365話 神殺し(別視点)
『クッ……小癪ナ……!』
「っ……!」
『同調暴走』を使った影響により、司の瞳が金と銀に揺れ動く。その瞳を恨めしそうに見つめるソラリスは眼力に気圧されたのか動きがやや鈍く、宿主であるポポとナナをぎこちなく動かしている。
今、ソラリスから発せられ縦横無尽に飛び交う絶望は司がソラリスに向ける殺意によって防がれている状態だった。落ち着いた輝きを放つ瞳からは想像もつかないが、司の心の内は火山が噴火する勢いを抑えている状態に等しく、向かってくる絶望は全て殺さんとするかのようであった。
微塵もヴァルダらに絶望の影響を届かせず、決して届かせないようにしている行動……これも単に力に力で対抗するだけという単純明快な方法だ。しかし、これ以上の防ぎ方は他にないのも事実ではある。
余計な小細工なしに真っ向から天上の存在と相対し、その力を見せつける姿をここに居合わせた者達が忘れることはないだろう。
『――ふぃー……やっとこさ止まってくれた。もう、君達展開早すぎだよー』
誰も二人の戦いに踏み込もうともしない中、音沙汰のなくなっていた『勇者』がここで突然姿を現す。全身が透けて空中に漂うように浮き上がる様子は霊体であり死者であることを示しているが、どこか疲れたような表情を浮かべているため生者のようでもある。
どっと息を吐き、『勇者』は司に並んで再開を喜ぶのだった。
『おっひさー、この時を今かと待ってたよ。……と言ってもあれからそんな月日経ってる訳じゃないんだけどね。アハハ!』
「いや、待たせてすみません。……おひさ、『勇者』さん」
自分のすぐ真横の距離での『勇者』の登場に司は目もくれなかったが、しっかりと言葉は耳に入っているようだ。朗らかに笑う『勇者』に対し、司はその時だけは声色だけは通常とあまり変わらず、ラフな応対で接している。
『……ま、君にとってはそうなるんだよね。……んでさ、言われた通りなんとかハルに会ってきたよ。そういう事情があるなら構わないってさ。だからもう任された準備はできてるから安心して』
「ありがとう。死者なのに働いてもらって申し訳ない」
『いいのいいの。死者だからできることって限られてるし、僕も奴には一矢報いたいからさぁ。その手伝いができるなら喜んでやるよー』
倫理観的に死者にまで協力をさせていることに多少思うところはあるのか、司は苦笑した様子を見せて謝った。ただ当の本人は全く気にもしていない様子だが。
『さてと、じゃあ邪魔者は一旦退散しよっかな……』
一応『勇者』はただ談義をするためにわざわざ現れたわけではない。必要な報告があったため出てきただけであり、簡単に報告してその目的が果たされるとそそくさと司から距離を取って離れていってしまう。
『ちゃちゃっとアレの相手頼むね? 僕は感じ取れないけど、相当ヤバイんでしょ?』
「ああ、本体じゃなくても俺以外動けなくされるくらいだ。アイツらのためにも……これは俺にしかできない役割だ……!」
『勇者』を振り返ることなく仁王立ちし、後は任せろと背中で語る司の言葉に力が込められる。
『勇者』は既に魂や肉体……要は実体を持たないがために絶望を感じとることはできない。そのため、ヴァルダ達が味わった強制力を身をもって知ることは叶わず、その苦痛を共有することができないのだ。起こる見たままを生きていた時点での感性で補完し、それとなく想像することしかできない……言わば傍観者のような存在。
そんな『勇者』でもできることが一つだけ存在し、任されていたことがある。それが無事完遂したことを聞いたことで司の中にあったある懸念はこの時点でなくなり、それが意気込む理由へと繋がったようだった。
残っている為すべきことは……ソラリスの断片を消し去ることのみとなった。
