233話 介入者(別視点)
◇◇◇
「はぁ……はぁ……! まだ、死なないの……? っ、いい加減に死んでくれないかなぁ……てか、本当に効いてるの?」
ナナと『虚』が戦闘を初めてから、既に十数分が経過していた。
息を乱して体を上下に揺らしながら、ナナは憎しげに『虚』へと視線を向けている。その『虚』はというと、服は破け放題で身体中血まみれであり、手足に至っては所々皮膚が爛れていて痛々しい。見るも無残な姿に成り果てていた。現在はナナの作ったであろう棘だらけの氷山に身体を打ち付けられ、背中を押し付けるようにして立ち上がっている。
だが、その顔には奇妙なことに焦りや痛みに耐えるといった表情が一切なく、ただヘラヘラと笑っているだけだ。命の危機に瀕しているというのに、それを少しも気にもしていないかのようであった。
「まぁ痛覚ないからね、僕。でも、流石にこれはヤバいどころじゃない、かな……ケホッ!? もうまともに動けないよ~……誰かヘルプミー」
「(死にそうなくせにふざけるとかイカれてるとしか思えない……これが『執行者』か。化物め……!)」
両手を上げて天に助けを請うようなポーズを取り、血を吐きながら理由を説明する『虚』であったが、確かに身体はダメージを負っているらしい。ただ、ナナはその姿にやはり化物だったのかと思い知らされる。
司とジークが仮に強大な力を持つだけの化物達であるなら、『ノヴァ』の連中は底知れぬおぞましさ、狂気を秘めた化物であると感じたのだ。
「ちょっと白ちゃん予想以上に強すぎるよ~。手数が多すぎて消失させきれないんだけど……容赦のない攻撃で僕もう瀕死だよ? これがどういうことなのか分かってる?」
もうやめてくださいと、目をウルウルさせて言う『虚』であったが――。
「知らないよそんなの。……てか、それでも耐えてるお前はじゃあなんだってのさ?」
「……人外?」
「(コイツ……っ!)」
それにナナはバッサリと苛立ちを募らせながら返答し、更にストレスを感じることになるだけだった。ペロッと舌を出して可愛子ぶる『虚』が……癇に障ったのだ。
空気を読まず相手を煽り続ける態度に我慢ができなくなったナナは翼を振るおうとするが――。
『『虚』! お前どこに居んのか知らねぇが早く撤退してこい。今船落としたから。お前、巻き込まれんぞ』
そんな、『虚』を呼ぶ声が何処からともなく聞こえてくる。ナナと『虚』は一瞬驚いた反応を見せると、それぞれ違った反応を見せて何事かと対応する。
「『銀』!? って、ちょっと待ってよ!? なんでそんなことしてんの!?」
「『銀』……!?」
『銀』の声を知らないナナは、『虚』がその事実を告げたことでハッとなった。この声の主は『銀』なのかと……。
顔も知らない、声も知らない。そんな中、一つ判明したことを記憶にしっかりと留めるのだった。
『銀』は会話を続ける。まだ会話は始まって間もないが、『銀』の伝える内容はナナと『虚』に衝撃を与えた。
『――『影』がやられた』
「「っ!?」」
暗くもないが、状況が悪くなったことだけは伝わってくるような無機質な声で、『銀』はそう言った。
「(『影』が死んだ? ってことはご主人の方は大丈夫ってこと?)」
ナナは、司が『影』を本当に殺したのだとすぐに察した。実際はシュトルムが止めをさしたのであるが、その事実をナナは知らないから無理もない。
ここでナナにとっては予想外の朗報は、一瞬『虚』との戦闘中であるという緊張感を欠かせる要因となった。
「……そっか、そりゃ残念だね」
『そういうわけだ。近くにいんなら早く戻ってこいよ』
「はいはい、分かったよ」
『虚』が最後了承すると、そのまま『銀』の声はそれ以降聞こえなくなってしまう。
「そっかー、死んじゃったのかぁ『影』。でも酷くないかなぁ……なんで船落とす様なことになってんのさ。聞いてないよ……(ブツブツ)」
『虚』は溜息を盛大に吐いて肩を落とすと、ボソボソと独り言を呟いた。
だがそれも束の間――。
「『否定空間』、『ゲート』」
「あっ!? 逃げるつもり!?」
肩を落としたまま流れるように入った動作に、ナナは間に合わなかった。
