230話 神鳥真核:革命の陣③
「姫様、お下がりください! ハァッ!」
状況がどうであれ俺がいると分かるや否や、危害を加えてくる『影』を取りあえず敵と認識したのだろう。ランバルトさんは姫様を後ろに下がらせて、側近として守る態勢に入る。背中に背負っていた槍を素早く取り出すと、即座に槍を大きく振り回しては『影』が撃ち出す『影縫い』を器用に弾き返している。
そこに、魔法による援護も加わった。
「あなた達が誰かは分からないけど、敵は一緒ってことでいいんだよね? 援護するよ!」
「感謝します!」
「ハイリとクローディアは無理はしないで後ろにいて!」
「あ、あぁ……!」
「すみ、ません……」
シュトルムと俺がそうこうしている間に、皆は『影』と対峙している。急な見知らぬ二人であるランバルトさんとクリス様の登場に動揺はあったようだが、お互いに共通する敵が分かったのか結託したようだ。ランバルトさんとリーシャは前衛となって前に出る。
「お願い! 『トライカッター』!」
「『ゲイボルグ』!」
「っ――!?」
リーシャの魔法の援護を受け、ランバルトさんの高速の突きの連打に『影』は一瞬防戦一方となった。
姫様の側近ということもあり、相当な手練れだということは知っていたが……それでも『影』には遠く及ばない。『影』はすぐさまその速度に順応し、最小限の動きで対処し始める。
一方で、シュトルムの言ったことが信じられず、俺は反論していた。
馬鹿なことを言いだすなと……。
「お前、何言って……!?」
「冗談なんかじゃねぇぞ、ガチだ」
「馬鹿言うな! 人としての尊厳も何もかも、それを全て捨てるつもりかよ……っ!」
『才能暴走』の使用には条件がある。
1つ目は俺と主従の契約を結ぶということ。これは血の誓約みたいなもので、どんなことがあろうとも俺に付き従うことを意味する。
主が発した命令に逆らえなくなることも含まれるうえに、本人の意思を度外視した命令は人権を奪うに等しく、それが人としての尊厳を失うことに繋がる所以だ。
ある意味、ほぼ奴隷とさえ言われているくらいである。
当然――。
「お前は王だろ!? なのに、そんな真似なんか……」
シュトルムの提案を飲むことはできない。
だってシュトルムは……王だから。オルヴェイラスという一国を担う奴を奴隷とほぼ同じ立場にさせてしまうことなんて出来る訳がない。それ以前に皆悲しむはずだ。
世間体だってある。オルヴェイラスの王はここまで成り下がったのかと悪評がのたまうかもしれない。秘匿しても、どこからその事実が漏洩してしまうか分からないのだから。
俺はそれを、嫌というほどに知っている。
「いや、構わない。もう予断も許さない状態だし、覚悟は決まった。皆もきっと、分かってくれる」
なんでそうも簡単に言ってくるんだよお前は……! もう少し自分のこと考えろ馬鹿が!
シュトルムに苛立ちを感じたのは久々かもしれない。今シュトルムが言っていることは決して褒められたことでもない、愚かなことと一緒だからだ。
「第一できるかも分からな「できる。俺とお前ならな」っ!?」
主従になることは覚悟としては決まっても、その内心が伴わないのであれば意味はない。衝動的に言って出来るものではないのだ。
俺はそれが一番難しいと思っていたし、何よりポポとナナみたいに最初から家族として俺を慕ってくれている存在以外にはあり得ないと思い込んでいたこともあって、最後の切り口としてそれを述べようとした。
だが、それは遮られる。間髪入れずに答えたシュトルムの言葉に。
シュトルムは一層俺を馬鹿を見るような目になると、幼子をあやすみたいに口調を柔和なものへと変えて口を開いた。
こんなシュトルムを、俺は初めて見たかもしれない。
「……出来ないわけねーだろ。それだけのものを、お前はこれまでの決して長くはない短い間に俺に見せ続けてきてんだから。……今更だろ」
この時だけは、時が遅くなった気がした。
「ポポとナナにゃ遠く及ばないが、俺だって初期からお前を見て来た奴の一人だ。お前がどんな奴かってこともよく知ってるし、それは今の状況になっても全然変わらないお前を見たら、もう揺るがないとしか思えねーよ」
そんなことない、揺らいでばっかりだ俺は。
