215話 神鳥左翼:白銀の陣②(別視点)
いつもの落ち着いた、安心を覚える声色は何処にもない。そもそも内容に落ち着きが感じられないが。目をギュっと瞑って精一杯喋るヒナギの姿に、これっぽっちも凛々しさはない。まるでアイドルのように喋ったヒナギのあり得ないその声は、一瞬だけオルヴェイラスの街の時を止めた。
唯一動いているのは風くらいで、それ以外の音は全く聞こえなくなる程だ。兵士達はきっと、ただ思考を止め、今も木霊するヒナギのその声を聞こえなくなるまで聞き届けようと神経を注ぎ、噛みしめていることだろう。ヒナギのその貴重な声を。
ナナがヒナギに伝えたことは、その言葉をこれ以上ないくらいに可愛く言えとのことだったのだ。
フェルディナントは目を点にして動きを止め、近くにいた伝令の兵士達は口をあんぐりと開けて放心。待機している兵達もこのような状態になっていることは想像に難くない。
「「「……」」」
「あ、あの……?」
そして、全てを出し尽くした顔でヒナギは目を開ける。顔を赤くし、恥ずかしさの余韻が残る中。すぐさまフェルディナントと兵士2人の反応を伺ったヒナギだが、自分の想像と違う顔をしていることに不安を覚えてしまったようだ。
失敗だったのか? 自分は上手く出来なかったのかと、そう思って。
そのため、確認のために隣にいたナナへ目を向けて見たのだが……そこでようやく違和感に気が付いた。
一人だけ……いや1匹だけこの空気の中で動き続ける者がいたのだ。……勿論ナナである。
我慢しても無理矢理動こうとする身体を抑え込むように微かに震え続ける姿が、そこにあった。顔だけ背けていることも妙に不自然である。
要するに、笑いを堪えている状態だった。
流石に何か変だと思ったヒナギが声を掛けようとしたところで……
――オォオオオオオオオッ!!!
獣と錯覚しそうな、多数の雄たけびが一方向から聞こえてくる。その方角は、街の広場がある方向だ。
人だと分かる雄たけびであったため良かったが、街の周囲に展開していたモンスター達が、既に進行を開始して街に侵入してきたのではと一瞬勘違いしそうである。
「!? これは……?」
「ど、どうやら最高潮どころではないようだね、うん……」
兵士達がどれくらい士気が高まったのかを察したフェルディナントは、予想以上の結果に喜び半分、戸惑いも半分といった様子だ。
流石にフェルディナントもヒナギのアレは予想していなかったし無理もない。
今の雄たけびは、限りなく10割に近い、男の悲しい性の雄たけびである。いや、咆哮と言うのが正しいか。簡単に言えば、ヒナギの今の声に喜んでいるのである。
勿論、兵士の中には女性もいるが、こちらも兵士になるような気質を持った者達だ。当然強い存在で憧れの的として映るヒナギの影響を受けないはずもない。加えて女性としても憧れる程の美貌を持つのだから、男と喜びの中身は違えど士気は上がるというものである。
例え種族が違くとも、誰もが文句なしと言うくらいにヒナギは美しい。
ヒナギは先日ジークと共に兵士達と訓練に赴いた際顔を覚えられており、礼儀正しくも勇ましい立ち振る舞いで、兵士達を魅了してしまっていた。だから、ついこの前に会った人物のギャップに萌えたというのが正解である。
無論、男はギャップもそうだが、一番はご褒美という単語が魅力的だったようだが。
訓練をした時から、ヒナギ=崇拝すべき人という認識であるため、何をしようがマイナスの結果になるなどあり得ない。
激励なのか鼓舞なのか、それとも別の何かなのかは……最早分からない。だが結果的には最高であると言える。 このご褒美がどんなものかは、ヒナギと兵士達では意味が異なることにヒナギは気づいていないが。
「……?」
一方、ヒナギは困惑した。
フェルディナントの言葉から、悪いどころか最高と言われる結果だと分かったものの、それでもここまで士気が普通上がるのだろうか? という疑問に駆られたのだ。
ヒナギは、アンリと違って自分に対しての評価が低い。加えて自分が周りからどう思われているのかにも疎い鈍感さを持っている。そのため、兵士達が自分を憧れの的として見ていることにも気が付いていないのだ。