『虚』は丸いどんよりとした雰囲気と空間を自身の周りへと形成すると、その中に閉じこもってしまう。その中で更に『ゲート』を発動させたが、ナナはこれを逃げる兆候だと察して魔法を放つも、どんよりとした空間に阻まれて無意味に終わる。
『虚』はヘラヘラした態度ではもうなくなっており、表情を感じられない無と評するに値する顔で、淡々とナナへと話し掛ける。
「無駄だよ、空っぽな僕が今傷ついた状態で発動してるんだ。……誰も僕に干渉することはできないよ、白ちゃん」
「(何コレ!? 魔法が霧散されてく……! 隠し玉にこんなのあったの!?)」
『虚』のそんな言葉も意に介さず、ひたすらに魔法を放って邪魔をしようとするナナ。コイツをここで逃がすわけにはいかない……そんな思いに駆られていたためだ。
だがナナのオリジナル魔法であっても一向に効いている様子はなく、全て魔法は無くなっていくように消されるだけだった。
焦燥に満ちたナナをジッと見つめながら、『虚』は続ける。
「君が万全だったら、僕は間違いなく死んでた。だから君のご主人に言っといてよ、君の従魔は恐ろしかったよって」
「コラ! 逃げるな『虚』!」
「じゃあね、次会う時はもう……君を従魔にはできないかな」
ナナの叫びを背に、『虚』は『ゲート』の中へ足を踏み入れて消えていく。『虚』の姿が見えなくなるとどんよりとした空間も消失し、ナナの魔法は空ぶって前方へと飛んでいった。
魔法はそびえ立つ木に当たると一瞬にしてその木を溶解させ、荒れ果てた道へと流れだす。腐臭が辺りに立ち込め、その中でナナはやるせない気持ちを抑えきれない思いになる。
「(逃がした……こんなチャンスを無駄にするなんて……!)」
司に任されていたこの地の守護は果たせたのかもしれない。だがもっとやれたはずだと自分を責めるナナ。
思いのたけを叫びたくなったところだったが、ふと辺りに広がっている暗がりが濃くなっていることに気が付いて上を見上げてみると――。
「なんかすごく暗くなって……っ!? ぁ……嘘……」
電撃は気が付けば既に降り注いではおらず、無意味に氷の膜だけが展開されている。そしてその更に上にある飛行船が、電撃に代わって降り注ごうとしていることにナナはようやく気が付いた。
この間にも足元の陰りは濃さを増している。それはまるで、恐怖が忍び寄るかのようだった。
◇◇◇
オルヴェイラスに訪れた新たな変化は、別の場所でも気が付く者達がいた。先程までモンスターとの戦闘を行っていた、オルヴェイラスの兵士達である。
「オイ、上を見ろ! す、少しずつ、落ちてきてないか……?」
「本当だ。……でもそれってつまり、この街に落ちるってこと、だよな……?」
「ヤバいぞ……ど、どうすればいいんだあんなの!?」
一斉に上を見上げては、声に出す内容は芳しいものではない。すぐに周りへと波及し、兵士達へ動揺を与えてしまうのも仕方がない。
あんな大質量の物体への対処法など持ち合わせているわけがないからだ。それだけの技術があるのならヒナギ達の力など借りていない。
あれだけ遠くに展開していてなお巨大だと分かる物体が更に大きくなって近づいてくる。それだけで、言葉を多く交わさなくともどんな惨状となるのかは明白だった。
この街は潰される――。それが兵士達の考えだろう。
「皆様、ちょっと先行させてもらいます!」
「あ! ヒナギ様!? 何処へ――」
全モンスターの討伐を終えて街に兵士と共に戻っていたヒナギであったが、早急にナナと合流しなければという思いに駆られて駆けだした。
道なき道を進み、地面に着く時間すら惜しい気持ちで木を伝っては人の動きではない動きで進んでいく。
目指すは街の中心である広場だ。先程自分が戦場へ送り出された場所でもあるそこに、フェルディナントもいるはず。そう思ってひたすらに。
「(あんなものが落ちてきたら取り返しのつかないことになる! 早くナナ様と合流しないと――!)」
一緒にいた兵士達の姿も見えなくなって暫くした後、街へとようやくヒナギは辿り着く。門を越え、木々溢れる街中を抜けているところで……ヒナギを捉えて声を掛ける人物がいたことでヒナギは一旦足を止めた。
「ヒナギ殿! ご無事であったか!」
「フェルディナント様!? どうしてこちらへ!?」
どうしたことか、それはフェルディナントであった。手を振り、ヒナギの方へと常人離れした動きで近づいてくる。広場へ姿を現した時と同じように。
