261話 猫耳少女と忠犬ジーク
右も左も分からない、粘っこいような空間の渦巻く体験をしたのは一瞬だけだった。『精霊の抜け道』を抜けると、そこはだだっ広い草の匂いに包まれた草原であった。
「うわぁ……本当にグランドルに帰ってきてる……!」
「ん、分かってても驚き」
「えぇ、凄いものですね……」
『精霊の抜け道』を初めて利用した女性お三方の反応は、まさに驚嘆しているといったところだろうか。イーリスに行く時は海を渡るために港まで行き、そこから船で数日を過ごし、それからまた半日以上もの時間を掛けてオルヴェイラスへと着いたのだから、こうまで一瞬で移動ができることに現実味がないのだろう。
交通手段も乏しい世界ではあるが、例え交通手段が地球の様に発達していたとしても、比較にならない早さでの移動をしているのだから仕方のないことではある。
「ここ数年はこういう風景が多かったし、なんかオルヴェイラスより懐かしい気持ちがしないでもないな……」
「旦那、早速嫁さんに殺されそうな発言だな?」
「しょうがないだろ? 実際そうだし」
ジークがシュトルムの発言に口を出しては、不吉な発言でシュトルムをおちょくる。シュトルムはそれを確かにそうだと分かってはいても、自身の感じる気持ちに嘘はないから仕方がない、そう言いたげに返答するだけだった。苦笑しながらジークを見ている。
俺も、帰ってきたのだと思って息を思い切り吸い込み、そして盛大に吐き出してみる。
最初の地……俺達はここから始まり、そして皆と出会えたのだと。らしくもないことを考えながら。
……うん、この匂いは紛れもなくグランドルだ。仄かな草の匂い、それに土の匂いが混ざって鼻孔をくすぐるこの感じは、疑いようもない。
イーリス特有の清涼感のある匂いは確かにない。だが、この世界に来てから過ごした時間の多いここらの地域の匂いは、俺に確かな懐かしさと居心地の良さを思い出させてくれる。
母親の作る手料理をおふくろの味と言うのと一緒で、この匂いはそれと同じような気がした。
ただ、イーリスのあの匂いにも馴染んできていたために、そこに若干の寂しさがあることも事実だ。しかし、イーリスに二度と行けなくなるわけではないし、また行きたいと思える……そうポジティブに考えることにし、俺は皆へと声を掛けた。
「――行こう、手続き済ませないと」
見据えるはグランドルの顔とも言える門。あの人がきっといると思いながら、俺達は歩を進めた。
◆◆◆
最早運命を感じていると確信しているレベルであると言えるのかもしれないが、やはり手続きをしてくれることになったのはラルフさんだった。
当然の如くラルフさんとのお約束である脳内妄想を済ませ、労いの言葉と共にグランドルへと俺達はようやく帰って来た。
ぞろぞろと集団で歩いているのだから、なんともまぁ目立つこと目立つこと。美女が1人、美人と美少女? が2人、おまけにエルフで王族、破天荒な見た目の不良男性が1名ずつ俺を挟んで立ち並ぶこの光景である。最早ジャンパーですらないパッとしない見た目の俺は、辛うじて両肩に乗せているポポとナナによってアクセントを加えた程度の、まさに小物同然の印象である。
正直この街でなければ俺はカツアゲされてると勘違いされても仕方ないかもね。それくらいこの場に似つかわしくないくらいの存在感してると思います。
『安心の園』に戻る短い道中であっても、すれ違う人達には頻繁に声を掛けられるという事態が相次いでしまったが、短く適当な挨拶に留めてなんとか『安心の園』まで辿り着くと――。
「ミーシャちゃん!」
「え……あ、皆さん!? お帰りなさいです!」
『安心の園』の玄関前で、箒を持って黙々と掃除をしているミーシャさんの姿が見える。
アンリさんが声を掛けると向こうもこちらに気が付いたようで、大変驚いてもいたが、ミーシャさんははにかんで俺達を迎えてくれる。
あらら、眩しい笑顔痛み入ります。我がパーティメンバー、欠けることなく只今ただいま致しました。
「うん、ただいまミーシャさん。いつも通りみたいで安心したよ、元気だった?」
「はい。ツカサさん達がいない間はちょっと寂しかったですけど、特に変わりありませんでした」
暫く会っていない人への様式美のような質問をしてみると、グランドルはいつも通りだったとの返答が返ってくる。
それを聞いて、なんか安心した。『安心の園』という名前通り、帰るべき場所のような安心感を与えてくれるなぁなんて思ってしまったり。
宿の名称が本当にそのまんまであることは、僭越ながら実に良い謳い文句だと思いました。
――ただ、安心したというのは実際のところそれだけが原因ではなかったりするのだが。
確証も根拠もないのだが、俺は何処か不吉な予感がしていたような気がしていたのも事実だ。セルベルティアが『ノヴァ』の襲撃に遭ったと聞いた時、本当にそれだけで済んだのか? そう心が僅かに訴えかけてくるような、奇妙なざわつきが俺を刺激していたように思う。
皆にはこのことは話していない。何故なら、些細なことすぎて話す気にもなれない程に小さなことであったからである。例えるなら、普段の何気ない日常で感じる他者との会話での意味のない深読みや、相手の言葉を自分なりの解釈のもと、捻じ曲げて気にしすぎたという範疇のものと似ていたために、大して気にもしていなかったのだ。
