177話 VS『夜叉』②(別視点)
ヒナギと相対していた『夜叉』だが、アンリ達もこの僅かなやり取りの間に、『黒傀儡』』達への対処に目まぐるしく動いていた。
その理由は、アンリを守る必要もあるが、今この暗闇の空間に巻き込まれたイーベリアを含む、部隊の人々も守る必要があったためだ。
遅れこそ取らないが、『黒傀儡』のそれぞれが独特の個性を持っているため、対処法がそれぞれ違うことが厄介だ。
上級の大雑把な高威力魔法を放てばすぐに事足りてしまうことだろう。しかしそれは、自分達に被害が被らないようにする必要があり、また無防備な部隊の人々への配慮も必要になってしまう。
自分達の魔法で逆に被害を被らないようにする掛け合いの間が非常にシビアな命取りで、その時間など関係なしに淡々と襲い掛かる『黒傀儡』は手強かったのだ。
アンリを守る必要もあるが、今この暗闇の空間に巻き込まれた部隊の人々も無視はできない。
『…アンタに付き合ってちゃたまったもんじゃないわ。…『黒傀儡』!』
「!? まだ他にも!?」
ここで、『夜叉』は新たな『黒傀儡』をアンリの後方へと出現させる。
奇襲をかけられたような突然のことに、皆意識をそちらに取られる。
今度現れた『黒傀儡』は最初に出現させた個体達とは違い、二回りほども大きく、そして頭に巻き角が生えているのが特徴的な…元魔族だった。
黒色なことで、実際よりも非常に大きく見えてしまいそうである。
魔族は他の種族よりも大きな体躯を持つ傾向が強く、基本的に褐色の肌が特徴的な種族だ。荒廃し乾燥した地域を好み、そのような環境で生きる影響からか粗食に強い…生命力の極めて高いことが特徴である。
だが、最も特徴的と言えるのは…ハッキリ言って定型と言えるべき姿を皆していないことが挙げられる。
羽の生えた者、牙の生えた者、体色が肌色ではない者、角が生えている者等々。他の種族には見られない特徴を持ち、かつ、肌色の肌をしている者を厳密には魔族と分類する。
勿論、配偶によっては他種族の特徴を併せ持つ者も生まれるが、魔族の血は極めて濃く出るため、その例もあまりない。
「挟まれた!? マズイ!?」
アンリが驚きの声を上げる。
セシルとシュトルムは今他の『黒傀儡』達を相手にしていて手が回らない。アンリは危険を感じ手を前にかざすが…
『…本当に邪魔な奴から消しなさい! 目障りだわ!』
「え…?」
「何!?」
アンリには目もくれず、背を向けて『黒傀儡』は離れていく。
そこでようやく、皆『夜叉』の狙いを察することができた。
狙いは…この空間に巻き込まれた者達。倒れ伏して無防備に身を晒している者達だと…。
「っ!」
『夜叉』の命令を中断させるべく、ヒナギが魔法で岩石を打ち出して『夜叉』を攻撃するも、指示はその前に完了してしまったようだ。例え『夜叉』の身体が岩石で霧散しようが、『黒傀儡』の動きは止まらない。
新たに出現した魔族の『黒傀儡』はアンリ達を背に、イーベリア達に一直線に向かっていく。
「くっ…! せめて皆だけは…!」
その迫ってくる姿に、イーベリアが対抗すべく辛うじて立ち上がるが、その足元はおぼつかずフラフラである。
ジークから受けたダメージは想像以上で、イーベリアは確かにSランク以上の力を有していたが、それでもやっとな程だ。
ここで…
『…あら? そいつは基準以上の魂を持ってるのね、だったら丁度いい…『黒傀儡』! 先にそいつをやりなさい!』
「っ!?」
『夜叉』が、イーベリアを狙うようにと指示の声を張り上げる。
「させない! 『ファイアウォール』!!」
そうはさせないと…攻撃を考えていたアンリは計画を変更、イーベリアと『黒傀儡』の前に炎の壁を形成し、突撃を防ごうと魔法を発動するが、それは予想しない形で覆される。
その『ファイアウォール』を飲み込むように、突如現れた闇が炎を覆い尽してしまったのである。それを行ったのは勿論『夜叉』だ。
「そんなっ!? 危ないっ!!」
『貰っとくわ…死になさい!』
「っ!」
アンリの悲痛な声と、『夜叉』の微笑みながらの声は重なりあう。