『ア、アリ得ナイ……!? コ、コノ私ノ絶望ガ……足リテイナイト、イウノカ……? 馬鹿、ナ……!』
司の放つ殺意に身動きを上手く取れなくされ、危機感を覚えたソラリスは目を疑い狼狽える。ようやく、自分の置かれた立場を理解し始めたのだ。
ソラリスは既に本気で絶望という力を解放している。そして自分以外誰も抗えないものと信じてやまなかった力が微塵も効果をなしていないことで、初めて味わう感覚は……それこそ絶望だった。
絶望そのものだと言っても過言ではない存在であっただけに、その自分が絶望を知ることになったことは冷静さを失わせるには十分過ぎたのだ。
そこから更に、逃れられない追い打ちは始まる。
「ずっと待ってたんだ……お前をこの手で消せる日を……! 記憶だろうが本気で消させてもらうからなぁ……ソラリス……!」
『ヒッ……!?』
ソラリスが見てしまった瞳は、自分を完全に害と見なして消そうとするおぞましい人物に映る。この時、司が薄く笑みを浮かべていながら目が笑っていなかった印象は強烈すぎたのだろう。ソラリスはそう感じ、衝動的に悲鳴をあげてしまう。
この瞬間、初めて恐怖を自身が身を持って知ることになったのだ。
「『波動弾』!」
『ウグッ!?』
反応すらできない速さで司から繰り出される世界のシステム元来よりも強力な一撃がソラリスを襲う。拳圧を撃ち出す『衝波弾』とは少々変わり、弾速、威力、攻撃範囲を強化させた弾を掌から放ち、藍色に波打つエネルギーがソラリスの塊を一直線に貫く。
「『(コ、殺サレル! ダ、誰カ――!?)』」
一撃で済むならまだ良い。しかし、司が撃ち出す『波動弾』は次々にソラリスへと向けられる。再生してはその度にまた風穴を開けられ、ソラリスの全身が激痛で満たされるとその間二匹を覆う黒い霧は埃を叩くように霧散して切り離されるを目まぐるしく繰り返した。煙の様に広がる黒い霧が夥しくこぼれ落ち、ソラリスの力をひたすらに削っているのだということは誰にでも分かるくらいに。
その最中ソラリスが思考していたのは助かりたいということのみ。最早手段など選んではいられず、なりふり構っていられなくなったのだろう。一瞬だけ、ソラリスが支配下に置いていた二匹の霧の本体から乖離し、支配する力が弱まった瞬間だった――。
『ゥエッ!?』
「『獅子喰らい』!」
『ギッ!!!? ア゛ァ゛ア゛アアアアア゛!!?』
ここぞというタイミングで司が瞬時に距離を詰めて腕を伸ばし、ソラリスの塊を思い切り手で掴み上げた。正確に言えば拳で塊を突き刺したようでもあるが、決して逃がさないように爪が抉り込む力で掴み上げ、指は圧迫で一気に真っ赤に染め上がり鬱血しそうな程だ。そこから司の身体から生えるように伸びた四つの牙を模した力が、捉えたソラリスの塊を四方から勢いよく食い千切り、黒い尾を引いている部位を飲み込んでいく。
司の持つ『技』の一つである【体術】に属するスキル技を強化した『獅子喰らい』は、接触して拘束した相手の四肢を失わせるためだけの近距離技である。本来ならば動けない状況に持ち込んだうえで自らの手足が千切られ喰われる光景を目の当たりにさせることにより、肉体的苦痛と精神的苦痛を同時に味あわせる残虐性あるものであるが、手足のないソラリスでも身体を食い千切られる感覚だけは味あわせることができたようだ。
黒い霧が血のように、司へと霧吹き状に降り注がれる。
『ア゛……ア゛ァ゛……ッ!? ゥ゛ッ……!?』
「初めて味わう痛みは格別か? 喜べよ、もっと教えてやっから」
