371話 痛み
「……」
なんとかしないとな……。
改めて周りを見渡せば地面には巨大な気味の悪い紋様が描かれていたような形跡が見られる。自然に囲まれた廃墟のように見える景色はどこか遺跡に似た雰囲気を醸し出しつつ、コイツらが好んで使いそうな相応の場である印象を主張してくるかのようだ。
「こんな子どもでも油断できないとは……死に際で悪あがきをしおって、面倒な……!」
グレイブと呼ばれていた男が俺に歩み寄りながら、吐き捨てるように唾を飛ばす。
大の大人が、こんな幼い子にどうしたらそこまでの憎そうな感情を向けられる? 女の子を使って何をしようとしてたんだこの連中は。いやそれよりも、こんな子に滅茶苦茶キレてるということはこの娘が何かしたからなのか……?
俺からすれば集団の方が明らかにヤバいことをしようとしてたように思えるが、現時点ではそこまでは分からない。頭でグルグルと情報が駆け巡り、女の子とこの人達の間に何があったのか……この予想だけが錯綜する。だが結局答えは分からないままだ。
「……」
「っ! やはり立ち塞がるか」
そして今、女の子よりも先に俺に危害を……明らかな敵意を持って男が近づいてきている。痛い身体を堪えて俺が立ち上がると、男は予想していたように杖を手に取り身構え始める。
女の子を助けるよりも前に、この状況を突破することの方が先か……。
「グレイブ様、こ奴はどういたしますか?」
「何も答えないなら用はない。生贄の儀式も邪魔され、恐らくは既に手遅れの者だろう。――ならば慈悲はない。天使ではないが殺しておく」
「分かりました」
このままでは俺はどのみち殺されるだけだ。女の子が何かしたという理由だけで俺を殺そうとしてくる奴らに話が通じるとは思えないし、平和なやり過ごしは想像するだけ無駄なことに近いのはこの反応を見れば分かる。逃げたところでコイツらが俺らを殺そうとする考えが無くなるとは思えないし、だったら逃げるよりも前にここで潰しておいた方が良いはずだ。
でも助けようと思ってはみたが、俺に一体何ができるのだろうか? 相手のことどころか自分のことさえも知らないのに勝算など果たして……? 決意とは裏腹に戸惑いと不安が生まれ、動くに動けない自分がいるのも確かだ。
自分を知らないということは致命的で、切り抜けるための作戦立案にイメージ、予測に対しての対応、結果を構築することすらできない。
男の構えた杖の周りに魔法陣が浮かび上がり、回転を初めて光を零れさせ始めた。
時間はもうない。手遅れになる前に動くなら今しかない――。
『……』
っ……今のは……!?
時間はないというのに、そこで思考が暗転して一瞬だけ脳裏に何かビジョンが見えた。そして語りかけてくる声は非常に馴染み深い声のような気がした。
女の子の傷を癒してまずは全員の気を反らし、その隙に偉そうな奴の鳩尾にまずは一発。そのまま取り巻き達が動揺する瞬間にまとめて一瞬でカタをつける。
単純明快すぎる武力行使。そして余りにも都合の良すぎる圧倒的実力差のある光景だ。
なんだ今の光景は……? それに今の声も……。
まるで自分の中で別の誰かが俺にしか聞こえないように囁き、見せているように感じた。不思議と今の体験に対しての感覚には拒絶の気持ちは湧かず、むしろ全て当たり前のこととして捉えることさえできてしまえる程に現実味がある気がした。
記憶にはない……だが俺の心と身体はこのビジョンを覚えているような気がするのだ。全く土壇場でどんな感覚に襲われているんだか……。
――でもやれる。俺なら今の光景通りにできる――気がする。根拠はないけど自信が湧いてくる。
意味分かんねぇ……本当に意味分かんねぇよ……! いいさ、身体と心の赴くままに、ありふれたこの妄想と現実に全てを委ねてやる……!