ただ、指揮官が何故街の外れにやってきているのかが分からず、ヒナギは困惑した。
あの兵士達と交わしていた約束はどうしたのかと。
「あぁ、突然で済まない。あの場所を離れるなと忠告されてはいたが……」
だが、それも今は気にするところではない。
フェルディナントはヒナギにそう言って、上を見上げる。
確かに、あんなものが上から落ちてくると分かってしまっては、ジッとしていることなどできなかったのだろう。両者は互いに額に汗を滲ませる。
「っ……えぇ、そうですね。あの物体をどうするか、ですね?」
「いや、それよりも先にやることがあるんだ。上のもそうだが、それよりも先にやらねばならないことがある」
真剣な顔で、更に優先すべき問題があると告げたフェルディナントにヒナギは驚く。街全体の危機以上に優先すべきこととは何なのか? それがヒナギには想像もつかなかったからだ。
この時ヒナギは、完全に警戒を解いている状態だった。
「え? それは一体――!? ぁっ……!」
『貴女の魂を頂くことですよ』
上を見上げることをやめてフェルディナントへと振り返った時、ヒナギの表情は固まる。
感覚がある一点だけに集中して、その他に脳の命令が届いていないかのように。
ニッコリと笑った表情でヒナギを見つめるフェルディナントの手には……ナイフが握られている。そのナイフを持つ手は返り血に染まり、ナイフが貫いているのは……ヒナギの左胸であった。
フェルディナントに、ヒナギはナイフを刺された。
「フェルディ……ナント、様……? な、何を……あぅっ!」
ヒナギが何故? といった顔でフェルディナントに震えながら訪ねるも、無情にもフェルディナントはナイフを胸から引き抜いた。ナイフは一瞬胸から溢れ出る血と架け橋を作るも、すぐさま壊れてしまう。
傷みと力が抜けた身体では立つこともままならず、ヒナギは蹲るように倒れ伏す。その状態のヒナギを尻目に、フェルディナントは淡々と話すのだった。
『『虚』さんが白い方の神鳥を相手にしてくれて助かりましたよ。『鉄壁』の貴女はいつももっと強固な鉄壁に囲まれてますからねぇ……この機会を無駄にするのは非常に勿体ないです』
「なに……を……」
言っていることの意味が分からないヒナギだったが、次のフェルディナントの言葉に驚愕する。
『どうも、『白面』と申します。先程からずっと機会を伺ってましたよ、この人の頭の中から』
「っ!?」
『『虚』さんの従魔のお相手お疲れ様でした。このまま死んでください』
『白面』という言葉に、ヒナギは敏感に反応した。
確かに『白面』がこの地に来ていることはナナが言っていたが、まさか自分の所に現れるとは思ってもみなかったのだ。司が別れ際にここが一番安全だと伝えたことも影響し、自分は一番まだマシの状況という認識を持っていたのである。
「(油断しました……! まさか、フェルディナント様を操っていたなんて……!)」
殺そうとする機会を伺い、まるで本人がそれに気づいていない洗脳にヒナギはここで初めて恐ろしいと真に思った。ヴィンセントの件を聞いていただけでは実感が湧かずに恐ろしいだけとしか思えなかったが、自分が体感してみるととんでもない。本人が気が付いて抗えないことが当然だとしか思えなかったのである。
現に自分は全く気が付くことが出来ず、今にも意識が遠のいてしまいそうな状態になってしまっている。更にはこの前は気づいたはずであるナナの魔力感知にすら引っかからない高度な力とあっては、もう対処のしようがない領域にあるとさえ感じていた。
『白面』がナイフを振り上げたところで、ヒナギは目を閉じた。
直感的に悟ったのだ。もう自分はここで死ぬと。周りに自分を助けてくれる存在は思い当たらないし、最も近くにいるであろうナナも『虚』と相対していると今『白面』は言った。
ならば、どうすれば自分は助かることができようか? それを自分に問いかけ……答えとして出たのが生きることへの諦めだった。
――が。
『――は?』
「……?」
血を吐いて俯き、覚悟を決めたヒナギであったが、一向にトドメの一撃は振るわれなかった。その上、間抜けな声が聞こえてきたことで、恐る恐る見上げてみると――。
「……」
