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神鳥使いと呼ばれた男  作者: TUN
第五章 忍び寄る分岐点 ~イーリス動乱~
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254話 『宴』:ヒナギ④

「え、ヒナギ……さん……?」

「意識、してくださってるんですね?」


 怒るでもなく、ヒナギさんは笑うだけだった。俺の発言と反応に対するお咎めはなく、してやったりという顔で……。

 未だなお腕には胸を押し付けたまま……でもそもそも向こうから押し付けてきたわけで、これで怒ったりされても理不尽極まりないというものだ。


 ただ……あれ? 怒られなかったのはラッキーなんだけど、今日のヒナギさんよく笑うなぁ。しかもなんだかエロい顔で。

 エロいスイッチ……通称エロッチでも入っちゃったの? うそん……。あのヒナギさんが……てか赤い顔で言うことじゃないと思いまふ。

 ちなみにそれはどっちの赤なの? 興奮? 恥ずかしさ? せめて後者であって欲しい所なんですけども。


「あ、あのヒナギさん? 甘えてくれるのは嬉しいですし、何されても別にいいんですけど……雰囲気いつもと違くないですか? てかさっきと全然違いますよね!?」


 この状況はマズいと反射的に感じた俺は、一先ず静止の意味も兼て話し合いに持ち込もうと画策した。反射的とは言っても、事実ヒナギさんの雰囲気が変貌を遂げたのは確かでもあるため、その確認をするには丁度良い。


「そう、ですか? 私はアンリ様と同様に、遠慮はしていないだけですよ。もし私がいつもと違うように見えるのであれば……それはカミシロ様がそうさせたんです」

「あ、ちょ……!」


 既に近い顔を更に俺へと近づけ、吐息が感じられる程にまで距離を詰めてヒナギさんは返答してくれる。近すぎる顔に初めてキスした時の恥じらいはどこに行ったのだとツッコミを入れたくなるところではあるが、流石にそんなことを言う気力と余力は俺にはない。会話にもならない声を発してドギマギしてしまう。


 ヒナギさんの意識は、一応しっかりしてはいるようだ。その上でこの発言をされてしまってはどうしようもない。今のヒナギさんを作ったのは俺であり、結局は自業自得な結果になったというだけだ。俺の思慮の浅さとヒナギさんへの無知さ……その事実に打ちのめされる。

 俺は良かれと思い、お姫様抱っこというあの行動に踏み切った。だが、それがまさかヒナギさんの理性とも言えるべきリミッターを外してしまった原因になってしまったのだろうか。


 ヒナギさんは、至近距離で焦らすように話し掛けてくる。


「ひ、ヒナギさん!? 近い、近いですって!?」

「周りには誰もいませんからいいではありませんか。それとも、嫌なのでしょうか?」

「嫌じゃ……ないけど。でもヒナギさんがいきなり変わっちゃったもんですから……」

「変わってないです。正常だからこそ、今私はこんな行動に出れているんです。カミシロ様が悪いのですよ? 甘えて欲しいだなんて言うから……。もう、私抑えきれませんよ?」


 俺と今のヒナギさん、どちらがまともかと言われれば間違いなく俺の方がまともなのでは? 初めてヒナギさんよりもまともになった自分がいるんじゃね? すげぇ、超快挙ですわ。

 てか、ヒナギさんの言い方がなんだか酔ってるのに酔ってないって言う人みたいだ。完全に暴走しとる。


「酔ってませんし暴走してません。それとカミシロ様はいつもまともですよ」

「あ、ハイ……って、なんで分かるんですか!?」

「分かりますよ……カミシロ様のことなら」


 いやいやいや、ここまでくると最早怖いよ!? セシルさんみたいに人の心読まないでくれ!? 