「それに、お前だけだったら『影』はとっくに倒せてたんじゃないか? 俺達を庇いなんてしなければ余計な怪我も魔力の消費もなかったし、もっと言えば万全だったら一瞬だったんだろ?」
それは……そうかもしれないけど。でもそれも含めて俺の実力なんだ。
誰も守れない俺に価値なんて無い。もう二度とあんな真似を繰り返すのは嫌なんだ。
「お前はいつも周りを助けてから戦いに望んで、ハンデ抱えてから戦うお人よしすぎんだよ。正直、お前万全な状態で戦ったことって殆どないだろ? お前ならどうしようもねーくらいにそう思えちまう」
「……」
「そんなお前を信頼しないほうがもう無理だ。お前を信頼しない奴なんぞ見る目のねー馬鹿に決まってる。俺をそんな馬鹿達と一緒にしないでくれよ」
「っ!」
シュトルムの今の表情には覚えがあった。アネモネで見せたあの顔だ。罪の意識に駆られた俺に論すような大人の顔。
『才能暴走』を発動するための二つ目の条件。それは……俺に絶大な信頼を寄せてくれること。
簡単そうに見えて一番厳しい条件、望んで得られるものではないもの。
でもそんな顔されて言われたら、信じるしかなくなっちまうだろうが……馬鹿。
この、大馬鹿野郎が。
「お前がそこまで命を張ってくれる。もう、十分すぎんだよ。俺にも命張らせろや」
そこに――。
「ハイリ様! ご無事でありますかっ!?」
「リーシャ様! 申し訳ありませんっ!」
「っ……次から次へと……!」
「助かります!」
この大樹のテラスへと上がる入り口から、真っ先に助太刀に入る二人のエルフが現れ、『影』の前に立ちはだかる。
『影』も既に万全ではないため苛立ちが顔に如実に出始めているようだ。あと少しの所を邪魔され、声から苦渋に似たものを感じる。逆に、ランバルト達は援軍の登場に感謝しているようだった。
「護衛か! オイツカサッ! やるなら今しかない!」
護衛達は『影』に囚われていたようだが、先程力を集結させた過程で解放されたらしい。それでようやく本来の役目を果たせるようになったようだ。
チャンスだと言わんばかりにシュトルムは俺へと決断を迫る。
確かに、言われた通りやるなら今しかないが……それでもだ。抵抗感は拭えない。
「やるなら早くしろ! 皆死んじまう!」
死――。
嫌だ……それだけは嫌だ。死んでほしくない。
あんな思いをまたするなんて嫌だ……!
シュトルム達が死んで……それから味わった喪失感は何にも耐え難い苦痛の日々だった。3カ国の人達の悲しむ顔を見ては何度も自問自答を繰り返して後悔した。なんであの時こうできなかったのかと、なんで俺が生きているのにシュトルム達が死ぬ結果になったのかをずっと……。
些細なことも全て思い返して、周りを傷つけて、感情のままに振る舞った。狂った終わりの始まりは終わることなく続いて……気づけば今の俺だ。
何も変わってない。俺は何も、変えれてない……!
『……』
「お前まで……。っ~~! ほんっと……情けねぇ……っ!」
シュトルムの声で揺らいでいた決意が安定し、宝剣の後押しの声で覚悟は決まった。
それと同時に、頬に暖かな感触が走って止まらない。それは久しく流した涙だった。
悔しく悔しくて、押さえきれない涙はポタポタと滴り落ちるのを止めない、止められない。
『影』をこの手で殺せない悔しさと自分の弱さ、どれだけ力を持っていても願いを叶えさせてくれない非常な現実と世界に対する憎悪だ。
ただ僅かに、非常に嬉しい気持ちも混じっていたのは確かで、俺はとにかく涙を止めることは出来なかった。
「ぐっ……!」
「きゃぁあああっ!」
「貴様ぁあああっ!!!」
ランバルトさんとリーシャの悲鳴が聞こえる。
今この間にも、皆は身体を張ってくれている。護衛の人もすぐさま飛び掛かって応戦しているようだ。
しかし腕は立ったとしても相手が悪すぎる。多少の手練れでは『影』の相手にすらならない。
時間は……もう無い。
「お前は情けなくなんてない。むしろ本当に情けないのは俺の方だ。仲間仲間だと言っておきながら、お前にばかり負担をかけさせる弱さしかない役立たずなんだからな……。今だってお前に頼ることしかできないのが情けなくて堪らねぇよ……!」
「まただ……また俺は、誰も守れないのかよ……!」
シュトルムは情けなくなんて無い。現に従魔になろうとしてまで戦おうとしてくれてる。
こんだけ力を持ってても何も守れない俺の愚かさの方が、よっぽど情けねーよ……!
