212話 見つめる者達(別視点)
◇◇◇
『影』を殺す。
司の口から放たれたあり得ないこの発言は、この場の全員が震撼するには十分すぎた。ポポとナナは勿論の事、ヒナギとセシルは開いた口が閉まらないくらいには。
争いごとが嫌いで、極力人を傷つけることを避ける人物というのが司への認識であり、普段も物騒な発言をしないのだからそれは当然だろう。
ジークと戦った時でさえ、殺されそうになって初めて殺意を芽生えさせていたのだから。
「それじゃあ俺はもう行く! 皆で封殺するぞ!」
司が何故そこまで殺意を芽生えさせたのか……それを聞くよりも前に、司は移動を始めようとしてしまう。
その司のすぐ後ろ、まるで竜が司を覆っているような状態ではあったが。
セルベルティアの使者がグランドルに来た際に現れたという、司が竜に見えたというもの。【ドラゴンソウル】の効果が今また露わになっていたのである。
話に聞いていたから、これだけで司の怒りが最高潮に達しつつあることは察せるものの、その怒りの原因がまだ不明瞭であった分理解はまだ及ばないといったところである。
「ま、待ってください! アンリ様とジーク様については!? まだ何も……」
「あ、そうだよ確かに。あの2人のことは何か知らないの?」
動き出そうとした瞬間に呼び止めたヒナギの言葉で、一旦その動きを司は止める。
アンリとジークのことに関しては一切まだ何も口にしていなかったからである。
司は少しだけ悩んだ顔をした後、ひとまず安堵できる発言をした。
「……取りあえず無事だってことは確かだ。俺が知ってるのはそれだけ。でも……」
アンリとジークも心配だが、それよりも心配なのは命が危ないことが分かっているシュトルムが優先。そう言いたげではあった。
「ジークがアンリさんにはついてる。アイツがいるんなら問題ないから今はいい」
「今はいいって……また拘束されてたりしたら……」
セシルの心配はごもっともだった。『夜叉』と相対した時、ジークでさえ逃れられない拘束技を受けてしまい、下手をすれば皆殺されてしまっていたかもしれない事実があったからだ。
その懸念がある前ではジークがいかに強大な力を持っていようと、安心することはできないのだろう。
しかし……
「アイツだって何も対策練ってないわけじゃない。もうそんなヘマはやらかさないさ。アイツは本当に戦闘の天才だし、何より俺はジークを信じる」
セシルのその心配はご無用と言わんばかりに司は言う。
明確な根拠はないが、ジークのポテンシャルの高さを信じているようである。
もしかしたら、日々の手合わせの中で感じたものが、それを後押しする要因となっているのかもしれない。
「まぁ、アンリさんには後でボロカスに罵倒されるだろうけどなぁ。ホントはすぐにでも追いかけてーけど……」
「あ……ご主人……」
でもやはり、本人としてはアンリの傍にすぐにでも駆け付けたい気持ちはあるようだ。
空を見上げて言う司の心境は複雑なことだろう。ジークがいるから安心だとは言っても、今もアンリの顔を浮かべているに違いない。
口から出る言葉全てが司の本心であるとは限らないのだから。
ただ、アンリの性格を考えれば司が罵倒されるなんてことはあり得ないのは確かでもある。
これは単に司が自分が責められる理由として言っただけで、それを望むことで自分の情けなさを認めようとする考えからきているだけである。
でも決意は固いようで……
「だからアンリさんの安全は大丈夫だ。今はお互い牽制しあって動けてないはずだから……」
司がどこまでの記憶を得たのかは不明。しかし、アンリのことはジークに任せる旨を、司は伝えたのだった
良い状況とは言えないが、悪いというわけでもないような……そんな曖昧な状況にアンリ達は今置かれているらしい。
すると……
「……あ」
「は、はい? ……っ!? あ、あの……?」
今一度皆に背を向けて出発しようとした司だが、今度は自発的にまだ何か言うことがあったようで、忘れていたことを思い出したようにまた皆へと振り向く。
