない感覚のズレ……それこそが最大のストレスになってしまわないかが。
これが不必要で余計なお節介ならそれはそれで良かっただけの話で済む。ただ、俺が魔法でどんな怪我でも治せたとしても、心までは治すことはできないことを忘れてはいけない。
この男性はセシリィが拒絶を示さない分まだ良識的な心の持ち主と言えるのだろう。だがそれでも世の中そんな人ばかりではないし、これから向かう村にはそうじゃない人がいる場合もある。
安心してもまだ気は抜けない。
「たった二人で旅して大して襲われてないってのも変だよな。僕達はずっとそんな中で暮らしてて馴れてるもんだけど、他の大陸から来た人が野営中に全滅とかするのは偶に聞くしな」
「そうなんですか……」
村に向かう間に、当然のことだが俺らの事情をある程度知りたい男性との今さっきまでしていた会話が続く。所々で気になるワードはチラホラとあるが、記憶を失っていることは話していないのでその疑問はまだ心の内に留めておく。
つか今の全滅の話ってマジかよ。割と洒落にならんのだが……。
いや確かに夜は周囲に集まってきてるのは分かってたけど、ずっと見てるだけであまり襲われたことなんてなかったしあんまり実感なかったぞ。何回かマズいラインまで近づいてきた時は即座に牽制すると怖気づいてすぐ逃げて行ったし。
「僕も何回かその場面に出くわしたりもしてるからな。流石にその跡を見かけたら放置は出来ないから毎回弔ってるよ。……そこで人の血を覚えた獣がこれまた厄介なんだよなー。獣からしたら人は旨いんかねぇ……」
一瞬、セシリィが寝てる間に襲われてしまう光景を想像して肝が冷えた。しかし、対して俺が襲われている光景を想像すると……何故か全く想像ができないしつかない。それこそ洒落だ。
噛まれて引き裂かれようが傷一つつかない頑丈すぎる身体。まるでリアルな疑似餌が大自然にそのまま垂らされてるが如くであり、でも襲われてもそのまま平然と寝続けていそうなビジョンが見えてしまうのは俺自身の経験に基づくものであるようなそうでないような……。うん、なにコレ。
まぁ俺はともかくセシリィはそうじゃないだろうからもう少し用心するに越したことはなさそうだ。
「それよりもさ、一体なんだってこんなところに? この前来てて驚いたばっかりだったのに……人族の人がこんな奥地にまで来てるなんて珍しいな?」
「話すとややこしいん、ですけど……」
「あ、なんか言いにくい事情あったか? なら言わなくてもいいぞ。多分やましいことはないのは分かってるから」
「すみません、助かります」
言いにくい質問にゆっくり答えようとしたもののそれは遮られた。俺は一瞬それでいいのかと男性の頭そのものを疑ったが、こちらの事情をそれとなく察しているような気遣いをしてくれているのだとも取れ、今は深く考えることを止めてその気遣いに感謝した。どのみち俺らの本当の事情は話せないから好都合だった――が、俺らにやましいことがないと決めつけている理由は何故かも不明のままに終わった。
「あの、さっきも気になったんですけど……この前ってことは俺ら以外にも誰かが村に?」
「ん? なんか未開の地の調査が必要だ~とか言ってな? どこだったけか……ヒュマスの一応有名な国から来たっつう小隊規模の連合軍のお偉いさんの部隊がちょっと前に村に立ち寄っていったんだ。そんで未開の地にゾロゾロ入ってったんだが……今頃どうしってかなぁ……」
ヒュマス? 連合軍?
それに小隊規模って……まさかあの連中のことじゃ!?
実際に何を指すかまでは分からないワードでも、意味くらいは分かるものもある。小隊という意味から想像できるのは、セシリィを使って何かをしようとしていたあの連中だ。
呼吸を忘れ、全身が錆びついたようにぎこちなくなるのを感じる。
「ま、ここいらにずっと長く住んでる僕らからしてみれば、外のお偉いさんか知らないがそんなのどうでもいいんだけどさ。今まで大した音沙汰もなかったし、どうせ奥地に行ったって何もありゃしないっての……」
独り愚痴るように言う男性の顔は呆れに満ちていた。これは自分達の生活区域に外部から土足で入り込んで荒される感じに近いのかもしれない。あまりその小隊とやらを歓迎しているようには見えなかった。
でも今はそんなことより……!
