350話 昇華(別視点)
◇◇◇
「……うっ……!」
薄暗い洞穴の奥深く。埃っぽく空気の淀んだそこでジルバは人知れず目を覚ました。
首裏から芯に響くような痛みを堪え、年老いた老体に鞭を打って無意識にヨロヨロと立ち上がる。
「(ここは一体……? それよりも儂はどうしたというのだ……)」
身体はまだ微睡と疲労によって安定しないが、今の状況が決して普通ではないことだけは理解していたジルバは辺りをゆっくりと観察する。そしてここが軽く閉鎖された場所であるということを認識しつつ、徐々にこのような状況に陥った原因を思い返す。
「(っ! そうだ、儂はあ奴と話をして……)」
思い出すのに大した時間は要らなかった。自分の記憶が、ヒナギのために打った武器を届ける最中に偶々出会ったアレクという少年……彼に出会ったところで途切れていると。更にその時に、ヒナギのために打った武器を奪われてしまったということも。
ただ、奪われたと思っていた武器は思いの他丁寧に布に包まれたまま壁際に置かれており、特に手荒に扱われたような形跡もなく無事だったのは幸いか。ジルバは状態を確認しながらその理由を考える。
「(コイツは無事だったようだな……。目的はコイツではなかったということか?)」
今回武器をわざわざ打ったということは殆どの者が知るところではない。どこで武器を打ったという情報が漏れてしまったのかは不明だが、アレクは確かに武器を自分から奪うような発言をしていたことをジルバは朧げに覚えており、奇妙な疑念を覚えていた。
この武器の存在を知っていたというなら、このようにぞんざいな扱いをするだろうかと。
ポポとナナの協力も得て創り上げられた歴代でも類を見ることのない最高傑作。自分が打てる『武』の中でも最も手応えのあった一品は打った自分が一番その脅威を知っているのだ。
間違いなく、かの宝剣に迫る性能を秘めている確信があった。
「っ!? 音……? 誰か戦っているのか……?」
その時、光が差し込む方向から響く喧騒にジルバは注意が向いた。
これからの自分の行動はどれが正しいかも分からないジルバにとって選択肢などはなく、洞穴からの脱出を図るために音がする方向へと歩を進めるだけだった。
◇◇◇
「――ですので、どうか少しの間だけ大人しくしてていただきたいのです」
「……」
一方、噴煙立ち込める様が覗けるボルカヌ大陸奥地ではヴィオラと対峙するヒナギがいた。
どうやらヴィオラもまたナターシャのように大人しくしてもらえるようにヒナギに交渉を試みていたようだったが、その返答はポポらと同じく芳しいものではなかったらしい。ヒナギの普段は温厚な表情は険しく、明らかな嫌悪感が読み取れている。
「お断りします」
「……そうですか」
ヴィオラから伝えられたことに対してヒナギは拒否を示すと、ヴィオラはそれも仕方がないといった様子で肩を落として納得する。元々納得できるとは思ってもいなかったということもあるが、何より話している段階でそのことにはいち早く気が付いていたためだ。
「グランドマスター、それは論外極まる提案ですよ。この状況を手っ取り早く穏便に済ませるとしたら……貴女を斬る――それが一番でしょうか」
「流石に貴女程優しい人でも、愛する人が傷つけられたことは我慢ならないようですね?」
「ええ、カミシロ様を傷つける方を許すことはできません。それが故意によるもので、仮に今の話が本当だったとしたら尚更です。それ以前に確証も証拠も何もない話を信じることなどできませんから。見た事実のみを今私は信じます」
冷たく言い放つヒナギの言葉は普段が温厚である分棘の部分が非常に目立っていた。これまで誰に対しても見せたことのない敵意をヴィオラへとぶつけている様は、ヒナギの一生分の怒りが込められているかのようである。
決して声を大きく荒げたりはしないものの、怒気を含んでいると分かる声はヒナギであるというだけで知る者からすれば戦慄を覚える程と言えるだろう。
「ジーク様もヴァルダ様も……カミシロ様を傷つけた貴女方を私は決して許せません……! 何故あの人ばかりがあんなにも傷つかなくてはならないのですか……!」