「……でも今なら、その役立たずがお前の代わりに戦ってやれると思うんだ。だから頼む、俺に『才能暴走』を使ってくれ!」
「シュト、ルム……」
「俺がこの行動に踏み切ったのも、全てはお前が俺に与えた影響によるものだ! それも含めてお前の実力だろ!」
分かったよ……。こんな情けない俺を慕ってくれて、ありがとう……!
俺はできるだけ力強く、身体を支えてくれているシュトルムの手を握る。想いも力も感情も、それらを全て込めて集中する。
そして一言――。
「アイツを……絶対に殺してくれ。シュトルム……!」
俺の願いを、シュトルムへと託す。これから削れるであろう俺の命も一緒に。
「任せな。俺はお前の願いを、必ず叶える。そんで俺にもお前を守らせてくれ。つーか、既にオルヴェイラスを守ってもらってっからよ……それのお返しも含めてやってやんよ。……皆を助けてくれてありがとな。リーダー……!」
「『影』は俺が殺してやる」
「『我、今此処に主と認め、この者に忠誠を誓おう。大いなる契約と約束を賜り、力の限り尽くす者とならん』」
「え……っ!? シュバルトゥム? 何言ってる、の……?」
「いいんだ、これで……」
意味が分からないといった顔で、起き上がろうとしている姿勢でリーシャはこちらを見ている。だが清々しい顔でシュトルムは返答した。悔いも文句も一切ない、淀みなき顔だ。
シュトルムと俺の間に、見えない繋がりができたのを俺は感じた。
それと同時に、繋がりを確認した俺は足りない魔力であっても無理に発動させる。
全身を血の気が引くような寒気が支配し、苦しさの中に満ちていく魔力の暖かさも感じるという不思議な感覚を身に覚える。
あぁ……これが命を削る感覚か。何て寂しい感覚だ。
「『主と我に、主従の契りと繋がりを!』」
「っ……『才能暴走』!」
すまねぇシュトルム。でも後は任せたぞ……。
抗えぬ身体の要求に応え、薄れていった俺はそのまま意識を失いそうになった。
だが、意識が落ちる間際で俺はあの声を聞いたんだ。暗闇で何も見えない空間の中で、俺自身の肉声を……この前直接出会った俺の声を。
□□□
『しかと最後まで見届けろ。お前の信じた仲間が『影』を倒す、その瞬間をな……』
「(っ!? なんだ一体……?)」
『ちっと力分けてやるから……まだ意識失ったりすんじゃねーぞ。踏ん張れ』
短かいたったそれだけを告げ、声はもう聞こえなくなってしまった。
でも言っていた内容の通り、俺の身体には少しだけ……ほんの僅かな気力が湧いたのは確かだ。
□□□
「ぐぁっ……なんという、手練れ……!」
「ラト!」
「消えろ……! ――っ!?」
『影』の力に抗うのがやっとのランバルトにも遂に限界が訪れた。クリスの悲痛な叫びも虚しく、『影』は『影雲』の右手を振り上げて最後の一撃を見舞おうとする。
傍らには護衛やクローディアが片膝をついたり座り込んでいたりしており、戦闘を継続するだけの力が最早残っていない状態を表している。
「そこまでだ」
刹那、このテラスを暴風が襲った。吹き荒れる風がテラスにあるもの全てを吹き飛ばして煙を発生させ、一時的に視界は完全に遮断される。
その最中、『影雲』の右手に七属性の光の帯が巻き付いて攻撃を阻害し、影の中に逆に入り込んで破裂させて霧散させる。
煙に目を細める皆を他所に、その煙の中から人の足が一歩踏み出し、姿見えない状態から話し掛けてくる。
力強く頼もしい、頼りたくなるような声だった。
「ポポとナナが半端なく脅威なら、今の俺もお前達にとっては脅威なんだろう? もう限界なツカサに代わって俺が相手になってやる」
「……っ!?」
そこから現れた者に、誰もが息を呑んだだろう。圧倒的な異彩を放つ存在を前にして目が釘付けになる、それが当てはまる光景である。
「掛かってこいよ『影』! こっからは俺が相手だ。付け焼刃の力だが覚悟してもらうぜ! 全員下がってな」
そこには可視化した7体の精霊を背後に、その精霊達が作りだす聖なる羽衣を纏うシュトルムの姿があった。
次回更新は土曜です。