 少しずつ、壁際に追い込まれていく感覚がした。理性と精神がみるみるすり減り、ヒナギさんの勢いに呑み込まれてしまうのは時間の問題に思えた。


「……」

「……?」


 ――が、一気に詰め寄って来たヒナギさんではあったが、そこから先へは踏み出そうとはしなかった。迫りくるのがピタッと止まり、会話もないままに膠着状態にお互いなってしまったのである。

 それがまるで、自分はここまでやった……だから最後の一押しは貴方にお願いしますと言われているようであり、慎重に動かざるを得なくされる俺。

 だが、これを正直ヒナギさんの最後の良心と俺は思えてしまい、最後の最後で情状酌量の余地があったこと……それを今深く感謝したい。




 至近距離から、ヒナギさんのことを今一度読み取る。

 今のヒナギさんの顔は真っ赤ではない、ほんのりとした赤みを帯びた顔をしている。先程見せた真っ赤な顔を知っているために、少し症状が治まったと見えなくもない。

 だが、顔とは裏腹に言動が凄まじく積極的になってしまっているのは何故なんだ? 症状が治まったのならば、それに比例して言動だって多少なりとも収まりを見せるのが普通ではないのか? でも今のヒナギさんはとてもそうには見えない。具体的に説明ができるかと言われたら出来ないので確証はないが。


 ここで、ヒナギさんと俺を比較してみる。俺が恥ずかしい時、一体どんな顔になるのか? ということを。

 俺の場合だと、恥ずかしくなったらまず間違いなく顔を赤くする。そしてその恥ずかしさが大きければ大きい程、顔は比例して真っ赤に近づいていくことだろう。俺だけでなく人であれば大多数の人が当てはまるに違いない。意識してどうこうなるものでもなく、これは本能に起因する部分が多々見られると思うから。


 俺とヒナギさんを同一に考えるのであれば、つまり先程の真っ赤な顔は確かに恥ずかしさによるものだったということは分かる。

 では今の顔はどうなるというのか? 極度の恥ずかしさを塗り替えてなお君臨する、その見たことのない状態とは一体何なのか? 

 ……俺は、これに心当たりがあった。いや、薄々勘付いていたというのが正しいか。




 あぁそうか……これは恥ずかしさでもなく、ただ単純に別の感情に切り替わっているだけだ。ヒナギさんという人から想像がつかなくて、俺へと向けられることはないと思っていたもの……所謂性欲と情慾。

 ヒナギさんの今の顔は、言うなれば雌の顔なのだ。妖艶さを秘める笑みにこちらを誘っているように見えていたが、実際は違う。誘っているのではなく、求められているの間違いだ。俺はヒナギさんの中に当然ある、女性としての欲を今見ているんだ。

 息が荒いのも、潤んだ瞳も、熱い身体と積極的な言動も全て、ヒナギさんの中に当然あった本能に支配……いやむしろ従っているだけなんだ。

 さっき、ヒナギさんの想いの深さを俺は知った。それだけで全ては繋がるじゃないか、愛した者を求める欲望は俺にだってあるのだから。アンリさんは勿論、今目の前にいるヒナギさんにも当然の如く俺は性欲と情慾を抱いたことが何度あることか……。


 だが――俺はそれを受け入れることはできない。受け入れることもなければ、受け入れてもらうつもりもない。


 このままヒナギさんのその欲を受け入れるのは正直マズイのが実情なのだ。いや……野外で本能に身を任せるのはマズいとかではなく。

 甘えて欲しいと言ったのは本当だ、そしてヒナギさんの願いを叶えたいと思っているのも嘘偽りはない。しかし、一線を越えてしまいそうな事態に発展することに関しては目を逸らすことはできない。そして今このままヒナギさんを受け入れれば、なし崩し的にそうなりそうな予感がして怖かったのだ。

 俺とて腐っても男である……責任のない行動には出たくないし、そうさせるつもりはない。

 それがいずれ地球へと戻る決意をした俺なりのケジメであり覚悟のつもりだ。その後はお互いにそれぞれ別の道を歩むことになるのだから、ここで本能に従ってしまっては余計な懸念を生みかねない。


 はぁ……1人占めにしたいと言っておきながらこの扱いだ、無理強いも大概にしろと言われても文句は言えまい。ヒナギさん、ゴメン。




 だから考えろ、考えろ俺! 心を鬼にしてこの状況を切り抜けるアイディアをなんとしてでも捻りだせ!







