232話 訪れる限界
『影』が完全にいなくなったテラスは静まり返る。風の音だけが感じられ、それ以外の音が一切ない場所へと早変わりした。
そこにシュトルムの声が切り口となったことで、ようやくその場の者達は意識を目の前に戻すに至る。
「ふぅ……皮肉なもんだな。弱さを補うために培ってきた知識が、一番役に、立つなんて……くっ!?」
「ぅっ! ……ど、どうしたシュトルム……?」
感慨深く呟いたシュトルムであったが、その声は次第に弱弱しくなっていく。俺は身体に感じていた重みがいきなり強まったのを感じながら、シュトルムの様子がおかしいことに気がつき下から声を掛ける。
俺が心配してしまうくらいなのだ。当然――。
「シュバルトゥム様!? お怪我を!?」
愛が深すぎてマントルを余裕でぶち破りそうなレベルのクローディアさんが心配しないはずがない。すぐさまシュトルムの傍まで駆け寄ると、屈んでシュトルムの容体を確認し始めた。
……あのぅ、魔力切れなのによく動けますね。化物か貴女は……。
「だ、大丈夫だクローディア。怪我じゃなくて、唯の魔力切れだからよ……」
「そうですか……。はぁ、心配しました……」
さっきまで顔色を悪くして動けなくなっていたクローディさんはどこにもいなかった。今は元気になったようにさえ見える身体でシュトルムの言葉に耳を傾けている。
だが、それはあくまで見えるだけだろう。本気で心配で、自身のことにすら頭が回らないくらいだからこその顔でもある。
この愛する夫を心配する妻の絵柄に、愛は何もかも否定する強きものであるとしか思えなかった。
……ま、そんな話ならその愛とやらで『影』もちゃちゃっと倒してくれよなんて思ったのは内緒だが。
これは流石に冗談だが……死んでも言えないわな。
『時間か~、残念~』
『でも面白かった~』
『また遊ばせてね~、『担い手』』
精霊達がまた騒ぎ出す。
シュトルムに皆一斉に振り向くと、それぞれ別れの言葉を告げては身体が消えかかっていく。
「あぁ、お前等の力には助かった……。またな」
『うん、バイバイ』
精霊達を具現化させているシュトルムは、もう精霊が消えてしまうのが分かっているのだろう。同じく短い別れの言葉を交わすと、シュトルムを纏っていた衣も引き剥がされるようにして失われていく。
『やっと皆一緒に遊べるね』
『早く次来ないかなぁ?』
『次は何して遊ぼうか?』
ゾッとした。
この精霊達は戦っているという認識が俺達と比べて程遠い。やはり今のは全て遊んでいるという認識なのだ。
精霊と人では人を殺すという感性が違うのかは検討もつかないが、遊ぶということはまだまだ余力を残しているということ。それが暴走してこちらに矛先を向けてしまった時のことを考えると……恐ろしい。癇癪も然りだ。
ポポとナナ以外に使用したことのなかった『才能暴走』が、ここまで驚異的なステータスと能力を発揮することを今一度知れた気がする。
最後まで楽しげに会話をしながら、精霊達はそのまま消えていった。それと同時に衣も完全に消え、息を盛大に吐いて汗だくのシュトルムは身体の力を抜く。
「ぶっへぇ~! もう限界だ、死ぬ……! ポポとナナはすげぇなぁ、これの後も平然と動けんだからよ。やっぱアイツら神鳥だわ」
天を仰ぎながら、シュトルムはポポとナナに感心して独り言をした。
シュトルムの覚醒状態はこれで完全に解けたようだ。意図的に解除したのではなく、本人の限界が来た様子なのは見て分かるが……それでも初の試みを考えれば長く保ったとは思う。
ポポとナナも、初回はこのくらいの時間しか覚醒状態を維持できなかったし、解けた後は動けなくなっていたのをよく覚えている。
フードの中で仲良くピクピクしてたっけ?
「はぁ……はぁ……っ、結構ヤバかったな……ツカサが弱らせてなかったらどうなってたか分かんねーや……って、ツカサは!?」
「あ!? そうでした!?」
「……」
ここにいるぞー。
ようやくわたくしめに意識を向けて下さったシュトルム君がハッとなった顔になったので、クローディアさんに甲斐甲斐しく支えてもらってるシュトルム君にそう皮肉を込めて睨んで差し上げる。
お前に下敷きにされてるんですが? さっきからずっとなんですけど……え? 気づいてなかったとか言わないよね?
