217話 神鳥左翼:白銀の陣④(別視点)
◇◇◇
「第一陣後退! 第二陣放てっ! 首と目を狙え!」
「……」
オルヴェイラス北門では既に第六部隊から第八部隊の兵達が集まり、戦闘が開始されている。
各部隊の兵長が叫べば無数の弓矢が降り注ぎ、討伐すべきモンスターの首と目に次々と直撃していく。
しかし、モンスターは微動だにすることはない。目の矢に対しては瞑るだけで跳ね返し、首への矢に対しては避けることすらしない。目はキョロキョロと時折動いているものの、それでも周りにいる兵士など恐るるに足らずと言わんばかりにその動きを止めてはくれない。
一歩、もう一歩と足を踏みしめながら地を揺らす大亀は、動くだけで木々を薙ぎ倒し、オルヴェイラスへと直進していく。
そのモンスターは、名をビーストタートルと言う。魔大陸のみに生息し、酷く乾いた砂漠地帯でも生きられる特徴を持った……最上位の亀の王だ。
「くっ!? 化物め……!」
「オイ!? 早く離れろ! 巻き込まれるぞ!」
「これじゃ足止めすらできない!? 魔法だって効かない奴をどうやって……!」
「このままでじゃ街に侵入されます。兵長、指示を!」
「っ……陣形を保ちつつ後退する! ただし攻撃の手は休めるな! 少しでも侵攻を遅らせろ!」
「(何も通さぬ外殻、巨躯な見た目。しかし移動速度と凶暴性がそれほどでもないのが救いだな……)」
何も有効な攻撃手段が見つからず、いたずらに兵と弓矢を損耗するだけの現状から、兵長は当初の作戦通りなるべく時間を稼ぐために行動を開始する。
何故かこのビーストタートルは全く攻撃を仕掛けてこない。ただ、歩くだけ。その巨体でなにもかも踏みつぶし、何も寄せ付けずに迫りくるだけだった。そのため、開戦した直後は近くに取り巻いていた小さな獣共に関しては、先に兵士達は殲滅することにした。こちらは兵士達でも十分に対処できる程度の強さを持つものの集まりであったようで、そこまでの被害を被ることはなかった。
しかし、その獣共が最期の悲鳴を上げて野垂れようとも、守ることも反撃することもせずにビーストタートルはそこに在り続けるだけなのは……少々おかしさを感じていたのも事実だ。
その結果、オルヴェイラス周辺の環境破壊は尋常ではない被害規模になっているものの、死者は誰一人として出ていないという……極めて不思議な戦況となっている。その事実が皆を困惑させ――ある意味何か裏があるのではと疑心暗鬼させる要因にもなっていたりする。
ビーストタートルがただ悠然と歩きながら近づく姿はこちらを舐め切っているソレであり、天敵はおろか自分に勝る存在はいないと確信しているようにも見える。身体の鈍重さが拍車を掛けてもいる。
動きが遅く、凶暴性が低いからと言って弱いなどとは言えない。動きが遅くとも歩くだけで周囲に被害を出している以上、ある意味驚異的な存在と言えよう。
――そんなビーストタートルだが、不測の事態が訪れる。
「……ギュ……!?」
「水が!?」
部隊が後退を始め、少しビーストタートルとの距離が離れた直後だった。それを見計らったように、水源も何もない場所であるにも関わらず、虚空から大規模な鉄砲水が押し寄せ、ビーストタートルの身体に叩きつけられたのである。
いかにビーストタートルが巨躯な体格を持っていても、自分と同規模の質量をぶつけられてしまっては今までのようにはしていられない。止まることのなかった足を止めて、その水に押し流されないように踏ん張りを利かせるのだった。
目を細めながら踏ん張る様子は、非常に嫌がっている雰囲気を感じさせる。
ビーストタートルに当たって弾ける水は、霧吹きの様に細かく宙を舞う。滝を間近で見ているような光景だ。
その光景に気圧されながらも、こんな芸当ができることを事前に聞かされていた兵達は、言葉を漏らすのだった。
「お、恐らくは神鳥様の魔法だ」
「なんだよ……これは……。凄まじい……」
兵達は、水が鉄砲水の様に迫りくる魔法など知らない。そもそもこんな魔法は存在しないのだから当然だ。ナナのオリジナル魔法を知る者は、ナナ本人だけであるのだから。
加えて規模も尋常ではない程に大きい。魔法を主体として戦う者が多いエルフには、魔法の知識量は他の種族よりも遥かに多く、こうして今見ている光景事体が受け入れがたいのだろう。
大質量の魔法を扱うには、大量の魔力を消費する。上空の電撃を常に受け止めながら出来る芸当に度肝を抜かれてしまったのである。