『あの~……流石にそれ以上はマズいのでやめてもらえます?』

「「……え?」」







 周りには誰もいないし、誰の手も借りることはできない……そう思っていた。自力でこの場を凌ぎきる覚悟をした俺だったが、予想だにしない天の助けがここで入った。


『止めてもらわないと……貴方は当然ですけど我々まで死に絶えそうなので……』


 例の通信による声が……俺とヒナギさんの耳に届いたのである。

 言っていることはよく分からなかったが、俺には内容はどうでも良かった。ナイスタイミング、この人は神かよと言いたいくらいの気持ちがこの時心を占め尽くした。

 俺はともかくとして、ヒナギさんは心底驚いたような反応で俺から離れると、辺りを見回していた。完全な不意打ちに警戒心を最大まで引き上げた衛兵のように取り乱し、緊張状態へと陥っているようである。


 そんなことはお構いなしに、声は話を続ける。


『あのですね? さっきから会話がだだ漏れなことにお気づきですか? 仲睦まじくあなた達がイチャつくのは大いに結構なのですが……それに比例して発狂する者が頻出するので……あの、お願いです。もうやめて差し上げてもらえたらなぁと』

「まさか……!?」


 内容がどうでもいいと思ったこと、それをすぐに取り消したくなった。どうやら今の俺達の会話は全てオルヴェイラスにいる人達に聞かれていたらしく、聞くに耐えなくなってこうして抑止の声が掛かったようだ。


 これは所謂公開処刑というやつじゃね? マジかよ……!


 すると――。




『俺達のヒナギ様にそんなに愛されてるなんて……!』

『羨ましいっ! ふざけんなよオラァッ!』

『うぅっ……英雄様は泥棒狼な人なのね……グスン』

『ヒナギ様、どうかお幸せに……!』




 どこからともなく聞こえてくる数多の信者達の声がつんざく。

 言いたかないが、信者達はヒナギさんを心の底から敬愛しているのは間違いない。慟哭に似た声を張り上げるなんて真似は早々できるものでもないうえ、よくもまぁ化物である俺に対して喧嘩を売るような発言が出来たものである。その無鉄砲さにも似たヒナギさん愛には、俺も敬意を表してもいい。

 ……と言っても今更か。それくらいじゃないと追いかけてきたりしないだろうし。


 あと、泥棒狼って何語だよ。泥棒猫の男版ですか? 初めて聞いたわ。

 というかアンタらヒナギさんのファンになった時期が俺よりも遅いくせに何をぬかしてくれちゃってんですかね? 超級魔法ぶっ放しますよ? いい加減。


「え……え? 全て聞かれてたん、ですか……?」


 わなわなと震えながら、両手で口元を覆うヒナギさん。その声は信じがたいことを聞いてしまったことがよく伝わってくる絶望に近い声色であり、当然だが俺も似たような気持ちを抱いている真っ最中だ。まぁ、ヒナギさん程ではないだろうが。


「は、はは……は……っ~~~!」


 そのままヒナギさんは空笑いが始まったかと思えば沸騰する勢いで一気に顔を朱に染め、両手を頬に当てて機能不全になっていく。

 会話だけを見たら痴女に見えなくもない発言があったのだ、それら全てを聞かれていたなどとは一体どんな罰ゲームという話である。予期せぬ事態を少しずつ把握し、他人に見られていたということでそれまで囚われていた欲に羞恥心が勝ったようだ。声にならない声を上げて恥ずかしさに悶えている。