しかし、今ミーシャさんとこのやり取りをしただけで、俺は自分が感じている以上に心が酷く安堵したような錯覚に陥った。……今更になってしまうが、俺の感じていた予感は間違っていなかったのかもしれない。
真相は分からないが。
俺が一瞬だけボーっとしたようにしていると――。
「み、ミーシャ……!」
「は、はいっ? ど、どうしたんですか?」
感じていた不安を吹き飛ばしてくれたと思えるくらいの勢いで、ジークが行動に出た。
「なんでもいい……何かスイーツ作ってくれ……! 頼む……!」
「へ、えぇっ……?」
いきなり頼むことがそれかよ。ミーシャさんビックリしてるぞオイ。
ジークが必死に懇願してる姿とか初めて見たんだが……何コレ、正直異様すぎる。
怖すぎる不良顔と、小さく幼気な顔の残る美少女の組み合わせだ。ジークがミーシャさんの両肩を鋭い目つきをしながらガシッと抑えているようだが、それはまるでナンパの範疇を超えた、強姦未遂犯に似ていると思わないでもなかったり……。
ジークの唐突な行動に俺は、俺達は呆れてしまう。
「どんだけだよ……ハァ。ミーシャさん、悪いけどお願いできる? コイツミーシャさんのスイーツが恋しいらしくてさ……昨日もゴネてたんだ」
しかし、そういえばジークは昨日ミーシャさんのスイーツが食いたいと切実に願っていた姿を思いだした俺は、非情に申し訳ないと思いつつミーシャさんに頼み込んでみたのだが……。
「っ! アハハ……分かりました。ジークさん相変わらずですね。あるものになっちゃいますけど、それでもいいなら……」
聞いた瞬間、耳をピンと立たせていながら、ミーシャさんは苦笑しながら了承を示すのだった。
でもさぁ……仕方ないなぁ的な顔で言ってるけど、尻尾があっちへこっちへとブンブンなので毎回どう思ってるか丸わかりですよ? 嬉しくて仕方ないのが目に見えすぎてるんですが……。
ミーシャさんがジークに懐いていることは最早誰もが知っている。だが何故そうなったのかの経緯を俺は聞いたことがなかったのだが……恐らくコレ以外には考えられない。
「頼む……!」
ミーシャさんの返事に希望を見出したかの如く、ジークも目をキラキラさせて息を吹き返した。こちらももし尻尾等があるのであれば、ミーシャさんと同様にあちこち動かしていたことだろう。
うん、でもその場合こっちは可愛くないです。てか人となりを知っているからむしろ怖いです。
まぁなんにせよ、相変わらずミーシャさんきゃわわ~。
「それじゃあ……いつもの部屋空いてますから自由に使ってください。皆さんを気遣ってなのか、あの一画は皆さん専用みたいになってるんですよ?」
「そんなことになってんの?」
「……ん、確かにずっと占領してるみたいに生活してたからね。仕方ないかも」
なんということだろうか。俺達が以前寝泊りしていた部屋だけが丸々空いているとのこと。
長居しすぎていたせいか、そこは俺達専用である風潮みたいなものが出来つつあったらしい。後に詳しく話を聞いてみたところ、俺達がいない間は外部から赴いた人以外の宿泊歴がなかったそうな。
本当に実家になりつつあるんじゃね?
さっき感じたのはガチで実家のような安心感であったのが微レ存。こりゃたまげましたわ。
「はい、ですからいつもみたいにしてもらって構いませんよ~。ジークさ~ん、その後に作りますからちょっと待っててくださいね~」
「おう」
ジークから解放されたミーシャさんは、パタパタとした足取りで『安心の園』へと入っていくと、早速俺達が帰って来たことをフィーナさんに大声で伝えながら姿を消していった。
……てかさ、なにこの2人の自然なやり取り。ジークが従順な犬みたいになっとる。お手って言ったら腕ごと抉られそうだから言わないけど。
あとミーシャさん、なんか説明の仕方に無駄がなくなった気がするね。成長が垣間見えてなんだかお兄さん嬉しいよ。初めて会った時の少しこちらを警戒しているような姿がなくなって……逞しくなったなぁ。
「良い奴だよな……アイツ」
ミーシャさんが見えなくなった後、ジークがポツリとそんなことを呟いた。この発言がやけに真剣味を帯びているように見えたものだから、全員キョトンとした顔でジークを一斉に見つめてしまう。
「なんだなんだ? いきなりどうした。お前さんミーシャ嬢ちゃんに惚れちゃったのか?」
ジークにしてはらしくない、シュトルムもそう思ったのだろう。ジークに冗談で聞いてみると――。
「さぁな……俺は恋愛事なんぞ体験したこともねぇから分かんねーよ。……だが、アイツ俺なんかの頼み聞いてくれっからよ、なんか……ありがてぇのと同時に迷惑じゃねぇのかって思っちまうんだよなぁ……」
「「「「「「「……」」」」」」」
ほえ? 意外と真面目なこと言うじゃないの。
ジークは溜息に感謝と自虐を半々にしたような一息をつくと、更にこう続けていく。
「つーかアイツ、俺なんかと接してたらまともな男もできねぇんじゃねぇの? 年頃っちゃ年頃だし、ちっと心配だぜ……」
君も人の事言えないくらいの年頃じゃね? 俺の一個下くらいなんだし。
「思ったより物騒な奴が多いってこと、分かってりゃいいが……」
お前がその物騒な奴筆頭だろう? 面白い冗談言いなさんなって。
「まぁ、そんな奴がいたら近寄らせやしねぇがな」
キャーカッコイイ、ジーク君男らしくて素敵です~。そのまま自分に言い聞かせると尚素敵です~……………は?