ねぇねぇ今どんな気持ち? 瀕死の奴に体重を乗せてイチャコラしてるその気持ちはどんな気持ち? はよ言ってみぃや。
『影』を倒した喜びを分かち合い、お前を従魔にしてしまったことに対して心の底から謝罪したいと思っていたのにこの馬鹿は……。
「早く、退いてくれ……。重いし痛い」
「おぉ、悪い悪い」
俺がそう言うと、シュトルムは慌てて俺からようやく離れてくれた。
身体が解放されたように軽く感じるのは……疲労が尋常ではないからだろう。本来だったら重くもなんともないのだから。
なんにせよ――。
「やっぱシュトルムだな……最後まで締まらないとか」
「お前が言うなお前が。だが、それがお前の仲間で……俺達のリーダーだろ? いつも通りなだけだ」
「ハハ……間違いない」
互いにボロボロの身体で、情けない恰好を晒して、弱弱しくもいつもの笑みで拳を俺達はぶつけ合う。
一昨日アルのいる小屋で交わした拳を、今一度確かめ合ったような気がした。
あーあ、流されてばっかりだよやっぱ俺は。全部シュトルムの思い通りの展開になっている気がしてならないわ。
もう、これは俺がどれだけ足掻いても無駄なんだろうな。俺の決意も想いも……仲間の前にはちっぽけなもんなんだきっと。
敵わないな、全くよ……。
「ツカサ様……お身体は大丈夫なのですか!?」
「あ、クリス様!? そうだ……急に光が出たと思ったら姫様達が……」
目を瞑って仲間の存在を噛みしめていると、気品のある声がしてきたので俺はそちらを見やる。そして忘れかけていた事実を思い出して、例の2人が何故この場に現れることになったのかを尋ねた。
姫様とランバルトさんの傍らには、ハイリとリーシャも一緒にいるようだ。
「そ、それなのですが……ぁ……でも……」
姫様は説明するために一旦口を開くも、俺の身体を見て逡巡した。
なんだかんだ、クリス様も性格こそ大胆ではあるが姫様という立場で育っていることは間違いない。今の俺の恰好を見て気分が悪くなっても……それは仕方のないことかもしれない。
血生臭いという言葉がそのまま当てはまるとしか自分でも思えない状態なのだから。
「姫様……ご無理をなさらずに」
「も、申し訳ありません、ツカサ様……。ワタクシ……」
「いえ、こんな情けない姿ですみませんね。ランバルトさん、説明してくれますか――」
今は姫様よりもランバルトさんに説明を求める方が良い。そう考えてランバルトさんの方に顔を向けた時だった。
ボタタ――
「「「「「「!?」」」」」」
「――ぇ……?」
不意に、熱いものが口から零れた……しかも盛大に。
水音がして下に目を向ければ血だまりが出来つつあり、雨漏りのように少しずつその嵩を増しているようだ。赤色の面積を広げ、少しずつこの大樹である薄茶の木目に染み込んでいく。
皆が声にしなかったが、限りなくビックリしているのか目を見開いて挙動が一瞬乱れている。
「――ガハッ!? ぅおあ……っ!?」
「ツカサッ!? やっぱりお前!?」
呼吸がままならなくなって足から崩れ落ちて、俺はようやく何が起こっているのかを察した。この感覚はさっき俺が味わったばかりの感覚と似ていたから。
うっそだろオイ……。ここで限界がくる、のか――!
喉から口へ、せり上がった血が口内で充満しては飛び出していく。血の匂いで他は一切何も分からず、ただ手にべっとりとついた血の色はハッキリと今では覚えている。
「ぁ……ぅっ……!」
「ハイリ! 誰か回復魔法、それと医療技術に長けた奴を教えてくれ! このままじゃコイツ――!」
小さくなっていくシュトルムの声を最後に、俺の意識は途切れた。
◇◇◇
『影』が消えていった時を同じくして――。
「『影』……嘘、だろ……」
「き、消えた……?」
オルヴェイラス上空の船では、『銀』の力の抜けた声が風に流されていく。一度は捕捉を外された司達の映像をまた捕捉し直して見つめ、シュトルムによって『影』が消え去っていく光景を目の当たりにしてしまったためだ。
アンリは司が傷ついていく様をこの目で初めて目の当たりにし、そして血反吐を吐いている姿に耐えられずに涙を流していたが、『影』が消えたことでようやくひとまずの落ち着きを見せ始めたばかりといったところであった。
最初『影』に逃げろと伝えて以降、『銀』は一切何も連絡を寄越さなかったわけではない。何度も連絡を送っていたが、それが届かなかったのである。
勿論、これは精霊達の張った特殊な結界が阻害した結果だ。『ゲート』を使用不可にするだけでなく、外部からの干渉すら許さなかったという事実があった。無論、それはシュトルムも知るところではない。
精霊達が現れる前については司の猛攻によって『影』の力が削がれ、『影』が『銀』の言葉に気が付くことができていなかったことも要因としてある。
「『神鳥』の野郎……何故死なない!? どこまでもふざけたことしやがって!」
