375話 野営④
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「――ハァ~、もう溜息しか出てこないなぁ……。なんだよそれ……こんなの、理不尽ってレベルじゃないぞ……」
「……」
今女の子から天使にまつわる一連の話を聞き、俺は途方に暮れていた。話が長くなりそうなことを察して淹れていた多分美味しいお茶も、途中から手つかずとなって既に冷めてしまっている。
有り得ない……と思いたい。なぜなら今聞いた話が本当なら、世界中の天使以外の人全てが異常者という、既に手の尽くしようがない規模の中の分かれ目、俺は今そこに立たされているという事になるためだ。
天使は世界の敵か、世界は天使の敵か……だな、まさに。んで勝てば官軍負ければ賊軍。この状況はまさにこれに尽きるだろ。しかも天使側が賊軍濃厚というハンデが最初から背負わされてる無茶ぶりも込みとはな……。
手を取り合っていたはずが突然意味の分からない言いがかりをつけて除け者にし、天使が悪者扱い。しかも向こうからしたら天使側の方が異常者扱いという理不尽さ。当然手を差しのべてくれる助っ人はいない。
味方がいないにも程がある。こんなの八方塞がりだ。戦力差がここまで著しい中百年近くも生き延びていられる天使も大概だとは思うが……。
しかし一斉に世界中の人がそう考えることなんてあるのか? 単なる偶然の中の偶然? ――んなわけあるか。だとしたら天文学的数字もビックリの確率だわ。
仮に理由があったとしても余りにも突然すぎる変化だし、意識の変化は何かしらの洗脳や改ざん等を疑ってもいいんじゃなかろうか。最早そういう次元の規模の話だと思う。
「――ねぇ、お兄ちゃんって……天使じゃないよね……?」
「え?」
俺が黙りこくっている姿に不安を感じたのか、あらかた事を話し終えた女の子が沈黙を破ってここで質問を挟んだ。ハッと我に返り、その質問に俺は自分の背中を見ながら答える。
「……違うと思う。翼生えてるように見えないし……見た目的に人族なんじゃないかな?」
「それも覚えてないの?」
「うん」
ハイ、誠に残念なことに。ワタクシの記憶はパーンと逝ってしまわれたのですよ。
けど実際のとこどうなんですかねぇ? 見た目的にはそうですけど実は……なんてことがあったりするかもしれない。
「あ、あのね? お兄ちゃんが今どう思ってるのか……視てもいい……?」
「視る? ……あー、言ってた心を視れる力だよね? いくらでもいいよ、どーぞ」
また不安そうにしながら、女の子は俺に確認を取ってくる。これは恐らく俺が言っていることが実際本当なのかどうかを知りたいのだろう。そして自分が疑っていることに若干の引け目を感じているのか、もしくは覗くことに罪悪感でもあるのかもしれない。だからこんな表情していると思われる。
ただ俺自身自己紹介しようにも、自分のパーソナリティを殆ど知らないから簡単な自己紹介もままならない。俺としてはだったらさっさと心でも覗いてもらって丸っと全部知ってもらう方が早いし、覗かれることに抵抗はなかった。
……というか、この様子だと最初から視てなかったのか? だとしたらむしろなぜこれまで視てなかったんだ……視てるのがバレるわけでも減るもんでもないだろうに。
あ、でもちょっと待てよ? ってことは俺のこの脳内アホトークがまだ露見してなかったということでもある……? う、うせやろ……。
ここまで思うままに変な事考えてたりしてたけど特に変化なしだったし、既にバレててこの対応されてるのかと思ってたが違ったんかい。そうと分かったらすっげぇ見られるの恥ずかしいんですけど……。あらやだお代官様、そんなことしちゃいけませんわぁ~。
いやん、俺の全てが赤裸々に見られちまう。せめて妄想トークだけはピー音だけでも被せてくれると助かるんですけど……。まぁそしたら殆どピー音だから意味なさそうですがね。
減るもんでもなしとか調子こいてすんませんでした。
「記憶……本当にないんだ……」