 俺もヒナギさんよりかはマシとはいえ、かつてない程の恥ずかしさに襲われて叫びたかった。しかし、一番危惧していた問題から解放されたことによる安堵もあったために、ある程度恥ずかしさは緩和されたように思う。


「あぅ~……」

「ヒナギさんっ!?」


 人は大きすぎる衝撃を身に受けた場合、身体がそれに耐えられないと判断して意識を失うことがあるらしい。

 例に漏れず身体の許容限界を超えてしまったのか、流石のヒナギさんでもお約束事のように気絶してしまったようだ。慌てて俺はヒナギさんの全身を支えるも、さっきまでよりも重く感じる身体は本当に気絶してしまった事実を物語っている。

 死体が鉛の様に重くなる原理がこれだと言わんばかりに、ヒナギさんは屍と変わらなくなってしまった。


 まぁ、気絶するくらいな気持ちは分からんでもない。でも、ヒナギさんも自業自得ではあるから何とも言えないなぁ。正直気絶してくれて助かった面もあるし。


 気絶してしまったヒナギさんを前に、不謹慎とも取れる失礼なことを思ってしまった。

 そこに――。



『あ~……ツカサ、聞こえてるよな?』

「シュトルムか!?」


 なんとシュトルムの声が聞こえてきた。


『なんて声を掛けていいか分からんが……取りあえず無事か?』

「はい、おかげさまで。なんていうかさ……ありがとう、助かった」


 こういう声をお掛けになってくれたということは、一応俺が危なかった立場にあったことを理解してくれている証拠だろう。

 リアルタイムで会話が聞こえていなかったら、俺の方が嘘を言っているのではと周りには思われてしまう可能性が高い、ヒナギさんはそれ程までに驚異的な影響力を持った人なのだから。シュトルムのこの発言にある意味救われた。


『大変そうだな、お前。つーか色んな意味でお前は伝説作ってる気がするぞ』

「言うなよ……」


 俺は意図してないんですけどね。てか伝説作ったのって俺じゃなくてヒナギさんじゃね?

 確かに個人的にはヒナギさんにそう思われた、求められたってのは名誉と言えなくもないんだけど、これは違うわ。


『……声が聞こえないってことは、ヒナギちゃんダウンしたのか?』

「うん、今気絶した。多分恥ずかしさが臨界点を超えたんだと思う」

『そ、そうか。……まぁ続きは後日やれや』


 気まずすぎる空気になったってのによくそんなこと言えるなお前。


 シュトルムに一言余計だとツッコミを入れ、俺は抱えているヒナギさんを見つめた。


「……」


 起きた後、ヒナギさんは一体どんな反応をするだろうか? 俺的には自分が何を口走っていたのかを冷静になって考えた後、暫くの間それに悩まされる……そんな風になる気がする。

 ヒナギさんはきっぱりと否定してきたが、実際ヒナギさんは冷静どころか暴走していたと思う。初めての気持ちのタガが外れてしまってどうしようもなかった……そんな印象が僅かに見受けられる気がするのだ。

 誰にだって過ちはある。過ちを繰り返すことで人は少しずつ成長していき、最後はその過ちを繰り返さなければそれでいい。俺だけでなく、多くの人がこの考えには同意のことと考えられる。

 そのヒナギさんの初めての失敗が今回で、こんなにも大きな事態になってしまって……それは流石にあんまりというものだろう。そもそも今回こんな事態にまで発展したのは、ある意味俺も原因の一つに入るのだ。俺がお姫様抱っこをしなければヒナギさんのタガが外れることはなかったかもしれないし、その後に続けて俺が甘えてくれだなんて言い出さなければこうはならなかったかもしれない。

 俺も、2つの過ちを犯しているかもしれないのだ。……正しい過ちだとは思っているが。


 とにかく、俺は今回は2つの過ちを犯したということにしておこう。ならば、同じくヒナギさんと同じ道を共にする必要があると言っても過言じゃない。ヒナギさんを貶めた一人として、その彼氏として、出来る限りのフォローは入れるべきだろう。