「ハッ、ざまぁねぇな。アイツのしぶとさは俺がよく知ってる、『影』の比じゃねぇ。……その執念にお前らは負けたんだよ」
信じられない現実に『銀』は激昂する。その姿を見たジークは対照的に涼しい顔で当たり前だと言いたげであったが、その実情はハラハラしていたりすることも確かだった。
非常に、ギリギリの辛勝だった。
映像を見て司がシュトルムに『才能暴走』を使ったことはすぐに理解できたが、ジークは司がそこまでしなくとも『影』を倒せると踏んでいた、いや……思い込んでいた。
あの司ならどれだけボロボロになってもやり遂げる、誰も止められやしないと……。
だが、司に対する圧倒的強者というイメージは、あくまでもイメージであると再認識するしかなくなった。
司も自分と同じで唯の人間だ。傷つき、疲弊し、それが臨界に達すれば死ぬ。当然の理屈である。ただ、司にはそんなものは存在しないと思い込まされる日々であったために、結構な衝撃を覚えてしまったのだ。
最強であっても、無敵ではないのだと……。
「……クソがっ!」
『銀』が司の映るモニターを力の限り殴りつける。するとモニターはガラスが砕ける音そっくりに、バラバラになって船上に散らばった。
このモニターは空間に突如として出現した厚みの見られない印象であるが、不思議と実体があるらしい。バラバラになった破片に司達は既に映っておらず、光を反射して透き通るのみだった。
一触即発状態になった『銀』に、ジークは追い打ちを掛けるように言葉を投げる。
「意外だな、お前がそこまで苛立つなんてよ。自分本位の糞野郎って認識だったんだが?」
「あぁっ!? うっせーんだよ脳筋が!」
「……?」
『銀』はこんな奴だっただろうか? ジークは奇妙な違和感を覚えた。
確かに『影』は仲間ではあったが、それでも思いやりなどの気持ちを『銀』は一切持つような奴ではないと思っていたからだ。他人のことなどどうでもよく、自分の欲求や願いを叶えられればそれでいい。『執行者』達全員に共通することではあるが、一際それが強いのが『銀』である。
そこに今までの自分と似ている部分があったことが今では分かっているため、尚更気にならない訳がなかった。
「お前らがいい気になってんのが気に食わねぇ……! 魂の搾取容量なんぞ知ったことか! ……全部、どうでもいい! お前らに本当の地獄を見せてやるよ!」
それが関係しているのかは分からない。だが、『銀』は吹っ切れたように叫んで行動に走った。
ジークの恐れていたことが、現実となる。
「っと……!? なんだ、この揺れは!?」
「わわっ!? 急になに!?」
突如足元が揺れた。踏みしめていた足が角度の変わった影響により、重心が不安定になって身体も揺れる。ジークはなんとかそのまま体勢を維持したが、アンリは手を床につけてバランスを取った。
先程までなっていたはずの動力音も、急に壊れたかのように音を発しなくなっていた。
「『銀』、お前何しやがった?」
「『闘神』、てめぇは『神鳥』に随分感化されてたよなぁ?」
「あ? それがどうした?」
ジークの問いかけに対し、逆に質問をしていく『銀』。声色は落ち着きを取り戻してはいるが、その奥に隠された本当の感情は別のような雰囲気だ。只ならぬことを仕出かそうとする前兆そのものであった。
「そうかそうか。だったらよ――――この船落とすわ」
「なっ!? てめっ――!」
「くぅっ! あ――」
「アンリっ!?」
アンリの身体が、見えない力に押し出されるようにして吹き飛ばされる。腹に軽く鈍痛が走ったアンリは痛みに顔を歪ませながらそのまま船外へと放り出され、遥か高みからオルヴェイラスへと落下する。
ジークが『銀』に食って掛かったその一瞬、それを『銀』は見逃さなかった。手にはいつの間にか見慣れない装置が小さく握られており、『銀』による仕業なのは明白だった。
「油断してんじゃねーよ馬鹿が。ざまぁみやがれ」
『銀』の声を背に、ジークは遅れて咄嗟にアンリの後を追うと、共に空に身を投げ出してアンリへと手を伸ばす。
「言っただろ? 勝算がなきゃ来てねぇって。少し狂ったがそれは揺るがねぇっ! ハハハハハ!」
「『銀』っ! てんめぇええええっ!」
「落とさないなんて一言も言ってねーからなぁっ! 全部潰れちまえ! 守れるもんなら守ってみろよ!」
捨て台詞を狂ったように叫びながら、『銀』は『ゲート』を開いて消えていく。ジークも『銀』に最後の最後でしてやられたことで怒りの咆哮を上げる。
残ったのは空に身を放り投げたジークとアンリ、そしてこの巨大な飛行船だけだ。その飛行船も今や浮力を失い、少しずつ……落下の速度を強めている。
「(っ……アイツはぜってーぶっ殺す!)」
同じく落下しながらアンリを抱き抱え、突然壁の様な存在となった船底を前にジークはそう思うのだった。
次回更新は金曜です。




