378話 自然の掟
「よっこいせと」
心配であるセシリィに追い付き、一緒に小川に同伴した俺はセシリィに並んで昨日と変わらないままの清流を覗きこむ。
水面に映る自分の姿はまだややふてぶてしさが感じられる。それとセシリィもだが俺にも寝癖があるようだ。くにゃりと変に曲がった側頭部付近の髪は後で直しておく必要がありそうである。
「落ちないように気を付けるんだぞー」
「……あ……」
……あーらら。
水を掬うため、しゃがもうとして膝を曲げたセシリィの身体がスイー……と、ゆっくり前のめりになった。まるでギリギリ踏ん張りが足らず、でも回避することもできない。そんな一幕をスローモーションのように。
俺の注意喚起の意味がまるでない。
「――ホレ、言わんこっちゃない」
「……ありがとー」
顔を洗うどころか入水になりかけたところをセシリィの肩を掴んで引き戻し、寸でのところで回避する。すると、一拍置いてこちらを向いたセシリィの間の抜けたお礼の返事が返ってくる。この時、全く慌てた様子もないことには先が思いやられる気持ちで乾いた笑いしか出てこなかった。
つか、「あ」……ってオイ。やっちまったって分かってるその割には落ちそうになっても全く動じないんかい。
なんたる図太さ、そして俺に劣るとも勝らぬそのふてぶてしさ。おまけに無自覚のあざとさまで見せつけよるとはそちもやるのぅ。――だが良かろう! 可愛いから許す。
でもその緩み切った表情とボイスはやはり顔洗わないと駄目そうだな……。
「……ひぃ~、冷たぁ~っ!」
今のところセシリィの唯一の欠点ともいえる寝起きの悪さに若干困りつつも、今度こそ二人並んで小川の脇で屈み、底まで透き通る水を手で掬う。掌に走る冷たさが痛く広がり、感覚がジンジン刺激を訴えて軽く麻痺していく。その身体を捩りたくなる感覚には思わず声が漏れてしまった。
あぁっ……こんな冷水じゃお肌荒れちゃう。後でケアしなきゃ……。
「ひゃっ……!」
……と、実際に女の子が思いそうなことを考えていると、セシリィからも小さく可愛いらしい悲鳴が漏れる。俺と同じく身を捩ったまま冷たさを堪えてそのままパシャリと水を顔に被り、濡れた手で余分な水滴を拭うセシリィの眠気も、ここでようやく冷たさに振り払われ始めたようだ。キュッと咄嗟に目を瞑っている姿には微笑ましさと少しの呆れが同時に込み上げる。
はいはい、取りあえずこれで今日も朝のノルマ達成っと……。
朝から俺だけの些細な危機を回避し、また今日も一日が始まろうとしている。小川が流れる先を見つめながら、今日の行程に変化が起きて欲しいと思うばかりだ。
ここ最近は進行方向から流れてくるこの小川に並んで進んでいる状態だった。これだけ綺麗なのだ……上流に進めばこの小川の源泉があるはず。その付近であれば小川を生活に利用している人が住んでいる可能性もあるし、当てなく進むよりも良いと思ったのだが……その予想は外れたか。未だ一向に人の気配はせず、今日に至る。
「(今日こそはこのまま終わんなきゃいいんだけどなぁ……)」
現状に焦りはあるが、ここまで来ていきなり方針を変えたところで何かが変わるという確証もない。結果がすぐに出ないことなんて別に珍しくもなんともないのだから。
まぁまずは朝飯にすっか。昨日捕まえた魚もまだ余ってるし。
◆◆◆
「お兄ちゃん、お水用意しとくね?」
「おー頼むわ。……でも一人で平気か?」
「も、もう平気だから!」
「ハハッ、冗談だよ」
ささっと朝食の準備を済まし、下処理を済ませた魚ももうそろそろ焼き具合が頃合いになったらしい。生臭さはかき消え、食欲をそそる香ばしい匂いが辺りに漂い始めたようだ。
水を汲みに行こうとしたセシリィにわざと冗談っぽく聞くと、忘れてくれと言っている顔で返事が返ってきた。頬を朱に染めてムキになっているのが図星であることを伺わせる。
セシリィはもう完全に目を覚ましたらしく、朝の寝起きの状態については自分なりに恥ずかしくは思っているようである。ただ、分かっていても直せないのだろう。半強制に似た状態や症状とはそういうものではある。俺としては少し困る程度のもので、その状態になんだかんだほっこりとおいしい思いをさせてもらっているのは否めないので全く駄目とは思わないが。
――ともあれ。腹が減っては戦も出来ぬ。朝の補給が今日の結果に左右すると言っても過言ではない。
基本荒事と面倒事は嫌いだが、俺の意思と関係なくいつ向こうから……誰から戦が吹っ掛けられるかは分からんのだ。そのためにも今は飯だ飯。
そこの多分美味い魚、早く焼けてしまえ!
