300話 贖い人
「あの人? それは誰のことなんだ?」
俺が疑問に思っていたことを、シュトルムも気になっていたようだ。
これまでの会話で一番『あの人』に該当しそうなフリードという人はもういないのだから論外。となると別の人物のことを言っているのは確かだが……。
俺達が知ってる人なのか? セシルさんが納得したような反応してるし。
「あの人はあの人ですよ。私の口からは言えませんね」
はいまた出ましたー。恒例の肝心な部分は話さない姿勢。正確には話せないんだろうけど、『血』だけじゃなくて誓約にまで縛られてるのは面倒だなオイ。
グランドマスターが与えてくれる情報には実りが多いことは多いが、逆に新たな不明なままで終わる情報も多すぎて困る。
だがこれじゃこっちも消化不良のままだ。聞いても答えてくれないならセシルさんに聞くまでだ。
「セシルさん、『あの人』って誰?」
「いや、私も心当たりはない」
…………はい?
「え? 分かんないの!?」
「うん。けど、ヴィオラさんが言ってることに嘘を感じないから納得はしただけ。誰かはサッパリ」
所謂アレか、感じろってやつですね。ハハ、しゃらくせー。
セシルさんの話聞いてるようで全然聞いてませんでしたみたいな発言に一瞬呆けてしまいそうになる。ただ、これはすぐにセシルさんの持つ心を見抜く力が原因なのだと分かってしまった。
でもイーリスで俺の心の声を聞かれたのと同様に、セシルさんはグランドマスターの考えは分からないのかね?
天使相手だとできなかったりするんだろうか?
「皆様とは違い、『外の時間』を知ってしまった私には言葉の重みがあるのですよ。そして特に『名』というのは世界に与える影響が強いのです」
「それはどういう……?」
何言ってるかサッパリ分からんぞ。もう少し分かりやすく言ってもらいたいもんだ。
「……分かりやすく言うと、私もこのような話し方をしなければならないのはもどかしいといったところでしょうか?」
「あ、すみません」
「「「?」」」
心を読んで気ぃ遣わせてしまって申し訳ありませんでした。
俺が心で愚痴ったことに対する弁明が苦笑交じりにグランドマスターから明かされ、何も言えなくなる。口にせずとも分かるとはこういうことか。
セシルさんとグランドマスターのさっきのやり取りも似たようなものだったのかもしれないと、身を持ってすぐに理解することができた。
俺とグランドマスターの不自然なやり取りに皆が不思議に思っている中、グランドマスターは続ける。
苦笑がすぐに真面目な顔に切り替わると、俺達が思う以上に事態は重いのだと……それを訴えかけるような眼差しを向けながら。
「言葉は全てが『言霊』となり得る。軽々しく口にして良いものではないのです。これから新たな未来を作り上げていく方々を前に、全てを知っている私が世界に影響を与えかねない発言は迂闊にはできない。皆様はまだ実感もないと思いますが、今のこの会話が世界の命運を左右していると言っても過言ではないのです」
「……え゛……」
一斉に皆が固まった。まさか世界の命運という大きすぎるスケールの話が持ち出されていた事実に。
全くそんな心構えでここには来ていない。ここにいるのは、俺の記憶のことや皆のまだ不明なことが分かるくらいの気持ちで来ていたのだから。それと『ノヴァ』のことも。
未来の俺が言っていた未来を変えるという意味。それを俺は自分のことだけだと捉えていたが、実際は大きく違っていた。セルベルティアで『勇者』に。イーリスではフェルディナント様に言われた俺の『役目』が思い返される。
――世界の危機。
想像もつかない過酷な『役目』……それは世界の命運を左右する可能性が極めて高い。そして俺自身の未来と強い関係性があるという気がしてならない。
俺の未来と世界の危機は別物として扱うのではなく、同一のものとして見るべきものだったということか?