無意識に、そして素直な純粋な気持ちで普段から礼儀正しい振る舞いをしているのだから、正真正銘の才色兼備、大和撫子である。自分のことをよく理解しているという点では、アンリの方がよっぽど優れている。
そのことをよく分かっていたナナは、ヒナギを上手く利用した。更に付け加えるなら、変な所で常識が少し欠落している関係上、常識と言う言葉を持ち出せば大抵言い聞かせられると思ってのことでもあったが。
「ヒナギ……プッ! まさか本当にやるとは……! 天然にも程があるよ……ププッ!」
笑いを堪えきれなくなったナナが、遂に観念し始めた。喋りながら、時々噴き出して目に涙を溜めていく。
「ぁ……じゃあ、やっぱり今のは。ナナ様……もしかして、嘘……?」
「うん、当ったり前じゃん。普通あんなこと言わないっしょ」
「ちょっとナナ様!? 勘弁してくださいよぉ……!」
ナナが意地悪な笑みをして嘘だと言うと、ヒナギは一気に顔を紅潮させて顔を手で覆った。ナナの言葉を真に受けて、本来違うことをやらせられたと分かったのだ。
「あぁ……死にたいですぅ……」
その場で座り込んで小さくなった後……今度はいじけてしまうヒナギ。
死にたくなるような恥ずかしい思いをした時、ヒナギはどうやらこうなってしまうようだ。司に迫った時と同じくらい恥ずかしいということになる。
ただ、ヒナギが恥ずかしい思いをしてしまったものの、そこにはナナなりのもう一つの考えがあったことも事実だ。
一度割れてしまった風船は二度と膨らまない。穴を修復してから再度空気を入れるにも時間が掛かるし、今のヒナギの状態はそれとよく似ているからだ。決意の固まったあの雰囲気を再び纏うことは限りなく難しいし、それならいっそのこと気を全て抜けきらせてしまおうと思ったのである。
全てをリセットした方がまだマシになるという考えだった。
「いや~、やっぱり普段が普段なだけにヒナギのその状態は見てて楽しいね~。からかいがあるよ」
「ナナ様ぁ……」
ただ、ヒナギはそんなナナの考えに気が付くことは出来ない。恨めし気な目でナナを見つめるだけだった。
「まぁいいじゃん。期待には応えられたんだしさ。それにさっきのって意味は間違ってないから平気だよ? だってちゃんとご褒美あげるに決まってるし……フェル様が」
「あ、やはりそういうことか。流石に焦ったよ……」
と、ナナは一応確認のために先程ヒナギが言った言葉を補足する。当の本人が気が付いていない事実を。
ヒナギが恥ずかしがっているのはあくまでも可愛らしく言ったことであり、ご褒美をあげると言ってしまったことに恥ずかしさを覚えているわけではないのだ。
ヒナギがご褒美をあげると勘違いしてしまう可能性のある発言であったため、フェルディナントはヒナギがそんなことを言う人物だったのかと実際目を疑っていたりする。しかし、それは解消されることとなった。
ただ……
「「なんだ……そうなんですか」」
兵士二人は納得がいかなかったというか、何やら不満げな様子になってしまったが。
酷く残念そうな顔で、明らかに士気を下げてしまったようだ。
「なんでガッカリしてるんですか!? 私そういうつもりで言ったんじゃ……」
「「……はぁ」」
「なんでそんな顔するんですか!?」
「其方らというものは……」
ヒナギがその反応を言及するも、更に士気を下げてしまう2人。明らかにご褒美がヒナギから貰えると勘違いした犠牲者であった。
フェルディナントはやれやれとため息を吐くが、あぁやはりなと言いたげな顔でそれを見つめる。ヒナギに激励を頼んだことからも、民のことをよく理解しているのは事実だが。
それでも、たった二人だけである。他の何も知らない兵士達は士気はさがっていない。結果から言えば、まだまだ問題のない範疇ではある。
ここから他に波及さえしてしまわなければ士気が下がることはない以上、特に問題には思っていなかったフェルディナントだが、ナナの言う通り全てが終わった後が怖いなと内心思ってしまった。
「まぁまぁ、元気出して切り変えてこーよヒナギ?」
「ナナ様……流石に酷くないですか?」
ここで、ナナはいじけたヒナギの肩を何食わぬ顔で叩いた。さも自分は全く今のことに対して関与していないというように。
