260話 さらばイーリスの地
◇◇◇
ほどよく晴れ空が澄み渡り、七重奏の虹が雲に挟まれて見え隠れしている。太陽の光と七つの彩光はイーリスに差し込み、本日もイーリスに群生する数多の動植物に安らぎと活力を恩恵として与え、暖かく見守っている。
言葉を交わせるような意志のあるものではなく、自然の産物。しかし、不思議とこちらに何か語り掛けているのではと思わせてくれる七重奏の虹は、この大陸で守り神として崇められるのも納得が出来てしまう気がしなくもない。
「……では、達者でな?」
「はい、そちらも。……フェルディナント様、クローディア様、お世話になりました」
「それを言うのはこちらの方だよ。……この御恩を忘れることは無い」
「はい、皆様のお蔭で今がある。それを忘れることはこの先ありませんわ」
現在『宴』も終了した翌日のこと。昨夜は盛大な『宴』で祝い事をしたわけだが、オルヴェイラスの街の広場にはこの街に住むほぼ全ての人が集結していた。俺達パーティ面子と三カ国代表達を中心にし、円を描くように展開している。
理由は今日、俺達がこのイーリスを後にするからである。わざわざ見送るために集まってくれたらしく、今の状態が出来上がったというわけだ。『宴』は夜遅くまで続いたこともあり、中には二日酔いや寝不足、はたまたはしゃぎすぎたことによる疲労が残る中での集結だ。その気遣いと民達の意思の統一性の高さに感服するのと同時に、申し訳なさも身に覚えてしまう。ただの野次馬で騒がしいだけならまだしも、烏合の衆になるなんてことはなく、静かに事を見守っているのもそう思う原因だろうか。
「ツカサ、何かあればすぐに言ってくれ。縫製関係ならば特に力になれよう」
「うん、そん時はお願いする。ハイリ達も何かあったらすぐ連絡してくれ」
フェルディナント様とクローディア様から挨拶があった後、次はハイリから。要請さえあれば、ハルケニアスの誇る技術力を振るってくれる頼もしいお声をいただけた。
そうなると当然――。
「あれ、ツー君? ワタシにも何か一言ないのかなぁ?」
……ですよねー。流れ的に次は貴女となるわけだ。リーシャが待ってましたと言わんばかりにしゃしゃり出てきては、一拍置くごとにずいずいと俺へと近づいてくる。早く早くと急かすような態度に、俺は露骨すぎると苛立ちを覚えた。
ハイリとリーシャは、結局昨日オルヴェイラスで一夜を明かしていたりする。……まぁ正確には今日であるが。ハイリは元々そのつもりでオルヴェイラスへと赴き、またハルケニアスを不在の間も不備がないように事を済ませている。……まぁこれは当然のことだろう。最早義務であると言える。
しかし、リーシャはそうではない。公務が残っており、本来であれば『宴』もそこそこに切り上げて帰らなければならないところだったのだが――。
『リーシャ様、そろそろお戻りになってください』
『え? やだ。今盛り上がってるし』
『えぇっ!?』
これは昨日のリーシャとシルファさんの会話である。
ハイ、案の定リーシャはシルファさんに迷惑を掛けやがりました。一度クーデターされて政権交代してしまえ。その方がシルファさんも報われるだろうよ。
リーシャの王族要素皆無である実態を目の当たりにし、つくづくそう思うしかなかった。
そんなリーシャ相手なのだ。まともな挨拶を交わす必要などないと俺は判断させてもらおうか。
「……行き遅れになるなよ?」
「それは言わないでよ!? てか言うことがそれなの!?」
案の定文句を垂れられてしまう有様となってしまったものの、何か言うことと言われればそれに尽きるだろう。この言葉が一応は女性であるリーシャにどれだけ危機感を募らせるかは俺も重々承知しているし、デリカシーのない失礼な発言をしたとは思う。
だが、リーシャ相手に失礼を働かないことの方が最早失礼に感じてしまうくらいに俺はやられ放題になった事実があるわけで、この判断は仕方のないことだと思うんですよ、うん。
デリカシーがないだと? あぁそうかい。だったらデリカシーが来い。以上。
目の前でピーピーと雛鳥の様に喚くリーシャを他所に、視線を別の場所へと向ける。
すると――。
「シュバルトゥム様、装備にどこか不具合はありませんか?」
「おう」