「あ、アタシ、さっきからついていけてないんですけど……これだともっと……」
「アンリ嬢ちゃん安心しろ、俺もだ」
アンリさんとシュトルムの力のない言葉のやり取りが耳に入って来る。力のないというよりかは、現実味が湧かないの方が正しいのかもしれない。
事を受け入れるには時間が必要なものだ。それが大きければ大きい程に。
「招集日に全ては分かりますよ。時代も種族も違えど、運命の分岐点とも呼べるその日に一連に携わっている者達は集結し、未来を変える。未来の貴方様はそう仰っておりました」
グランドマスターに向けられた視線は、未来の俺と今の俺に向けられているような気がした。
始まりか終わりか……その雌雄を決する日が着々と近づいていることは確かなようだ。
「なんだか、今日一日で語り尽くせる話の規模ではないように思えてきますね」
「間違いないでしょう。私もこれからやるべきことが少しあります。招集日まで数日時間はあることですし、一度ここでお開きとしましょうか。焦っても良いことはありませんから」
は? 何を言ってんだ貴女は。
「いや、むしろ謎の方が多く残ってるからこのまま一気にもっと話を聞かせてもらいたい。ここからが肝心な部分じゃ――っ……ぅ……!?」
「ご主人!? どうしたの!?」
「カミシロ様!?」
いきなりここで会話を終了させようとするグランドマスターに、俺はセシルさんと同じように引き留めようとした。だが、一瞬思考が停止して言葉が上手く出てこず、頭の中を揺らされているような感覚に陥る。
ナナとヒナギさんの心配の声は聞こえるも、振り向く余裕はない。座っているのに立ちくらみのような感覚に急に襲われ、思わず目の前のテーブルに手をついて支えを取る程だった。若干の吐き気もあり顔を上手く上げられない。乗り物に酔ったような気分も同時に味わっていた。
なんだ、急に……!?
「やはり、そろそろ貴方様の限界のようですね」
「ど、どういうことですか!?」
アンリさんの心配した声も聞こえる。随分と焦っていて、事情を知っているらしきグランドマスターに迫っているようである。
今はただ、俺は皆の会話を聞いていることしかできなかった。
「記憶の目覚めは想像以上に脳への負担が激しい。少量ならまだしも、本来なら一定の速度で蓄積されていく1分1秒の時間を、一瞬の時間に凝縮して定着させているのですから。今日はこの地に来たことで最も重い記憶の片鱗に触れているのであれば無理もありません」
「そんな……」
「そして今までの会話はカミシロ様にとって、まだ実感はなくとも非常に結びつきの強い内容です。我々の全てに連なる者であるカミシロ様は、二度に渡って混じってしまったことで、潜在意識の中に散らばった未だ解放されずに残る記憶の欠片が少しずつ呼び起こされているのですよ。それらは互いに連動し、結びつき、より濃い記憶となって還元される。それが今反動として初期症状という形で出てきているのでしょう。今日のこれ以上の会話は、混じってしまった時のように激しい頭痛に襲われることになりかねません」
「っ!? じゃあやっぱり……イーリスの時のご主人の頭痛は……」
「無論、未来のカミシロ様と混じったことが原因です」
まだ答えをもらっていなかったが、イーリスに未来の俺がいたことは確実なようだ。
……そうか、あの激しい頭痛は存在が混じることで引き起こされていたのか。
だが、初期症状ならまだ軽めの症状だしもう少しいけるということだろう? あの激しい頭痛にしたって決して死ぬわけじゃない。ならもう少し――。
「カミシロ様、無理はなさらずに。貴方様の自分の身を省みない勇ましさは知っていますが、どのみち未来の貴方様からは一気に話すなと忠告を受けていますので」
と思った所で引き止められてしまう。
会話の出来ない俺とグランマスターが会話が出来ている。この事実は天使の力の恩恵を俺が今大きく受けているということである。
意思疎通の出来ない人に寄り添える力が……天使の力って感じがするな。
「そうなの?」
「はい。行動パターンは大体読めるからと……概ねこちらのシナリオ通りです。それに、話しすぎたら負荷云々ではなく、考えすぎてあらぬ方向に物事を捉え始めるだろうとも言っておりましたよ」
くっ、流石に俺か。よくわかってやがる。
現に今脳内では話の整理が追い付いてない状態だよ……でも見透かされてるのなんか腹立つわ。自分に腹が立ってどうするって話だが。
「まだ皆様に話すことが多いのは私も承知しております。しかし私も未来のカミシロ様から仰せつかった他のやるべきことがまだあります。そちらを疎かにすることはできません」
「……グランドマスターのその役目は、どんなものなのですか?」
「それは誓約に抵触するので完全にお答えすることはできません」
「む、やっぱりそればっかりだね」
もっと言ってやれセシルさん。ついでに頑張って本心見抜いてくれ。
「申し訳ありません。でも我々は……役目を語ることは決してできないのですよ」
「我々? もしかして他にも、仲間っていたりするの……?」
「ええ、いますよ。一人でも欠けてしまえば達成することのできない、重大な役目を持った方達が」
協力者は他にもいるのか……事が事だけになんとなく想像はしてたが。
その1人であるグランドマスターが天使なくらいだ。他の人というのも相当普通じゃない人達であることは想像に難くない。
まだ俺達が会ったことのない人達なのだろうか? それさえも分からない。
「……言葉を大きく濁すなら、私は今回の一連の事の顛末を見守り、時に修正し、見届けてきた。それが昔から今も変わらない私の役目……とだけ」
「昔から……? 」
「――さて、明日の正午にまたお会いする時間を設けますよ。その時、今日の話の中で『ノヴァ』がどのように関わっていたのかもお話しましょう。今貴方様が思っている疑問にもね。そして――一番の謎であるアンリ様の秘密も」
「っ!?」
それが早く知りたいんだ……!