そしてその歩みはヒナギへと真っすぐに進んでいき、ブレることなく進んでいく。
一体どうしたんだと皆が見守る中、司がヒナギに触れ合える距離にまで近づいた所で……司はヒナギを突然抱きしめた。誰から見ても力強く抱きしめているのが明らかなほどに。
「カ、カミシロ様……?」
ヒナギの和服にシワができてしまいそうなくらいの力は、それだけ気持ちが込められているということでもある。
急なことに取り乱しそうになってしまうヒナギとは対照的に、司は至って冷静に目を瞑ってその温もりを確かめているようだった。
「……本当に気を付けて。できれば一緒にここにいたいですしついてきてもらいたいです。……でもそれだと余計に危険に晒すかもしれないから」
「あ……」
「それでもここが一番安全なはずだから……分かってください」
アンリのことを考えてしまったことで、今現在心配することができるヒナギにはせめて気持ちを伝えておきたいと考えた結果であった。
ヒナギの困惑を気にせず、言いたいことだけを伝えた後は……すぐにヒナギから離れ立ち去ってしまう。
「カミシロ様!? 待ってください! ……カミシロ様」
今はもう多くは語るまい。それよりも優先すべきことがある。司の顔からはそれが滲み出ていた。
既に後ろ姿しか見えないためヒナギ達にはそれが伝わらなかっただろうが……。
最後に顔を背けたまま……
「もし俺が今言ったことが信じられないなら、すぐにここにフェルディナント様が来る。そしてシュトルム達から連絡が入るはずだ。……3つの街でヤバいことになってるって」
そう言い残した司は、その場から姿を消した。
ハルケニアスへと向かう前に、この騒ぎの中であってもアルの傍にいてくれていた宝剣を回収して。
◇◇◇
「アッハッハッハ! マジかよアイツ、人の身でこれを耐えきりやがった! オイ『白面』、アイツ化物すら凌駕するんじゃねーのか?」
「あのぅ、何回化物認定を上書きしてるんですか。とっくに化物なんて越えてますよあの人。だって『闘神』さんに勝る人物なんですよ?」
「あー……それもそうか」
上空高く、そして綺麗に輝く七重奏の虹。そこに非常に近い所で呆れたように、はたまた感服したように笑う銀髪の軽そうな男と、それを嗜める白い仮面を被った人物がいる。
『銀』と『白面』である。
『白面』は以前司がグランドルで出会った時と変わらない恰好で、そして『銀』は白衣を纏っているため少々見た目と服装が一致していない印象である。
背は結構高めでジークより少し小さいくらいだが……身体の線は細く腕力に乏しく見える。
吹き荒れる強風の中、空間に浮かぶいくつかの映像の一点を2人は見つめており、そこに注目しているようだった。
ここはオルヴェイラス上空に浮かぶ謎の飛行船の甲板なのだ。下から見た光景は鉄のような色合いにしか見えなかった飛行船だが、甲板を始めとした上体の部分はそんなこともないようで、所々に別の素材が使われた造りをしているらしい。ただ、それでも鉱石類を多く使っているのは間違いないようだ。庶民が割と親しみを覚える素材が一切見当たらない。
その飛行船にいるのはこの2人だけ……ではなく、まだもう2人程若い男女が招かれている。
「先生!? っ……!」
「アイツが、ここまで……だと……!?」
アンリとジークだ。
2人もまたその映像を見つめており、こちらの2人に関しては驚愕を露わにしているが。
というのも、その映像に映っているのは司とポポであり、ポポの翼の中で苦しそうに息を荒げる司が見えてしまっていたのである。
両腕の部分のコートは焼き飛んでしまって剥き出しとなっており、激しい火傷の損傷が確認できる。
あの司をそんな状態に一気に持ち込ませたのだから2人の反応は妥当である。しかもアンリにとっては大切な人なのだから尚更だ。
「……とは言っても流石にかなりの痛手を負ってたみたいですけどねぇ。『銀』さん、これ連発できないんですか?」
そんな驚きを隠せない二人を他所に、『白面』はさらりと信じられない発言をした。
