222話 神鳥右翼:黄金の陣③(別視点)
「(心は……正常? 嘘でしょ……。でも悪意なし、至って普通のこととして捉えている。それはつまり…………っ! そういうことかっ!)」
一瞬目を迷わせて考え込んだ後、セシルはハッとなったように顔をあげた。
「セシルさん? 何か分かりました?」
「……うん。ほぼ間違いなく」
そんなセシルの挙動で何か分かったのだと思ったポポは聞いてみるが、セシルの表情は変わらない。依然難しい顔のままだ。
「どうしたって言うんだ? 皆、どこかおかしくなってる所でもあるのか?」
当然、ポポだけが言葉の続きを待っているわけではなく、早く狂ってしまった者達が何が原因でこうなっているのかをいち早く知りたい者達も催促を促すが……
「――――洗脳だよ……それも重度の。脳の部分に異質なものが紛れ込んでる……」
「洗脳ですって!? ――『白面』か……!」
声を上げたのはポポだ。
ポポの脳裏に咄嗟に浮かんだのは『白面』の姿だった。洗脳と聞いて浮かぶ人物はその人物しか該当せず、ある意味反射のようにフッと浮かび上がる。
しかも、先程この地……イーリスに来ていたことを知っている手前、こんなことをするのは奴しかいないしあり得ないと踏んだようだ。
ただ、『白面』はオルヴェイラスの上空に浮かぶ飛行船に乗っていたはずである。ポポ達も全力でリオールまで飛んできたというのに、それよりも早くこの事態をオルヴェイラスにポポ達がいた時点で引き起こしたとしたら……一つしか方法はない。
連中お得意の『ゲート』を使ったのだと、ポポは舌打ちを打ちたいのをグッと堪え、目つきを変えた。
「『白面』……確か魔眼の持ち主だったよね?」
「はい。ご主人が以前臨時講師をした時期にも色々やらかしてたようで、生徒が一人犠牲に……」
セシルの確認に重々しく、ポポは頷いた。
「……洗脳は重罪に当たる。天使達の間でもそれだけはやっちゃはいけない領域のもので、禁忌に近かった。平然とやってのけるか……。――分かってはいたけど、でも本当に『白面』の仕業なのかな?」
「どういうことです? 洗脳って聞いたら奴しか思い浮かびませんが……」
『白面』がこの事態の元凶であると踏んだポポであったが、どうやらセシルは異なる見解を持っているようで腑に落ちない気持ちだったらしい。
「だっておかしいよ。魔眼の保持者なら、直接接触しないと効果は発揮しないはず。同時にこんな街一つを巻き込むなんて不可能に近い。それは……『ノヴァ』だから、ってこと……? それとも『執行者』だから? ジークもこんなことは言ってなかった」
ジークの伝えた情報よりも驚異的な事実が今目の前にある。ジークの情報を信用していないわけではないが、その情報が本人が伝えた内容と違っている可能性が浮上したのだ。
ジークの情報よりも、『ノヴァ』の力は上だったのかもしれないと。
「……もしかしたら、まだ手の内を全部見せてたわけじゃないのかもしれない? ジークの情報よりもヤバいかも」
「……」
セシルの頬から顎へと、一筋の粒が伝った。
あの巨大な飛行船を出してきた時点で嫌な予感はしていた。蔭でコソコソとしていて情報が一切入ってこなかった連中が、いきなり公の場に姿を現して攻撃をしてきたのだから。それはつまり、姿を隠す必要がなくなったということを表しているのではないか? という疑問を抱かせるには十分である。もしくは、姿を目撃されようと、目撃した者全てを排除できてしまう確信があったからではないかとさえ思えたのだ。
実際、司がいなければオルヴェイラスは既に存在していなかっただろう。
「――だとしても、私達がやることは変わりませんよ。……ご主人が言った通りこの事態を解決するだけなんですから。相手が予想より力を持っていたところで、だからどうしたって話です」
「ポポ……」
「ご主人の言った通り、『ノヴァ』は潰します。それだけです」
