360話 散り行く命 実りし華(別視点)
「くっ……!」
ヴィオラが手を伸ばす先には黒い球体がズラリと並んでいる。囚われの身となって拘束されたSランク冒険者達が閉じ込められ、成す術をなくさせた強固な球体上の結界だ。
しかし――。
「っ……! わ、私としたことが……計り違える、とは……!」
「ヴィオラ様……既にもう、その力すら……」
伸ばした手が意味を為さなかったこと、そしてヒナギは少しずつ抱きかかえる力の負荷がなくなることを実感しながら察してしまう。もうヴィオラの消滅の進んだ身体では自分自身の力を解除することすらままならないのだと。或いは代償を払えきれない身となった時点で不可能であったのかもしれないが、解除する意思があったということはその力が今後に影響を及ぼす可能性が示唆しているようなものだ。事実を物語るようにヴィオラは苦渋の顔を更に歪めるのだった。
「『神罰』を後払いにしたことによる……これこそ真の罰……でしょうか。このまま、では……皆様までも……!」
「なら、私が破壊します!」
理由はどうであれ、あの結界は破壊してでも無理矢理解除させた方が賢明である。ヴィオラに解除が無理な以上、ヒナギは名乗りを挙げて結界の破壊を試みようとするも――。
「それは……難しい、でしょう……。あれは、法術の中でも特別、です。物理的強度だけなら、かの超級魔法に匹敵、します……」
「超級に……?」
超級という言葉の強烈さに、一瞬尻込みして怯んでしまうヒナギ。超級が他と一線を画すことは知っており、自分では到底太刀打ちできる領域ではないことは理解していたのだ。
「(一体どうすれば……。このままでは……!)」
かの領域は気持ちや想い、精神力などの内面の強さだけでどうにかなるものではなく、太刀打ちに求められるのは純粋な強さである。超級という単語が出た瞬間から抗う考えはないのだ。
このまま為す術もないままなのかとヒナギが思ったその時――。
「――怯むな! お主ならばできるだろう!?」
「っ……!?」
不意に、どこからともなく身に迫りくる何かを感じたヒナギが咄嗟に身をよじって反応して振り向いた。そしていきなり自分の元に向かってくる一本の長物を確認するや否や、一目見ただけで不思議と警戒心は解れ、そのまま掴んで受け止めると馴染み深い感覚が手に伝わっていくことを実感し、驚かざるを得なくなる。
「これは……!」
ヒナギの手に収まったのは厳かな異彩を放つ一本の刀だった。見た目の彩色に違いはあったものの、刀身の長さや柄の太さ、形状は折れてしまった愛刀に瓜二つであり、ヒナギを知る者からすれば久しく見る非常に馴染み深い姿にしか映らない。
「『鉄壁』! お主の分身だ、そ奴を使え!」
投げられてきたのは長物だけではない。少し離れた岩肌の高所からヒナギに向かって叫ぶ声……その正体はまさかのジルバであった。
「ジルバ様!? 何故ここに……!?」
驚く気持ちはそのままに、ヒナギは町にいるはずのジルバがここにいることの理由が分からずに困惑するしかなかった。
しかしヒナギの声は届いたのか届かなかったのか……。ジルバは自分の抱えた気持ちを言葉にのせるのみで、ヒナギの心情は後回しにして自分の感情を優先してしまう。
「儂は職人だ、お前らの事情のことなどはよく分からんしどうでもよい! だが、そ奴がお前を求めていることだけは分かる! そして、それが今であることも! 手に取ったのなら分かるはずだ」
「っ……!」
ヒナギは今一度展開中の黒い球体の結界を見る。ジルバは今の惨状やヒナギとヴィオラの事情を知っているわけではない。だが、自分の為すべきことは元からの信念として感覚的に分かっているようだ。
自分が認めた打つべき者のために技術を奮い、完成した技術の結晶を与え、その技術の行く先を見届ける……ただそれだけを考えているのである。それはこれまでと何も変わらないジルバの日常。周りがどのような状況になろうとも関係がないのだ。
「あ奴らのお蔭で究極の『武』を打てたと……儂はそう確信している! この『武』をもってお主にそれが壊せぬのであれば、それはもう人には壊せぬ領域だ。お前が人である以上破壊は無理だ、諦めろ」
ジルバ本人からすればそうでなくとも、二人にとってはジルバの言う話に脈絡はないように感じるだろう。ただ、偶然にもヒナギとヴィオラにもその一貫した熱い職人魂は想いの形として……心に刺激を加えてそれぞれの内の中の切っ掛けをつくることに繋がったようだ。
「だがそこで消えかかっている小娘は確かに人だ。人以上の存在ではない。例え……そいつが天使であろうとな」
「っ……既に知っていたのですか……!?」
「フン、老いぼれとて余り見くびるなよ。随分前から――十年以上前から知っとるわい」