身体の制止という命令を無視し、強制的に俺は顔を上げた。
やや焦点が定まらないままであるが、視界には確かにグランドマスターが入っている。
「だったら、この間に問題が起こってからでは遅いと、思うんですけど? もう面倒事が起こってから対処するなんてのは、懲り懲りだ……!」
「ツカサさん……」
「……」
気が付けばすぐ傍らにはアンリさんが寄り添ってくれている。心配そうな顔をしながら。
アンリさんも早く自分の秘密を知りたいと願っている。ジークに迫られた身の振り方の選択は辛かったはずだ。最も心の普通なアンリさんにとって、一般の生活から期限も分からない間切り離される覚悟を決めた時の苦悩は、例え口には出さずとも辛かったはずなのだ。
そして今は俺達と共にいるために自分にできる努力を日々続けてもくれている……。
俺だけじゃない、俺らがその秘密を早急に知りたいのだ。今何故このような事態になっているのかに最も関わりのあるその秘密を野放しにはできない。
俺に、アンリさんを守らせてくれ……!
「面倒事と言えることなど当日以外には起こりえませんよ。決して」
目力を込め、口には出さずに心で叫んだ俺の声は……届いたのか届かなかったのか分からずに終わった。
「それは、何を根拠に……」
「事が起こるとお考えなら、それは既に起こっているというのが正しい。例え4ヵ月時期が早まろうとも、『ノヴァ』は既にこの世界を終焉に導くための算段はほぼ整え終えていますからね」
「なっ……!?」
「ただ、未来の貴方様が今はそれを無理矢理引き延ばしているのですよ。でなければ今頃、我々は既に戦乱の中に身を置いていたはずです」
未来の俺は、俺では対処しきれないから今動いているんだろう。今の俺じゃ何もできないのを見越した上で。
既に後手に回ってしまっていた事実は、本来なら失敗の結末へと直行する最悪のケースだ。未来の俺がいたからこそ免れているわけだが、いなかったらと思うと背筋が凍りそうだった。
結局俺だけでは、対処しきれないのか。既に分かってはいたことだが、でもやはり無力感はある。
俺にできることって一体何があるんだ?
「……ですので『ノヴァ』は招集日まで此処に来ることは叶わないのでご安心ください。最終調整は慎重に行っていますので」
「最終調整って、なんですかそれ……」
「こちらの話です」
意味深な台詞を最後に、そこまで言ってグランドマスターは席を立った。これ以上はもう話すことはないと、広げていた天使の羽を背中に収めてドアへと歩み寄っていく。
その時俺は、何も言えなかった。
「それと、明日はカミシロ様とセシル様以外はここには来ないようにお願い致します。ポポ様とナナ様は一緒で構いませんが」
「ちょ、どういうことだそいつは。俺らには話せない内容ってことなのか?」
「別にそのような理由ではありませんよ。今日は仕方なく我慢していましたが、私は贖い人の顔など……見たくはないのですよ」
「贖い人……?」
グランドマスターの声のトーンが明らかに下がり、ジークへと向けた時程ではないが非常に刺々しい。
振り向きもしない後ろ姿からでも分かるくらいに、友好的とは言えない態度は余りに急であり、動揺が皆に走った。
なんでいきなり……? それに贖い人って。
「待ってヴィオラさん! 例え心が見えてても……やっぱり無理?」
「ええ、私には耐え難いです。必要ないのなら見ることは避けたい。カミシロ様が心から自慢する方々を悪くは思いたくはないですが、それでも……」
「……」
「皆様が良き心の持ち主であることは私も分かっています。でも私の心がどうしてもそれを拒絶する。――ジュグラン様の対処もありますので、今日はここで失礼します。また明日同じ時間によろしくお願い致します」
明日にまた会う約束を再度取り付けると、この場にいることに耐えられないような足取りでグランドマスターは部屋を後にしてしまう。
残された俺らに、奇妙な違和感を残して……。
「難しいよね、そりゃ……」
セシルさんは少し顔を伏せ、寂しそうにポツリと呟いたのだった。
次回更新は1週間は先です。
※12月5日(火)追記
次回更新は来週の月曜までにやります。
遅れてすみません。m(_ _)m