「(全くです。そればっかりは世界に言っていただきたいものです)」
「あの人が私達の為に命を掛けるように、私もあの人の為に命を掛ける所存。……お覚悟を、貴女を斬ります!」
ヴィオラの言葉を待つよりも前にヒナギは宣言し、作り出した刀の切先を淀みなく向ける。ヴィオラをグランドマスターとしてではなく、『ノヴァ』として、敵として認識して。
珍しいというより、ヒナギは今初めて怒りに身を任せて我をほぼ忘れていた。その原因は司に加えられた危害を目撃してしまったことと、何故そのようになってしまったかの理由を不鮮明ながらに今聞いたことがきっかけである。
ヒナギにとって司は絶対にいなくてはならない掛け替えのない存在なのだ。しかしイーリスで司を失いかけたことで絶望しかけ、司を守りたいのに自分の力では守れない絶望をその身に刻んでしまったことで、葛藤に葛藤が混ざり合ったヒナギが司に向ける好意は表には普段こそ出てこないが狂気染みた域に達してしまっていた。以前司を求めようとしたのもここに起因している。
それ故に、こと司が絡むことに関しては見境がなくなってしまっていたのだ。例え自分の力が及ばないことが分かっていようと、育まれてしまった狂気がそうさせる。冷静な判断をできなくしてしまう。
少し考えれば、ここは争うべきではなかったと考えられる場面だとしても。
「心意気は結構ですが、ヒナギ様では力不足ですよ。ここまで逸脱者の多い中で普通のままである貴女では天使である私には勝つことはどう足掻いてもできません。そこにいる彼らと一緒です」
「……」
ヴィオラが目を向ける方には、未だに黒い球体に閉じ込められたSランカー達が一か所に纏められている。中からどんなに抵抗をしようが微動だにしない球体に対し殆どの者が大人しくせざるを得なくなっており、ヒナギとヴィオラの行く末を見守っている。会話も聞こえないため見ることしかできないのだ。
「正直、同情しますよ。何故貴女のような人が大した力を持てなかったのか……本当に悔やまれますね」
「っ……。自分の力のなさが悔しい……! 何故、私はこんなにも……!」
「(でしょうね。貴女は本当に心からそう思っている)」
ヴィオラも天使であるために他者の心を見ることができる。ヒナギの考えを知ったヴィオラもまたヒナギの抱えている葛藤には心から同情する他なかった。
例えこの世に生きる者ほぼ全てを恨んでいたとしても、ヒナギはその中でも恨みをぶつけたくはないと思える真っすぐな心を持ちすぎていた部類に入るのだ。これまでに見てきた数多の心とは別格の慈悲に満ちた優しき心。ヒナギはそれを持っており、愛を重んじる天使にとっては好意が狂気じみていようが関係なく、心が輝く程眩しく見えてしまっていた。
「セシル様と一緒で心は見えているのですよね? ……滑稽ですか? 今の私は」
「いえ、まさか。その逆ですよ」
「そうですか……」
例え自分の力が及ばずとも、抵抗を止めることはできない。司が現在危機に瀕していると聞いてしまって黙っていることなどできるわけがないのだ。僅かにだがその自覚を持っていたヒナギは構わず腰を深く落とし、居合の構えを取った。ヒナギが繰り出せる最高の一撃である。
「(ヒナギ様もある意味譲れぬ力を持つ者の一人、ですね……)」
「では――参ります!」
自分が今から何をするか相手にばらしているようなものであったが、どうせ心の内を見られてしまっているのだ。ただでさえ圧倒的な強者に小細工など意味も無し。
ヒナギは一刻も早く駆け付けたい想いと、だがそれが叶わないと悟った絶望の気持ちをこの一太刀に全て乗せ、ヴィオラに向かって捨て身の一歩目を踏み出した。
「(正面突破……すみませんヒナギ様――っ!?)」
「ッ!!!」
あり得ない――ヴィオラが最初に感じた感想自体、あり得なかったのかもしれない。
「う、くっ……!?(ば、馬鹿な!?)」
結果は既に分かり切っていたというのに、ヒナギが消えたと見紛う程の速度でヴィオラに接近し、居合の一太刀をぶつけたのだ。その事実にヴィオラの身体は追いついたものの、理解は全く追いつかなかった。