「意味が分からん! 『ヒーリング』」
「なっ!? 術式も使わずにマナを具現化だと!?」
女の子の傷を治すために右腕を向けて力を込める。すると身体の内から力が抜けるように出て行った感覚がし、女の子の流血が緩やかに収まっていく。
有り得ない……そんな驚きに満ちた眼差しで男が女の子に釘付けとなり隙を見せた。
ここだ――。
「のぁ゛っ……!?」
振り返る動作と足をバネに前に跳躍し、男にタックルするように接近して右腕を振り抜く。只の直線的で単調な動きのはずが男は反応することもなく、モロに鳩尾に右腕が突き刺さると眼を白目に変えて吹き飛んでいく。
「…………」
「あ……え……? グレイブ様!?」
「じゅ、術式展開! パイル起動――!?」
周りに生い茂る大きな木々に直撃し、根本で項垂れた状態で動かなくなった男を見て何が起こったのか最初は分からなかったようだ。しかし、攻撃されたということを理解するや否や、取り巻き達が一斉に行動を開始して俺に視線を向ける。
ぶっちゃけ俺がこんな芸当ができたということに驚きだが、驚くのは後だ。まずは後先なんて考えず動く。
どうせ俺のことまで殺そうとできる奴らだし、殺さなきゃ傷つけること事体は気にすることなんてない。どちらを擁護すべきかも分からないのだから俺は俺の助けたいと思った方を擁護すればいいのだ。
食らえ……!
「『掌底裂衝』」
「「「うぁあああっ!?」」」
動かれる前にこちらがやる――。今度は突き出したままの右腕を引くと同時に左手を張り出し、衝撃波で残りの取り巻きをまとめて吹き飛ばす。悲鳴が遺跡の瓦礫とが共に森の中に消えていくと、今の騒ぎが嘘と思える静けさだけがこの場に残った。耳を澄ましても飛ばされた奴等が動いている様子もないらしく、そこにいる男と同様に気を失ったと判断した。
瓦礫を巻き上げた時の塵が再び積もっていくのを見ながら、自分の身体をくまなく確認する。身体中痛いことに変わりはないが、今の動きで特段疲れや痛みが増した気は全くしない。
できると思ったイメージ通りに事が運び、実際に俺はそれが寸分の狂いもなくできてしまった。状況を切り抜けた安堵感より、今一度自分というものの正体を知りたくて仕方がなくなってしまう。
「……俺、一体なんなんだ……?」
この呆れた結果は疑いようもない。俺は……よく分からんが多分超強い。それも馬鹿みたいに、だ。
さっき空から落ちて何故助かっていたのか……それは単純に俺の身体能力がおかしいからだったというのが答えだと思われる。超常の現象が働いた、度重なる幸運に恵まれたなどという大した理由なんてものはなかったのだ。
俺の詳細を知る人がいてくれればいいが、生憎とそんな都合の良い人物がいるはずもない。
「……」
ハッ!? というか女の子助けねーと!?
一旦自分のことからと考えてはいたが、そのまま没頭して忘れるところだった。俺はすぐさま女の子を解放するために十字架の足元まで駆け寄り、飛んで拘束されている高さまで近づいて状態を確認する。
「うっ……マジで身体に突き刺してるのか……!」
分かってはいたことだが拘束の仕方にはエグさしか覚えない。ただ拘束することだけを考えた無造作に巻き付けられた針金のようなものが四肢には巻かれ、翼にはまるで布を縫ったかのように針金が直接、至る所を貫通している。
傷口は先程癒して止血は一度できたのだろうが、重力と身じろぎで傷口が再び裂けて血が垂れ始めているようだ。それに手足も巻き付きによって皮膚が腫れ上がり、更に肉に針金が食い込んでいる有様である。完全に流血等を防ぐためにはこの針金をどうにかしないといけないだろう。
――鼓動が早まり、嫌に湧き出した生唾を呑みこんで傷口の針金を見る。これからすることを考えるとまるで心臓が締め付けられたように苦しくて逃げ出したくなる。なんで俺がこんなことをしなければならないんだと……文句を言いたいくらいに。
でも逃げることは駄目だと、自分の中の良心は囁いて立ち塞がる。
「っ……やるしか、ない、よな……」
早急にこの拘束は解く必要があることは明白だ。しかし、これから俺がやらなければいけないことにはどうしても躊躇してしまう。
拘束を解くということは、女の子に直接刺さっている針金を抜くという事である。矢が刺さっているような、引き抜くだけでいい状態だったらまだ良かったかもしれない。しかし、これだけ複雑に肉を内部に渡って絡めとっている針金を丁寧に除去するなど俺なんかには不可能だ。俺ができることといったら、もう針金を肉ごと裂いて引き抜くことしかできないだろう。
それはつまり、女の子に想像もつかない激痛を与えるという事に直結する。助けるためとはいえ、本当にしていいのかという疑問がどうしても拭えない。
幸いにもまだ女の子は気を失っているようだ。『ヒーリング』じゃ『リバイバルライフ』と違って例え傷をある程度治したところで体力まで元通りにとはいかないから無理もないか……。なら痛みは一瞬で済むように、引き抜いて即座に回復をかけるしかない、か……。
――ん? あれ、そうなのか? 今無意識にそう思ったってことは……そういうことなのか? ん?