『黒傀儡』の手には、闇の塊で形成された槍がいつの間にか握られていて、それを今まさにイーベリアに突き刺そうとしている動作に入っている。
誰もがイーベリアの死を覚悟した。
イーベリア自身も、今の状況から自分の死を感じていた。
だがそれは、この場で一番華奢な身体をした予想外の人物によって阻まれたのだった。
「まに…あった…っ!」
『ちょっ、どういうこと!?』
「なん…と…!?」
イーベリアへと迫る槍を受け止めたのは…セシルだ。セシルが瞬時にイーベリアの近くへと瞬間移動し、立ち塞がったのである。
両手を重ね合わせるように合わせて槍へと向け、手に当たる直前に槍は何かにぶつかっているようだ。その証拠に、バチバチと、槍と正体不明の力がぶつかり合う現象が起こっている。
その小さな身体と大きな身体が拮抗する光景は…なんとも奇妙な光景であった。
厳しい状態を顔に出しながら槍を防ぐセシルの足元には、淡い黄色に光る矢が刺さっているが…
『なるほど、流石に弓術スキル持ちか…!』
「ご明察…っ!」
『でも…その力は一体何かしら?』
その正体不明の力は『夜叉』も分からなかったようだが、移動してきた理由は察したようだ。
セシルが瞬時に移動できたのは、【弓術】のスキル技である『ポータルアロー』の効力による。
移動したい場所に矢を射り、矢が突き刺さった場所で矢が光っている間は瞬間移動できるという…緊急回避用の不可思議なスキル技である。
アンリが『ファイアウォール』を発動した段階でセシルもその時既に矢を準備しており、自らに迫る『黒傀儡』の攻撃の手が一瞬和らいだ隙をついて妨害しようとしていたのだ。
『ファイアウォール』が機能していればこんな手段に出てはいなかったが、それが無効化されてしまったのでは、この行動に出ないわけにはいかなかった。
ヒナギは『夜叉』と常に相対していてその場を離れられない。もし離れてしまえば、『夜叉』の凶刃の矛先は自分達となってしまうのだから。
かと言ってシュトルムを頼ろうにも、自分と同じ状態で余裕がなく、ましてや自分よりも多く魔法を多用して奮闘しているのでは不可能だと思った。
ならば…シュトルムには更なる負担が掛かってしまうが、できるのは自分だけであるし、自分が防ぐしかないと決断し、動いたのである。
『でも、間に合ったところで無意味よ!』
「あっ…っ!?」
危機を凌いだかのように見えたセシルに、無情にも『夜叉』が追撃を仕掛ける。
槍を携えていた魔族の『黒傀儡』が一瞬でドロドロした闇へと形状を変え、セシルの身体へと振りかかったのだ。
急に槍の圧力のなくなったことで、セシルは押し返す力を殺しきれず前にたたらを踏み、その闇の直撃を避けることができなかった。
「くっ!? なに…これ…!」
「セシルさんっ!」
直撃した闇はセシルの身体にへばりつき、装備であるローブ越しにその身体を這いずり回る。
その様子を見たアンリの叫びに、セシルは返答を返す余裕はなかった。
『馬鹿ね…そんな動けない足手まといなんて放っておけば良いのに』
「そんなこと…できるわけない! 『ふ~ん、あっそ』…っ!」
イーベリアを見捨てれば良かったという『夜叉』の発言には反論するセシル。
それがお気に召さなかったのか、『夜叉』の癇に障ったのかは分からないが、セシルに素っ気なく受け答えすると、セシルについた闇の力を強め、セシルを締め付け苦しめる。
「セシル様!? …『どこ見てんのよ』…っ!?」
「ヒナギさんっ!」
セシルが危険に陥っているのを見たヒナギがセシルに声を上げるも、それを見逃さずに『夜叉』はヒナギを大太刀で斬りつける。
ヒナギは大事には至らなかったが頬に立て筋の血が滲みでており、あと一歩回避が遅れれば頭を縦に斬り抜かれて死んでいたことだろう。
仲間に危険が迫るということは、仲間同士の仲が深いほど全員が危険に迫ることにも繋がるのだ。
まだ、負の連鎖は続く。
「オイオイ!? ヤベェぞこれは…ぐあっ!? っ…しくったか…!」
「シュトルムさんっ!」
セシルが今も危機の中にあり、そこに追加で、ヒナギが今まさに死ぬかもしれない状況だったことに肝を冷やしたシュトルム。
『黒傀儡』達へと集中していた意識は一瞬薄らぎ、その瞬間に放たれた攻撃スキルが、シュトルムの腹に直撃した。