「へぇ……そんなことが。もうその小隊は戻ってきてるんですか……?」
連中のことは吹き飛ばしたあとはそのまま放置しているためどうなったかは知らない。セシリィのことで頭が一杯だったし、あの時は一刻も早く連中から遠ざかることだけを考えていたからだ。
流石に吹き飛ばした程度の怪我で死んではいないだろうが、最悪その後野垂れ死んでいる可能性はあるだろう。まぁ別に例の推測を考慮しても、実際連中がセシリィにしたことを考えればどうなっていようと俺の知ったことではないが。
さて、これまでの旅の行程はセシリィと一緒ということもあって進みが早いとは言えなかった。進行方向は定めていたが地形が酷くて進みにくければ大きく迂回し、疲れれば長く休憩したりと移動距離はそう大したものではなかったように思う。朝も十分日が昇ってから出立していたし、野営は日が昇っている内に準備したりもして時間を特に気にしていなかったことが原因なのは分かっている。
連中にどこかで追い越されてしまっているという可能性は十分に考えられる。もし小隊があの連中で戻ってきてるとしたら……厄介だな。
「いや、まだだな。結構僕の村で日持ちする食料を中心に補給していったみたいだし、長丁場覚悟の大調査をするみたいだったぞ? 区切りがついたらまた戻って来るとは言ってたが……まぁ大丈夫だとは思う。傭兵の人も何人かいたし、隊長さんも相当な手練れっぽかったからな」
「あ……そう、ですか……」
良かった……一先ずは安心だな。
もし連中が先に戻って来ていたとしたら、事前に俺らのことを何か伝えられてしまっていたかもしれない。そうなっていたらこの人とこんな風に会話をすることすらなかっただろう。
たった一つ不安材料が消えただけでも、こんなにも肩の荷が下りたように緊張がなくなっていくのが分かる。ただ、それが間違いで錯覚であるということも一緒だ。絶対に消えない不安材料は残ったままであるのだから。
この男性もセシリィの正体を知れば、連中のように変貌してしまうかもしれないことを考えるとゾッとする。親し気に話せているこの人がいきなり豹変し、理不尽な理由で敵対してくるのだから。
最初の好印象は? 思いやりは? 安堵感は? 全てを無慈悲に掻っ攫うようなものである。この大切なはずの優しさに感謝するだけ無駄なような気さえしてくる。
天使達が味わったものの恐ろしさの片鱗に今少し触れ、これが異常じゃないわけがないとやはり思う。
セシリィよりも前に俺が参っちまいそうだよ、全くさ。むしろ俺はセシリィ以外を信じられなくなりそうで怖いなぁ。
「――手練れだというなら大丈夫そうですね。どれくらいの手練れだったんですか?」
「ここいらじゃ僕らも含め敵なし、だったんじゃないか……? 人族の中に獣人が手も足も出ないくらい強い人がいるって初めて知ったよ」
アイツで相当な手練れ、か。……第三者からそう言われたら自分の今の立ち位置がなんとなく分かっちゃうな……。
一般的な人が抱く強さの基準が少し分かった気がした。
なら俺が持ってるこの力はハッキリ言ってしまえば世の中にとって異常すぎる。冗談も大概にしておけという域にあると言っても過言ではない。
なんで俺はこんなに大袈裟な力を持っているのか。それも全部、記憶を取り戻せば分かることなのかな……。
「――ホラ、着いたぞ。あそこが僕の住んでる村だ」
と、悩んでいるところへ男性の声が耳に入ってくる。いつの間にかそれなりに歩いたのか、気が付けば周りの景色も変わり始めて空気や匂いも変化していた。
恐らくこれは……人の生活している匂いというやつなのだろうか? なんとなく俺が知っているような匂いが漂っている。
「ぁ……」
セシリィの表情にも変化が出ており、明確に変わり映えのある景色に感化されたらしい。少しだけ顔を覗き込むように前のめりにし、目の前に見え始めた光景に目を凝らしているようだった。かくいう俺も同じ気持ちであり、ホッと一息つきたくなっていた。
森に閉じ込められていたはずが、まるで突然解放されたようだ。
薄暗かった世界に日の光が一斉に差し込み、明るみの中に軒を連ねる村がぽっかりと現れた。
次回更新は早ければ日曜です。