最早自分の直感に疑問を抱く程に何もかもが一致しない。身体とか感性は恐らく自分ができることを覚えてはいるのに、今の俺ではそのできることを事実としてまだ意識が追い付いていないのだろうか。
要は必要な行動を無意識に取れる、考えられるにも関わらず、その先行する行動を追々確認しようとすると、頭では結局理解はしていない状態というのが妥当か?
なんにせよ、簡単に言えば今の俺は本能で動いているといったところだろう。
現に今も空中に足場を作って立っているし、この直感は決して俺の妄想や願望ではないことを裏付けてくる。
「……一瞬だけ、一瞬だけ我慢してくれ。でも出来れば意識は失ったままでいてくれよ……」
腹は括った。まずは一番厄介な翼の方から引き抜いて……そのあとに手、足を順に針金を引き抜くイメージを繰り返す。拘束されている針金の状態からどこを引き抜くかを確認し、女の子が落ちてしまわないように支えるための手順と俺の動きも合わせて何度も何度も。
痛みを与えてしまうことは避けられない。なら俺がやるべきことは、その痛みを最小限の時間に抑えてあげることだけだ。
だからもしも女の子が傷みに苦しんでも手を止めるな。出来る……出来る……俺なら出来る。出来なきゃ駄目なんだ……!
深呼吸を繰り返し、息を止めて一気に集中。女の子の正面に立って翼の針金に手を掛け、自分の中のタイミングを見計らう。
やれるかじゃない……やるしかねぇんだ!
「『世界よ、禁忌を犯す我を許したまえ――っ!』」
「ぃ゛っ!? あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ――!!!」
今、翼に絡まっていた針金を肉や骨ごと引き抜いた。鮮血と羽が舞うと同時に女の子の激痛に叫ぶ声が耳にじゃなく、身体につんざくように響き渡って胸を叩く。至近距離でこれ以上ない程に剥かれた目に、途端に暴れようとする身体は激痛に堪えようと必死に動き、連中ではなく自分の方が悪魔じゃないかと一瞬思いそうになる。
「っ!」
女の子の叫びが続く中、右腕の針金、左腕の針金へと移行し、除去が完了する。除去してすぐに溢れ出す血を見て、俺が更に怪我を悪化させる形になっていることに背筋が凍る冷や汗と罪悪感を感じるも、その手を止めることだけはせず足へと移行。
この時点で女の子を支えるために胸に雪崩れ込ませていたが、暴れる身体は頭を使って胸に無理矢理抑え込んだ。そして右足、左足と……もう最後の方は俺も投げやりに針金を引きちぎり、そこでようやく気が少しだけ楽になる。
「『リバイバルライフ』っ!!!」
「あ゛あ゛あ゛ああぁぁ……ぁ……」
一気に虚脱感に襲われながら、女の子が光に包まれていくのを背中越しに確認する。暴れていた身体がゆっくりと収まり、声も失われていくのを見届けたことで今度こそ安堵していいのだという安堵を実感できた思いだった。
「ぁ……」
「大丈夫か!?」
頭で抑えつけることはもうやめ、両手を使って女の子を抱き留めながら具合を確認する。目は虚ろだが、意識はあるように見受けられる。
「ぅ……」
傷と痛みが消えたその解放感からか。一瞬だけ目が合った気がしたが、一言二言うわ言を呟いてそのまま眠りについてしまったようで、静かに寝息を立て初めてしまうのだった。
「ね、寝た……? もう大丈夫そう、か……? ッ――!?」
終わった直後、ドッと汗が噴き出してきた。変に力んで女の子を強く抱きしめてしまうくらい、よく最後まで自分がこんな芸当ができたとなにもかもに驚いて。
「ハッ……ハッ……! 寿命縮まるって……これ……!」
身体中の痛みより、今味わった痛みの方がよっぽどキツすぎた。早る鼓動が止まる気配がない。
この一瞬で軽いはずの女の子を酷く重く感じる程、俺は疲れ果てて暫くそこから動くことが出来なかった。
次回更新も土日辺りかと。
※1/27追記
次回更新は明日の月曜で。