「っしょと……。――? ねぇお兄ちゃん、あれ……なんだろ?」
「ん? ……なんじゃありゃ……?」
俺が目の前で焼けていく串に刺された魚の鱗の焦げ具合を見つめながら涎が出そうなのを必死に堪えていると、不意にセシリィの呼ぶ声が。セシリィは桶に水を汲みに小川に向かおうとした足を止め、何やら棒立ちで上流を眺めていた。
どうしたのかと俺も視線を向けてみると、なにやら小川を流れてこちらに向かってくる、頭頂部が尖っているような不思議な物体が視界に入った。
この小川の幅は大体3mあるかないか程度。その幅の半分を占める程の、漂流物にしてはやや大きすぎる物体は小川の水が透明な程綺麗すぎることで逆に目立っている水色に近い色をしているようだ。この色合いが浮きだってなんとも異彩を放って目立っている。
こうしている間にもどんぶらこ~どんぶらこ……と。水色の物体はプカプカ浮かびながらこちらに近づいてくる。体表はやけに艶々して光沢を放っており、滑らかに身体が小刻みに震えてもいるようだ。まるでゼリーのようにプルプルしている。
うわぁなんか変な物体キター。あ、怪しい……しかもあの形状……なんか桃みたいなんですけど。……あれ? なんかこんな話どっかで聞いたことあるような……?
「え゛……マジ……?」
突然の謎の物体の襲来。この物体の正体についてはすぐに気がつくことになった。まさかこの水色の物体が小川から自力で這い上がって来るなんて誰が予想できただろうか。
「ギギェ……」
「あれスライムか!? ……でもなんかちょっとデカくね……?」
小川の約半分近くを占領していた物体……その正体はなんと巨大なスライムであった。これまで血肉のあるモンスターや生物ばかり見てきたため、このような摩訶不思議な生命体との遭遇は非常に新鮮で驚きだった。
俺らのキャンプエリア付近に上陸し、水を滴たらせて地面に濡れた跡を作ってはプルプル震えて水気を払っている姿はまさしくスライムそのもの。あのゼラチンみたいな弾力と光沢、身体の中心部にある丸い核はその証拠だろう。
旅を始めて以来、森でスライムを見たのはこれが初めてである。上流には生息しているということなのか? まさかこんな所で見ることになるとは……。
それにしてもデカい……通常種じゃなさそうな気がする。エネルギーを蓄えると多少デカくなるのは知ってるけどここまでのサイズは早々ないんじゃね?
「ビーギギィ♪」
うっ、更になんつーデブ声だ。スライム界のデスボイス極めてんなぁコイツ。
今にも「おいどん腹が減ったでゴワス」とか言い出しそうだ。
何故かドスンドスンと跳ねて上機嫌そうなデブスライムこと略してデブスラ。上陸して向かってくる先はどうやら俺らのいる方向のようだ。基本思考皆無で頭が単細胞だからか、まるで俺らがいることに気が付いていないようにも思えるが……生き物としてこちらにわざわざ向かって来る理由はあるはずだ。
それがどんな理由かは、今の俺らのしようとしていること目当てであることはすぐに気が付くことができた。……というかそれ以外に思い当たらなかった。
「ギーギ♪ ギーギ♪」
「ゲッ、まさかアイツ魚の匂いに釣られてきたのか!?」
あ、アカーン!? 敵襲! 敵襲じゃぁああああっ!
