237話 撃沈=激チン
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誰かに背を任せる。
これは戦場において非常に頼もしい言葉であり、自分一人じゃ力及ばない相手を前にした時に是非とも使ってみたい言葉と俺は思っている。2人で目の前だけに集中し、お互いの弱点を気にする考えを捨てて攻めに集中することを可能にする……希望を見出す姿勢だ。
理想の攻防一体の形の一つと俺は思っているし、息が合わねば成り立たなくもあるから絆を象徴する素晴らしいものだなとかねがね思ってました。
そして今、とうとう待ち望んでいた背中を任すって状況を俺も体験している真っ最中なのですよコレが。
……なのに夢も希望も湧きゃしねぇ。湧いてくんのは羞恥心と欲望という結果に、頭と胸の爆発が抑えきれんぞ。
「あのぅ……無理、しなくて……いいんですよ?」
「こ、このくらい当然のことです! お、お気になさらず……!」
「っ……」
頬をポリポリと人差し指で掻く。
俺の言葉にヒナギさんが答えるのに精一杯なことが分かるくらいの反応を返し、俺の背中に押し当てている布の力を強める。それだけでヒナギさんの状態が分かってしまい、俺と似たような気持ちを抱いていることを察した。
「「……」」
布が擦れる音が静かにこの部屋に響く……。
えー、結局なし崩し的に身体を拭いてもらっているこの私こと司君ですが、あの逃げるに逃げれぬ状況では仕方がないと割り切ってなすがままとなっております。現在は部屋にあった椅子に腰掛ける形で病衣を脱いでヒナギさんに背中を見せ、ゴシゴシとこれまで眠ってる間に溜まった汚れを落としてもらってる感じです。
今のお気持ちをどうぞ! って質問があるなら……え? そんなの決まってるでしょ、滅茶苦茶気持ちええですよ? 聞くまでもないでしょうに。
もし一つだけ具体的に感想を挙げるとするなら、ヒナギさんの優しさが伝わってくるような所に胸が暖かくなったことかなぁ。だからめっちゃ気持ちいいです、エヘヘ。
ぶっちゃけ5日……昨日でリセットされるからいいけど、そんだけ眠ってりゃ身体の汚れは相当なものだ。汗、垢、皮脂等の老廃物質がこびりついていた身体を見せるなんて嫌だったし、最初は当然遠慮したさ。
でもさ、耳赤くして俯きながら必死に俺の手を離さないで言ってくるんですよ? 少しでもお役に立ちたいんですって……。
こりゃ断れねぇなって思いましたね、俺は。それにさっきまで抱きしめ合った事実の余韻もあったわけで、このタイミングでそれを疎かにしてはいけないっていう、強迫観念にも似た考えがあったんです。だから、俺の取った決断ってのは英断と褒めたたえられるべきとさえ思えるんですわ。
ですからハイ、こんな私に対する誹謗中傷はウェルカムっスよ。今なら私の中のファイヤーウォールとセーフティーを解除しますんでなんとでも罵ってくれて結構です世間様。
俺の中にダイレクトに思いの丈をぶち込むチャンスをくれてやろうではないか!
でもこれが現実なんだから否定の仕様がねーんですぅ! バーカバーカ! 逆に今インストールした俺専用ウイルスバスターで世間様を返り討ちにしてくれるわ!