司から無慈悲な言葉を吐き捨てられるが、ソラリスは声と気力が一気に枯れ果て言葉すらままならない。そこにあった身体の感覚がなくなり、既視感によって未だ神経が繋がっているような気がするという気味の悪い感覚。掴まれていた身体をゴミのように投げ捨てられて解放されたものの、無造作に分離した黒い霧をかき集めて形だけ再生し、全身を走る激痛を堪える中ソラリスはこの感覚を心底思い知っていた。
『(『守護者』ドコロデハナイ……コレデハマルデ……!)』
『神殺し』――。ソラリスの脳裏にそんな言葉が浮かび上がる。
神すら殺せる程の力を持った最大最悪の障害。これでは『守護者』どころの話ではなく、今の自分には到底太刀打ちできる相手ではないのだという確信が生まれたのだ。
『(ニ、逃ゲナクテハ……!?)』
そうと分かれば取るべき行動は決まったも同然だ。勝算のない戦いを継続する理由などない。しかし、身体は激痛にもがいてフラフラと宙を漂って安定しておらず、その拍子に繋がっていた二匹の帯がほつれるように切れ、完全にポポとナナの支配権が失われたのか……二匹を染めていた黒色が引いていき元の色を取り戻し始める。
「「……」」
糸が切れたようにポポとナナの身体が自由となると、それと同時に宙に浮くこともできなくなったらしい。巨大化すら解除され、ソラリスを残して地面に向かって二匹の自由落下が始まってしまうが――。
「ヴァルダ! ポポとナナ頼む!」
「っ!? ああ、分かった!」
すぐさま救出すべく司がヴァルダに頼み込み、反応したヴァルダは颯爽とポポとナナを手に包んで確保するのだった。
そして司はというと――。
「どこに行こうってんだ?」
『――ア……ァ……!?』
逃げようとするソラリスの進行方向に先回りし、その行く手を阻むのだった。ソラリスはうわごとに似た悲鳴を呟き、身体を仰け反らせて急遽立ちすくす羽目となる。
今の司であればポポとナナを助けがてらソラリスを逃さないことなど簡単なことであったはずだ。だがそれをせずにヴァルダに救出を頼み込んだのは、ただ、それだけ本気だったというだけである。
許せないソラリスから一瞬たりとも目を離してたまるかという、司の途方もない執念。その執念はこれだけの力量差があることによって生まれかねない気持ちの油断を一切遮断しているのだ。
「いい気味だ。――でも足りない……もっと叫べよ……足りねぇよそんなんじゃ……! ちっとも足んねぇぞソラリスッ!!! 『クリスタルロック』、『剛翼衝波』、『ブラストバーン』!」
『イ゛ッ!? アグッ……グアァアアアアッ……!!!?』
ナナの力である魔法でソラリスを自分ごと閉じ込め、ポポの力である技を駆使してソラリスを容赦なく痛めつける行動に出た司は、分厚い氷に覆われた中でソラリスと共に爆炎に包まれ姿を掻き消した。未だに内部にいることを分からせるのは、絶え間なく続く風を切る金切り音と爆音が鳴り止まないという音の判断でのみであり、その音が鳴り止む気配は微塵も感じられない。
むしろ少しずつ、攻撃音は更に大きくなりつつある。
「塵一つここから逃がしてたまるか……! 誰が、何と言おうと……! それだけのことを仕出かしたんだ! テメェは! ――もっと苦しんで消えろ!」
『ヤ、ヤメ……ロ……!? ゥ゛アァ……アッ……!?』
このけたたましい暴音の中で司の声が届いたのは最早ソラリスだけだ。余りの苦痛から出た命乞いも無視され、一体どれだけの殺意を抱けばここまでのおぞましい行動に出れるのか……それは当事者のみぞ知ることである。
そしてそれを知らない者達は皆、遠目から二人を見つめて各々の感想を抱くのだった。特にジークはこの光景が感じさせてしまった部分が強すぎたこともあって、自身の中でざわつくモノが抑えきれなくなりそうになる程に。
「(圧倒的じゃねぇか……。激情に駆られてるように見えて、その実落ち着いてやがる……! 奴を殺す絶好の瞬間は絶対に逃さねぇってか)」