あの熱線がまだ来るかもしれない。それを匂わせる発言にアンリとジークが反応しないわけがなく、ビクッとして『白面』を見やるものの……
「まだそんな段階じゃねぇ代物だから無理だな。……見ろよ、出力に耐えきれずに融解しちまってるだろ? 素材の厳選と出力の調整、それから新たな原理の解明する余地がまだまだある証拠だ。未完成にしちゃ上出来なほうだろ……確認出来て良かったぜ」
「完成した時が楽しみですねぇ」
皮肉なことに、同じく敵である『銀』によってひとまずは安心そうだった。
もしこれで『銀』が2人の心理状況を把握しており、それを見越して嘘の発言をしているのであれば非情なことこの上ないが……そういうわけでもないようである。
しかし、『銀』の言うことが事実らしいと判断する要因はまだ他にもある。
それは、映し出されている映像が切り替わったことにあった。
どうやら空間に浮かぶ映像は影響力や範囲こそ分からないものの、どの角度からでもその場所の状況が確認できるようで、あの熱線が放たれた砲台の様子が映し出されている。つまりはこの船の真下の部分だ。
その砲台はモワっとした熱気を帯びているらしく、周りの光景を歪ませている様子が見て取れる。『銀』の言う通り砲台は形が崩れ始めており、砲身が溶け出しているのがよく分かる。
あの熱線はかなりの熱量を放出していたのは間違いないようだ。
ただ、だからといってもう脅威が去るというわけでもなさそうである。
「んじゃ、メインである砲台の確認は済んだ。次はサブの確認に移るだけだな。丁度いい実験台がいるしやらないのは勿体ねぇ」
不敵な笑みを浮かべて、『銀』は言う。
まだやることが他にあるのか、『銀』は攻撃を再度開始すると言い出したのである。サブと言っているからあの熱線ほどの脅威はないと予想できるものの、十分脅威に値する威力を持っていることは想像に難くない。
最初に飛来したあの電撃も相当な威力を誇る一撃だったのだから。
当然、その発言に反論しないわけがない。
「そんなっ!?」
「っ!? 『銀』てめぇやめろ! ぶっ殺すぞ!」
額に青筋が浮かびそうな顔で、ジークは吠える。
アンリも過激な性格をしていた場合はジークと似た発言がまずは飛び出すところではあっただろうが、それよりも先に驚きの方が上回ったようである。
「やめねーよ。やめるつもりだったらわざわざリスク背負ってまで来てねーし。……『闘神』、てめぇは黙って見てろ」
「っ……! くそがっ!」
アンリは眼中にないようで口には出さず、ジークに対してのみ伝えている様子の『銀』。その態度は余裕そのものであり、いかに相手を怒らせようが問題ないと思っているかのようである。軽率などではなく、よく状況を把握している。
それはジークを前にしてなお、である。
手から血が滲み出してしまうのではと思うくらいに拳を握りしめたジークは、今この場で『銀』を殺すことができないことに怒りを露わにしている。殴って怒りを発散できる壁もないため、怒りで内から破裂しそうだった。
『銀』と『白面』を殺すことはジークならば余裕である。ただ、それを許さない、実行できない事情が判明した手前、行動に移すことができないのが現状なのだ。
だからジークは未だに『銀』と『白面』に手を出していない。
ジークは自分に備わっている力というものを十分に理解し、今まで生きて来た。
だからこそ、『銀』が先程言った言葉が見過ごせず、そして嘘を謳っていないと分かってしまったのだ。
というのも……
『おっと下手に動くなよ『闘神』。お前は優位の立場と思ってるみたいだが、実際はそうじゃねーんだぜ?』
『なに?』
『この船は俺達に連動して動いてんだ。俺達が片方でも死ねば即座に制御を失い、この船は落ちるぜ。ちなみに後ろの動力に手を出しても同じだ。この意味……分かるよな?』
『なんだよ、ハッタリか? 見え透いた嘘ついてんじゃねーよ』
『確かに嘘に聞こえるかもな。だがお前が鋭いなんてのはこちとらとっくに知ってんだよ。どうだ? 今の俺は嘘をついてるように見えっか?』
『……ちっ! クソが』