……とまぁ、大きな紛争に発展しそうに思える妙にリアルな妄想はこの辺にしとこうか。俺には俺の現実があることですし。
「あの、痛くはありませんか?」
「だ、大丈夫ですよ!? その……気持ち良いですから……」
「そ、そうですか! もしお身体に障ってしまったら嫌ですので……」
だが、すぐ近くで聞こえてくる声の甘さには参る他ない。
あの、既にお身体に障ってますよ二重の意味で。心には大打撃、下半身にも甚大な被害が発生しておりますヒナギ閣下。
具体的に状況報告するなら……熱暴走、地下浸水未遂ってとこですかね? 現在必死に私の理性が現地に向かって延命措置を図ってるのが実情だ。これ以上負荷を掛けられれば撃沈は明白、激チンとなって手がつけられまへん。急いで退避願います。
……と、ヒナギさんに必死の懇願を胸中で叫ぶ俺。だがその想い虚しく、見なくても分かるヒナギさんの表情の前には全て無意味となるだけであった。
反則すぎる……俗に言うデレ顔というやつを今ヒナギさんはしていることであろう。
アンリさんもデレ系ではあるが、ヒナギさんもデレ系だ。ただし、普段凛としていてその姿勢を崩すこともあまりないため、ヒナギさんの場合はクーデレとまではいかないものの、それに近い属性があることが既に判明している。
アンリさんは純粋なデレ系であるし、ほぼ似た属性のデレとデレに挟まれるという、デレデレな状態に陥っている俺。もうコレ意味分かんねーな。
とにかく、ヤバいってことは確かだ。
「(誰か来たり……しないよな?)」
「……?」
熱くなった身体でも、まだまともな思考をする程度には余力がある。この状況を見られてはマズいと思って不安を募らせる。
ちなみに、ヒナギさんが俺の微かな変化に気付いたのか一瞬だけ手を止めたが、まるでなんでもお見通しみたいに思えて驚いていたりする。
定期検診とかで皆やお医者様が巡回してくるようなことがないのがせめてもの救いか……。もし今こんなの見られたら絶対白い目されるに違いない。
多分、ヒナギさんがやって来たから誰も来ないって可能性が高いんだろうけど……じゃなかったらアウトだ。
――やがて背中をまんべんなく拭いてもらったところで、ヒナギさんから声が掛かる。
「……カミシロ様、足りないところや痒いところなどはありますか?」
「いえ、十分です。おかげさまで随分スッキリしましたよ」
「ご満足いただけたなら良かったです」
恥ずかしさも長引けば慣れが来るというもの。人間の順応力には大変関心させられる。
熱は冷めやまぬ状態でも、最初よりも遥かに応対が楽にはなった気がしなくもない。
……ちなみに、この今のやり取りにイヤらしい想像をしてしまった俺は底抜けのスケベってことなのでしょうか? まぁ知らぬが仏って話ですけども。
そういうお店に行った経験なんて勿論ありませんよ? チキンですもの。
「…………」
「カミシロ様?」
キョトンした顔で、きっとヒナギさんは俺を今見ているだろう。急に俺が黙ってしまったし、そんなことは余裕で分かる。
ただ……一つだけ言わせて欲しいことがあるんですわ。つーかそれが気がかりで今熱がどんどん冷めてる気すらある。
「……あの、ヒナギさん?」
「ハイ、何ですか?」
意を決し、俺は全てを掛けた禁断へと踏み込んでいく。
頼むからNoと答えてくれよ……!
「なんか……随分と手慣れてるような気がしたんですけど、誰かを拭いたりするのって初めてなんですか?」
「え?」
俺が純粋に思ったこと、それは即ち……手際良すぎね? ということである。
ヒナギさんの拭く手の力加減は文句なしに絶妙な加減が出来ており、背中を拭く手の動きの迷いの無さには、微塵も素人さが感じられない気がしたのだ。
そしてそれだけではない。極めつけは……背中を見ても特に何も反応しなかったということだ。
元より恥ずかしがって懸命な姿でいたとはいえ、それ以上の恥ずかしそうな反応を示していないという点があり得ない。
恋人になる以前は風呂に入ってきたりするくらいに大胆な行動に出ることもあったヒナギさん。だが、恋人になって以降はそれが一新されたんじゃないかと思う程にナリを潜め、些細な事でも顔を赤らめたりするようになってしまったと、この付き合ってからの短い間でさえ分かっているのだ。
簡単に一例を紹介すると、手を繋ぐだけで既にアウトである。この前ギガンテスに初めて遭遇した日も照れてたはず。
そんなヒナギさんが、その……ナルシスト的思考と発言だからあんまし言いたくないけど、俺の背中、つまり半裸を見て何も反応しないなんてことがあるのか? ということである。
俺の結論から言わせてもらえば、それはかなり疑わしい。
……とまぁ、この自意識過剰すぎる憶測は俺の勝手な言い分に過ぎないのだが――。
「ぁ……ぅ……ぇと……っ~~!」
後ろから、声にならないか細い声が聞こえて来てしまってはなぁ……。