「ちゃんと定時連絡は欠かさないでくださいね? なんだったら毎朝毎晩、いかなる時でも受け付けますので!」
「クローディア、あのな……「あ!? 少し失礼します、肩に糸くずが」……オイ……!」
「っ!? 少々髪の毛に艶がいつもよりも無くないですか? やはり体調不良d「だぁあああっ! 今更何言ってんだよ!? 装備にしたって昨日散々確認しただろうが!?」
「そんな酷い……! 私はシュバルトゥム様が心配で……うぅっ……!」
あららぁ……何やら惚気交じりの痴話げんかが始まってますねー。
シュトルムの出立でもあるということで、妻であるクローディア様の心中は穏やかではないようだった。相手はあの『ノヴァ』達で、しかもその危険性を直に見たクローディア様からしたらこの反応をしないわけがないのだが、元々溺愛しているということからそれに更に拍車を掛けているらしい。甲斐甲斐しいでは収まらない程の心配を見せてはシュトルムを困らせている。
「5年前とちっとも変わってねーじゃねーか!? 全く同じやり取りしてるぞお前……」
「仕方ないではありませんか!?」
「ここまでくると仕方なくないではありませんか!? ちょっとクローディアさん? 散々話し合った末に決めたよなぁ? 引き止めようとしてんのが見え見えなんだが?」
「むぅ~! シュバルトゥム様の馬鹿馬鹿!」
「……」
額に手を当てているシュトルムは、何を言っても無駄かという顔をしていた。対するクローディア様はというと、それが心外なのかシュトルムに食って掛かっていく。ポカポカという表現が正しいくらいの強さで、シュトルムの無防備な胸を叩いている。
この時、それを温かく見守ってた俺達の心情は同じものであったに違いない。全員が同じ顔で見つめていたのだからそうに決まっている。
ちっともクローディア様に同情する気になれねぇ……と。
この光景がなんとなく予想できてしまったために、シュトルムの苦労が手に取る様に分かるというものである。
取りあえず、この夫婦は暫く収まらないと思って高を括るしかあるまい。だからシュトルムは5年前は深夜に出発したのか~、納得。
「――ん? アル?」
大勢の人達に見送られ、痴話げんかだけが煩くなったところで、静かだった民衆が何やらざわめき始めた。そこから違和感を感じた俺が周囲を探ると、騒ぎの中心へと頼りなさげにトテトテと歩いて近づいてくる一匹のユニコーンの姿が目に付いた。――アルだ。
普段なら馬小屋からそこまで出たりすることもないくらいに大人しく虚弱なアルが、この広場へと一匹でやってきたのだ。これには驚かない訳がないだろう。ここにいる人達が珍しい物を見るような眼差しでアルを見つめているのがその証拠と言える。
アルは俺達の前までくると、全員を端から順々に見るように首を少しずつ動かす。そこに初めて会った時のような頼りなく苦し気な姿はなく、むしろ今までよりも力強く地を踏みしめる姿に見とれてしまう。元々アルが神聖なユニコーンだからというわけではなく、アルがこの姿を見せたということにである。一種の感動と言ってもいいかもしれない。
瞳の奥底では底知れぬ力を秘めているような雰囲気を、俺は感じた気がした。
全員を見るのを終えたのだろうか。アルは中心にいた俺へと最後は照準を合わせ、更にトテトテと俺の手が触れられる位置まで近づいてくるのだった。
そして――。
「クォォ……」
「どうしたんだ? お別れ言いに来てくれたのか? ありがとうな~アル」
顔を俺にこすり付け、見た目とは裏腹に力なく鳴くアル。か細い声は例え近くであっても消え入りそうな具合に、俺にぶつかるだけで周りには聞こえなくなってしまいそうに小さい。
だが、それもそのはずである。アルの表情を見てしまっては仕方のないことに思えたし、俺も感化されて同じ気持ちにさせられてしまったから。
「っ!? オイ、そんな顔するなよ……! 今朝ちゃんとお別れしただろう? そんな顔されたら……俺まで、泣きたくなるだろう?」
「キュゥウウン……」
アルと俺の身体が微かに震え、少しずつその大きさを増していく。目尻にはじわじわと涙の粒が溜まっていき、今にも溢れて零れてしまいそうになった。やがてそれは臨界に達し、それと同時に堪えていた衝動も一緒となって行動に現れてしまう。
