248話 『宴』:ジーク③
明けましておめでとうございます。
さぁ今年も頑張っていきますよー!
「つか、さ…………さん……っ!」
もうこれ以上は無理……という儚げな思いで口にしたアンリさんの名前呼びが、炸裂した。
細かく言えば俺の要求に見合うものは非常に少なくなってしまっただろう。第一『さん』付けなままなのだから。
だが両手を胸に当てて目を瞑り、必死に絞り出したような姿に俺は心射抜かれて満足してしまった。神はやはりここにいたと。
……な、なんて甘美な響きなんでしょう。これはアンリさんだからこその響きですな。
俺、考え改めるわ。名前呼びって素敵ですね、世界のloveが詰まってる……。
もっと俺のハートを震わせておくれ。物理的に全身に抱き着いて震わせてくれても可。
名前呼びされたことで俺は酔いしれた。一気に過去そう何度となかったであろう充足感と幸せに身を包まれたのだが――。
「『さん』付けのままだしもっとスムーズに言えや。ホレもう一回、ワンモア」
「そ、そんなっ!?」
「アンコール、アンコール」
神がいるなら邪神だっていてもおかしくないですよねー。是非とも信仰させてくだされ邪神ジークよ。
あのジークが依然変わらずジト目で手を叩き、アンリさんへともう一度レッスンを開始する。
やはりジークは格が違った。自分に一応厳しく他人にとにかく厳しい精神は変わらないままである。アンリさんの武器指導員なだけのことはあると言えよう。
こりゃスパルタすぎる……アンリさん可哀想に(ニヤニヤ)。でも今のお前の対応は最高すぎる、そのまま続けたまえ。
というか、俺もスムーズな言われ方されたいッス。ヘイもう一回、もう一回。
「アンリさん、いや……アンリ。もう一回お願いします! ハイ俺クリア~」
「っ!? も、もぅ……先生ズルい!」
「その顔が見られるなら、いくらでもズル呼ばわりされても構わない! チャンスは最大限に活かさないと」
「なにそれっ!?」
ジークの流れに便乗して俺は呆気なくアンリさんを呼び捨てにすることに成功する。
アンリさんが俺にどう呼んで欲しいのか? それはただ単に名前を呼び捨てにして欲しいということは既に分かっていた。
というか、ずっと前から知ってましたんで聞くまでもないんですわ実は(ゲス顔)。
アンリさんゴメンねぇ? 俺ずる賢くてさ~。冒険者たるもの、活路を見出しその兆しを逃してはならぬ……ですよ。そういうところ、学院では教えてくれなかったから今教えてあげましょー。
「うぅ~……まともな人がいないなぁ」
ジークは当然だけど、アンリさんに遂にまともじゃないなんて発言をされてしまった俺。
だが、犠牲があるこそ得るものはある。それにこの程度の犠牲は安いものだ、アンリさんなら平気平気。今までそれを隠していただけで、俺はまともなんかじゃない。今更すぎる。
それよりも今は『さん』付け無しの名前呼びじゃい、あとスムーズな。
さてアンリさん、ツ・カ・サ……リピートアフタミー?
恥ずかしさもある程度続けば慣れがくるということを俺は知っている。だからか、アンリさんは赤い顔のまま必死に言葉を絞り出そうと動き出したようだ。タイミングを見計らっているのか、何度も言おうとしてくれている。
「つ……つ……っ――!」
ワクワク。
アンリさんの口から紡がれそうになっているものに、俺は息を止めて集中する。
俺にとっては初めての彼女さんによる名前の呼び捨てだ。思い出や記念などの類として心に刻まれる時間になりそうなのは間違いない。アンリさんの一挙一動も逃したくない思いだった。
二回目の結果は――。
「ツカサ……さゃん!!」
「「……」」
……あり?
また、『さん』付けしてる……てか司さゃん……って、言ったのか? 今。
ほぉほぉ、それはそれは、ふむふむ、むふふふふふふ……!
あぁ~……アンリさゃんなんて可愛いんじゃ~。マジでサャンキュー。
「『さん』付けなしは無理です! こ、これで勘弁してください!」
思わぬ『さゃん』付けに悶える寸前となってしまった傍らで、アンリさんは薄っすらと涙目になって俺へと叫んでくる。
どうやら今ので問題ないだろうと本人は思っているらしい。多分、恥ずかしすぎて『さゃん』なんて言ったことに気が付いていないのだろう。それが既に可愛すぎることに気がついてほしいものである。
ジークは溜め息を吐きながら頭をガリガリと掻いていた。
でもこのままだと『さゃん』付けがデフォルトになっちゃうけどいいの? そっちのほうがハードル高くね?