こんなのを見せられ……いや、魅せられてしまっては疑いの余地がどんどんなくなっていく一方である。俺は少し顔を後ろに向けてチラ見して確認すると、ヒナギさんは、口元に片手を押し当ててオロオロしているように身体を動かしていた。
俺の血の気は更に引いていく。この態度を取るということは、何かしらのアクションが俺の眠っている間にあったことを示しているようでならない。
「ひ、ヒナギさん? ……あの~、もしかして眠ってる間もまさかやってたりなんて……」
初日から2日、そこらを過ぎた辺りで俺は容体が安定してきたとか聞いたから、もしかしなくもない可能性が否定しきれない。
事実、俺はあくまでも外傷に関してはすぐに治って問題はなかった。ただ、見えない部分の損傷とでも言えばいいのか、誰かがどうこうして治るようなものではなかった状態だったわけで、十分あり得る。
つまり、俺は無料提供サービスならぬ、ご自由にお触り下さいな状態だったわけである。誰だって無料には飛びつくってもんでしょう。
う~ん、気になったら昨日落として確認した汚れの度合いが大したことの無いように思えて来た。既に汚れは落とされてたんじゃないかって。
ま、まさかな~。まさかとは思うけど、俺の知らない内にもう既に身体のいろんな場所拭いてもらうの卒業してるとかそんなことあるはずないよn「ご、ごめんなさいっ!」
…………うそん。
「ぁ……マジ、か……」
いや~ん、もう僕お婿にいけないですぅ~(泣)。
寝拭かれプレイの被害者になるなんて……。
「……」
「っ~~!」
後ろを振り向かなくとも分かる。今、ヒナギさんは絶対顔を真っ赤にしていると。何を隠そう、俺も真っ赤であるから。そして、一番気になることを聞かずにはいられない。
天国か地獄か、運命の瞬間である。
「……見ました?」
視線の先に映る壁をひたすらに見つめ、俺はただそれだけを聞いた。ただ、今は目に入って来る情報に意識は微塵も割いてはいないが。
これだけで意味は伝わるというものだろう。もしこの流れで伝わらないのであれば、どんだけ世間知らずなんだと言いたい。
ヒナギさんも世間知らずの面があるのは知っている。だが――。
「(……コクン)」
「ハハ、ハ……」
流石にそこまでお嬢様じゃありませんでしたよチクショー!
和服が小さく擦れる音だけで、ヒナギさんが頷いたのが分かってしまった。乾いた笑みが知らず知らずの内に漏れ、後は沈黙するしかなかった。
司君完全終了のお知らせです、チーン。チンなだけに……。
もしこれがヴァルダだったら「ハァハァ、もっと見てもいいんだぞ?」とか言ってアヘ顔晒すんだろうけど、両手を覆いたくなる状況ってのを俺は初めて体験したよ。
恥ずかしすぎる。
「でも……」
でも? ま、まさか……ここで一発逆転のチャンス到来か!?
流石ヒナギさん! 上げ下げの使い方に目を見張るものがありm――。
「あ、アンリ様も一緒でした、よ……?」
「ッ――! っ~~!」
ヒィイイイイイイッ!? やめてくれ……ここで追い打ちですかい!? 何の慰めにもならねーーーっ!
いや、ある意味慰めになってんのかもしんねーですけども!? 恥ずかしさ倍増だよちょっと!
恐る恐る言ってくるヒナギさんの弁明? は、俺の羞恥心を更に煽っただけだった。
ヒナギさんだけでさえ心へし折られそうであるのに、更にはアンリさんも共犯という事実にはもうどうしていいか分からない。
「ナナ様が一緒にいましたし、問題ないと思って……その……」
「またあの馬鹿は……っ!」
ヒナギさんがまた嵌められたのか、ナナがこれに関与している旨を吐露した。前回で懲りずに同じことをしでかすあたり、相当質の悪い癖を身に着けてしまっているらしい。
でもそれにしたってナナがいるからOKって理由は理由になりませんからね? アイツは俺の保護者でもあるまいし。
何故にナナに絶対的な信頼置いてるんですか貴女。あの子我がパーティのアホの子A代表ですからね? 貴女もアホの人になったりしたら俺泣くんスけど……。せめてスタメンからは外されててほしいわ。
取りあえずナナ、後で死刑じゃ。
「まぁ、ヒナギさん達に見られる分には……良くないけど良いですもう。お手数お掛けしました……」
「っ~~。す、すみません……!」
過ぎたことでこれ以上クヨクヨしていては仕方がない。ポジティブに全てを捉え、前へと進むしかない。
俺は、汚い身体を仕方なくヒナギさんとアンリさんに掃除され、仕方な~くアレを見られた……ただそれだけである。
アハハ、大丈夫大丈夫! 俺が生まれた時なんて全裸で身体拭かれたんだぞ? 誰しも経験した記憶にすら残らない懐かしき姿……言わば始まりの瞬間に似たシチュエーションだっただけじゃないか。
そうさ、恥ずかしいことなんてない……そうだよ……恥ずかしい、こと、なんて……。
オレハ、アレヲ、ミラレタ……OK?