『流石に貴方の馬鹿げた力でも、この巨大な船を完全に壊すなんてことはできません。どちらにせよ下の街はおろか、周囲に甚大な被害を与えかねませんからね。大人しくしてた方が賢明ですよ?』
『そういうこった。大人しくしてな? 俺達もお前が来たせいで動くに動けねぇが、お前も動けないのは一緒なハズ。一緒に各地の戦況でも確認と行こうや?』
ジークが動き出そうとした時に交わされたやり取り。
当初はジークがこの場に来ることが予想外だったため計画にズレが生じた2人ではあったものの、すぐに大した問題ではない結論に至り、そう言い放ったのである。
ジークは『銀』と『白面』を殺せる絶好の機会を逃すほど甘い性格はしていないが、これが今動くに動けない理由だ。勿論、言った通り動力らしきものが『銀』達の背後には大きく存在感を放っている。
2人の内どちらかを殺せばこの船は確実に落ち、オルヴェイラスを跡形も無く押しつぶすことになるのは間違いない。恐らくは少しでも傷をつけたり、攻撃する素振りを見せれば容赦なくこの船を落とす手段に出かねないことを、ジークは『銀』を知っている限りではそうとしか思えなかった。
ならば、殺すことは諦めてこの船だけでも全て破壊するのはどうなのか? これは『白面』が言ったように難しいなどの問題ではなく、ほぼ不可能としか言えない。
これだけの質量を誇る物体を跡形も無く消し去ることは流石にジークでも不可能であるからだ。欠片ほどでも破片が下へと落ちれば、破片と言えど元々が巨大すぎるために被害は甚大、加えて上空の強風に追いやられてどこまで被害が飛び火するか想像もつかないのである。
よって、この二つの手段に出ることは今叶わない。
では、アンリを連れて逃げるのはどうなのかと言われれば、結論から言えばできなくはないが、アンリがそれで耐えられるかどうかの保証はないのが現状だ。
アンリを連れてここを立ち去れるものなら立ち去りたい。でも、それを実行に移すことは難しいという判断をジークはしていた。
地上へと戻ることはジーク単体ならば簡単である。ステータスに身を任せ、かつ地上に当たる寸前で自らの落下速度を軽減するための力を放出すれば大した傷を負うことも無いだろう。
空を飛ぶ、または滞空する術を持たないジークにはそれしか方法がないとも言える。
ただ、【刃器一体】を応用して武器を足場にしたいところではあるが、これはなんとも不幸なことかジーク本体に触れると自由に操ることができない性質があるため論外である。
よって、地面スレスレで力を放出して軽減する方法しか手段はないと言える。
だがそうした場合、ステータスが一般よりも高い程度のアンリはただでは済まない。ジークが怪我をする程ということは、アンリにとってはほぼ即死に近いことと同義だからである。
更に、身を投げ出した後に『銀』達から追撃を喰らわされる危険性も考えられる以上、ここから脱出するということ自体が難しいのである。アンリもいるから更に。
今のジークにとってはアンリを……仲間を守ることが最優先であり、2人を殺すことは二の次だ。
守るということは、リスクを負うことでもある。守られる要因にはそれ相応の理由があり、アンリの場合は力量不足によるものだっただけに過ぎない。
「さて、じゃあ『銀』さん、私は仕込みは済んだんで『絶』さんに合流しますからねぇ? 後はよろしくです」
「おう、そっちもヘマやらかすんじゃねぇぞ?」
「はいはい」
ジークが大人しくしているのを見て安心したのかは分からない。『白面』は『銀』にそう伝えると『ゲート』を映像の隣に出現させ、そのまま『ゲート』に向かって足を進めていく。
「オイッ! どこに行くつもりだ!?」
「いや、もう用がなくなったから別のとこ行くだけですけど」
『ゲート』に足を踏み入れた所で面倒そうに振り返り、ジークの言葉に対応する『白面』。表情は伺えないが面倒そうな声である。
「別のところ? 待て、やっぱここ以外にも手ぇ出してるってことか!?」
「当たり前でしょう? なんで貴方方がいるところ限定で攻撃仕掛けなきゃいけないんですか。何かの罰ゲームでも課せられてるわけでもなし」