セシルの抜けた穴分の物量を今は相手にしなければいけない状態だったため、シュトルムのその一瞬は致命的だったようだ。
「下がるぞっ!」
ただ…傷つきはしたが、辛うじて精霊が寸での所で少々防御してくれたため重症には至らなかったようだ。痛むのを堪えながら、呆けたアンリの手を引いて一旦シュトルムはその場から離脱した。
この瞬間に…アンリを守るための陣形は崩れ去ってしまった。
一気に状況が悪化してしまい、各々がどう打開していくかに思考を巡らせる。
セシルを助けるには? 『黒傀儡』達の相手をするのは? 巻き込まれた部隊の守りは? アンリをどうするべきなのか? …等々。
どれも優先すべき順位が高く、動きたくても動けない状態に全員陥ってしまった。
ようやく優位に立った『夜叉』は、後悔したように吐き捨てる。
『ったく、始めからこうしておけば良かったわ。アンタらみたいなのにはこの戦法がよく効くのよね』
「…む…ぅ…外道だね…ホントに」
『お子ちゃまは黙ってなさい。でもまぁ…すぐに黙ることになるけど…』
「っ!!!」
この戦法というのは、関係ない者へ危害を加えようとすることで相手を油断させ、その隙を突くということだろう。
『夜叉』の言葉から察するに、セシル達が誰かが傷つくことを嫌う傾向が強いのを予め知っていたような口ぶりである。
そのまま、『夜叉』はセシルが自分を貶す言葉は聞き流し、更にセシルへの闇を強めることで返答する。
全身に纏わりついていた闇は、今度はセシルの中へと滲むように入っていった。素肌の見える手と顔が、徐々に黒ずみを帯びていく。
更に強まる力に、セシルは一層顔を苦渋に染めた。
『一々反応するから後れを取るのよ。馬鹿ね………あら?』
「くっ…! 入って…こないで…!!」
身体が黒ずみ始めたセシルだが、その身体に入ろうとする闇はピタッと動きを止める。
セシルが目をギュっと瞑り、その闇が自らに侵食してくるのに抗っているようだ。
余程余裕がないのだろう。セシルの身体は痙攣に近い症状を訴え、限界間近になっている。
その様子を不思議に思った『夜叉』は、今のセシルを冷静に分析する。
『憑依が効いていない? いや、抵抗しているのか…。案外お嬢ちゃん強いのね? 少なくとも傀儡にしてやりたいくらいには。でも…』
「あぅっ!? ううぅっ…!」
『さっさとしてくれる? 面倒なのよ』
「セシル嬢ちゃんっ!!!」
仲間がやられてしまいそうな光景に、シュトルムは叫ぶ。
それと同時に、同じく見ていられなかったヒナギも渾身の力で『夜叉』へと刀を振るう。
「セシル様を離しなさいっ!!!」
『だから効かないって。もう防御するのも面倒だからどーぞお好きに?』
セシルに危害を加える『夜叉』を斬ることで中断させることができると思ったヒナギは、『夜叉』の身体を何度も斬りつける。
しかし『夜叉』は、そのヒナギの姿を嘲笑うように見ながら放置し、セシルへの攻撃をやめない。
「嫌だ…」
『…?』
「でも約束破るのも嫌…」
急に、セシルの身体から白い光が放たれ始めた。何の前触れもなく、突然に。
始めは弱かった光は、徐々に…ほんの少しずつ、見る者の目をくらませる力を強くしていく。
その光そのものに何か力を感じるような…そんな不思議な力。
「でも嫌だ…『傀儡』になんてなりたくない…でも約束を……私は守らないと…っ!!」
『っ! このままじゃ弾かれる!? なら限界出力で……っ!?』
「…っ!? …ゴメン…ゴメンっ!」
何かに苦悩しながら、セシルは必死に決断しようともがき苦しむ様子を見せる。
だが今はもう、闇に苦しんでいる苦しみではないようだ。その瞳からは、想いの詰まった涙がポロポロと溢れては地に落ち、闇に染まった地面を一部元の状態へと戻していた。
それだけでも、何かがおかしいと誰もが気づくことだろう。
自らの闇が通じず、セシルから放たれる力は更に力を増していくのを見て、『夜叉』は慌てて闇の力を強めて封じようと動く。
しかし…
「フリード…ゴメンっ! 約束…守れなくて…っ!」
セシルのその言葉と同時に一際強い光が放たれ、皆の視界は一瞬白に染まった。
