220話 神鳥右翼:黄金の陣①(別視点)
◇◇◇
オルヴェイラスを発ってから早々にオルヴェイラス近郊を抜け、リオール近郊までやってきたポポとセシル。流星と見紛う姿の全容を捉えたものは誰一人としておらず、リオールまでの距離は現実離れした速度で縮まりつつある。
やがて、これまで会話は一切なかったが、セシルはポポにしがみついて風圧に耐えているのか、目を細めながらも口を開く。
「ポポ……傷は大丈夫なの?」
セシルは熱線で吹き飛ばされた時に司を被ったポポが、その時に怪我を負ったのではと心配していたのだ。少なくとも、ボロボロだったとはいえ司が力に押し負けて吹き飛ばされるほどの衝撃だったのだから、軽く地面が陥没するような衝撃を目の当たりにしては無理もない。
今までそれを感じさせない速度で飛行していたわけだが、セシルはこれから待つであろう事態の対処よりも先に気になってしまったようだった。
「これしきのこと、平気ですよ。ご主人に比べればですが」
ポポは特に表情を変えたりすることもなく答える。どうやらセシルが心配する程の傷は負っていないらしい。
セシルはその反応に安堵しつつ、だが別の人物への心配に意識を変えてしまった。
「やっぱりそうだよね。ボロボロなのにツカサは……」
「お気づきでしたか」
セシルの言い方に、あぁやはりなとポポは静かに思う。セシルのその声色は、どこか心の底では既に分かっていたことが分かるような……後悔にも似た寂しい声だったからだ。
伊達にこれまで長い時間共にいたわけではないのだ。しかも、セシルは心を読むことが出来る能力を持っている。司が見栄を張っていたことなどお見通しだったのだろう。
「……ホント、ご主人は馬鹿ですよね。いっつも自分は一番辛い目にあって、でもそれに真っ向から向かって行って……変なとこで頑固で私達が何言っても聞きませんし」
「……そだね」
セシルの言葉から何かを読み取ったポポは同調するように話す。小馬鹿にしたような軽い口調は、本人がいたら少々苛立ちを覚えてしまうかもしれない。
しかし――
「でも、優しい馬鹿だって分かってますから。やっぱりご主人はそれでこそって感じもしますし、これはご主人の個性でもあります」
目を瞑りながらスラスラと語るポポ。先程の言葉もそうだが、今言った言葉も本心であるため、何とも言えないような顔になっている。
司に求めるやめて欲しい部分は、むしろ司たる証だとも思っているのが実情なのだ。
「うん、知ってる。でも……それでもツカサは、ちょっと普通じゃない。スキルは仕方ないとしても、ツカサ個人もその……おかしいと、思う」
「……」
ポポの言葉に対してそれは自分も理解しているつもりだった。だが、セシルはその個性が行き過ぎてるのではと思ってもいたために、言いにくそうに口を開く。
司のそれが、到底常人では考えつかない域のものだと思っているのだ。ヒナギも内心では疑問に思った事実は、当然セシルにも考えとして浮かんでいた。
返答をどうすべきか困ってしまったのか、ポポは少しの猶予の後……何度か口を開いて躊躇する素振りを見せると、観念したように答える。
「従魔としては否定したいところではありますが、否定できない……ですね。でも、ご主人の境遇を知ってるからこそ、それはなるべくしてなったのかなって思いますがね」
「え?」
どこか遠い目で、あまり口にしたくないような言い方をするポポ。この目を見ただけで、あまりよくない雰囲気を感じ取れることができるだろう。
「……まぁ、この辺はご主人が言い出すまで待っててくれると助かります。ご主人のトラウマでもあるんですよ」
「何か、あったの?」
ただ、それでもなお踏み込んでいくセシル。自分も皆に対して隠し事をしている身であるからこそ、司も何か秘め事をしていることに共感を覚え、気になった。
ステータスまで見せた司が、まだ何か言っていない事実がある。それは、この世界の者であれば打ち明ける順序が逆なのだから。