「なっ……!?」
消えることをまだ許さないと言わんばかりの驚きを覚えたヴィオラの塵化する速度が、ここにきて少し遅くなる。
自分が天使だと知られていたことをヴィオラがむしろこれまで知らなかったのだ。心が見えるはずのヴィオラに隠し事はできないはずなのにである。
「お前が天使であろうがそんなことは儂の知ったことではない。『鉄壁』よ、そこの小娘に最期見せてやるがいい。人の限界をな……!」
「(ぁ……。そうか、私は……)」
ジルバが興味などさもないと、『そんなこと』と言ってのけたこの言葉がヴィオラには強烈につんざいたようだった。
天使であることがどうでもいいと考えるジルバの言葉に嘘はない。実際本当に考える必要もないほどにジルバにとってはどうでもよいことだったのだろう。ヴィオラにとって、自分がそう思われる場合もあること自体が盲点だったのだ。
「(思い込み過ぎて、いたのか……)」
心が見えていようが、要は結局相手がどう考えているかなのだ。これまで天使であるという事自体を特別視しすぎていたため、結果麻痺していた感覚によって勘違いをしていたのだとヴィオラは遅まきながら理解するのだった。
「……」
そしてヒナギの心にも、ジルバの言葉は上手く嵌まっていた。
ヴィオラが言葉もなくなっている一方、本人にも理由が特に分からない行動を無意識の中で既に実行し、纏う雰囲気が切り替わっていたのである。刺々しくはないが、どこか近寄りがたい雰囲気へと。
「……」
「(い、一体どうしたというのだ……?) 『鉄壁』……!?」
「――ヴィオラ様、失礼します」
唐突な変貌を遠巻きからでも気が付くことができ、ジルバが声を掛けるも決して呼びかけ事体に応じたわけではないようだ。ヒナギの淡々とした物言いはただ一方的に話しているだけのようであり、そのまま支えていたヴィオラからゆっくりと手を離して立ち上がってしまう。
「(これは……まさか入っている……!?)」
ヒナギのこの状態にヴィオラは心当たりがあった。それは自分を圧倒できるに至ったことで証明されているものであり、ヒナギの元々持っていた資質を考えれば至極当然のこと。世界はあの日から少しずつ確かに、ヒナギにあるべき変化を与え始めたのだと……。そしてまさに今解放されようとしているのだと。
「(全くこの人達は……。死に際でどちらも驚かせてくれる……。至高の一人に至る瞬間にまで……最期、立ち会えるなんて……!)」
静かに居合の構えを取るヒナギの姿を見たヴィオラの目に、確信によって最期の光が宿ったようだった。
ヒナギの魂が『昇華』したことは思いつきもしなかった良い予想外であったが、その結果がすぐに表面上の効果として顕れようとしていたためだ。
ヴィオラの永い人生の中でも殆ど目撃したことのない歴史的瞬間だったのだ。散り行く間際の余興には十分すぎる。
「剣の道は我の人生。剣は我、我は剣……。剣は己が心を映す鏡、魂の写し身。我が血肉と表裏一体そのもの。――不可能を可能に、可能を確実に……!」
ほんの少し前かがみで腰を落としたヒナギは目を閉じまま言葉を紡ぐ。生気を感じぬ完全に気配を絶った姿は周りにいる全てを巻き込んで覆い尽くし、有無を言わさず強制的に静かにさせる力を伴っていた。このヒナギとは思えない振舞いはまるで別人が乗り移ったかのようであり、誰にも悟らせることなく既に手は柄を握りいざ抜かんとしている。
一体何が起ころうとしているのか……いや、一体何が起こったのだろうかとそれぞれが考え、唐突に一陣の風が吹いた刹那答えは明かされる――。
「咲き誇れ――!」
集中の極まりによって閉じていた瞼が開かれ、出現させた白い蝶も連れだってヒナギが動き出した瞬間新たな歴史が世界に刻まれた。黒き結界の群れに閃撃の華が舞い散る光景……至高の一人の誕生は本人によって雄々しく大胆に示されて。
「『無仭空閃・絶華』」
初めの一太刀の斬撃を本命とし、無数に飛び交った蝶達の散撃が縦横無尽に後追いで咲き乱れる様に斬り刻む。一撃必殺でありながら美しさすら覚えるこの一撃を味わったが最後、息絶える瞬間まで目を奪われてしまうことだろう。
志高の一人に――【剣術】の理へと至ったヒナギが放ったのは、世界のシステムに元々組み込まれたもの。そこから更に自分の流派と備えた力を混ぜ合わせ、ヒナギの『技』と呼ぶべきものへと進化させたものだった。
剣閃煌めき華開く奥義……その名称は元の名に『絶華』を加えてこの世に生まれ落ちた。
既に条件は整っていたのだ。残すは一つの要因のみで、ヒナギはたったそれだけが理由でこれまで極みへと至る資格を得られない状態だった。
ヒナギはそこへ、悲願とも言える領域にようやく……足を踏み入れたのだ。
「……」