光が収まると…そこには泣いて立ち尽くすセシルがポツンと立っているだけだった。
黒ずんでいた肌はどこにもない。いつものセシルの肌の状態へと戻っていた。
『…はぁ!? …え、なんで耐えられるのよ!?』
「…っ……!」
「『ファイアウィップ』!! セシルさんっ! 平気!?」
「…アンリ…うん…」
驚愕して身動きをとることすら止めた『夜叉』を他所に、アンリがセシルの周りに群がり始めた『黒傀儡』達を、炎の鞭で薙ぎ払い、押しのける。
安全を確保した後、シュトルムと共にすぐに駆け寄り、状態の具合を確認するが…泣いて呆然としている以外に異常は見られなかった。
セシルが酷く悲しんでいるのは見れば分かる。
何か言葉を掛けてあげたいところだが、尋常ではない先ほどまでの挙動に、どんな言葉を掛けてあげれば良いのか分からなかったのだ。
『あ、アンタ…普通じゃないわね? 私の最高出力の闇に抵抗できるなんて…アンタの魂じゃとても無理…。もしかして隠してる? 少なくとも…人間じゃない。いえ、6種族にすら該当しないと見たわ』
「ど、どういうことだ? 6種族以外なn「だったらなんだっていうの?」…せ、セシル嬢ちゃん…?」
低く淡々とした…尚且つ感情がふんだんに込められた声。
憎々しいのが誰でも分かるというのは、こういうことを言うのだろう。
今のセシルの顔は、憎しみを体現した表情である。人はこれほどまでに憎しみを持った表情をすることができるのかと、『夜叉』を睨みつけるセシルにシュトルムはゴクリと唾を飲んだ。
仲間であるにも関わらず、いつも大人しめで可愛らしい少女と思っていたセシルが、普段のギャップも相まって、恐怖してしまう程に恐ろしく映った。
その目が向けられている『夜叉』はというと、その視線はどうでも良いようで、今の出来事に関心が向いているようである。
感情を気にも掛けない、血も涙もない性格である。
『いや別に…ちょっと興味が湧いただけよ。そのローブを剥いだら分かるのかしら?』
「…見たいなら見る? もういいよ何もかも…。約束は今破ってしまった。それなら私は…もう隠す理由もない! 約束を守れなかった時点でフリードに会う資格も、そして私の支えも全てないんだっ!」
内に秘められた感情は、沸点を当に超えていたようだ。
自暴自棄になったセシルが、叫びながら自分のローブに手を掛け、一気にそれを脱ぎ去った。
ローブは空を舞うも、次第に重力に負けて地に落ちてしまうが、そんなことには誰も目もくれない。
脱ぎ去って目に入ったセシルの姿を、この場にいた者達は一生忘れることはないだろう。
司達が歴史的瞬間を引き起こしたというなら、今この場でもまさに、歴史的瞬間は訪れたのだから。
知り合ってから今までの間、ずっと常に同じ格好で、極力肌を見せないようにしてきたセシルが、遂に自らの纏うローブを人前で脱ぎ去った。
それは納得と畏怖、そして、あり得ない、信じられないといった驚愕の形で、『夜叉』もろとも、仲間たちとその場に居合わせたイーベリアをもそう思わしめたのだった。
「セ、セシルさん…それって…!?」
「嘘…だろ? あり得ねぇ…!」
「セシル様…貴女は…!」
「生き残りが…いたのか…!?」
『…やっぱりね。実際に見るのは初めてだわ…かつて最強と言わしめた伝説の種族…!』
皆が驚くのも無理はない。
セシルの背中に生えた、一切の汚れなき純白の羽。
それが目に入った者は、真っ先にある種族を思い出したはずだ。
かつてこの世界にいたもう一つの種族で、1000年前に滅ぼされた…最早歴史でしか知り得ない種族。
強大な力を持ち、全世界の種族と少数で対抗、苛烈に争ったことで滅ぼされた…悲しい種族。
『天使だったのね…!!』
身震いし、興奮する『夜叉』の顔は狂喜に満ちている。
だがそれとは正反対に、セシルの顔はただ純粋に憎しみに満ちていた。
そして…
「一瞬で終わらせてあげる」
セシルの声は冷たく、この場に響き渡った。声を荒げていなくとも心を圧迫させる気迫に、アンリ達は何も言えなかった。
セシルが手に持つ弓は…少し黒く変色した。
次回更新は水曜です。