この時、今嬉しいという感情を抱いているのは自分くらいだろうと内心でジークは思っていた。
見えていないはずの司達の攻防がまるで見えているかのように、ジークは氷の中が爆炎で満たされる光景を凝視し笑みを浮かべていたのである。期待に満ちた子どものような眼差しをして。
「(どんだけだよお前……しかもあの力を浴びながらどうやったらそこまで自由に動ける……! 目の前には壁しかねぇようなもんだろうがよ……オイ……!)」
ジークの今の状態……要はこれは高揚だった。目の前で仲間が、本気で認めた人物が見せてくれる光景に戦慄が走った感覚がないと言えば嘘にはなる。自分を簡単に殺せる程の大きすぎる力が怖くないわけがないのだから。
だが、それ以上に神と呼ばれる存在相手に引けを取らない者を自分が選んでいたことが……司と出会えたことを今最も強く誇りに思ってしまっていたのだ。それは自分の中の血が騒いでいることを嫌に思いつつ、それでいてその思いに身を委ねたくなるくらいに。
「――チッ、塵になってもしぶてぇな。なら……来いっ、エスペランサァアアアアッ!」
『……!』
このまま同じことを繰り返して埒が明かないのでは意味がない。目的はソラリスの断片を消し去ることであり、ひたすらに恨みだけをぶつけることではないのだ。
塵となってなお再生をし続けるソラリスに対抗するために、司は『クリスタルロック』を解除してこの場にいる別の相棒である名をここで呼んだ。すると、一筋の孤影が空を駆けた。
「『勇者』さんの遺志は俺が継ぐ! だから……! ――こんな俺でも、認めてくれるか?」
『……!』
呼び声に応じ、目にも止まらぬ速さで馳せ参じたエスペランサ―を右手で司は握ると、凄んだと思いきや困った顔で確認する。
今、司がどんな心境でこの表情をしたのか……それは語り掛けられたエスペランサ―にしか分からないことだ。ただ、エスペランサ―にはその真意が納得のいくものだったのだろう。
「――あんがとな。だったら景気づけに初撃で決めんぞ」
『……!!!』
エスペランサ―に宿る光が、一際強まった。それは司を改めて認めた証拠であり、空白となった自分の新たな所有者と定めた瞬間だった。
「例えお前が相手でも、俺の記憶から生まれている以上は存在自体が不完全だ、本物じゃねぇんだからな。……だったらその一切を断ち切らせてもらう、ポポとナナの全ての力をここに……!」
エスペランサ―へと今自分が持ちうるポポとナナの力……その全てを司は注ぎ込む。爆発的に膨れ上がる力は片手だけでは抑えきれず左手で右手を支えながら剣を携える程のものであり、溢れ出ていくこれまでに見ることのなかった神気がこの広い空間を覆いつくしていく。
地面には接していないというのに、上空でありながら広がる視界が盛大に揺れていた。
そして――ソラリスに向かって司が跳んだ。
「これでトドメだ! アイツの怒り、しかと味わえ糞野郎! ……駆け抜けろ――!」
『ヤッ!? ヤメロヤメロッ――!? ク、来ルナァアアアアアッ!!?』
もう逃げることもままならない。ソラリスにできたのは盛大に喚くことだけでそれ以外はなにもない。持っていた万物全てを凌駕するはずの絶大な力も、司を前には不完全なままでは発揮させることすら叶わなかった。
「『無仭空閃・烈覇』!」
抑えていた左手を解き、離れた瞬間の反動をそのまま利用しつつ、更に一回転して放つ司の逆袈裟による一閃。力の上乗せを重ねた一撃がソラリスを浄化するように光で呑み込み、波状に広がる斬撃の波は限界を知らず広く閉ざされた空間ごと斬り捨てた。
それはまるで、未来の司が自分の過去の憂いを断ち切るようでもあった。




