234話 打ち払われし災厄(別視点)
◇◇◇
「覚えてろよあの野郎……!」
「じ、ジークさん! あの飛行船落ちるってあの人……!? このままじゃオルヴェイラスが!」
『銀』を恨めしく思いながら落下していくジークであったが、傍らで聞こえてくるアンリの声に意識を向ける。先程の見えない力による怪我はないようで、特に変調をきたしている様子は見られない。
「っ!? ……お前、この状況だってのに案外余裕あるのな……」
自分達の身を案じる、もしくはこんな状況であるから悲鳴の一つでもあげるかと思いきや、街の心配をするアンリ。ジークはアンリの胆力に度肝を抜かれた。
「高い所はもう慣れてます。それよりも――!」
「(司みてぇなこと言いやがって、コイツめ……!)」
その意気や良し、下手に取り乱されるよりも全然マシに思ったジークではあったが――。
「(だがどうする!? 下もだが俺達がまずヤバい。……アンリも一緒となるとマズイぞオイ!)」
アンリを助けに自らも身体を投げ出したまではいいが……それからのことをジークは全く考えていなかった。
咄嗟だったのだ。ジークだけならまだしも、アンリも一緒となると助かる術が全く思い当たらないのである。
「(せめてコイツだけは――っ!?)」
自分のことよりも今はアンリを第一に考えるが……真下に突如として出現した黒いモノにジークは目を奪われる。
何もかも飲み込んでしまいそうな、酷く暗い空間だ。ジーク達を獲物として捉えるように突如出現したのである。
「なに!? くっそ……しっかり掴まってろよ!」
「っ――!」
避けたくても避けられぬ障害に、アンリが目を瞑って覚悟を決め、ジークも身構えながらそれを受け入れる。
アンリとジークの身体は、そのまま抵抗できぬまま謎の空間へと吸い込まれていった。身体が闇に溶けていくような……そんな光景だ。
ただその空間へと吸い込まれる間際、ジークは不意に感じたあり得ぬ視線に気づき、一瞬目を横に向ける。
「……」
「お前――!?」
黒いコートに身を包む人物が、ジーク達を見て佇んでいた。遥か上空に人がいるはずもないその場所であるというのに、微動だにせず立ちつくす姿がなんとも異質で、底知れぬ雰囲気を漂わせていたのである。
しかし気づいたところでジーク達の視界からはすぐに消え去ってしまい、ジークに謎を残して終わることとなった。
「(っ!? この感覚は……『ゲート』か!?)」
何も見えない空間の内部と感触、それはジークには覚えがあった。以前『執行者』達に利用させてもらったことのあるものと同じソレであったからだ。
ふと思い出す感覚にジークは若干の懐かしさを感じた。
それも一瞬だったが。
「うおっ!? 「キャッ!?」……なっ、地上!?」
「えっ!?」
ドスンという表現が正しいのか、少々鈍い音を立てながら足を地に着けたジーク。ビリッとした感覚が足から手に伝わっていき、抱きかかえていたアンリにもそれが伝わったようだ。可愛らしい声が漏れる。
――それと、見知った声も。
「ジーク!? アンリ!? え、何処から来たの!?」
「な、ナナ!? って地上? ここ……」
覚醒状態であるナナが、目を丸くしてジーク達を見つめていたのだ。同じくナナの存在に気付いたアンリも、ナナと似た反応を返す。
「チビ子……てことは本当に地上なんだな。だが……」
ジークも周囲を見回してみるが、自分の知る環境そのままであったことですぐに察する。
景観こそ随分と変わり果てて荒れ放題となっているが、ここは紛れもなくオルヴェイラスだと……そう分かったのだ。オルヴェイラスの匂いもそのままだと。
「(まさかアイツか? でも何で『ゲート』が使えるんだ?)」
「よく分かんないけど、取りあえず2人が無事で良かった。でも一喜一憂してらんないかな……」
「っ、そうだな……アレどうにかしねぇと!」
ジークに芽生えた疑問は、考える時間すら与えられない。ひとまず安心と思ったのも一瞬のみで、上へと視線を向けるナナに合わせて2人も上をハッとなって見上げる。
そこには、先程間近で見た飛行船がいくらか小さく映っており、その存在感を徐々に大きくしつつあった。
「ふぅ……」
抱きかかえていたアンリを降ろし、何か魔法を試みようとしているナナの隣で手をポキポキと鳴らすジーク。あの黒コートの人物が気になりはするが、一旦頭から消し去って目の前に集中する姿を見せる。