「なんだぁそりゃ? アンリ、こんな奴にさん付けなんているわけないだろ。呼び捨て以外駄目に決まってんだろうが!」
「……!」
冗談で俺がそんなことを考えていると、ジークの叱咤がアンリさんへと飛ぶ。まさかこれで終わらないとは思わなかったのか、アンリさんはこの世の終わり、絶望したような表情でジークを絶句して見つめてしまう。
でも、え!? 酷くないッスかちょっと。こんな奴とか言うなし、せめてお手本みたいな奴にしろし。
……。
まぁ冗談ですが。
一先ずそれはいいことにしよう。確かにジークの言うこともごもっともであることは認める。
そうだよ……こんな奴に『さん』付けや『さゃん』付けなんてする必要はないんですよ? アンリさんや。
だって人の下に立つべき人って言われるくらいに、俺のこれまでしでかしてきた(脳内の)所業は酷いし、それは周知の事実ではありますからね。
だからホレ、さっさとこんな奴如き名前呼びしてくんさい。ぶっちゃけそれが叶うならどれだけ株価暴落してもいいんで……どうかオナシャス。
「ほらほら……アンコール、アンコール」
ジークの先程の催促を真似て、俺もアンリさんに向かって更に手を叩く。
「……」
だがアンリさんは俺の催促を見て慌てたりすることはなかった。その代わりに顔を下に向けて表情を窺えなくしてしまったわけだが……。
この時であれば、俺はまだ助かっていたかもしれない。
人とは自らが優勢に立たされる状況となると些か増長する傾向が見られると常々思う。言動や態度にその特徴は現れ、多くの人はその事実に気が付くことなく過ちを犯し、仮に気が付いていたのだとしても、それを見過ごしている時点で自らの過信……甘えとして言及されても文句は言えない。
今の俺は、まさしくそれだった。
ジークという大きな存在も味方にいる事実が俺を過信させた要因であると言えようか。
ピシッ――。
なんでかなぁ? 何もないはずなのに、ガラスに亀裂が入ったような音って聞こえたりするんだよねー……超不思議。
「先生……いい加減にして?」
「っ!?」
お姫様の恥じらいが怒りに突然変異しちまったぜうへへ~い。
ヤベ……やり過ぎた。
アンリさんのたった少しの雰囲気の変化から急激に変化するまでは一瞬だったが、俺はそれで咄嗟に全てを察した。ゆらりと背後に踊る黒いオーラが禍々しく、恐れを抱かずにいる方が無理である。
俺の全身に悪寒が走った。
「ご、ごめんなさいごめんなさい! 調子こいてマジすんませんでしたぁあああああっ!」
危機と分かればやることは一つ、土下座しかないだろう。
ヤバい……このままでは殺される。ヤキモチでヤンデレ化しかけた時と同じ目をしてるぞ今……! あの時はこちらに非がなかったから収まってくれたけど、今は俺達が9割悪い状況だ、どうしよう……!
今自分にできることは何か? それを考えた俺の最適解とは……人を怒らせたときにまず行う初歩とも言える謝罪である。
「あ、アンリさんで遊んでたわけじゃないんですよ!? ただちょっと反応が可愛いなぁとか最高だなぁとかもっと見たいなぁとか俺の彼女マジでサイコーとかなんて全然思ってましただからガチでマジで許してくださいお願いします命だけは助けてくださいなんでもしますから!」
「……へぇ、アタシで遊んでたんだぁ? それに、なんでもするんですか……」
「(こえぇええええええええっ!)」
抑揚のない無機質な喋りが非常に迫力を感じさせる。アンリさんに対抗しようなどという気持ちは微塵もこの時湧かなかったものだ、手も足も出ないとはこういうことを言うのだと思う。
「うわぁ……おもろくなってきたぜこりゃ」
そしてそんな俺とアンリさんの一方的となった対立を楽しむ馬鹿が1人。
ニヤニヤとしやがって貴様ぁ……! 他人事みたいに言うな!
でも何故に!? なんでジークはお咎めなしで俺だけにこんな仕打ちが? 理不尽極まりなくないかオイっ!?
もしかしてこれは彼氏としての新しい在り方なの!? それともアンリさんの導きなの!? 嘘だと言ってよバァニー!