「(何が起こった!? いや、この人は一体何をした!?)」
「くっ……やはり届きませんか……!」
ヴィオラが驚くことしかできない一方で、ヒナギは悔しそうにしているだけだった。
【護神の反逆】によって作り出した白き刃の剣を結界で受け止めるヴィオラはヒナギの心と表情を絶え間なく確認する。心は確かにヒナギの本心である、決して届きはしないが死力を賭して抗うという考えを。表情に現れる必死の様相はそれを確かなものとして確実な意思を彷彿とさせる。
そう、ヒナギの今の本心はヴィオラには敵わないことを前提としていたはずなのである。その考えを持って今の一撃を繰り出した……それは疑いようもない。
ヴィオラは決してヒナギよりも強いからと思って慢心していたわけではない。事実ヒナギとヴィオラでは実力の差がハッキリしすぎていることは明白だったが、人の心は嘘をつかないものであり、つけないものである。
天使としての元々の強さもそうだが、それに伴い魂もヒナギよりも上。魂で強さが決まる関係上、既に限界近くまで成長しきっている二人の戦力差を覆すことは不可能なはずなのだ。
それが、ヴィオラですら辛うじて対応できる程度の動きを、ヒナギの心からは想像もできない現実の結果として出してしまっていたのである。
「(なんという膂力……!? お、押し切られる……!)」
ヒナギの一撃を止めるために使った結界は咄嗟に発動したこともあって薄皮一枚で心許ない。そしてヒナギが加えてくる想像を裕に超える重圧を前に突破されてしまうのは目に見えていた。
突破される前にバックステップで距離を取り、ヴィオラは只ならぬ雰囲気を醸し出すヒナギに向かって闇に染まった矢を放つ。
「『デビルズアロー』!」
「『絶華七輪撃・柳』!」
放った矢は三本で、それぞれが別の軌道でヒナギへと迫ったが、ヒナギはそれを広範囲の攻撃を薙ぎ払う『柳』によって無理矢理弾き飛ばして何事もなかったように防ぐ。その際振り飛ばした斬撃はヴィオラの真横を過ぎ去り、遥か遠くにそびえ立つ火山の景色に溶けて消えていく。
そして今の攻防に違和感でもあったのか、こう聞くのだった。
「……? 今のはわざとのつもりですか? 私相手に本気を出すまでもないと……」
「(自覚がない!? いや、まさかそんな……!)」
ヒナギは自分が見向きもされない程に弱者として見られていると思っているようであり、ヴィオラが今の対処で手間取ったことは油断しきっている程の相手が自分であったと感じたらしい。
一方でヴィオラは衝撃を覚えてしまっていた。ヒナギが今自分を圧倒しかけた実力を本気で自覚していないということに。
ここで一つ、ヴィオラにとある可能性が脳裏にフッと湧いて出る。
それは、それこそ奇跡とでも言うべきかのような確立。狙ってできるような芸当でもなく、今の状況下であるからこそある意味生まれてしまったかもしれない微かな希望の一つであった。
「……驚きました。まさか、この土壇場で昇華したというのですか……!?」
「昇華……?」
魂は生まれ持った段階で限界の強さは決まっており、魂の器以上の強さを得ることは不可能である。……しかし、理論上ではたった一つだけ例外があるのだ。
これまでに得ていたヒナギ達のこれまでの情報を振り返り、今の可能性に至る考えを導き出したヴィオラはそれしかないと確信し、今のヒナギの実力に対し納得すると同時に焦りを覚えてしまう。
「(本当の命の危機に瀕した者は極々稀に魂に異常をきたす可能性を孕むと聞いていましたが……このタイミングでとは)」
もしもこの事実に気が付いていれば、こちらからあらゆる手を使って戦いになることを避けていただろう。既に優勢などではなくなった今、ヴィオラはどう上手くやり過ごすかを必死に考えるのみだった。
ヒナギの思考を読もうが読まなかろうが勝敗は決したも同然。だがしかし、もうヒナギが既に止められない状態となっては後の祭りも同然だった。
「……ようこそ、化物の領域へ……!」
精々ヴィオラが言えたことはその程度であった。
次回更新は水曜です。