当然、ヒナギは少しキツくナナに当たるが……
「もー怒んないでよ~。ちょっとした冗談だっただけだって~。それにヒナギ、ご主人と二人っきりになれる状況を今度作ってあげるからさ、それで勘弁してよ。駄目?」
「……ナナ様、その手には乗りませんからね。そもそm「2回でどう?」……」
ピタッと、ヒナギが反論する口を止めた。2回という……魅力的な数字に。
「2回……です、か……? 1回ではなく……」
「うんうん。2回でどうッスか?」
明らかに、いじけていた状態からみるみる回復していくヒナギ。うわ言の様に、小さくだがぶつぶつと独り言をしていく。
1回だけなら、この状況と今の自分への仕打ちを加味して全く流されることもなかっただろう。そもそもナナには普段からよくからかわれているため、どうせその場しのぎの嘘、見え透いた嘘だとヒナギには思えていたのだ。
しかし、1回だけではなく、2回回数券ならばその考えは変わった。その1と2の違いは、ただそれだけで現実味を帯びているように思えたのである。
司と一緒にいられる時間を何より望むヒナギにとって、これは涎物の提案だ。一度で二度おいしい思いをするよりも優先すべきことと言っても過言ではない。
結果……
「こ、今回だけですからね!」
「(ぶっ! 相変わらずチョロイなー)」
「もう! 仕方ないですね」と表情が語っている顔で、ヒナギはその提案を飲むことにしたようだ。
恥ずかしい気持ちはまだ残るものの、今は予想外の嬉しさの方が勝っている顔である。
一方ナナはというと、そのヒナギの考えを呼んでいたのか内心で笑いを堪えていたが、これ以上疑惑を持たれることは避けたようだ。
ヒナギをおちょくって自由に操ることなら、ナナの右に出る者はいない。
そしてヒナギは警戒していても、結局はナナの策略に嵌ってしまう相性をしているのだ。
ヒナギのことをよく分かっているナナに、ヒナギは勝てない。
「な、なるほど……これが神鳥の由来……」
「いや、アレは神鳥とかそういうのじゃなくないか? からかわれてるだけじゃ……」
ある意味、『鉄壁』の二つ名で名高いヒナギを手玉に取っている光景は、そんな勘違いを生んでしまっても無理はないのかもしれない。Sランクは神聖視される存在であることから、本来そのような扱いを受けることがないからだ。
それぞれの心境が変わりゆく中、ナナは考えに耽る。
「(あー……後でご主人におしおき食らいそうだけど、まぁ仕方ないよね)」
司ならこの提案は別に悪いことと思わないだろうし、別に文句など出るわけがないことを理解していたがゆえに、ナナはこの発言をした。
ただ、何故そうなったのかの経緯を伝えた時のことを考えると、自分がおしおきされるような光景しか出てこなかったため苦笑いする他なかった。
主なら確実に喜びはするだろうが、何よりもヒナギをおちょくったことを多少なりとも指摘するであろうことも容易についたからだ。
でも、ナナは別に後悔はしていない。自分は今、悪くない行動に出れたという自負があったのも確かだ。
全体的に暗い気持ちで戦いに望むよりかは、少しでも明るくなれるような雰囲気でいた方が良いとナナも思っていたからである。
ラグナの災厄で死人が出てしまった時、ナナはポポの酷く悲しい顔をしたのを忘れていない。自分もその場にいれば良かったと、あの時ポポにマッチからの依頼を全て投げ出さずに、公平に分担していればと何度も思いつめた時期もあったのだ。
そして今回、似たような状況がまた目の前に立ち塞がった。今度はポポと立場の変わった状態で。
それならば、もうあんな思いはしたくないし、できるだけ避けられるだけのことはしたいと思ったのだ。
死人を出さないよう、何より司と約束したオルヴェイラスを守る使命を果たさんがために、ナナはこれまで培ってきた全てを駆使し、できることをするだけだった。
「……じゃ、皆準備は良い? この戦い……絶対に勝つよ。死人なんて一人も出させやしない。奴らの思い通りには絶対にさせない!」
オルヴェイラス防衛線が今、ナナの掛け声とともに本格始動を始める。
「作戦開始っ!」
次回更新は木曜です。