「あ、あ、……アルぅうううう! 元気でなぁっ!」
「クォオオオオオン!」
「「……」」
大勢の人達から見られていようと関係ない。俺はアルにどうしようもなくなって抱き着いた。そして泣いた。対するアルも俺がその行動に踏み切ると盛大に今まで聞いたことのない声で鳴き、思いの丈をぶつけてくる。
見ずとも分かる、両肩に乗っているポポとナナも泣く程でないかもしれないが、俺と同じ別れを寂しく思う気持ちを持ってくれているはずだと。コイツらも俺と同じ体験をしているし、一層強くそう感じているはずである。
「泣くなよ、お前等……」
流石に別れという場面で泣くというのは、無いことは無いと言えるだろう。だが、それがまさか人とかではなくユニコーンであるのは意外というか、変に思われるかもしれない。シュトルムの言うことは分からないでもない気がする。
だが、シュトルムがやれやれと呆れていたとしても知ったことではない。今、この涙を止めることは俺にはできないのだ。湿っぽいのが嫌だから朝に別れを済ませたというのに、このお馬鹿さんはやらかしてくれやがっちゃってまぁ……グスン。
「アルお前元気にやってけよ? ちゃんと飯一杯食って夜は早く寝ろ。毎日適度な運動は欠かすな、何か異常を感じたらすぐに誰かに言うこと。それから不審者に会ったら大声で助けを求めること。重ねて言うけど規則正しい生活しないとすぐに体調崩すから食生活は特に気をつけてな? 身体が資本だぞ?」
「親かお前は!? 過保護にも程があるだろ!」
「だってぇ……」
自分でも分かるくらい、言葉足らずな頼りない言葉が出たもんである。
シュトルムのツッコミは当然のことだろう。でもそうしないとやってられないのだから無理は言わないで欲しいというのが正直な感想だ。
……あ、なんかクローディア様と今の俺似たような感じになってる気がする。人の事言えないんじゃね? アンリさん達まで苦笑いしてるし。
今の俺はクローディア様がシュトルムを引き留めようとしてしまうことと、少し似ている節があるだろう。――要は心配する気持ちだ。
アルの登場により、思わない形で俺もそれを発揮する羽目になってしまったようである。
でも俺がこんなことを言いたくなってしまうのは、アルから懐かれているということも理由の一つとしてある。
俺とアルは昨夜……一つ屋根の下で一緒に夜を明かした間柄なのだ。勿論アブノーマルな意味ではなく。その出来事が思ったよりもアルと心を交わすことに繋がり、これまで以上の絆を生む結果となったわけである。
だって仕方ないじゃん、昨日部屋で寝ていたら例の件で襲われそうだったんですもの。まさかの発情してしまった女神様と、ご乱心となった神様のご両名に対抗などできるわけもない。逃げるが勝ちというチキンプレイで許してもらうべく、共犯者として余計な口を割らせないためにポポとナナを引き連れてアルの小屋に逃げ込む手段に出たまでである。
いやぁ、藁で寝たのなんて初めてでしたよ。若干馬臭い匂いはしたけど、ポポとナナが元々少し鳥臭いので大して気にすることでもなかったし、代わりと言っちゃあなんだが非常に温かかったりして快適だった。アルとポポとナナの3獣士に囲まれ、俺はぐっすりと寝ることができましたとも。
しかもアレですよ? 起きた時にアルが俺を大きな身体で支え、尻尾と首で包むようにして温めてくれていたと知った時はほっこりした気持ちにさせられたよ。何だ、この可愛い生き物はと。お持ち帰りしたいくらいに愛着が更に湧いてしまうのも仕方ないってもんでしょうよ。
……え? ポポとナナの2匹はどうだったかですか? ポポは言わずもがな、礼儀正しくしっかりした姿勢で俺の首元に入り込んで寝てました。お蔭様で首元がめちゃ暖かったです。
でもナナは寝相が悪くて、何故か知らないけど俺の首元からシャツの内側に落ちたのかね? 腹の方まで移動しててモゾモゾしておりました。しかも夢で魔法でも使ったのか、寝言みたいに氷系の魔法を使うもんだから滅茶苦茶冷たいし寒い思いさせられてしまう始末。腹を下さなかったのは幸い……勿論取り出して藁の上に放り投げときました。それでも起きないから大したもんだが。
