252話 『宴』:ヒナギ②
主人公は未熟、それが分かる回。
今回はお馬鹿回ではないです。
「シュトルム様が『宴』の開催を宣言された直後からなのですが、私はその時、オルヴェイラスの談話広場にいたんです。催しがあるから参加して欲しいと言われて……」
「あぁ、そう言えばさっきアナウンスで言ってましたね。そこから逃げて来たとか」
「はい。そこでその、かれこれ接待を受けていまして……」
「接待?」
逃げるための足は止めずに、軽く息遣いを荒くしながらも、俺は集中してヒナギさんの話へと耳を傾ける。
「えぇ、皆さん曰くオルヴェイラスを救ってくれてありがとうと……。その感謝の意を込めてのイベントに、です。なんと言えば良いのか分かりませんが、小さな舞台のようなものを設けて頂いて、そこに鎮座する形で会食をしていた具合です」
「ほぉ、なるほど」
俺は、相槌として適当に言葉を返す。
ヒナギさんの話したことは、まだまだ逃走するに至ったことに納得するには程遠い程度の内容しかまだ聞けていない。だが、俺は大体何のイベントをやっていたかが分かってきてしまったため、内心では溜息を吐きたい気持ちになった。適当に相槌をしたのもそれが影響している。
あの大勢の男女問わない群衆、逃走、ヒナギさん、この要素が揃ったら大体ね……。多分だけど、ヒナギ信者の方々がヒナギさん目当てに何か裏で企画していたのだろう。
うん、しょーもなくてロクでもないこと確定ですね。勿論ヒナギさんがではなく、その企画が。
「会食ではその場にいた皆様一人一人からお声を貰って大変良くして頂いて、私はあまりそういうことをされたことがないものですから、少々気恥ずかしい思いでご厚意を受けることにしたんです。本当は皆様と一緒にいたかったのですが……」
そう言って、チラリと俺を見ては苦笑するヒナギさん。
俺はこの時、胸がズキリと痛くなった。一緒にいたかったが、それはできなかった……そう言われている気がしたのだ。
事実、俺はその時アンリさんと一緒にいたし、他の皆も各々で自由に動いていた。ヒナギさんは消極的な性格をしているし、ヒナギ信者の発している空気を前にしてその場を後にする発言はできるとは思えない。結果今までの間その談話広場に縛り付けられるようなことになってしまったのだと思う。
要は俺が勝手気ままに動いている間、ずっとヒナギさんを一人にしてしまっていたというわけだ。端的に言えばそれが全てだ。
ヒナギさんはバツの悪い顔になっているであろう俺の気持ちを読み取ってくれたのか、切り替えるように話を続ける。
だが、俺はやはり自分勝手な奴だなと思い知らされることとなった。
「えっと……それでですね、会食は何事もなく無事に終わったんです。それで次の催しに移行することになったのですが、何やら不可解なことをさせられることになりまして……」
「……不可解なこと?」
「えぇ、私と握手してくれ、と……」
「あ、握手?」
「そうです。握手くらいなら私は別にいいかなと思って対応していたのですが……」
「……ですが?」
「その、全く終わらなくて……」
「……」
顔が引きつった。
握手というのは、もうこれ程までに慕われているヒナギさんであるから、アイドルの握手会みたいな要領でやることになったのだろうと推測できる。だがそれは別にどうでもよくはないがどうでもいいことだ。俺が顔を引き攣らせた一番の理由は、信者達の勝手すぎる行動ではなく、ヒナギさんの警戒心の低さに対してだった。
俺も勝手をしたことで感じていた先程のバツの悪さ、それもまだ確かに残っている。だが、ヒナギさんに対し、それと同時に苛立ちを覚えたのも確かだ。二つの感情が内にポツポツと湧き上がり、自己主張を激しくしてきた。
俺、今すごい醜い奴になってるな……。何様なんだろ。
今俺がどんな心情でいるのかはヒナギさんは知らないだろう。そのまま話を変わらず続ける。
「同じ人が何度も握手を求めてくるんです。皆様のその行動がよく分からなくて……一応その都度対応はしましたけど」
「……へぇ、そうですか。皆様ってのは……男と女どっちもですか?」
「? えぇ、そうですけど……」
自分でも情けないくらいに酷い声を漏らしたものである。冷たく、ぶっきらぼうな言い方……もう一人俺がこの場に居合わせてくれるのなら、今すぐ殴って欲しい程に。
俺は自分の感情を抑えることができず、その醜さをヒナギさんに当てつけるようにして盛大に曝け出した。
この時、俺の顔は苛立っている顔にしか見えなかったと思う。話の腰を折って、別の問題へと話題を変えた。
「あのですね、ヒナギさんはもう少し自分のことを知るべきかと思います」
「はい?」
急に俺がこんなことを言いだしたものだから、何を言われているか分からないのも無理はない。ヒナギさんは疑問符を込めた返事をするだけだった。
今向けてくれているキョトンとした愛くるしい顔も、俺へと当てつけられた残酷な顔にしか見えなかった。
しかしこの時の俺は、そんな当たり前の俺の反応に何故気づいてくれないのか? 本気でそう思っていた節がある。
はぁ……いい加減気づいてくれよ。
「周りがヒナギさんをどのように見ているかってことです」
「私に、ですか? それは……冒険者としてでしょうか? 一応、Sランクではありますし……」
っとに、この人は……!