「えぇ、聞いて驚きましたよ。よくそれでまぁ、性格がそこまで歪まずに済んだなって思うくらいのことです。むしろ、本人がトラウマを避けてるのか避けてないのか……正直分からないです」
「……!」
ポポが言うのだから、特に冗談でもなんでもないとセシルは素直に受け取った。
比較的言葉遣いが丁寧で気遣いをするポポのことだ。そのポポが特に改変したような言い回しをしていない時点で色々と想像がつく。
何があったんだと……。
「まぁ、それは今は置いておいて……。私達では恐らく止めることはできなかったでしょうからね。今はご主人はご主人で無事を祈ることしかできません」
「……だね」
とても気になる気持ちを収めて、司が無事に事を終えて戻って来ることをセシルも願う。あの司の刺すような殺意は誰にも止められないと直感で分かっていたからだ。
無茶をすることは分かっている。でもその無茶をやめてもらいたい。できれば無茶をしないで戻ってきてほしいと、願わずにはいられない。
「あのねポポ。ツカサの心のことなんだけどさ……ポポには言っとく」
そんな司を心配しているからこそ、言うべきことは伝えておこうとセシルは思ったのだろう。そうすることで、今自分が感じているものの回答を期待したくて。
「はい? ご主人の心が、どうかしたんですか?」
「うん。実はさ、さっきちょっと動揺しちゃったんだけど……ツカサの心が急変したんだ」
「急変?」
「こんなこと言うのも変なんだけどね、さっきのツカサは……本当にツカサなのかなって」
「……」
セシルの発言に、思わず息を呑むポポ。
それは自分も薄々感じていたこと。あんなに急変する主人を見て、別の人が乗り移ったんじゃないかと一瞬疑ったほどだったのだ。
ただ、会話をして自分の主であることは間違いなく、記憶が混じったことで錯覚を覚えただけに過ぎないのではと結論付けていたが……
「良い人の心がどんどん腐って荒んでいくのは見たことがある。成長していくみたいに、少しずつ嫌な雰囲気の膿が濃くなっていくような具合に。でも……ツカサはその過程もなかった」
セシルの言うこともまた、事実である。嘘などつくわけがない。
ポポは主が見える形で変わってしまったことを認めたくない気持ちで一杯になってしまう。
「ツカサはさ、人殺しなんてしたことないだろうしすごく綺麗な感じをしてたんだ。どこか心のどこかで甘さがあったとでも言えばいいのかな。――でも、さっきそれが無くなった。悪いわけじゃないんだけど、良い人と悪い人の区別がつかなくなっちゃっててさ……」
困った顔で、自らの経験に無い出来事にどうしていいかわからないセシルは、答えをどう割り出していいかに悩む。
自分の見ている心に自信はある。1000年も付き合ってきた力を過信してもいいと思う程の間助けられてもいるのだから。
だが、これまでにない例が今起きた。心が一気に急変する事態……それが信頼していた仲間であれば、動揺しないのは無理だった。司は心など関係なしに信頼して平気だと思う気持ちもある。だがこれまでの経験がそれを否定する。信じたいが信じきれないような気持の板挟みが、どこかセシルの定義と培ったものを揺さぶっていく。
ただそれでも、セシルの言った事実を受け止めたうえでポポは、問いに答える。
「セシルさん。ご主人は……何があってもご主人のままです。私達の知るご主人はどこにもいなくなりませんって」
「ポポ……」
「さっきも言いましたけど、あの人は優しい馬鹿です。超がつくくらいの馬鹿って言ってもいいです。そして頭の中は常にアホの子丸出しの意味不明な人ですから……よく知ってますよね? そして私はそんな馬鹿なご主人を全面的に肯定し、信頼してます。だってもしご主人が道を外れる行為をしようとしても、私達はご主人が心の底から道を外れることを望むなんてあり得ないと思ってますから」