「へ? あ、うん」
どうやら時すでに遅し。予備動作もなかったので何も分からなかったが俺の心をいつの間にか視たらしく、何を思ったか女の子が目を丸くして呟いた。
果たして驚いているのが記憶が本当にないことに対してなのか、それとも俺が救いようのない馬鹿だったということなのかは不明であるが、視られてしまったのならもう仕方がないので吹っ切ることにする。
視られても文句が言えない程の自分自身の馬鹿っぷりを戒めとしたところで、ここで俺のこの娘に対する認識がまたも更新されることになる。心を視る力があるなし関係なく、それ以前の良い方向に。
「それに今の話……信じてくれるの……?」
「ん? 今の話って嘘だったの?」
出来れば嘘だと言ってほしいところではあるけどな。これがドッキリだったら嬉しいところだ。
「え、違うよ!? ホントのことだよ!? で、でもっ、信じてくれてると思わなくて……。あの人達ちっとも信じてくれなかったから……それなのに……」
自分が話した内容は断じて嘘じゃないと、手をバタバタさせて慌てる女の子の挙動が激しい。
でもまぁ……あーそゆことですか。確かに連中と接した次にいきなり対照的すぎる奴が現れれば戸惑うのも無理はないか。
安心せぃお嬢ちゃん。これまでのこと踏まえたらこの話が嘘とは思えんよ。こんな話をパッと思い付くわけでもないだろうしな。
第一遺跡跡地でのあの時アイツが言ってた俺が操られてる云々の件で言い分が違う方はハッキリしている。
……ないわー。俺が操られてるとかそれはないない、断じてないわー。じゃなきゃこんなアホトーク許されるわけないもの。
いや、真面目な話俺が今操られていたのならこの娘がさっきあんなに怯える必要はないって話だ。つか操る力あるなら今俺はここにすらいないっての。現状は真実を語ってる。
タイミングが悪すぎて連中があの状況でこの話を仮に話したとしても信じてはくれないだろうが、俺だけは当事者だからそれが分かる。
少なくとも俺はこの娘の言い分に間違いを見つけられなかった。
「なんなの……もう何を信じて良いのか分かんないよぉ……。異種族は全て敵じゃなかったの……?」
抱えている戸惑いが膨らみすぎたようで、女の子の頭の中はぐちゃぐちゃになっているようだった。独り言は震えており、ただこれは自分達を取り巻いていた常識に俺が当てはまらないのだから仕方のないことだ。
天使達のこれまでの話を聞けば、天使の大人達は子どもにはそう言い聞かせて育てるわな。
「――もしかしたら、俺は天使でも異種族でもなかったりしてな?」
「え?」
「ハハ、いや冗談だよ冗談。だけどまぁ、俺は間違いなく君のことを敵だとは思ってないよ。それは分かる……かな……?」
少し気を紛らわす意味で記憶がないことをいいことに冗談めかしてみたのだが、言っていることは俺の本心だ。少なくとも現時点では。
話を聞いた上で俺なりに危惧していることもあって若干不安ではあったものの、改めて取りあえず今言えることはそれに尽きる。
「う、うん。疑って、ご、ごめんなさい……。あと、視させてくれてありがとう……」
「……疑うのは仕方ないと思うけどね。それが普通だし当然だ」
……あー、なんといいますか、ハイ。この娘の話を全て信用しない方が悪い気持ちになってくるというか、なんなんだこの娘はとひたすら愛でてやりたくなってきたといいますか……う~む。
会話してて薄々思ってたんだけど、もうこんなの確定だろ。わざわざ相手の考えていること……心を視ることに確認を取ってる時点で、これもまた嘘をつけるような性格はしてないという以前に、そもそもそういう次元の話じゃない。
悪意なんてもってのほかだ。天使としてはこの特性を活かせてないんだろうけど……普通に良い子すぎるだろこの娘。事のあらましの説明も辛いだろうに丁寧だったし、精神も見た目の幼さの割に予想よりも遥かに強い。なにより真っ当すぎて天使じゃなくても今後生きていけるかどうか不安だし怖いくらいだ。
色んな意味で誰かが付いていた方がいいんじゃなかろうか?