割と俺が言いたいことを分かってくれそうなくらいだとは思うが、ヒナギさんはイマイチ分からない態度を続ける。
気付かないのはヒナギさんが過ごしてきたこれまでの境遇や鈍感さも少なからず原因として挙げられる。でも、的外れにも程がある。だからか、俺はヒナギさんと繋いでいる手を強めて、いいから早く気づけと催促する行動に出ていた。
「あ、あの……カミシロ様? ちょっと痛い、です……」
「っ……」
ヒナギさんが手に掛かる力に違和感を覚え、痛みを訴えてくる。
構うもんか、これで分からないなら……言ってやるよ。
「ヒナギさんは女性としても、人としても魅力的だってこと! 無防備すぎ、分かんないんですか!?」
「っ!? ぇ……?」
自分勝手だとは分かっていても、湧き上がる感情は止められない。ヒナギさんを一人にしたことを棚に上げて、俺はヒナギさんが誰かにチヤホヤされたりしていたのが嫌で仕方がなかった。いや、チヤホヤよりも身体を触られていたことに対してか、特に男に対しての。
つまるところ、俺は嫉妬していたのだ。その信者達に。
自分がそんな醜いことを言っているのを悟られるのが嫌で、遠回しにヒナギさんに気付かせようとした。ヒナギさんは、多くの男女問わない人達に慕われているということを……。
この時の俺は感情の抑制ができておらず、思考も嫉妬という一部分に固執してある意味散漫していた状態だ。ヒナギさんに思い切り怒鳴るような言い方をしてしまったこともあり、ヒナギさんは一瞬ビクリと肩を震わせて呆けてしまう。
あぁ、やっちまった……俺の馬鹿。
自分が心底嫌になった。何度これまで自分を嫌になったことだろうか? 数えた所でそれは分からないが、そう思えてしまうことを今してしまったということだけは確かだ。
自分から続けて言葉を投げかけることもできず、俺はヒナギさんの手を取ってひたすらに走ることしかできなかった。
だが――。
「あの、カミシロ様。もしかして……嫉妬、してくれてます?」
「っ!? っ~~!」
顔だけでなく、全身が一気に熱くなった。俺はヒナギさんの顔はおろか身体の一部分ですら視界に入れることすら恥ずかしく、顔を何もない方向へと背けた。
面と向かって言い当てられると、言葉にし難いくらいに恥ずかしく、そして自分が情けなく思えて仕方がなかった。羞恥心と自分の哀れさ、特に自分の器や未熟すぎる心に劣等感に似た思いを抱えた。
「フフ……」
俺はそんな思いでいるというのに、その時ヒナギさんから笑い声が聞こえてきた。
馬鹿にされたと思い込んで勢いよくヒナギさんへと顔を向けると、やはりヒナギさんは笑っている。手を繋いでいる手とは別の、もう片方の手を口元に当てて笑みを抑えようとしているようだが、それでも笑みを止められない様子だった。
そして、俺へと言うのだった。
「カミシロ様にそう仰って頂けるのは嬉しい、です。カミシロ様は、そういうことを仰らない方だと思ってましたから……」
俺とは違った意味で顔を赤くするヒナギさん。どうやら俺がこういった感情を晒すことをしない奴だと思っていたようだ。不意打ちを食らったように、照れた様子を見せている。
俺をなんだと思ってんの? 俺だって一人の人間で男だぞ? 人並みの感性はしているつもりだ。
例え声に出して言わないのだとしても、心の内で思わないなんてことはあり得ないんだよ。
「そんなわけないでしょ! この前だって言ったじゃないですか、惚れ直したって! 俺だってヒナギさんの事心底好きなんだから仕方ないでしょう!?」
「っ!? あ、あぅ……」
「っ~~!」
咄嗟に口走った言葉に、言い終えてから酷く後悔した。俺は勿論のこと、熱烈(個人的に)な好意を伝えたことでヒナギさんも押し黙ってしまう。
し、死にたい。恥ずかしくて死にたい。死んでも死にきれないだろうけどあらゆる意味で今すぐ死にたい。
ん? あらゆる意味での死ってなんだ? それ以前になんでそんなことを俺は思った? 死? 獅子? 嫉視の死? ヤバい、自分の言っていることにすら上手く何も考えられない。
走って身体が既に忙しいというのに、心も思考も全てが忙しく、俺の脳内は滅茶苦茶に大パニックに陥った。
やがて……と言ってもものの数秒の間ではあるが、俺は多少なりとも落ち着いてきたので口を開く。