セシルに今更尻込みしてどうすると伝えるように、ポポは少々厳しい口調で言う。
しかし――。
「ポポ、勘違いしないで欲しいんだけど……別に尻込みとかしてるわけじゃないからね? ただ、この街の人達を解放できるかが心配になっただけだからさ」
「あ、そうでしたか……失礼しました」
どうやら『ノヴァ』と相対することに尻込みしていたわけではなく、別の要因に対して自分の力が通じるかの懸念があったらしい。セシルはポポの言葉に軽く返す。
「……なぁ、それで結局どうなったんだ? 何が原因なんだ……?」
2人だけで会話をしている状況だが、それ以外の者達への説明がまだである。洗脳が掛けられていることだけを聞かされた者達は、それがどういう経緯で何によって引き起こされたのか、その説明を求めていた。
これには『白面』の話でのめり込んでしまっていたセシル達はバツの悪い顔をした。時間はほんのひと時であったとはいえ、一瞬忘れてしまっていたからだ。事態の早期解決もそうだが、事態の真っただ中にいる住民を疎かにしてしまったことに申し訳ない気持ちが少し芽生える。
セシルはポポとの会話をそこで一旦打ち切り、今分かる範囲での情報を簡素にまとめて伝えた。
「……いつ、どうやって洗脳に掛かったのかまでは分からない。でも、こんなに大量の人が同時に洗脳に掛かるなんて普通じゃないし、術者がいると仮定しても術者に掛かる負荷も相当なはず。だからきっと……術者はまだ近くにいる可能性が高い」
「なんだって!?」
術者が近くにいると聞いたところで一人が声を上げた。そしてそれは波及して他の者に伝わり、一時騒然となる。
力ある者に対する畏怖のそれであった。
しかし、その一方でセシルとポポは住民らと違う反応を見せていた。その内心は、『魔眼』とはここまで恐ろしいものだったのかと疑問に思っていたのである。
『魔眼』であっても魔力を使うことには変わりない。例えそれが七属性とは違った魔力であっても、魔法やスキルを扱うのと同じく、範囲が広ければ魔力を消費し、狭ければ消費は少なくなる。それがこの街全体に影響を及ぼす範囲となれば、術者は相当な力を持った者ということになる。
ただ相手が『ノヴァ』である以上は、本当に『操眼』によるものかさえ疑わしい気持ちもあったが。接触していないのにこの事態を引き起こしている事実がある。
「で、でも、ならそいつを見つけ出して止めれば……!」
「洗脳はとける!?」
畏怖を感じながら、自分達ではできないであろうことを無意識に口走ったのが始まりだった。何気ないその一言で、一気に希望が見えたようにいきり立つ皆。
平和から突如として始まった恐怖と絶望。それを収束できる可能性の高い手段が見つかったのならば、さっさと行動あるのみといった様子であった。
へたり込んでいた者もすっくと立ちあがって希望の光を目に灯す。そしてそれをこの場で行えるに値するのは……セシルとポポだけだ。
二つの存在に多くの視線が集中した。
それを察したセシルとポポは、軽く頷いて行動を開始する。その期待に応えるべく自分達はここに来たのだと証明するために。
「うん。そうすれば解けると思う。ポポ、何か妙な気配とかはある?」
「……すみません、街全体に嫌な雰囲気が滞留しているせいで気配がイマイチ分からないです。今のところ羽兵達も感知してませんし、いたとしたら上手く隠れてるのでしょう」
「そっか。まぁこれだけ大きな規模なら発動に全力注ぐから仕方ないか。敵だって馬鹿じゃない」
セシルはナナと違って感知する力を持たない。そしてそれはポポもであり、できて生き物の気配を獣並みに察知するくらいである。その頼みの綱であるポポも、街に広がる数多くの人々によってできた気配が邪魔してその力を発揮できないのが実情だ。
「……」
暫し、セシルは考えに耽る。
『白面』であるかはまだ分からないものの、どこに術者がいるのかに大まかな辺りをつけているようだった。