「「……」」
気まずくなって会話の無くなってしまった中、俺の思考は認めたくない事実を茶化すことで認めようとするという、半現実逃避に勤しんでいたため慌ただしかった。
だってそうしないと堪えきれないんですもん。
すると――。
「あ、あの……少々お聞きしても良いですか?」
「……なんです?」
どうにかしたいけど非常に動きづらい、そんな少しでも今の空気を改善したい意図があったのか、ヒナギさんが俺に聞きたいことがあるようだ。
男性の身体の秘密ですか? それならもう知ってるでしょうに……。
「カミシロ様は、オルヴェイラスを出た後はそのままハルケニアスにいらしたんですよね?」
「はい?」
卑猥なことの連続でやや思考が自暴自棄になっていたようだ。ヒナギさんの聞きたいことと言うのは、どうやら俺の想像するものとは全く違う話のようだった。
これはやっちまったぜ。童貞なのに。
「皆知っての通り、俺はハルケニアスで意識を失ってそこから先の記憶は昨日までないですし……急にどうしたんですか?」
俺はシュトルムに『才能暴走』を使って、覚醒したシュトルムが『影』を倒すのを見届けて少しした後……意識を失った。うん、ここまではしっかり覚えてる。
でも、それ以降のこととなると昨日も言ったけど、全く記憶にないな……。
「……実は、ジーク様も見た黒コートの方のことなのですが……」
「あぁ……例の人物ですか。その人がどうかしたんですか?」
ヒナギさんが聞きたいことと言うのは黒コートの人物のことのようだ。昨日散々話したことではあるが……ヒナギさんは最も理解できぬことをされた張本人でもあるため無理もない。
ただこの時、俺は密かにヒナギさんの言おうとしていることがなんとなく分かっていたのかもしれない。それは自分がついさっき考えていたことでもあり、確信に届かぬ予想が最後のピースによって全て繋がるような……そんな予感がしてたんだと思う。
「黒コートの人物の方を……私はカミシロ様ご本人だと思ったんです」
「……」
「――ですけど、やっぱり違いましたよね……。すみません、変な事を言って」
「……あ!? そうじゃなくて」
俺がピースがカチリとはまる感覚を覚えて硬直したことで、ヒナギさんへの返答は二の次になってしまった。ヒナギさんはまるで間違ってしまったことが恥ずかしくて失礼だったと言わんばかりに首を振ると、今の話をなかったことにしようとする。
だが、多分それ間違ってないですよヒナギさん。アイツぜってー俺だ。
黒コートの人物は……やっぱり俺なんだ。
ヒナギさんが何故昨日ではなく今日言い出したのかは……まぁなんとなくだけど分かる。昨日は皆居たしな……。
愛していると言ってくれたくらいなのだ。その愛した人物をもし誰かと勘違いしてしまったら、その程度の愛だったのかとか疑惑の目を向けられることを想像してしまったんじゃないだろうか? あくまでも予想ですが。
俺がこんなことを考えられるのも、一概にヒナギさんの本音を直に聞いてしまっているためだ。じゃなきゃこんなナルシスト発言なんてできっこない。
「ヒナギさん、多分それ間違ってないです。俺もそうなんじゃないかなって思ってましたから」
「え? それはどういう……」
「その人物は多分、俺で間違いないです。……ヒナギさんの言うことに間違いや嘘がないって信じてますし……分かってますから。だから、ありがとうございます」
「えっと……?」
キョトンとしてしまったヒナギさんの目を見つめて、俺はそう答えた。今だけは、ついさっきまで恥ずかしい思いをしていたことを忘れている気がした。
なんにせよ、ヒナギさんがそう感じたんなら間違っているはずがない。ヒナギさんの感性を俺は信用しているし、ヒナギさんの全てを俺は信じている。それは……付き合う前からもずっとそうだった。
今はそれ以上となった関係だ。俺を愛してくれている人を信じられずに、誰を俺は信じれば良いと言うんだ。
だから信じますよ、アレ見られたことも……グスン。
でも、愛ってやっぱり偉大だわ。確信に至る理由が愛だったとは……侮れんな。
次回更新は土曜です。