俺の叫びは誰にも届きそうもない。
アンリさんは嵐の前兆なのか、俺へとゆっくり、それでいて不気味な程優しく話しかけてくる。
あれ~? でも後ろに般若が見えるなー。
「ふ~ん? どうしよっかなぁ~。アタシすっごい恥ずかしい思いしたんだけど?」
ふ~ん。この程度まだマシだと俺思うけどね。
「……」
「なんで黙ってるの?」
そりゃ喋ったら墓穴を掘りそうだからに決まってるじゃないですかやだなぁ。
あとさっきから既に敬語じゃなくなってますねーAHAHAHAHAHA。
「黙ってればなんとかなるって思ってる?」
Exactly。
「へぇー……」
無駄だよ? 黙秘権が最強だってことを教えて差し上げまs――。
「なら仕方ないよね……こういうことはしたくなかったけど――」
あ、駄目だこりゃ、完全に詰んでるよこれ。参ったギブギブ。
何かとんでもないことしてきそうな素振りはやめておくれ。
アンリさんは準備運動として両手を頭上へと伸ばし、腕の筋を伸ばし始めた。こんな状況でも平常運転可能な俺の思考とはいえ、今は些細な一挙一動が怖いため俺はそれだけで死へのカウントダウンが始まったのだと思い、すぐさま厳戒態勢へと移行する。
で・す・が……まだまだ甘いなぁアンリさんは。俺はこういう時に緊急離脱できるくらいにスーパーなスキルをお持ちの人なんだぜ? 忘れてもらっては困る。
最近使う機会もあまりないし、少々忘れ去られていそうなイメージのあるこの魔法。それを使えばこの絶体絶命の状況だろうが関係なしに俺は抜け出すことが可能なのさ。
「『転移』(ボソッ)」
椅子に座ったまま悟られることもなく、一瞬で俺はその場を離脱した。
そう、無属性魔法上級に分類されし『転移』である。今俺の視界に映る景色は先程までいた場所とは変わって別の場所だ。100m程しか離れてはいないがジークのいた場所に行く際に通った道の真ん中である。……これで脅威は去った。
逃げることは……恥ではない。そう、これは戦略的撤退なのである。
「ふぅ~……ホンット、『転移』って便利だわぁ」
あのおぞましい雰囲気から抜け出すことができた俺は解放感に包まれながら思いっきり息を吐きだし、深呼吸をした。
う~ん、excellent。
アハハハハハハハ! 俺にはこれがあるのだよアンリさん。このまま他の皆の所に行かせてもらうよ?
ちょっとほとぼりが冷めるまでの間逃げさせてもらいまさぁ――。
「ふぅん? 逃げるんだ?」
「……」
おぞましく恐ろしい雰囲気再び――。
心臓が止まるかと思った。俺の背後から、聞きたいけど今は聞きたくない娘の声が聞こえてきたのだから。
ホラー映画で後ろを振り向いてはいけない場面があった場合、皆さんはどんな風に思うだろうか?
振り向いたら死ぬぞ! やめろ……振り向いちゃ駄目! ……みたいな場面。振り向いてしまった主人公や主要人物に対し、あぁ~やっちゃった……と、俺はそんな感想を抱きます。
でもね、例え怖くても……見ない方がよっぽど怖いって初めて知りましたよ。振り向かないとそれこそ死にそうに思えてしまって抗えないんですわ。
ギギギという、歯車が錆びついているような速度で俺が首を後ろに向けると……そこにはやはりアンリさんの姿が。満面の笑みが、恐ろしかった。
あり得ない……一体どうやって!? てか笑ってるけどめちゃめちゃ怒ってる……!
当然、俺は迷いなくもう一度『転移』を使う。反射的にといった方が正しいかもしれない。
これはきっと幻だ、はたまた何かの偶然だと……そう信じて。
だが――。
「どこ行くんですかぁ? ちゃんとエスコートしてくれるって言ったよね?」
「っ……!?」
また別の場所に『転移』した俺の眼前には、やはりアンリさんがいる。
しかも今回は距離にして30㎝、吐息が感じられそうなくらいのほぼゼロ距離だ。真正面に立ち塞がる形だ。
いやぁあああああああああああああっ!? アンリさん怖いよぉおおおおおおおっ!!
俺後ろ振り向いてないのにぃいいいいっ!?
「ツカサ? ちょっとお話があるんだけど……いい? いいよね? ……いいって言ってよ」
「うっ……は、はい……」
明るい声は最後感情の一切ないトーンまで落とされ、締めくくられる。
見えない圧力に押され、俺の全身を抑え込むようにして勢いよく抱き着いてくるアンリさんの成すがままと俺はなった。
「エヘヘ……どうしよっかなぁ♪」
俺を捕縛したからなのか嬉しそうに喋るアンリさんだが、その思考が一体どうなっているのか俺には想像もつかない。ダラダラと汗が全身から噴き出して止まらない。
抱き着かれることは好きな娘相手だし嬉しいことは嬉しい。だがこの時の俺は人質のように刃物でも突きつけられてるんじゃないかと思えるくらいの恐怖を感じていた。
胸が当たってる? そんなものを感じる余裕はありません。
甘い香りがする? 悩殺でなく本気で脳殺されそうです。
温もりを感じる? 俺の身体……冷たくならないといいなぁ(遠い目)。
な、何者やねん……この娘は。俺の動きについてきた……だと?
どういうことなのかも不明なまま、俺はアンリさんに小一時間程苛め返された。
それと、アンリさんは怒ると確定で敬語がなくなるみたいです。名前も呼び捨てになるっぽい。
取りあえず教訓として――。
アンリさんを怒らせてはいけない、恥ずかしさは怒りへ突然変異する、倍返しを恐れるべし、笑みは最大の恐怖……ってところですかね? あらヤダ、結構多い。
次回更新は水曜です。