いやいやいやいや!? 軽く聞き流してたけど誰だよお前は!? そんな台詞吐くような子じゃなかったよね!?
そして、冗談で言っているのかすら分からないことを言った後、ジークは一足先に『安心の園』へと入って行ってしまう。根ほり葉ほり何故いきなりこんなことを言いだしたのか聞きだしたくはなったが、それは叶わなかった。
「あれホントにジーク?」
「何があったし……」
「朝食とかに変なものでも食べたんですかね?」
「イーリスでそれはないと思いますが……」
「というか何処から何処までが冗談だったの? それとも本気で言ってたの?」
「どうだろう……ジークさん自然に言ってた気もするけど……」
当然、呆気に取られて即今のことについての談義が始まってしまうのも無理はない。事が事であり、ジークであるが故に緊急性は極めて高い。
しかしジーク君よ、柄にもないこと言わないでくれ、返答にリアルに困るんですけど。
え? でもアイツ本当にどうしたのさいきなり……甘いもの食いすぎて脳みそが甘くとろけてしまったのか? そうじゃないとあんな発言が出来るとは思えん。
「う~む、どうせこれもまたツカサの影響だったりするんじゃないのか? まさかジークまで過保護みたいになった発言をするとはな……」
「なんでだよ。俺関係ないだろどうみても」
シュトルムが急に俺が原因とか言いだしてしまうものだから、ハッキリ言って遺憾である。根拠もないのに俺のせいにするとは何事だろうか。
しかしシュトルムはというと――。
「本当にそうか? お前の質の悪いところは、良い部分も悪い部分もまとめて誰かに伝染させるようにしか思えないからよ。だから案の定過保護が移っちまったんじゃねーかと思ってな」
何それ超怖いんですけど、洗脳に似た何かを俺がしてるってことですかいな? アホか。アルで過保護を先程実演したというのは否定しないけども。
だが、歩く災厄はジーク一人で十分。俺という病原菌を俺が無意識に振りまいているみたいなことを言うのはやめてもらいたい。
つーか、元はと言えばお前がジークに変な事を言うからこうなったわけで、責任転嫁されてるようにしか思えない。俺は被害者、お前は加害者。此度のイーリスでの報酬を今から請求したっていいんだぞシュトルムさんよぉ。
「……あ、そういえば…………確かにそうなの、かも……?」
「えぇ……」
シュトルムの言ったことを全否定したい衝動になったというのに、ここでまさかのアンリさんが納得したような反応をしていることに気が付いた俺。思わず残念さをふんだんに込めた心情が勝手に吐露されてしまい、ジト目でアンリさんを見つめてしまう。
何故アンリさんがそこに同意を得てるんだ? もうわけが分からないよ……。
俺ではなくシュトルムの肩を持つと言うのか……ムキィーッ!
それにしても……ん~? 「このままではまともな男ができそうもない、だから俺がそんなミーシャの相手を見定めないといけない」ってことをジークは言ってるんだろうか? 恐らく無意識にだろうけど。
お互いに一定以上の好感度はあるし、兄のように過保護みたいにそう思うのも分からないでもないが、でもそれ以前にミーシャさんにそうさせてしまっていると思うだけの自覚があるのに距離を置こうとしないのって……無意識にミーシャさんの傍にいたいとかって思ってるからなんじゃ……?
これって兄みたいな立場としてなの? それとも一人の男としての立場なの? どっちになるかで結構今後の展開が変わって来るんじゃなかろうか。
なんだろう、案外笑えない話になってきてる気がする。ジーク割と本気でミーシャさん気にしてる? 女の子として。
「――お前等、適当な事ごちゃごちゃ言ってっとぶっ殺すぞ?」
「「「「「「「ご、ごめんなさい……!?」」」」」」」
自分なりに考察し、ジークについての談義を更に繰り広げようかと思った時、扉が開いてジークの一喝が入って俺達を震え上がらせた。
気が付かなかったが、恐らくは今の会話は筒抜けであったのだろう。ジークは五感が鋭いので、例の嗅覚とまではいかないが聴覚も悪くはないのだ。これくらいは当然かもしれない。
俺達は予想だにしない事態が早速発覚したかもしれないことに頭をフル回転させながら、遅れて『安心の園』へと入り、手荷物を降ろすのだった。
次回更新は金曜です。