しかもこの娘の直近の話をさっき聞いたところ、ここ数日は重症の身でほぼ飲まず食わずで行動して逃げていたらしい。こんなにも強い芯を持っていたからこそ、不安と恐怖に最後まで押しつぶされずにアイツらから逃げ続ける気力を保てたのだと思われる。
全身傷だらけになりながら翼も折れて激痛だったはずだ。大人でもそう耐えられることじゃない。普通このくらいの歳の子ならとっくに生きることさえ諦めていてもおかしくなかっただろう。
要するに、真に強い精神と心身を持ち合わせていたということだ、この娘は。
ハッキリ言って控えめに言って怖いくらい出来すぎた娘である。これがもし大人なら見た目も相まって確実に優良物件まっしぐら。引く手数多で競争倍率のインフレが確約される将来を期待されそうな逸材だというのに……。
そんな娘でも、天使だからという理由で理不尽を受ける救いようのない世の中なのか……。記憶があった時の俺は、一体どんな感性で今日まで生きて来たんだろうな……。
本当に、俺がこれまでどう生きてきたのか? それを考えると冗談抜きで今後の方針がガラリと変わってしまいそうだ。
今この時点で俺は、記憶を取り戻すということに対しての不安が芽生えつつあって正直悩んでいた。というのも、自分本来の記憶を取り戻すことは右も左も分からない俺にとっては今後できれば優先したいことではある。何故なら記憶は俺がこれまでを生きた軌跡であり、証でもあり、なにより俺だということを俺自身が証明するものだから。
俺に限らず人は何かをすればそこには必ず結果が生まれ、成したことの痕が残る。その痕は俺が生きている間に世に刻んだ証と言っても過言じゃない。当然自分を含む誰かの記憶に留まるべきもので、刻んだものの良し悪しはこの際関係ない。
俺に記憶がなかろうが、あったことが無くなるわけではないのだ。これがもし善行であったのなら最悪俺は忘れててもいいかもしれないだろう。――だが逆に悪行であったなら? これを忘れるということは許されることではない。そんなことは自分から目を背けて全てを放棄することに等しい。ただの逃げだ。
記憶を取り戻すことは……きっと俺にとっては正しい選択なはずだ。これから逃げてはいけないと俺自身そう思っているし間違いではないと思いたい。――しかし、記憶を取り戻したと同時に、記憶を失くしている今の俺が消えていなくなりそうな気がしてしまうのも事実だった。
その理由は、何故か俺が例外的に天使に憎悪を持っていないということに起因する。女の子の話を聞く限り、天使以外の種族は例外なく突然天使に憎悪を向けたとのことであったため、何故俺だけが? という疑問がここで生じている。正直これには不自然さしか感じられない。
ぶっちゃけ、天使に対しては当然だが全くと言っていい程憎悪はない。むしろ話を聞いて異種族の連中に憎悪を向けるべきだろと思っている程だ。もしかしたら俺は世の中の常識同様に天使に憎悪を向けていた可能性もあるが、この明らかな意識の違いは推測だが俺が記憶を失くしたことも影響しているんじゃないかと考えている。
記憶を失くしたことで、俺は世の中のその異常性の輪から抜け出したのではないか? そう思ったのだ。
あくまで推測の域、そして記憶を失くしている俺だからこそ言える現状としては有力の説。これを知っていて、記憶を失くす前の俺は自分にそう仕向けたと考えられなくもないが、これは流石に自分を擁護しすぎた虫の良すぎる話である。偶然こうなった可能性の方がまだしっくりくる。
だが仮にこの仮説が本当だったとしよう。となると……これは記憶を取り戻すことに対するリスクが生まれたということに他ならない。記憶を取り戻したところでまた戻ってしまう確証があるかも不明だが、可能性はゼロではない。