 フォローじゃなくて、罪悪感があったと言えなくもないんだけどな。


「あー、あー。え~俺の声は皆さんに聞こえていますでしょうか? 聞こえてたらどなたか返事して下さると助かります」


 届くかは分からないが、俺は信者達が聞いてくれると思ってその場で会話を試みる。


『聞こえてますよー』


 どうやら俺の声はしっかりと聞こえていたようだ、何処の誰かは知らないが声がきちんと帰って来る。

 ぶっちゃけこの通信のシステムがイマイチ理解できていないのでどういう風に使うのかも分からないが、こうして届いた以上今は気にする必要はないだろう。


「あ、どうもです。ではこの通信をお借りしてまず一言だけ言わせていただきたいことがあります。よ~く聞いてくれると助かります」

『……』


 ヒナギさん、貴女の気持ちに報いることとしてまずは俺にこれを言わせておくれ。

 お互い、辱めを周りから受けましょうぜ。


 ヤケクソ上等! レッツゴー神代、それ逝け神代。遺影(イェーイ)!


 死ぬ前の鼓舞も済ませ、俺は口を開いた。


「えっと……何て言うんですかね、ヒナギさんは取りあえずそういうことなんで……ご理解頂けたらなぁと思います。……だからヒナギさんへのオイタがあまりにも度が過ぎるとー……本当にぬっ殺しますよ? あえて誰にとは言いません、その人達なら俺の言っていることが自ずと分かるでしょうから」


 信者達へと向けた、ヒナギさんは渡さない宣言を確かに言った。


 なんでかな……「俺の女は渡さない」的な発言は恥ずかしくて実際にやるわけないだろとか思ってたけど、言ってみてむしろせいせいしたわ。なんで早くやらなかったんだろ……?

 まぁそれはともかくとして、あの俺達の会話を聞いてなお反抗心を出す輩がいる集団なのだ。念には念を押して喧嘩腰にでも言っておいて問題ないだろう、これくらいでようやく普通と言えるのかもしれない。


 今度は返答は返ってこなかったが、俺はそのまま続けた。


「その辺、肝に銘じておいてくださるとひじょ~~~に助かります。……それともアレですか? 俺と国中の信者さん達でヒナギさんを賭けてのバトルロワイヤルでもやります? いいですよ俺は別に……皆さんもそれならヒナギさん獲得のチャンスですもんね? さぁどうです? 俺は逃げたり隠れたりもしないのでどこからでも掛かって来てもいいですよ? 王道でも邪道でも肉弾戦でも魔法戦でも、なんだったら不意打ちとかの卑劣な手段を用いて貰っても良いです。ヒナギさんは誰にも渡さない」

『……』

「おぉ~、そうですかそうですか、聞きわけが大変よろしいみたいで助かります! でしたら金輪際こういうのやめてくださいね。俺はすっごく優しいので、それを認めてくれるんなら今回はこれで許してあげます。いや~皆さん良い人達ばかりで嬉しいなぁ」


 幻滅したかい? これがこの三カ国で英雄(笑)とか言われている奴ですよ。

 ハッキリ言おう、勝ち目の戦いを一方的に要求しています。俺と戦って勝てる奴なぞ正直いる訳がない。これでヒナギさんの信者達が今後何かしでかすということもないだろう。無言の言質も取れたことだし。


『――い、今代わるから落ち着けって……』

「ん? どした?」


 完全大勝利? な空気になったとホッ一息つきたくなったところで、黙っていてくれたシュトルムの声が微かに聞こえてくる。

 察するに、俺と話をしたいという人がシュトルムの傍にいると見て良いのだろうか? 話の流れ的には信者達っぽいけど、まだこれでも勇猛果敢に食って掛かる奴がいるというのか……流石にしつこい。