「このデブスラ! 飯はやらんぞ!」
「ギギェ!?」
奴の目的を理解し即座に進行を止めるために立ち塞がると、流石に目の前に現れたことには反応を示したようだ。ビクッと身体が跳ねている。
ほほぉ……スライムのくせにまさか兵糧攻めとは中々冴えているじゃないか。
しかしタイミングが悪かったな。生憎と今日の魚は昨日のとは違って毒魚じゃないんだ。ちゃんと人が食えるやつなのだよ。そんな大層な食い物を奪われてたまるかっての。
それとも……まさか食用だと知っての所業か貴様!
……ちなみに昨日の夕飯も実は魚だったのだが、俺がそこの小川で捕った奴は片っ端から食用じゃない魚ばっかでした。そして何故かセシリィがトラップで捕った魚は全部食用という対照的な戦果になんとも悲しくなったものである。
知識の差で餌とかに工夫も凝らしたんだろうけど……ねぇ? なんというか、解せぬ。
ぶっちゃけりゃこれがリアルサバイバルを生きてきた経験の差ってやつなんかねぇ……。下手な鉄砲数撃ちゃ当たるとはよく言ったもんですわ。どこの誰が考えたのか知らないけど嘘つき……! 毒魚とかガチで当たってんじゃねぇか。
上手い鉄砲だからこそ美味い魚がヒットするということを実感した次第です、ハイ。
――閑話休題。
とにかく、奴の目的を理解した以上は抵抗のために立ちはだかるしかない。己の生存権を賭けて食うか食われるかの争いは避けられないのだ。そうこれすなわち……弱肉強食という大自然の掟なり。
「えー、無銭飲食はご遠慮してもらってまーす。お帰り願えますかぁ?」
「ギ?」
あ? 今お前「は?」って言っただろ!? 生意気な。こっちが丁寧な対応してるってのにデカい図体でデカい面までしおって……!
なんとなくだけど脳みそプニプニのお前等の言うことは何故か分かんだよこっちは。
「お兄ちゃん、この生き物なに……?」
俺がデブスラに苛立っていると、俺の後ろでポツリとセシリィの困惑した声が。
「ん? スライム見たことないのか?」
「ない……初めて見た。なんかポムポムしてそうだけど……」
スライムの第一印象による被害者がここに……。
チッチッチ、お嬢ちゃん甘いですぜ? むしろポムポムしてそうなのは君のほっぺの方ですよ。事案覚悟で今度寝てる間にツンツンしたろか?
「……止めといた方が良いぞ。飛び込んだら呑み込まれるから」
「呑み込まれちゃうの?」
包まれるって言い方でもいいかもしれんけどね。
見た目だけ弾力ありそうなだけで基本緩すぎた粘っこいゼリーだからなぁスライムは。それは大きくなっても変わらない。
スライムを見たことがないとは珍しい気がするけど、セシリィの住んでた一帯にはやっぱりいなかったんだろうなぁ。
まぁいい。ついでだし、どうせなら俺流のスライムの生態についてをレクチャーしておきますかね。
「ギギギッ! ギギギェッ!」
あーハイハイ。君はちょっと黙ってましょーねー。
今度は逆に俺の後ろになったスライムが「無視すんな!」と喚き始めたが、そんなことは知ったことではない。大した脅威にすらならないのは分かりきっているので対策なども必要ないし、そもそも眼中にない。
キーンコーンカーンコーン――。
さてさて、我が第一生徒セシリィ君。生物学の体験学習のお時間ですよー。
「いいかセシリィ。スライムって生き物は簡単に言うとな、脳みそプニプニの単細胞思考しかできないただの雑魚。ぶっちゃけ子どもでも簡単に倒せるくらいに弱いモンスターのことだ」
「ギッ……ギッ……!」
「そう、なの……? すっごい叩かれてるけど……」