街全体で起こっているなら大体どこから洗脳を掛けているのかは想像がつく。一番効率良く発動を可能にできるのは限られているからだ。その場所とは、街の中心以外に他ならない。
魔力範囲というものがあるように、『魔眼』によるものだと仮定した洗脳もある意味スキルや力の一種に過ぎないのだと。当然範囲は存在し、その範囲から外れた力の行使はできないはずだと、セシルは踏んだ。
やることは決まった。しかし――
「うん、これ以外思いつかない。ただその前に、まずは皆の洗脳を解こうか。ポポ、一旦あの人達の拘束を解くから代わりにお願いできる? ちょっと準備の時間が欲しいんだ」
「……分かりました」
「よろしくね――」
「え?」
住民達は二重の意味で驚かされることとなった。
一つ目は、洗脳を解くことができるということ。2つ目は、突然セシルが脱いだローブの内側から出て来た、その翼に。
折りたたまれていた翼が一気に広がり、華奢なセシルの身体を大きく見せる。
セシルは、天使の力を十分に発揮する際には翼を広げなくてはならないのである。これまでの力はその片鱗に過ぎず、ここからが本気の力となる。
街全体に届かせる洗脳解除は、流石に翼を隠したままでは力不足だったようだ。
仲間にしか見せなかった自分の秘密。それを今、公で見せることとなった。
「この姿を見て驚ている人が大半かもしれません。ですが、この方は今皆さんを救うためにここにいます。くれぐれも、取り乱したり変な事を仕出かそうと思わないでくださいよ? ……でなければ容赦なく貴方方も拘束します」
ポポは念を押すように、この世界の者達が持つ天使への偏見が出てしまわないように押さえつける。
天使は世界中の全種族と敵対し、恐れられる力を保有していたがために滅ぼされたと言うのが表の歴史であるからだ。実際は裏の歴史があるわけだが、今この場にいる者達がその裏の歴史を知っているはずもない。
……尤も、ポポはこの時点では裏の歴史を知っているわけではなかったりするが。単にセシルに敵意を抱かれるのを嫌ったことで言っただけに過ぎない。
だが幸いと言っていいのか、住民達は言葉にならない声をあげるのみだった。あり得ない人物がそこにいる。既に脳の感覚は疲弊していたこともあるのだろう、それは挙動すら奪うには十分過ぎたようだった。
ポポの懸念は今では効果的ではなさそうである。
「ありがとポポ。後で愛でさせて」
「いつでもどうぞ」
しかし、ポポのその気持ちが嬉しかったセシルはポポにそう要求した。通常なら逆ではないかと思うが、どちらも対価を必要としていないため普段のやり取りに近い。
愛でたいと言い出した理由は今のポポの発言が原因ではあったが、普段の日常風景を言葉にしただけである。その普通の会話が、より一層強い絆を構築する。
「というわけなので――」
一瞬だった。
ポポはセシルに言葉を返した後翼を『翼剣』に変化させ、ひっそりと……だが凄まじい速度で迫り降ってきた残影の凶刃を受け止め、人気の無い方向へと無理矢理吹き飛ばした。
あまりの速さに、衝撃が発生。周囲にいた者達に被害はなかったとはいえ、衝撃で少し吹き飛ばされる者が出てしまったが……ポポはこれくらいは許容範囲として許してくれと内心思うだけだった。
吹き飛ばした残影は徐々に速度を落として形を成し、その姿を大衆へと露わにする。その姿は……一目で普通ではないと思える様相であった。
「……」
「「「っ!?」」」
「――あなたの相手はこの私です」
ポポは残影だったそれに宣言する。今この場で相対するのは自分だと。その相手は即座に空中で態勢を整えたことで地面に後を作って着地し、無機質な表情でポポを見つめている。
「セシルさんの邪魔はさせませんよ?」
そこには、全身ツギハギだらけの人の形をした何かがいたのだった。
次回更新は水曜です。