今度は癇癪を上げたりはしない。恥ずかしさはあるが、ここまで言ってしまったのだ。もう大して変わりはしないだろう。
ただヒナギさんの顔を直視して言うことは勘弁してくんさい。貴女の若干ウルウルした瞳と赤い顔をみたら精神がキャリーオーバーしちゃいますので。
「よ、要はヒナギさんが他の男に触られたりするのは俺は嫌なんです! こんなことで怒鳴ってすいませんでした!」
一方的に、まずは急に怒鳴ってしまったことを俺は謝った。
まるで子供だ。言いたいことだけを癇癪のように述べる面倒な奴、それが今の俺だった。
だというのに――。
「はい……! わかりました!」
「そ、そんな元気よく返事されても困るんですけど……」
「ですが、カミシロ様の仰ったことはごもっともです。私に配慮が足りなかったのは事実ですし、カミシロ様のことを勘違いしていたということもありますので……申し訳ありませんでした」
ヒナギさんにはペース狂わされてばかりだ。気まずくなるかと思いきや、それを飛び越してくる返答をされてしまう。
しかも自分に非があったと謝って来る始末。なにこの人、なんでこの人は人なの?
そりゃ人だからと言えばそれまでだが、もう人間卒業してるんじゃねーの? 良い意味で。
……まぁそれは置いておいて。
「い、嫌じゃないんですか? 俺、ヒナギさんを束縛するようなこと言ってんですよ?」
「嫌? それは何故ですか?」
「何故って……」
「束縛されても私は構いません。あの日から……私はカミシロ様に全てを捧げる覚悟はできています、ので……」
「……はえ?」
今日一番の間抜けな声が出た。一瞬にしてこれまで熱く感じていた身体は収まりを見せ、そしてその余熱にすら意識が回らなくなっていく。だが、それは再び急上昇していく身体の熱によって覆される。
我ながら思う、色々と忙しい感性をしていると。そして何よりめんどくせー奴だ。
ただ、あの日ってのがヒナギさんと結ばれた日だということは分かる。だが、全てを捧げるなんて発言は聞き捨てならない。
再び、ヒナギさんが本音を漏らした際に言っていた愛しているという発言、それが俺の脳裏を掠めていく。
あの時は愛しているの意味を好きの上位互換みたいなものと俺は捉えていたが、それすら上回っていると言っても過言ではない。全てを捧げるとは、場合によっては愛ですらないのかもしれないのだから。
追いかけられている状態であるにも関わらず、俺は足を止めてその場に立ち尽くす。ヒナギさんも俺が止まることが分かっていたかのように、全く同じように緩やかに、極めて落ち着いた様子で動きを合わせてくれる。
ヒナギさんに、今度はしっかりと俺は目を向けることができた。見れば顔は真っ赤にしながらもヒナギさんも俺の目を見つめて離さずにいる。離してはならない、そんな使命感に囚われているのではと思いたくなるくらいだ。俺も離せるわけなどない。
俺が目を離さなかったことに満足してくれたのかは分からない。ヒナギさんは、またほのかに笑みを浮かべると、今さっき言った言葉の続きを話すのだった。
「でも、カミシロ様はそういうことを本気ではしない方だとも思っています。だからこそ、束縛されても良いと自信を持って言えます……そんな貴方になら」
「どっちなんですか、一体……」
「さて、それは私もどちらが良いかはわかりません。でも、カミシロ様が願うならそのどちらでも良いのだと思います。……なんでもして差し上げたいと思える貴方に尽くしたい、私にあるのはただそれだけですから」
「っ――!」
俺は喉が独りでに動いて唾を飲み込んだ。そしてドクン――と、胸の奥深くが脈とは違う鼓動で胎動した気がした。こんな衝撃を覚えたことが過去にあったのかと問われれば、まず無い。
形容し難い熱い何か……内側に生まれたその答えを求めてみても分からない。過去に無い経験に対する答えが早々に見つかるわけもないのだから。
ヒナギさんは目の前にいるのに、俺はまるで全身をヒナギさんに包み込まれている錯覚に陥っていた。
ただ、これだけは言える。より一層、俺はこの人を大切にしたいと思った。
アンリさんと一緒で、この人のためなら俺は死ねると……この時今まで以上に本気でそう思えたんだ。
次回更新は月曜です。