そう、スライムとは雑魚の中の雑魚、まさしくキング・オブ・ザコを欲しいがままにするほどの戦闘力しか持ち得ない、どうしようもない負けの星のもとに生まれた存在である。
弱さにおいては他の追随を許さない究極の雑魚……それがスライムなのだ。だから今後ろで俺の背中を触手みたいに伸ばした身体で殴ってこられても痛くも痒くもないのである。
いやぁこうして実演もあると理解が深まりますなぁ。感謝するよデブスラ君。あと肩は凝ってないからそこもうちょい下あたりオナシャス。
「スライムの特徴といったらまず分裂があるな。分裂する時は食後とかの生命力が高まった時によくやって、それ以外だと危機的状況とか――あ! あと怒った時なんかもやるっけな……」
「……うん、じゃあ今すっごく怒ってるってこと?」
「「「ギギィ……!」」」
あーだからか。なんか後ろからする声が一つではなくなってんのは。殴りもいつの間にかタコ殴りに変わってるし相変わらずなんちゅう早業じゃ。
そしてセシリィ大正解です。キチンと質問を挟んでくるとは……やはり優等生か。
えー、授業に戻らせてもらいますが、奴らの分裂の速度はとにかく早い。個体によっては餌を食ってる最中にも分裂していく程である。ドラゴンの肉みたいに栄養価の高いものをあげようものなら結果は必然。連中に分裂剤を与えているようなものである。
「うん。あとこれも特徴に入るかもしれないけど……どんな相手だろうが基本物怖じしないんだよな、コイツらって。警戒心が全くないっていうか無謀というか……」
「へぇ――ッ!? お兄ちゃん後ろ!?」
「……まぁこんな具合に、な?」
背中のタコ殴りが止まったと思いきや、今度は一斉に背中にべしゃりと纏わりついてくるスライム達は俺の身体を包み込んで拘束しようとしてくる。張り付いたことで服が濡れたように重みを増すが、実際スライムの身体で水のように染みたりすることはない。身体はあくまで粘度の高いゼラチン状となっており、洗わなくても実は案外楽に取れたりする。ここ豆知識ポイントです。
てか解説おっ始めておいてアレだけど、なんで俺こんなにスライムのこと知ってんだろ? 身近に詳しい人でもいたんだろうか……。
「「「ギギィーッ!」」」
「うっさいな……」
こうやってレクチャーしている間にも、すぐ耳元で喚く鈍い声は止まらない。こちらに敵意はないが向こうからの一方的で明らかな敵意には不快を感じるところである……が、相手のことを考えると不憫に思えてしまってまだ手を出そうとは思わなかった。
ふぅー、やれやれ。戦とか考えたけどそれは大袈裟すぎたわ。コイツらにとっては戦でもこっちからしたら精々戯れと言っていいのかってレベルだしなぁこれは。
だって……ププッ……! 普通に考えたら俺とスライムで戦いになるわけじゃないですか。天と地の差とはこのことを言うってもんですよ。
「特に何も考える必要もないだろうけど、倒したり撃退するには火は特によく効くからオススメだ。温度が急激に上がると身体を保てなくなるみたいでさ、大体が熱に弱いって言われてるんだ。それ以外で倒すとなると身体の真ん中に見えてるこの丸い核を潰すと一発で倒せるぞ。それ以外の部分を攻撃しても切り離されるだけで中々しぶとく生き残るから、最善の対処は熱で動きを鈍くしてから核を確実に潰すのがベストかな。――大体こんな感じ」
「……あ……」
まぁ鈍いから動きを止める必要自体ないんだけどね。あくまで最善の対処として参考にしてくれると助かる。
さて、これにてレクチャーは終了となります。本日の授業……いかがでしたかな?