フェルディナントの姿は、何処にもなかった。何故ならその間に割って入る、黒コートに身を包んだ人物が立ち塞がっていたためである。
『~~っ!? な、なんですかあなたは!? それに、一体何処から!?』
予想外すぎる人物の登場に慌てて距離を取る『白面』の表情は、通常の人が焦った時に見せるものとなんら変わりない。そもそもフェルディナントの身体であるから当たり前だが。
ただ、『白面』も普段は仮面で表情が分からないものの、このように驚いたりする人物ということだろう。
「ぅっ!」
ヒナギは、よく分からないがこの謎の人物に守られたということだけは理解した。
しかし守られたところで傷は既に手遅れだ。『白面』の刺した凶刃はヒナギの心臓を貫いており、もう手の尽くしようがない傷をヒナギに残していたのだから。
どのみち今の『白面』の一撃が振るわれなくとも、意味がまるでない。
――と、思っていた。
「……(ボソボソ)」
「っ!」
謎の人物は聞き取ることもままならない程に小さな声で何か呟くと、ヒナギへと手を向けた。するとヒナギの刺されていた胸の内が塞がり、溢れ出していた血もピタッと流れるのを止めたのである。
それに合わせてヒナギの表情に余裕が生まれていき、心臓が刺された後とは思えない表情へと早変わりした。
『ちょっとちょっと……心臓を貫いたはずですよ!? なんで回復させられるんですか!?』
「……」
「あ、貴方は一体……?」
「……」
本来不可能である事象を引き起こした謎の人物に、『白面』は驚きを隠さずに質問する。今のが魔法だったとしても、傷ついた臓器を回復することは不可能であるためだ。それがこの世界の常識であり、絶対の定義として決められていた事なのだから。
だが質問は無意味で、謎の人物は一切言葉を話さない。ヒナギも一応名前を聞き尋ねてみるも……やはり返事はなかった。
フードで顔さえ見えないため、この人物への心当たりが何処にもない。
『っ、聞いても何も答えてくれなさそうですね……いいでしょう。それならば無理矢理にでも――!?』
「……!」
『白面』も敵対の意思を見せる相手ということだけは分かったようだ。フェルディナントの身体で剣を抜き、構えを取り始めるが……その動きが不自然に硬直する。
圧倒的な威圧が謎の人物から『白面』に向けて放たれ、それで身動きが取れなくなったのである。
ヒナギはすぐ近くにいたものの、向けられている威圧が自分に対してではないため無事であるが、見ているだけで呼吸が止まりそうな圧力に呼吸を忘れ、ただただ魅入ってしまう。
そしてふと思う。自分は、この光景を何処かでみたことがあるのではないかと……。
『それは……!?』
「……」
「(ど、どういうことでしょうか!?)」
驚きの連続は続く。『白面』が驚きの声を上げるのも無理はない。
謎の人物は、『ノヴァ』だけに許されているはずである『ゲート』を出現させたのだ。ジークから特殊な力が必要であると聞かされていたため、これにはヒナギも例に漏れず驚いた。
『ば、馬鹿な……! あなたは一体何者でs――』
『白面』の言葉は途中で止まり、代わりにある変化が身体に起こる。
霊体のようにフェルディナントの身体から白い靄が抜け落ち、そのまま『ゲート』に吸い込まれるようにして姿を消してしまったのだ。逆に抜け殻となったようにフェルディナントの身体は地面に倒れると、眠ったように動かなくなってしまった。
後を追うようにして謎の人物も『ゲート』へと足を踏み入れていくが……その足を一瞬だけ止め、ヒナギを最後一瞥する。
「…………」
「ぇ……?」
その挙動が、ヒナギの心を揺るがした。
首の振り方、姿勢、身体の大きさ、そして極めつけは直感だろうか?
ヒナギは頭が混乱しそうになり、何が何だか分からなくなってしまう。なんでこの人がここに今いるのだと……。
「カミシロ、様……?」
「……」
それは無意識に、だが自分の感じ取った僅かな感覚を頼りに絞り出したものであった。
ヒナギの言葉に、謎の人物はまたも答えない。そのままヒナギから顔を背け、完全に『ゲート』の中へと姿を消してしまった。
ヒナギは、それをただ見つめることしかできず放心した。
イーリス編も残すところあと少し、いよいよ大詰めです。
次回更新は月曜です。