ちなみに、ユニコーンは通常の馬と違って立ったままじゃなくても寝ることが可能である。脚が柔軟なのかそういう構造が元々出来てるのかは知らないが、しゃがみ込んで一緒に今回は寝れたとういわけだ。
「アル、俺達もう行くから……元気でな?」
「クォ……」
アルに軽く最後のスキンシップを済ませ、これ以上はもうやめようと身を一歩退いた。これからやろうとしていることにアルを巻き込むわけにはいかないため、アルから離れておかねばならない。
『……』
「開くぞ」
言わずとも俺の手元へと、エスペランサ―が自然とやって来てくれる。そのままスムーズに、俺は『精霊の抜け道』を俺達の背後に出現させた。
さぁ、いよいよお別れだ。
『精霊の抜け道』を初めて見た人が多いため、一瞬ざわめきが強くなった気がした。そんな反応を向けている人達に向けて、俺は大きく言った。
「それではまた! リーシャ以外お達者で!」
「ちょっ!? 酷くない!?」
まさか最後の最後までこんな扱いを受けるとは思わなかったのだろう。リーシャに一泡ふかすことができたようだ。驚愕した顔が目に飛び込んでくる。
うるせぃやい、どうせ何も言わなくても達者で暮らすくせに何を言うか。せめて引き合いに出されただけでも感謝してもらいたいくらいだ。
「クローディア、親父、ハイリ、リーシャ! 留守の間皆は任せた。こっちは俺らに任せてくれ」
「……ハイ! お待ちしております」
「大口を叩くようになったな? ……成し遂げてこい」
「無茶をするなとは言わん。……だが無事に帰ってこい、シュバルトゥム」
「うん! こっちはへーき! いつも通り皆と協力してくから!」
既に言いたいことを含め挨拶を済ませていたということもあり、シュトルムも一国の王として、簡素にだが最後はそう声を掛ける。すると、それを頼りがいのある返答をしてくれるのは各代表達。面々の顔は酷く真面目であり、覚悟の強さを感じた気がした。
……恵まれてるなぁシュトルム。
「ヒナギ様ー! お元気でー!」
「うぉおおおおおおんっ! ヒナギ様ぁああああっ!」
「皆様、さようなら!」
トップ達のやり取りに感慨にふけっていたのも束の間、やはりというか、ヒナギさんとの別れを惜しむ信者達がここで騒ぎ出した。いや、むしろ今まで黙っていられたことを非常に褒めたい。
ヒナギさんはやはり相手を無下にすることはできないのか、手を申し訳程度に振ってその声に応えていた。
けたたましいくらいの別れに対する歓声と謝辞を背に、『精霊の抜け道』の中へと俺達は進んでいく。
クローディア様、フェルディナント様、ハイリ、リーシャ、アル、それから3カ国に住む人達の姿が……走馬灯のように俺の記憶の中を駆けまわり、体験したことの全てを掘り起こす。
実に奥深く忘れることのできない、濃密な時間だった。
やがてメンバー全員が『精霊の抜け道』を通ってそれを閉じる時、アルの姿が最後に僅かにだけ見えた。最後まで俺達を見送ってくれている姿勢に、良い奴だなぁと思って名残惜しさがまた湧き出てしまう。
しかし、そこで俺はふと……何気ない疑問があったことを思い出した。
何故アルは、俺に最初から懐いてくれていたのかと――。
人見知りが激しいということはシュトルムから聞いて分かっていたし、ポポとナナは獣同士だからか特に何も拒絶反応はなかった。しかし、ジークはまぁ論外としても、アンリさんとヒナギさんらにも恐れる姿を見せていた程であるし、人見知りはそういう元々の性格であるのだとは思う。
でも、それなら俺だってアルからしてみれば初対面であるし例外ではないはずだ。それであるにも関わらず、アルは最初から俺に言う程の拒絶反応を示すことは無かったように思う。初対面で直に触れられた、触れさせてくれたという事実がある。
フェルディナント様は言っていた。世の中の大半はほぼ必然であるのだと。これまでに解明のできていないことは多くあるが、アルのこれもまたその一つである。
アルが俺に恐怖を抱かない、俺自身気づかない理由がある、のか……?
って考えたところでねぇ……。分かったら苦労せんわって話なんですがね。一応気になっただけのことだ。
何はともあれ、こうして俺達はイーリスを後にした。向かう先は勿論グランドル、久しぶりの『安心の園』である。
次回更新は火曜です。