やれやれといった顔で、ポポはセシルのみならず自分にも言い聞かせるような口調で話す。少しでも動揺した自分はまだまだだなと、従魔として主人を少しでも疑ってしまったことを恥じて後悔する。
「悪いことをしたら正す。それは従魔としてというよりも家族として当たり前な事です。止める人がいないのでは誰だって暴走しかねませんからね、ご主人だって例外じゃない。……でも、止めてもどうしても悪い道を選ぶことになったのなら、私達もその道を共に歩むつもりですよ。その先には、少なからず納得できる結果が待っていると思ってますので」
「……」
「きっと、何かあるんです。ご主人が悪いことをするには必ず理由があるんだろうって。そして、今回もそうです。でもご主人なら、それは間違ってないと信じて肯定できるんですよ。……まぁ悪を正当化したいわけではないですけど」
司が実際にどう思っているのかは分からない。だが、自分達の信じる像のままで司はいてくれると思えた。そしてそれは間違っていないのだとポポは決めつける。
ポポの言葉はセシルの中にあった不安の鎖を組み解き、セシルの純粋な考えを解放した。
「……うん、そうだよね。ゴメン、私変な事言った。目に見えるだけが全てじゃないし、見えない絆で結ばれてるポポ達がそう思ってるなら、それは間違ってるわけがないよね」
「ええ! 当然です! ご主人はいつだってご主人ですから!」
柔和な笑みを零すセシルに、ポポはニマリと顔を綻ばせる。抱えていた不安が解消され、心の余裕ができた証拠だった。
◆◆◆
「それでは気持ちも確かになったところで――着きましたね」
笑みから一転し、ポポは険しい顔つきで下を見る。
気が付けば、リオールの街と思わしき光景がすぐそこまで迫っていた。
オルヴェイラスと比べて特に変わったような印象もない、緑に囲まれた美しい街だ。やはり広域に渡って大陸の問題である影響が出ているのか、木々の光は無く元の美しさ以上ではないのが残念に思える。
ただ、唯一オルヴェイラスと違うとすれば……街の中を流れる川が太陽の光を反射し、街を彩っている点だろう。イーリスの木々特有の淡い光と太陽の恩恵である光が合わされば、万華鏡を覗きこんだ錯覚に陥る幻想的な姿へと変貌するに違いない。
――と、それは通常であればの話ではあるが。
ポポとセシルの眼下には、喜怒哀楽全ての感情が渦巻くおぞましい光景が存在していた。この光景を前にして、そんな考えは微塵も湧かない。特に、むしろこちらの心を押し潰さんばかりの強い怨嗟の声は、司の言っていたことを再確認させられる。
「っ、司の言ってたことって……こういう……。酷いな……」
「一体、何がどうなってるんでしょう? 身内で殺し合うなど……っ!」
絶えず叫び続ける者。
意図せずに殺めてしまったのか、武器を手に倒れた者を見つめる者。
ただ無抵抗なままに襲われ伏していく者。
そして……死に物狂いの顔で死人を増やしていく者達。
本当に、人々が殺し合っているのだ。いや、殺そうとしている者と、殺されそうになっている者の両極に分かれていると言うべきか。ポポとセシルはその違和感を微かに感じ取っていた。
「分からない、でも取りあえず見える範囲の人は助けなきゃ。事情を聞かないと対処のしようがない」
「ですね。万全を期して掛かりましょう。ご主人と約束しましたからね……っ!」
ポポは羽兵を周りに展開させ、地面と平行した動きからほぼ直角に急降下していく。
その瞳の奥底に見据える相手は、元凶である『ノヴァ』。
連中は決して許さない。主人が連中を殺すと言い放ったのなら、それに連なる者は根こそぎ刈り尽くしてやる闘志の元ポポは動く。
セシルも被っていたフードを上げ、長い金髪をたなびかせながら動きやすい形へと態勢を整える。
「行きますよ! セシルさん!」
「うんっ! 行こう!」
リオールに、二つの影が舞い降りる。
次回更新は木曜です。