一応、魔法による援護が入ることは知っていた。ただ、それも結局のところ補助の範疇に留まる程度のもので、ここまでのものは予想していなかった。良い意味で期待を裏切られてしまった訳である。
「ギュ……ガァッ!?」
ビーストタートルが足を止めた所で、水鉄砲は放出を止めた。一瞬安堵したビーストタートルは目を見開くが……その視界は閉ざされる。
地面から虎ばさみのように土の壁が出現し、四方八方を塞いでしまったからだ。そして即座に空中におびただしい数の水球が展開。鋭い針となってその土の壁ごと貫き、全方位から閉じ込められたビーストタートルを串刺しにした。
視界を奪われていたことで反応すらできず、抵抗もないままに直撃を食らったビーストタートルだが……壁が崩れて姿を現した時に見せた姿は、以前変わらぬ姿を保っている。
まるで効いた様子はない。魔法が効かないというのは、正しいようだ。
「っ!? なんだ? 地鳴りが……うぉあ!?」
しかし、それでも容赦のない魔法の連打はまだ続く。そこへ更に畳みかけるように、ビーストタートルの足元が隆起し始めて身体を仰け反らせた。まるで体勢を整えさせることを許さないと言わんばかりのタイミングでそれは起こり、バランスを崩して横向きに転倒したビーストタートルは地へと叩きつけられた。
――もっとも、転倒した先には毒沼があったが。ゴポゴポと煮えくり返った毒沼がそこにいつの間にか用意されており、身体を付けた瞬間にジュワっと音を立てて腐臭と熱をまき散らす。
その毒沼は強酸性の強い毒性を持ったものらしく、ビーストタートルはもがき苦しみながら抜け出そうと試みるが――それは覆いかぶさり纏わりつく無数の木々と氷の塊でできた重しが許すことは無かった。
氷塊が岩のように断続的にビーストタートルに降り注ぎ、周囲の木々は枝や根を伸ばして肥大。そのままビーストタートルに絡まる様にまとわりついていくのは……なんとも悲惨な光景である。
「これが魔法……? あり得ない……」
一方的にビーストタートルが、始めて見る現象によって打ちのめされていく。
この場の誰も手を下していないのに、見えぬところから精密かつ容赦のない攻撃を与えている事実には、皆動きを止めて放心する他なかった。
何をどうしたらこんな芸当ができるのかと……。少なくとも、こんな離れ業を見たことなどなかった。
「オイ見ろよ!」
「効いてる……効いてるぞ!?」
「魔法は効かないんじゃなかったのか!?」
兵士達の喜びの声、それと同時に重く響く巨獣の声が重なる。
毒沼に落ち、臭気を振りまくその身体でビーストタートルは暴れ苦しんでいた。動くだけでバチャバチャと毒沼の酸が辺りに振りまかれ、当たった個所はジュワっと音を立てては一瞬で全てを溶かしていく。
「(瞬間的にではなく、継続的な攻撃であれば魔法だとしても通じる……ということか?)」
厳密には、ナナの魔法は効いていないというわけではなかった。効いてはいるが、今までのは一瞬で傷を与えて終わってしまうだけで、そのような瞬間火力を発揮する魔法では大したダメージを与えられないだけだったのである。奴ら特有の回復能力と魔力吸収によって叶わなかっただけだ。
「――ギュアァアアアアアッ!!」
「オイ、出てくるぞ……!?」
「これでも死なないのかよ!?」
――が、やはり魔法という範疇に収まってしまっては決定打を与えることはできないということなのだろう。その毒沼を形成している魔力を糧とし、ビーストタートルは回復を強める。そして根こそぎ毒沼を枯れさせてしまったのである。
身体から白い蒸気を発しながら、ビーストタートルはのそりと毒沼だった底から這いずり出る。その光景に兵達は戦慄を覚えた。
――今度はもう、舐め切った目はしていない。目を充血させて血がにじみ出てしまいそうな瞳が、痛々しいのではなく恐怖に映ったのだ。先程までのナナの援護がここでパタリとなくなってしまったことも、不安を煽っていた。
「っ!? もっと距離を取れ! ……回避しろっ!!!」
ビーストタートルのその姿にゾッとして鳥肌を立たせた兵長は、部隊全体に即座に指示を飛ばすが……
「なっ!? 離せこの……っ!」
今までの動きからは想像もつかない速度で、ビーストタートルは首を限界まで伸ばして兵に喰らいつく。大きすぎるために、首を伸ばすだけでも相当な距離が射程距離となっているようだった。
咄嗟に、最早反射的に回避行動に移っていた兵は引き離していた距離に助けられたのだろう。本来なら噛み砕かれて死んでいたところを、怪我こそなかったが服の裾を捉えられてしまう程度に抑えたようだ。