 よろしい! ならばその口開かなくしてやr――。




『ツカサ、随分楽しそうに(・・・・・)してたね?』

「……ゲッ……あ、アンリ……」


 俺の口が開かなくなりそうだなーアハハー。


 首に縄を掛けられた思いだった。

 シュトルムの傍にいた者とは、信者ではなくアンリさんであったようだ。戦慄が俺の身体を走り、収まっていたはずの動悸は再び稼働を始めて身体を熱くさせてしまう。すぐさまじっとりと汗が噴き出してくる不快感を身に覚えながら、それを拭うことすら躊躇われた。


 ひ、ヒナギさんと同列以上の魔王がいたことを失念していたでござる。俺が今まで「俺の女は渡さない」って言えなかったのはこの娘がいたからか……なんてことだ! 

 ま、マズい、マズイですよこれは……! 通信越しだというのになんて恐ろしい裂帛の気迫を漂わせてきやがるのだ。

 危機を乗り越えたと思ったら次の危機、まさしくこれぞマゾゲーで死にゲーの醍醐味……ってアホか! そんなこと考えてる暇ねぇよ。

 これリアルだよ! 一度死んだら終わりのデスゲームだよ! コンティニュー不可だよ! さっき冗談で唱えた鼓舞が本当に死への鼓舞になってんじゃねーか!


『アタシが何を言いたいか……分かってるよね?』

「は、ハイ……」

『そう、なら後で覚えておいてね♪』

「……」

『……返事は?』

「あい」


 無言の返答をしたつもりだったのだが、どうやらお気に召さなかったらしい。多分額に怒りマークを浮かべているであろうアンリさんに、俺は仕方なくアンリさんによる制裁が待っていることを分かっていながら返事を返した。


 ヒナギさん(ラスボス)よりも強い……アンリさん(裏ボス)の登場に俺は成す術もなかった。


 さっきまで攻勢に出ていた俺の勢いは一気に萎えた。相変わらずコロコロと変わる感情の起伏ではあったが、そこに付け入る輩が俺を襲う。


『あれ? あのお嬢ちゃんならもしかして勝てるんじゃね?』

『だなっ!』

「ちょっ!? それは反則!」


 ファッ!? 何を言い出す貴様らっ! 

 それはやめろ、マジで勝てない無理ゲーになるから!


 今の少ないやり取りで、俺とアンリさんのどちらが強いのかを悟られてしまったようだ。

 咄嗟にその手段に出ることは駄目だと声を掛けるも――。


『え? だって卑劣な手段良いって言いましたよね?』

「そ、それは言ったけど……」

『なら問題ありませんよね? アンリお嬢さんをお借りしても』

「ぐ、ぐぬぬ……!」


 時既に遅し、というかもっと前から遅かった。正確には俺が調子に乗って口走ってしまった時から。


 クソ……信者達め、あれだけ見せつけてなおヒナギさんを狙うと言うのか……! 本当に手段を選ばない奴らだ。しかもアンリさんを利用しようとかふざけてるのか?


 今さっきの言葉を訂正するのは憚れる。自分で言いだしてしまった条件は大勢の人達へと聞かれてしまっているのだからそれはそうだ。男に二言は無いという通り、俺は自分の言ったことを訂正はしない。

 だが、俺はそれを邪魔しないとは言っていない。となれば俺が出る行動は決まっている。アンリさんへと直々に俺がお願いし、信者達への協力を断る様にしてしまえばいい。


 俺の戦略(わるあがき)を舐めるなよ! こんな危機乗り越えてやらぁ!