「……」
「……うん? どしたセシリィ?」
自分のレクチャーに対する感想を求めようとセシリィの顔を凝視してみると、口を開いたまま固まっていてそれどころではないようだった。
およ? これはつまり……俺の授業が超まともすぎてさては驚いてるな? セシリィ。
エッヘン、俺だってやるときゃやるんですよ。普段は馬鹿ですけども。
今しがたのレクチャーで多少はスライムを貶しすぎた感は否めないものの、実際間違ったことは何一つ言っていない自信はある。しょうもないことに何故か残ってしまっているこの俺の記憶を頼りにするなら、確か最上位のやつでも精々素手の大人とようやく張り合える程度で本当に弱いのだから仕方がない。
そのためスライム如きに警戒し、焦ろと言われてもそれは無理な話だ。何故ならそんなスライムが相手なのだから。
俺からすれば最早いないも同然の存在に対し、何かを感じるということがそもそもおかしいのである。
……よし、取りあえずやるべきことやったし今は飯にありつくとしようか。さっさとコイツらもどっかに追っ払おう――。
「お兄ちゃん……あの……」
「ん? なんか質問か?」
飯の一時を取り戻すべく動こうとしたところで、セシリィは止まっていた時間が動き出したように俺を呼ぶ。時間差で硬直が解けたのかと思って続きの言葉を促すと、それがまさか時がフルスロットルになることになるなんて思いもしていなかった。
「あ、あのね? 気付いてたらゴメン。お兄ちゃん……着てる服溶けてるんだけど……それいいの……?」
「へ? ――っ!? うあぁあああああマジだぁああああ!?」
なんですとぉおおおおおっ!?
セシリィの指摘に伴い自分の身体を即座に見回して見ると、スライム達の纏わりついている部分が爛れるように溶けだしてきていることに今更ながら気が付いた。俺が落下時から着用していた黒いコートが、既にいつの間にか所々に穴を空け始めていたのである。無論スライム達による仕業なのは間違いなく、溶けても無味無臭であったためにセシリィ言われるまで気が付けなかった。
「俺の服がぁあああああああっ!?」
やめろぉおおおおっ! これは痛恨の痛恨すぎるわ!?
俺の服を溶かして養分にしてんのか!? 俺の旅装兼戦闘服兼私服兼寝間着ぃいいいいいっ!
スマンセシリィ、レクチャーまだ終わってない……補習と補修の時間発生しちったよ!?
「す、スライムさん!? や、やめて、今まともに着れる服これしかないんですよ俺!?」
「ブギ♪ ブギ♪」
「嬉しそうな声出して溶かすな! つか分裂するな! なろっ……! スポドリみたいな色しやがって!」
食事中に増えるとはなんて行儀の悪い! しかも食べるなら食べる前にいただきますって言わんかい! 何がウマウマじゃ!
男の俺の服が溶けたところで誰トクだよ! こういうのって普通女の子の服とかが溶けるパティーンがお約束だろうが。どこにこんな需要があるというんじゃい!
「この変態スライムが! 人の寝間着旨そうに溶かしてんじゃねぇ!」
「「「「ギギィッ!」」」」
「てっめこのっ……! さっさと離れろや!」
なにが「うるせぇ食わせろっ!」だよ。食わせてたまるか!
ジタジタと暴れてもがいてみるが、いかんせんコイツらの無駄にある質量がそれを邪魔する。まるで水の中を掻き回している気分でキリがない。
「セシリィ、コイツらの特徴はもう一つあった……。こうやってなんでもかんでも溶かして食って生命力に返還できる……悪食だってことをな! ――ふんぬっ!」
「わっ!?」
「「「ギュエェッ……!?」」」
このままでは無駄に時間とコートを食われるだけだと察し、身体全体を使って捻るように一気に回転。纏わりついたスライム達をまとめていっぺんに引き剥がす。セシリィには『障壁』を張って四方に飛んでいく奴らの身体が当たらないように計らい、スライム達の身体が核を離れて分離し、草木や川、地面のそこら中にぺしゃりと広がっていく。
「「「「ギ、ギギ……!」」」」
無造作に払っただけなので重要器官である核は傷ついてはいないようだ。息はそれぞれまだあるようだが、核を中心とした本体の身体が一気に随分と縮んでいるようだった。全くいい気味である。
「フン、雑魚め! たかがスライム如きにこの俺を仕留められると思うてか!」
ハッ、随分と大きく育ったスライムのようだが所詮はスライム。最弱種の名に恥じぬ弱さは健在であり、この通り軽く抵抗するだけでこのザマである。多分セシリィでもトラップを駆使したら余裕で対処可能とみた。
うん、見かけだけでやっぱりよっわ。さっさと果てるかどっかにい……け……?