……が、そのまま強引に宙へと振り飛ばされてしまう。
「うわぁああああっ!?」
今までは射程圏内にいても攻撃をされずにいたことで、警戒心がやや不足していた。こちらの攻撃は通じないが、こちらも攻撃はされないと無意識に刷り込まれていたのだ。そしてその勘違いの結果、適切な判断が出来ず、今の対処が間に合わなかった。
首を上体に逸らし、上から落ちてくる獲物を……ビーストタートルは口を開けて待つ。
兵の悲鳴が聞こえたのは少しの間だけだったのかもしれない。ただ、この場にいた他の兵達にはこの声を一から最後まで鮮明に聞こえていたことだろう。そして脳裏に浮かぶのは――死。この兵は喰われて犠牲になってしまうということ。
死の瞬間がすぐそこまで迫り、誰もが目を逸らしたくなったところで――
「ギュア゛!?」
「「「っ!?」」」
「……あれ……?」
――刹那。ビーストタートルの首筋に白い筋が無数叩き込まれた。
強烈な一撃だったのだろう。強制的に首を仰け反らされ、当たった部位からは血が噴き出している。
「「「っ!? いつの間に!?」」」
「何がどうなった? オイ!」
「俺……さっき食われそうになって……? でも、なんで……」
ここで、気が付くとその兵は九死に一生を得たらしく、無事だった者達のすぐ傍までいつの間にか来ていた。目を何度も瞬きさせ、状況の確認を急いでいるが……事実に頭がついていかないようだった。自分はあのまま喰われるというビジョンしか見えなかったというのに、助かっているということに対して。
ただ、その困惑した状態であっても、視線の先にはある人物を捉えてはいたが。
この辺りでは全く見られない、ヒュマスの東特有の恰好をしたあるお方。その人物は、背を向けていた兵達へと振り向き、長く艶を帯びた黒髪がふわりとさせて……声を張り上げる。
「皆様お下がりください! 後は手筈通りに!」
「「「「「っ!?」」」」」
ヒナギである。とても既に戦闘を繰り返しているとは思えない程に小奇麗な状態で、その姿をこの場に現した。
南のモンスターを殲滅後、東門を経由してここまで辿りついたようだ。到着は随分と早く、そのおかげで一つの命は助かった。
――うぉおおおおおおおっ!!
――と、そんなことを思っている者はこの場にいない。
今はそれよりも前に、ヒナギがそこにいるという事実に喜んでいるだけだった。
「勝利の女神の到着だぞお前ら!」
「またこんな間近で見られるなんて……!」
「あ、あの……そんな大それたものでは……」
ズルッと足を滑らせたくなるところを、ヒナギは辛うじて堪える。
キビキビと動き出してくれると思っていたはずが、その兆しが見られないのだから当然だ。
「な、なんて勇ましいお姿だ。俺、生きてて良かったよ……」
「馬鹿! お前助けられたんだろうが! 羨ましいぞテメェッ!」
「流石ヒナギ様だわ……」
「あの! 早く行ってくださいっ! 巻き込みますよ!」
「「「は、ハイッ!? 申し訳ありません! ヒナギ様!」」」
先程まで感じていた恐怖はどこへやら。一瞬にして兵達は希望に満ち溢れている顔つきになり、すぐさま作戦を遂行すべくこの場を離れていく。……手を振りながら。
ヒナギは無事動いてくれたことを良かったと思う反面、すぐにこの場を離れようとしなかった……というよりも、すぐに作戦を遂行してくれなかった兵達の行動に若干の苛立ちを覚えた。自分がそんなに称賛されることに対しても不快感を覚えていた他、自分がそのような目で見られることも嫌だったというのもある。
これは主に男性に対して感じていた事であり、それは純粋に、司以外の男からそんな目をされるのが嫌に感じただけである。
ヒナギの本気の一喝で我を取り戻した兵達が速やかにその場を離れていくのを見て、ようやく目の前の相手へと意識を向けることができたヒナギ。
正直目の前の相手から意識を逸らすようなことはしたくなかった。相手は決して油断のできぬ相手であり、かつて自分が敗北した相手と似ているのだから。
戦場では一瞬の油断が死に繋がることを嫌でも知っているヒナギは、今自分が意識を逸らすことになってなお無事でいたことに安堵を覚えていた。今この時も、相手が何もしない保証はどこにもなかったのだから当然である。
そんなビーストタートルだが、この隙をただ見逃して何もしかけてこなかったわけではなく……この少しのやりとりの間に姿を変えていた。