「あ、アンリ? あの~、お願いがですね、そのですね、あるん……ですけども」

『うん? 何のかな?』

「で、出来れば絶対に信者さん達のお願いを聞いたりはしないで欲しいというか、てか絶対にしないで欲しいというか、それが『守護者(ガーディアン)』の使命というか役目というか……とかとか」


 意気込みとは裏腹に、俺の声は小さい。アンリさんは今目の前にいないというのに、俺は柄にも無く両手の人差し指を突っつき合った。

 手を突っついてしまったのは洗脳に似たアンリさんへの畏怖の表れであるが、声に関しては違う。これはあくまで俺の考えを悟られないためのものであり、断じてアンリさんに屈したというわけでは……ないと信じたい。


 で、でもでも! 俺アンリさんの彼氏さんですし、一番影響力を持っていると言っても過言ではないと多少なりとも自負はしておりますし、平気だよ平気……。


 アンリさんと俺の関係を考えれば、俺の勝ちは揺るがない。そう信じていた。


『ふ~ん? でも、それってアタシに何かメリットってあるの?』

「え!? あ~、う~、そのぉ~……」


 だが、俺の予想は外れてしまう。

 思いの他ヤキモチが強かったみたいで、大変ご立腹のご様子であるらしいアンリさん。普段ならヒナギさんと仲の良い間柄であるが、そのヒナギさんを犠牲にしようとする発言には大層驚かされた。

 アンリさんは俺にはヒナギさんが必要だと言っていたのだから……。それを感じさせない発言には驚きを禁じ得ない。


 もしかしたら、ヒナギさんに対してもご立腹……なのかもしれない。てかそうだとしか思えない。さっきのは正直やりすぎと言われても異論はないし。


 この当然とも言える誤算に、俺は冷や汗の量が増す。


『あ、でも~……アタシ、ツカサさんが何か言うこと一つ聞いてくれるんならいいかもしれないかなぁ?』

「なっ!?」


 どうしたものかと頭を悩ませたその時――苦汁の決断、それが俺へと立ち塞がる。


 なん、だと……。怖すぎる……アンリさんの言うことを一つだけ叶えるだと? それってめっちゃ諸刃の剣じゃないか? 危ない匂いがプンプンしますぞよ。何をお願いされるかたまったものじゃない。


『……』

「……」


 アンリさんが俺への返答を待っているらしく、口を閉ざした。その間がなんとも居心地悪く、俺は秒単位で焦りが募らされる。


 アンリさんの要求は正直不安しかない。でも、背に腹は代えられないのも事実だ。俺がアンリさんの今の発言に頷かなければ、今のアンリさんなら本当に信者達の要求に頷きかねない。

 さっき手痛いお仕置きを受けた俺には分かる。アンリさんもヒナギさんに負けず劣らず、俺に深い愛を抱いてくれていることを知っているから。独り占めにしたい要求があるにはあるはずだ。


 だが、それはアンリさんの掲げるフェア精神に抵触することであるのも事実だ。平等に扱って欲しいという俺への要求。完全な平等などあり得ないのだが、それを共に過ごす時間だとしていることで納得、アンリさんとヒナギさんの仲は保たれている節がある。

 今日は既にアンリさんと俺は結構な時間を共にした。そして今はヒナギさんの番である。だからアンリさんは自発的にヒナギさんの所へと行くように俺をあの時促している。

 しかし、その約束事とも言える決まりはヒナギさんと俺のやり取りで決壊したと見える。


 アンリさんは俺がヒナギさんを手放せないことを知っている。そして、それはアンリさんもである。アンリさんだってヒナギさんが好きで、姉妹のように仲が良いのだ。本当に離れて欲しいと願っているわけではないだろう。

 だからこれは、さっきの俺とヒナギさんのやり取りで募らせたストレスを発散させることを兼ての俺とヒナギさんへの攻撃であり、そして、ヒナギさんのやりすぎた行為に対する仕返しのつもりなのだろう。あくまで俺の予想に過ぎない考察ではあるが、大方その辺りだと思うし俺の感性的に考えてもそうとしか思えない。