なら優先すべきは真っ先に記憶を取り戻してそんな洗脳染みた環境に戻ってしまう可能性よりも前に、この異常性の真意をまず探っておいた方が良いのかもしれない。この異常性から外れることがこうしてできるのであれば、その原因を特定することだってできるかもしれない。
最初から最後までかもしれないだらけの考えだが、取り返しのつかない立場になるよりかは遥かにマシだ。
もしも、俺が助けたいと思っていたこの娘に逆に危害を率先して加えてしまう。そんな立場になってしまった姿を想像するだけで胸糞悪いにもほどがある。しかもそれに俺自身が気が付けないなんてのはおぞましいことだ。人として終わってしまう。
――なら決まりだ。
明日からの俺の方針は、自分を知るよりも前にこの問題を探ることを主目的にしよう。
気がついたら空から落ちていたという突拍子もない出来事も含め、俺自身にも何か隠された秘密がありそうな気もする。女の子の話と俺の境遇――これらが全く関係していないとは言い切れないのかもしれないしな。
問題が世界規模であろうがサラッと今後の方針を決めてしまったものの、不思議と絶対に出来ないという気持ちは湧いてはこなかった。
先の一件で自分のもつ力のことを無意識に過信しているのかもしれないということもあるが、それだけの力が俺にはあるとということを感性は覚えているのかもしれない気がするのだ。この自信を否定する気が起きない自分がいること……これはその証明なのではないかと。
「お兄ちゃん……?」
「――ん、ちょっと考え事してた。どうかした?」
今後の行動計画を考え込んでいると、女の子が覗きこむように俺を見ながら呼んできた。
どうやら俺の考えは正しかったらしく、やはりこの娘はもう心を覗いてはいなかったらしい。俺が何を考えていたのか分からなさそうな顔を前にし、この無防備すぎる純粋無垢な子に思わず顔を緩めてしまいたくなる。
自分の事も大事だけど、まずはこの娘の今後を考える方が先だったかな……。
「ううん、お兄ちゃんって不思議な人だなって……。それに本当に優しいんだなって……思ったの」
「う~ん……空から降って来るくらいだしねぇ。不思議ってか変な人の方が正しいんじゃないかな……? あと俺は自分のできることをしただけだから。君だって――」
「……?」
女の子を呼ぶことに関して、そろそろ聞くなら丁度いいのかもしれないと……そう思った俺は不自然に会話を止めていた。
怖がられている状態では危ないと思って距離を近づけ過ぎないように敢えて聞かなかったが、ちょっと打ち解けたしもう平気かもしれない。
「――そういえばさ、まだ名前って聞いてなかったよね。俺は分かんないからどうしようもないけど……君はなんて名前なの?」
「え、名前?」
ずっと君って呼ぶのも変なものだ。人にはちゃんと名前があるのだから。
現状名無しの俺と違ってちゃんと名前があるならそっちを呼んであげた方が良いだろう。この娘がこの娘たりえるその名を。
それに親が付けてくれた名前だもんな。忘れた俺が言っても説得力はないだろうけど、名前にはそれだけ両親の想いや願い……何かしらの意味が込められているはずだ。
「セシリティア。皆からはセシリィって呼ばれてた」
「セシリティア……。愛称がセシリィ……か……」
すんなりと、女の子の口から明かされたその名。セシリティアという名は俺の頭の中で何度も繰り返され、もう二度と忘れることがないように思える程定着していくのが分かる。
良い名前だな……なんだか我が身に響き渡るみたいだ。
これが俺がセシリィと今後深く関っていく中の、最初の一夜の出来事だった。
野営パート終了。
※2/20追記
次回更新は土曜日です。