『銀』と『白面』が言っていたように、あの船をどうにかできるようには思えない。それはこうして地上に降りたことで更にそうとしか思えなくなった。
余りにも巨大すぎると。
街の大部分を占めるであろうその質量の大きさに抗うことは不可能でしかないと思うしかなかったのだ。ある意味、最初の熱線と同等……もしくはそれ以上の規模の脅威度をジークは感じていた。
――だが、やらねばならない。このまま素直に黙っていることもできないのも確かで、隣にいるナナも同様のようだ。『虚』との戦闘で本気を出し、自分よりも疲れ果てた様子であるというのに、この状況を目前に諦めの姿勢を見せていなかったのだから。
まだ元気の有り余る自分が弱気でどうすると叱咤し、ジークはナナの横に並び立った。
1人では無理でも、2人ならばどうか? そう考えると不思議と希望が湧いてくるような気がしてきたジークは口を開く。
「……チビ子、お前あとどんだけ無茶できる?」
「は? 何言ってんの? 無茶は覚悟の上なんですけど?」
「……ヘッ、よく言うぜそんなナリしてるくせに」
「そっちこそ今まで何もなかったみたいに元気満々じゃん。ならそっちにすっごい無茶をお願いしたいんですけど?」
「ぷっ……流石アイツの左腕、いいぜ……上等だ! 俺に合わせて魔法を撃て! 俺の新技見せてやっからよ! 遅れるヘマすんなよ!」
「りょーかい! その馬鹿げた力頼りにしてるよ! あと、そこは右腕って言ってよね!」
売り言葉に買い言葉を重ねるナナとジーク。ジークの問いに当然のように強がったナナに満足したのか、ジークは笑みを浮かべて叫ぶ。
今は、こうして無茶をし合う仲間がいることを純粋に嬉しく思えたのだ。
ナナに自分は快く思われていないのは知っている。でも、それでもこうして危機には協力し合える間柄、仲間とは頼もしいものだなと、この時ジークは心底打ち震える何かを覚えた。
――ドクン。
「「「!?」」」
不意に、世界が胎動した気がした。
身の内に直接叩き込まれる衝撃を3人は口には出さなかったが確かに感じ、動きを止める。ナナとジークが展開させようとした攻撃準備はその意識ごとナリを潜め、別の何かが今度は存在を主張し、露わにしそうな気配が漂っていた。
只ならぬその予感、それは間違いではなかったようだ。
「なん、だ……ありゃ……!」
ナナとアンリの声を代弁するように、ジークの声が目の前の光景に対して吐かれていった。
◇◇◇
ジークとアンリが上空から姿を消したその直後――。
「(無事地上に着いたか、これでもう心配は要らないな。あ~、こんな馬鹿デカいガラクタ作りやがって『銀』の奴……)」
風にコートをたなびかせながら、黒コートの人物が視線を下に向けている。その人物はヒナギを助けた人物本人であり、地上から上空へと移動していたようだ。
足場も作らず空中浮遊しているその視線の先にはオルヴェイラスが存在しており、肉眼では大きな物体しか捉えることは出来そうもない。しかしそれでいて何か確認したような反応である。
内心で『銀』に悪態をつきつつ、黒コートの人物は渋々足を引き……身体を反転させるようにして振り上げる。
その矛先は、すぐそこまで迫っていた飛行船の船底だ。黒コートの人物のその動きは、一瞬で数十秒の間力を溜めていたかのような、他を超越する速度で繰り出される。
「『神龍の脚撃』!」
掛け声と共に黒コートの人物の足が振り抜かれると、白と黒の巨大な塊が放出される。一見ただの塊に見えるそれは船底に迫るうちに徐々に姿を変え、『龍の脚撃』と酷使し……それでいて遥かに巨大な龍を模した力の塊へと変貌する。
そして空気摩擦によって赤熱したのか、赤い軌跡を描きながら船底に直撃すると、船底を貫き……あれほど巨大な船を内部から爆散させて粉々にした。
「『アルスマグナ』……!」
立て続けに、『神龍の脚撃』が船底に直撃した瞬間を見計らい、そのタイミングで両手を合わせた黒コートの人物は、一瞬にして膨大な魔力を練り上げて魔法を発動させる。
空が割れるように音を立て、そこから溢れた灰色の波が周囲一帯を飲み込むようにして渦となり、破壊された飛行船が捻じ曲がった空間の中に次々吸い込まれ様は……世界を終焉へと導く魔物のようだ。