「ピギィイイイイイッ!」
「ッ!? うそんっ!? なんで!?」
弱ったスライム達の哀れな姿に勝ち誇った気持ちで満たされていた俺。その一瞬の油断がまさか更なる悲劇を生むことになろうとは……。
容赦なくここで止めを差しておけば、こんなことにはならなかったはずだ。
知りもしない光景にはただ驚くことしかできなかった。
本来スライムの本体を離れた身体は、本体が再度吸収しない限りは自由に動き出したりなんてしないはずなのである。しかし、今回はその例に当てはまらなかった。飛び散った身体が核もなしにそれぞれズルズルと動き出して終結していき、新たな別個体として形を成していったのである。
「ギギィ」
「ふ、増えた……?」
「「「「ギィイイイイイ!」」」」
プルルンと弾む小型だが出来立てホヤホヤのスライム五世、ここに爆誕。仲間に「ウィイイイイイ!」と祝福されてるのに便乗し、俺も尊き新たな命の誕生をささやかながら祝福させてもらいましょうパチパチパチ……っていやちょっと待てや!?
そんな特性俺知らないんですけどっ!? ――ああっ!? コラ! そっち行っちゃイカーン!
四方に飛び散らせてしまったことは結果的には悪手だったようだ。五世が生まれてしまったのは肝心の我が本陣のど真ん中であり、今はガラ空きでやりたい放題できてしまえる状況を許してしまっていた。
五世が生まれて最初に目にしたものは、それはもう食べ頃になっている俺の焼いていた魚だ。腹を刺激する匂いに包まれているであろう中、五世はひょいと魚を刺している串をつまみあげてクルクル回して遊ぶと、トプン……と身体に取り込んでしまった。
「ギギィ~ゲェ♪」
「いやぁあああああ嘘ですっ!? 一族郎党馬鹿にしてスンマセンでしたぁああああ! お願いですから大事な朝飯には手を出さないでくださいぃいいいい!」
貴様ぁああああっ! なぁにがデリ~シャスじゃボケぇええええっ!
服のみならず俺の魚まで……なんてことを! せっかくセシリィが獲ってくれたのに。
取り込まれてしまった魚が無情にもその身をほぐし、消えていく。
絶望、ここに極まれり。視点が下がり、気が付けば俺は膝を立てて放心していた。
――プシュー……。
五世の身体から目に見えない何かがガスの様に噴き出す音がした。それはもうゲップのようにしか俺には見えない。
ブチッ――。
そしたら頭のどこかがブチ切れる音がしました。
「……おいおいスライムちゃん達ぃ~? なぁにしてくれちゃってんのかなぁ? 俺の朝飯、なくなっちゃったんですけど……そこんところの落とし前、分かってますぅ~?」
自分でも口調が最早訳の分からないことになっているのは承知済み。しかし、普通に会話しようとしたらそもそも会話にすらならないような気がして止まらない。
ふ、ふふ、フフフフフフ……! 俺をここまでコケにしてくれやがるとは、雑魚にしちゃ大金星だったな。俺はお前らを一流の戦士と認めざるを得ないようだ。
ああそうかい、そっちが己の生のために俺のものを奪おうというなら、俺もその考えを踏襲しようじゃないか。ああそうだ、そうしよう。
食い物の恨みは怖いということ……教えてやろうじゃありませんか……! 生まれたばかりで教えてもらえるなんて五世、君は特に運が良い。
俺も食うとします。魚を食った君達を。分裂で同一個体なんだから一匹の罪は漏れなく全員の罪で文句ないよね?