再び目を瞑り、自分の動作全てを噛みしめるヒナギ。今度は集中して閉じているのではなく感傷に耽るように。そのヒナギが縦に持った刀を胸の前で鞘に収めたと同時に、一斉に対象であった黒い球体は粉々に砕け散って囚われていた者達が解放される。その一部始終を、ヒナギの尊顔を、囚われの者達は目に焼き付けるのだった。
「「「「「――!」」」」」
しかし、事が済んで身を翻し、再びヴィオラの元へ近寄るヒナギに誰も声をかけることさえできなかった。何も聞こえていなかったのだとしても、今の一部始終を見ていたSランカー達には無事解放されたことによる喜びの声すらあがらない。聞こえるのは息を呑む音のみで、それ以上の衝撃に襲われていたためである。これは別次元の域に達し、それでいて同地位である存在との事実格差故であり、司やギルドに襲来した者達が別次元の力を持つことは分かっていたが、ヒナギとの力の差も既にここまで著しくかけ離れてしまっているとは思いもしなかったのだ。
ヒナギが離れて小さくなる姿が、そのまま力の差を象徴しているかのようである。
「お見事……! 『超越者』へ……『昇華』したことで貴女も、至りましたか……!」
「……はい。不思議です……突然全てが集約したかのようです」
Sランカー達の思いは露知らず、今自分のした真似は本当に自分がやったものなのか……曖昧な様子でヒナギは半呆然としてヴィオラの受け答えする。意識は確かにあったが、完全に自分の意思のみで動いたかと言われるとどうも自信がない。この時のヒナギはやや無意識だったのかと気を留める程度の考えであった。
「理に至った方を見るのは……方々以外では初めて、ですね……。その力があれば、あの人を守れます。ヒナギ様、手を……」
「……ぁ……」
存在感すら失われつつあるヴィオラが差し出した手をヒナギが取ると、触れあった部分からほんのりと淡い光が宿った。そのほんの僅かな光はヒナギの中にある心に語りかけ、言葉だけでは通じない部分を直に伝えさせる。
「伝わったでしょうか? 私の心が……。もう、いいですよね……?」
「……はい……! ヴィオラ様、ごめんなさい……。でもカミシロ様に、この取り返しの付かない重荷を、罪を、背負わせずに済んで良かった……!」
「ええ、私もそう、思います……。ありがとう……ヒナギ様。私を、殺していただいて……。あの方は背負いすぎる……。もう、これ以上何かを背負ってはいけない……」
両者共に、悲痛ながらも安堵してしまっている自分がいる。行き場のない複雑な思いがせめぎあい、唯一共有して同調できた気持ちは司に人殺しをさせずに済んだという事実のみ。
未来を変え、本来の人脈や運命の流れを変えようがヴィオラの死ぬ運命は初めから変わってはおらず、当初より確定していたものだった。本来司が殺すはずだった配役が自分に切り替わったのだと、ヒナギはその配役の重い責任を果たすため、逃げないで受け止める道を選択するのだった。
ヴィオラと司……二人のために。
「……今かの地に向かえ、るのは……ヒナギ様だけ、でしょう……。今の貴女でも……どうなるか分かりません、が……行くのであれば、止めません。既にこの時間の、新たな未来が始まった以上、……その世界を作っていくのは、貴女方なのですから……」
「はい……!」
「ただ、一つだけ……――お願いです、もう死なないで、下さい……。あの方のためにも、セシル、様のためにも……貴女はもう絶対、死んではいけない……! あの方に、悲しみに暮れた心を作らせては……!」
ここでセシルの名を持ち出した理由は同族として同じ力を持ち、最後の一人にしてしまう罪悪感故か……。
目に見えるだけが形じゃない、だが現実として見えてしまう心の部分。セシルがヒナギらには見えないものまで見えてしまう影響の大きさを懸念し、願いと忠告の意味をもってヴィオラはヒナギに頼み込むと、ヒナギはその考えもすぐ理解し深く頷いて決意を固める。
「頼み、ました……よ……。……あぁ……永かった……。ユー……リ……いま、そっちに……ーー」
それがヴィオラの最期の言葉となった。力を使い果たした様子で身体が一切動かなくなると、一気に残っていた身体が塵となって重力の支配から解放された。この隙を見逃さんと言わんばかりに、肉体を粒子へと変えた身体は強い横風に流れ溶け、跡形もなくこの場を去っていくのだった。
「……ヴィオラ様……」
残されたヒナギが、最後に小さく呟かれた誰かの名を忘れることはないだろう。
ヴィオラという、世界のために永きに渡って全てを犠牲にした……もう一人の存在の最期を看取った者として。その手向けとして。
「貴女の願い、必ずや守り通すことを誓います。この……我が剣に賭けて……!」
※11/8追記
次回更新は月曜あたりかと。早ければ日曜頃です。