 少なくとも、アンリさんが俺へと願い事を一つだけ叶えるということを言いだした時点で、俺の負けは確定していたのだった。アンリさんなら俺がこの要求にどう答えるかはわかっていただろうし、その時点でアンリさんの思惑に俺は嵌っていたのだ。

 してやられた。


「わ、分かった! それでお願いしま、す……」

『……うん、分かった! 約束ね!』

「あい」


 俺はアンリさんの要求を呑み、頷いた。それによって得たものは、ヒナギさんの身柄の安全だ。あとアンリさんのストレス発散も含まれる。

 つくづく尻に敷かれてるなぁと自分でも思った。


『お願いします、貴女しかアイツは倒せないんです!』

『ごめんなさい』

『そ、そこをなんとか……!』

『しません。今約束しちゃったので』

『そんなぁ~』


 俺とアンリさんの交渉が成立したことにより、希望が潰えたことで落胆の声が上がっている。アンリさんへと意味のない抗議を投げかけては断られているやり取りに、互いに納得しての交渉成立とはいえ俺も便乗したいくらいだった。


 なんだろう……試合に勝って勝負に負けた気分だ。裏ボス怖い。







 そこでアンリさんとの会話は途切れ、通信も聞こえなくなった。

 途端に訪れた静寂に包まれることになってしまい、目を回すようにして目を閉じているヒナギさんの顔を俺はジッと見つめる。


 なんて……襲いたくなる程に美しい人なんだろうか。


 無防備なヒナギさんを前に、俺は純粋にそう思った。

 肌の露出が少ない和服越しの肢体でも、女性として突き出ているところは突き出ているメリハリのある美貌は人目を惹く。長い艶やかな黒髪も太陽を反射してキラキラと輝き、天然の装飾をしているのではと思わされてしまう。鉛のようになって今は重いとはいえ、それでも見た目からは想像もつかないくらいに華奢で軽いヒナギさん。

 ヒナギさんの魅力はまだまだたくさんあるというのに、これだけでも十分すぎる程に俺は魅力を感じてしまっている。ゾッコンと言ってもいい程に。

 こんな人に求められて、嬉しくないわけなどがないのだ。


 俺の気も知らないのに全くこの人は……。


 先程のやり取りを俺は思い出す。ヒナギさんの形となって表れた本心を。


「なんか俺の身が危なさそうになってるんですけど、まったく気絶しちゃってまぁ……」


 気絶したヒナギさんを抱えながら、聞こえているはずもないのに言葉を投げかける。今さっきのしょーもないやり取りに俺は苦労したというのに、それを気絶することで楽をしたヒナギさんに対する当てつけのつもりで。


「横槍が入って応えられませんでしたけど、気持ちは俺も同じですよ」


 さっきヒナギさんに求められていたことに対し、伝わることのない返答を今ヒナギさんへと伝える。

 中断されてしまった沈黙の時の返答だが、本当の俺の気持ちを、今ヒナギさんが気づかぬうちに返してしまおう。


 それに、本人に気づかれないうちでなければ到底できっこないだろうな……現状では。

 今意識を取り戻されたら今度こそ取り返しがつかなくなりそうだ。だから、手短に……。


「……」

「ん……」


 意識はないはずだが、ヒナギさんから声が漏れる。艶めかしい、男を誘うような声が。

 ヒナギさんの傷一つない唇に、俺はキスを落とした。最もポピュラーな愛情表現でもあるそれは、最上の愛情表現でもあるだろう。無防備なところに既成事実を作り上げる行いは感心できないことは分かっているし、俺も良心が傷むところではある。


 例えそうだとしても、俺だって抑えきれないものはあるんだ。だから今はこれで勘弁してくれないかな……と言っても届いてないだろうけど。

 俺は、相変わらずズルい。でも許して欲しい。




 ヒナギさんには気づかれぬ間に、俺は意味のない想いを自分に言い聞かせるように伝えた。

次回更新はすこし遅くて火曜くらいになるかと。

期末試験が近いので、すみません。

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