流石に朝では重いから……そうですね、今夜の夕食は久々に鍋にしよう。ここ最近寒いからあんかけ風なんていかがでしょうか? ……はい賛成。一人の賛成によって議題は可決されました。
スライムはあまり知られていなかったりするが、毒があるやつ以外は限定した扱いでちゃんと料理に利用できる。用途としては無味ということもあり、料理にとろみをつけたりするだけというやはりあまり役に立たないものではあるが。
スライムのゼリー状の身体は、熱を逃げにくくするのに適している成分でできているのである。熱が苦手なのは熱を逃がす機能を身体があまり得意としていないからという一説もあるからとも言われる程で、その性能は食材レベルに匹敵する。
まぁ要はスライムは片栗粉の代用品みたいなもんです。スライムを道端や野生で見かけたら片栗粉が歩いてるとか思っとけばいいのです。
――ま、理由はなんでもいいや。取りあえず……いただきます。お命を。
本気を出した私の胃袋から逃げられるとは思わないことだ。じゅるり。
◆◆◆
「お兄ちゃん……大丈夫?」
スライム達の核を潰して仕留め、飛び散った身体もまとめて根こそぎ回収して再生の兆しがないことを確認する。黙々と『アイテムボックス』にスライムの残骸を放り込んでいると、一部始終を見ていたセシリィの気まずそうな声にピタッと動きを止められた。
大丈夫なわけないだろ。まさかこんなことって……。
「うぅ……大丈夫じゃない。俺の朝飯……」
「え……そっちなの? 服じゃなくって?」
「服? あー……そっちも大丈夫じゃないか。ハァ~……俺はこれからどうすりゃいいんだ……」
「……大袈裟じゃないかなぁ」
セシリィの呆れている声から感じるものは俺も分かっている。気にするところが違うということくらい。
魚はもうどうしようもないからよくはないけどいいとして……。服の方はさてどうしたものか。
スライム達に開けられた穴の数々は貧層さを醸し出すには良いカモフラージュと言えるくらいなのかもしれない。ただ、それは前向きに捉えてドライな気持ちでいられたらの話である。
魔法で洗濯乾燥が楽ということもあり、一日中ずっと身に付けていた保温性がありながらも通気性抜群、重くなく軽い素材でできた機能性も備えていた万能な服をボロボロにされたのだ。そりゃショックを受けない訳がない。記憶がない俺がそれまで使っていた服でもあるし、この質の良さとは別に思い入れがあったのかもしれない。
あと自分の悲劇は大袈裟なくらいに思うのが丁度いいのです。今みたいにスライムにしてやられたなんて黒歴史、そうしないと精神が持ちそうもありませんし。
「服さ、私で良ければあとで出来る限り直すよ?」
ファッ!? 今、お嬢様なんと仰いました……!?
「いいの!?」
「うん。どうしても有り合わせのものしかないから結果には期待しないで欲しいけど……」
「全然、それでもいいよ。ありがとう助かる……!」
マジっすか!? まさかこんな神サービスを提案されるとは……。
「う~ん……穴結構あるね……。ちょっと時間掛かっちゃうかもしれないけどいい?」
「どれくらい掛かりそう?」
「遅くても寝る前くらいまでならかな……」
「それで是非ともお願いします」
最高かよ。即答しかないだろこんなの。
「それくらいしか出来ないから私は……。役に立てそう、かな……?」
上目遣いで聞いてくるセシリィの心配は杞憂にも程があるという他ない。全く何故ここまで出来て自信がなさげなのかよくわからないくらいだ。
もう一度言わせてくれ、セシリィ最高かよ。
亡きセシリィのお父様とお母様、俺……将来はあなた方の育てたような娘さんのような人と結婚したいッスわ。なんて男共が憧れるような有望株なんでしょう。
「セシリィ、是非お返しとして直してくれるお礼になんでも一つお願い聞きます券を進呈させてくれ」
ここまでしてくれるのに何も返せないのは男が廃る。せめてそれくらいはさせて欲しいところだが――。
「別にいらないよ。気にしないで?」
あ、やんわり普通に拒否られたわ。苦笑されながらとか完全に困らせてますやんこれ。