全身から巨大な刃物のように鋭い突起を生やし、身体中を剣に包んでいたのである。その姿は攻撃性が無いとは口が裂けても言えない異様な姿であり、まるで武装をふんだんに積んだ要塞そのものである。
「(先程の個体とは比べ物になりませんね、それに随分と大きい……)」
ただ、その姿を見てもヒナギは微動だにすることはなかった。極めて落ち着いた様子で、これから戦闘を始めるにあたっての必要な情報を頭に叩き込んでいる。それは地形や、自身と相手の力量の差などとさまざまである。
ヒナギは決して油断したわけではない。ただ、油断せずともどうしようもないことというのはある。
――シャッ。
「っ!?」
ビーストタートルの全身に生えた剣の内、額に生えていた部分の剣、それが突然ヒナギに向かって射出されてきたのだ。
ヒナギは咄嗟に横にズレて躱すも、それではまだ足りない。剣があまりにも巨大すぎるのだ。躱しきれないと判断して剣を自らの刀で弾くものの……
――キィン。
ヒナギの身体に傷はないものの、銀色の細きれが宙を舞って緑や土を鮮やかに映し出す。それはヒナギの背後の地面へと突き刺さり、何が起こったのかを指し示した。
ヒナギは地面を横滑りした後体勢を立て直すと、自らの手元を見ながらポツリと呟く。
「……折れて、しまいましたか……」
手に残ったのは、折れてしまった愛刀。ヒナギの持っていた愛刀は、ビーストタートルのたったその一撃で叩き折られた。
ヒナギが使っていた刀は決して強度の弱いモノではない。素材は勿論のこと、丁寧に今まで扱い、加えて自分自身の魂が込められていたのだ。
それが今、折られてしまった。この大事な局面で。
だがヒナギは、それを自然な事と捉えたように、何も表情を変えることはなかった。
そのヒナギのジッとしている間に、ビーストタートルは顔と手足を甲羅に引っ込めると、高速でその場で回転をし始める。
回転の速さで土埃と周囲の木々は滅多斬りにされていき、風が不規則に飛び交う。
そしてその場から動こうとしないヒナギに向かって勢いよく、ビーストタートル自身が回転したままタックルを仕掛けてきた。
「(お疲れ様でした。いつも私と共にいてくれてありがとう。今は休んでいてください)」
ヒナギには、愛刀の最期が分かっていた。ここに来る前、植物型の相手をした際にいつもとは違う違和感を感じていたのである。
毎日振るっている愛刀の異変に気付かないわけなどなく、だから最期は武器としての役目を全うさせるべく、あえてあの剣を受けていたのだ。
今ヒナギは、愛刀と共に過ごした風景が鮮明に蘇る。始めてこの刀と出会った時、初めて感触を確かめた時、幾度となく戦いを共にした時、強敵と激しい攻防を繰り返した時――と、様々に。
だからヒナギは、迫りくるビーストタートルを見ながらそんなことを思う。愛刀にお疲れ様と言わずにはいられなくて。
しかし、労う穏やかな気持ちとは裏腹に、目の前の光景は予断を許さぬ状態なのは変わらない。だが身体は全く目の前の相手に対して準備は出来ていない。
このままでは自分は八つ裂きにされるのは明白。……だというのに、それでも未だ動こうとすらしない。
少しずつ、だが実際は非常に速く、ビーストタートルとの距離が近づいていく。
――その理由は、すぐそこにあった。
刀を失ったことで、ヒナギのこれまで持っていた特性は削がれた。削がれたことで、ようやく眠っていた力は花開く。
「――ここからは私だけの力で。これだけでぶつかるしかありませんね」
「カ、カ……?」
ビーストタートルはヒナギへと直撃する数歩分手前で、回転と動きを止めた。甲高い強烈な音を響かせ、ギギギと何かに拮抗する音と共にその動きを遮られてしまう。
何事かと慌てて首を出し、ヒナギの方をすぐさま確認したビーストタートルは……驚愕した。ヒナギの目の前に出現した、白い壁を見て。光の反射はない、ただ純粋に白く美しい何かに。
ただ、考える時間すら与えられなかったことだろう。すぐさまその白い壁は形を変え、うねりながらビーストタートルを逆に吹き飛ばし、バラバラになってヒナギの周囲へと展開する。
形を変えてヒラヒラと白い筋が舞う様は……まるで蝶のようだ。ヒナギが花となって中心になり、それに群がっているようでもある。
「――始めましょうか」
吹き飛ばして距離の離れたビーストタートルに、冷静にただ一言、ヒナギは口にする。
そこから、白き剣筋の群れが縦横無尽に舞い始めた。
次回更新は水曜です。