「ちっ……つーか、『虚』はどこに行きやがった。アイツがこの前この近くに来たはずだ」
「さぁ? やることやってますし、後は放任してますから……」
「相変わらず飄々とした奴だな、てめぇは……!」
肝心な部分をはぐらかす様な言い方に、ジークは苛立ちを更に募らせた。
ここに『虚』の姿はなく、現在どこにいるのかは不明。だが先日現れたことを考えると、今こうして問題が起こったことで動き出しているかもしれない不安があったのである。
「んー……一応『神鳥使い』の彼には伝えたんですがねぇ。もう止まらない運命に向かってると。まぁ貴方が何を心配したところで全て手遅れですから。貴方方にはもう何も出来やしないってことですよ。それじゃ」
そう言うと、『白面』は『ゲート』の中へと完全に姿を消していき去ってしまった。
この場に残された相手は『銀』のみとなった。
「先生……良かった、無事そうで……」
一人、展開していた会話に混じることも無く映し出されている映像をずっと見つめていたアンリだが、緊張した状態から解放されたようにその場にへたり込んでしまう。
今にも泣きだしそうで、歳相応の脆さや弱さが現れてしまっている状態だ。その理由は映像を見て2人も察したようだ。
「っ! なんとか持ち直したか」
「ありゃまぁ、ま~た例の天使の力ってやつか。厄介なことこの上ねぇな。……あのまま死んじまえば楽だったってのに」
ただ、対極と言えるくらいの気持ちではあったが。
『銀』は溜息を吐きながら、心底残念そうに言う。
「っ! なんてこと言うの!」
「敵対してんだからそりゃそうだろ。面倒な奴なんぞ死んでくれないと困るだろうが?」
「アンタねぇ……!」
「アイツの挑発になんか乗るんじゃねぇよアンリ。コイツらの言うことは全て戯言で聞く意味もねぇぞ」
死ねば良かったなどという言葉はアンリの逆鱗に当然触れた。目つきをキッと吊り上げ、『銀』を今までに見たことも無い顔でアンリは睨んだのである。
想い人がそんな言われをしたら怒らないはずもない。
「……ハッ、なんだよその目は? まるで親の仇みてぇに見やがって。『闘神』と呼ばれたてめぇもこうも丸くなるとはな……。さぞかし『神鳥使い』に感化されたんだろうなぁ? お前ら。なるほど、『夜叉』が言ってたことはこういうことか」
アンリのその目を見たら、アンリを知っている者であれば何事かと目を疑うことは間違いない。それくらいの殺気が今のアンリにはあった。
ただ、それでも流石は『執行者』と言えば良いのか、『銀』は露程も気にした様子は見られず、むしろ癇に障ったような反応を見せている。ジークと相対しても強気な姿勢を崩さないことから、本人のプライドや性格も加味して質の悪いチンピラに似ていると言える。
ジークが『銀』は何をするか分からないと言ったのは正しかった。
「さぁ、どうする? 『守護者』と眷属共。広く災厄の種は撒いた。……後はどれだけ善戦してくれるんだ?」
回復した司が置かれている状況に慌てる光景を見た『銀』は、気になることを言った後2人には目もくれずに映像に意識を向けて黙るのだった。
2人の不安を煽る笑みを浮かべながら。
◇◇◇
オルヴェイラス近郊、ベール川上空付近。
「はぁっ……はぁっ……あっぶねぇ……っ! これだけ、離れてても、駄目なのか……!」
一人、全身黒のコートに身を包んだ男は大量の汗を流して息をつく。
その呼吸の荒さは吹き荒れる風の中でも確かに聞こえる程で、相当焦るような事情があったことが容易に分かる。
「くそっ……一足遅かったか……! あっちはアイツに任せるしかなさそうだな」
口元まで垂れた汗を拭うように手の甲を押し当てる男は、諦めたようにそう口にした。
名残惜しい、できればそうなってほしくはなかったことがあったようだ。
「必ず、守りきれよ……」
そして見つめるのは遥か彼方。方角で言えばハルケニアスがある方向に向かってポツリと呟く男の声は、誰にも届くことは無かった。
次回更新は火曜です。