世の男の皆さん。即興で安易なプレゼント提案は拒否されるぞ、気を付けろ。
お返しを拒否され一方的な施しを受けるだけなことにモヤモヤした気持ちがどうしても渦巻いてしまう。俺とセシリィは持ちつ持たれつだと思っている以上、対等じゃないように思えてしまうのだ。
しかし――。
「お兄ちゃんからはいっぱい助けてもらってるから。これ以上一方的にもらってたら何も返せなくなっちゃうもん」
「お、おう。そっか……」
「だから嬉しいんだ。こうして少しでも役に立てることが」
うすく笑みを浮かべ、面と向かっているのに喜びを隠そうともしないセシリィに何も言い返せなかった。向けられる純粋な気持ちの塊である笑顔が眩しすぎて有無を言わなくさせてくる。その威力は語るまでもない。
……なんというか、この娘がいたら俺は道を踏み外さないとか思ってたけどそりゃ安易だったかもしれないわ。俺の場合はに限るけど、このままだと人として駄目にされそうな気がしてならない。なんでここまで健気なのこの娘。年頃の女の子って怖いわー。
「あ……あー、あの魚もう残ってないんだよなー。朝どうすっかな……」
セシリィへの甘えを制御できなくなるのを恐れ、自分を律するために強引に俺は急遽話を元に戻す。
俺はこういう優しさや厚意で辺りが無頭痒くなるような雰囲気がどうも苦手だ。自分に向けられる厚意に対しては尚更に。
変な話……どうしてか申し訳ない気持ちになるんだよな、俺。勿論厚意ってのは自分が起こした厚意が返されてのことでもあるから頭では分かってはいるんだが……。
「それなら私の分は無事みたいだから……それ半分こして食べようよ? 私一匹丸々は食べられないと思うし」
「セシリィ……」
や、やめてくれセシリィ。本当に駄目になるぞ俺。あぁ、でもなんて魅惑的な申し出なんだ……。
俺自身に何か引っかかる違和感は一瞬で吹き飛ばされ、意識は現実へ。
ほのかに黒い斑点が付き始めた鱗にきつね色の輝きを放つ鱗が相まって、無事であったセシリィの分の魚は食べ頃が最高潮を迎えつつあった。独り占めしたいくらいの出来栄えであるというのに、嫌な顔一つせずセシリィはそう言った。
お父様とお母様、貴女方の娘さんはその……化物ですよ。めっちゃ可愛いの。ただもうちっと優しさに対する弊害を教えておいてもらいたかったところですがね。
「ありがとな」
「ん……くすぐったいよぉ」
セシリィからの厚意に、俺は素直に甘えることにした。もしここで断ったらセシリィの顔が曇りそうでもあったし、それを想像するとそっちの方の拒否を優先したくなったためだ。
……まぁ、こんなの言い訳だけどな。セシリィの厚意は普通に嬉しいし、俺が甘えてそれを喜んでくれてるんだったらこれも悪くないのかもしれないし。もう俺らがどうあるべきなのかなんて分かんねぇよ。
俺は今このどうしようもなく優しい娘の頭を無性に撫でたくなってひたすらに撫でた。一瞬驚いたような反応をしたセシリィだが、撫でられることを拒否はしなかった。困惑しつつ、でも俺からのよく分からない行動であっても受け入れてくれている。そんな印象だった。
サラサラの金髪は抵抗感なく掌を滑らせていく。ずっと撫でていたくなるような中毒性があり、中々手を止めることが悔やまれて続けてしまいそうだ。
「魚、今日も頑張って獲るね? 今度は一緒に焼いて食べよ?」
けどもうやめて、優しさで殺す気か。毒入ってなくてもこのままじゃ死ぬぞ俺。いや、最早死んでもいいのかもしれないけども。
「変な叫びが聞こえたと思えば……アンタら、こんなトコで一体何やってるんだ?」
「「え?」」
限界のない優しさはもう暫く続きそうだと思ったのも束の間、不意にその終わりは外からやってきた。
セシリィ以外の声を聞いたのは久しぶりで、やけに過敏に反応してしまった。これまでずっと変化のない景色だったというのに、たった一つの人影があるだけで全てが変わったようにさえ見えた気がしてしまう。
「野営中だったか? よく無事だったな……」
流れる小川の上流から、変なものでも見るように獣人の青年が俺らに声をかけてきた。
次回更新は一週間以内くらいです。
※3/19追記
次回更新は木曜です。