誰も止められることのできない存在感を放つ渦は、飛行船の残骸をいとも容易く片してしまう。
それに伴って発生する暴風の嵐と破砕音は規模の大きさを象徴しているようで、天災が一瞬にして引き起こされたかのようである。
最早魔法としての領域を逸脱している力が、オルヴェイラス上空を支配した。
「(……想定外のことが多かったとはいえ、こりゃ流石にクーにバレたか? いやバレてるよなぁ、確実に……)」
やがて魔法を収束させたのか手を軽く一払いすると、オルヴェイラスの空には何もない……綺麗な青空が広がるのみであった。七重奏の虹が美しく見える元の状態へと戻っていた。
オルヴェイラスに降りかかる絶望は、今取り除かれた。だが、黒コートの人物は頭を掻いて困った様子を見せる。
まるでこの一連の行動に困ることがあるかのようであった。
そして何か考え事をしながら懐に手を差し入れると、キラリと輝く転移結晶を取り出す。魔力を込めて口元に近づけて通信を開始すると、澄んだ音がした後に若い男性の声が聞こえてくる。
『――なんだ? フリードさん』
「……あ、繋がった。アレク? そっちどうよ?」
最近調子どうよ? 的な軽い言い方をした黒コートの人物をフリードと呼ぶ声は、アレクであった。
お互いに行動中であるのか、事の進捗具合の確認をしているらしい。
『あぁ、言ってた通り、『絶』と『白面』と、交戦した。……悪い、逃がした』
「……その割には、あんまり余裕なさそうに聞こえるんだが? 逃げられて助かったの間違いじゃないのか?」
通信中であっても聞こえてくるアレクの激しい息づかいから、フリードは淡々と言葉を突きつける。見えていなくとも分かっているぞ……そう言いたげに。
『……あぁ、その通りだよ。アイツら、化物すぎたぜ。特に『絶』は……半端ない、強さだった。フリードさんがスパルタだった意味がよく、分かったよ』
「それはなによりだ。……ま、ご苦労さん。生きてられたんなら大したもんだ。少なくとも目標は果たしてるし、むしろ無理かもと思ってお前を投入しちまったところあるからな……謝んのはこっちの方だ。利用して悪いな」
アレクの戦況報告に、声のトーンを落として謝るフリード。その胸中は分からないが、アレクに対して思う部分があったようだ。
『そういう契約、だろう? 俺も……これだけの力を貰ってん、だから、そんなこと言わなくて、いい。……ところでそっちは、どうなった? えっと……師匠達は、無事なのか?』
「まぁ、当然だけどアイツは死んではいねぇだろうよ。少なくとも『影』は死んで、目的通りシュトルム達もちゃんと生きてる。ただ、その影響からか『銀』がとち狂ったこと仕出かしやがったし、連鎖でヒナギが死にかけたりしたが……それは今無理してなんとか収めたよ。結構危なかった局面は何度かあったが、セシリィの方も多分問題ない。第一段階はとりま成功ってとこだろうな」
『そうか。それよりも、ナターシャ、さんは……平気なのか? 『クロス』と『夜叉』が相手、なんだろ?』
自分のことよりも、別の仲間の方がどうなっているのかが気になったのか。アレクはそちらの心配をするが――。
「お前が心配する必要はないさ、あの人お前よりもクッソ強いんだから。ジークとタメ張れる数少ない一人だぞ。それに……俺も手の内は出し切ってない。万が一の保険もあるから問題ねーよ」
フリードはアレクがその心配をする必要はないと言い切った。そこだけは力強く、声のトーンを戻して答えるのだった。
『相変わらず、用意周到だな……流石見てきただけの、ことはある』
「……まぁな。アイツらが災厄の種を広く撒いたってんなら、俺はその全てを徹底的に抑え込んでやるだけだ。――んじゃ、俺もそっちに戻ってお前の手当でもしてやっかな……ボロボロで動けねーんだろ? 何処にいるんだ?」
『スマン、場所なんだが――』
フリードは再び『ゲート』を開き、その中に身を投じていく。
危機的状況を救うことが当たり前の作業のように、人知れずにこのイーリスの地を速やかに立ち去っていくのだった。
誰も知らない救世主。いなければ世界の歴史に永遠に刻まれるであろう最悪の災厄を跳ね除けたその人物を、今イーリスにいる者達は目撃することは叶わなかった。
次回更新は木曜です。




