175話 不穏な気配 (別視点)
◇◇◇
『勇者』が現れて丁度くらいの頃…
『僕はユウキ・イガラシ。君のお名前は?』
『なに!?』
『っ!? …お、俺は…ツカサ・カミシロって言います』
「うわあああああ嘘だろオイィィィッ!? ツカサについて行きゃよかったあああぁぁぁあああっ!!」
グランドルに待機しているメンバーが、グランドル東の草原に現在滞在していたところ、突然シュトルムが叫びだしたため近くにいたメンバーは皆耳を塞いでいる。
シュトルムの叫びは草原を駆け、辺り一帯に普段とは違う異質な振動を巻き起こした。
「シュトルムさん、急にどうしたんですかもう…! 耳元で叫ばないでくださいよ…」
傍にいたメンバーの内、アンリが耳に手を当てながらシュトルムに若干文句を伝える。
迷惑したのだからそれも仕方ないが。
「これが叫ばずにいられるかっ!? 超歴史的瞬間を逃したんだぞ俺達は!? むしろなんでそんな平静を保っていられるんだよ! …ジーク! 今すぐ俺を担いでツカサのとこに連れてけ! 頼むよぉぉおおっ!」
目をギラつかせ、必死の形相でジークの胸倉を掴み、シュトルムが血涙にも似た何かを流しながら懇願するも…
「旦那うるせーって。…面倒だから行かねぇよ。諦めな」
「ちくしょおおおぉぉぉぉっ!!!」
再度、シュトルムの叫び…いや慟哭か。それが草原を駆けていく。
勇者を間近で見れたかもしれないのだから、知識欲のあるシュトルムからしたらチャンスを逃したも同然である。この叫びは至って正常だ。
ジークとはまた性質は違うが、シュトルムも随分と普通ではない知識欲を持っている。メンバーの中でまともかと言われると、断じてそうとは言えない程に。
しかし、『勇者』などというリベルアークでは知らない者はいない偉人が現れたとあっては、その場に居合わせなかったショックも大きいのは確かだから納得はできるというものだ。
ただ、司も異世界人であるため既に歴史的な出会いはしているし、そちらについてはどう思っているかは不明である。
なお、今の惨劇はこちら側にいる者達だけが知るものとなっており、通信は声が漏れてしまわないよう、一方的なものとなっている。
こちら側にいる者がいくら騒ごうが、司達の元には一切声は届かない仕様だ。
ちなみに、ジークはシュトルムに嫁がいると分かってからは、旦那と呼ぶことにしていたりする。それまではシュトルム…と、名前呼びで言っていたようだが、旦那の方がしっくりくるとのことでそうなったらしい。
ヒナギの呼び名とシュトルムのことと言い、変わった奴である。
もしかしたら、年上の人物には案外ジークなりに敬意というものが存在しているのかもしれない。
しばらく嘆いた後、シュトルムは悟ったように語り出した。
「そうだよな…アイツが起こす問題が普通に終わるわけがねぇ、いつだってこっちの度肝を抜いてくる展開がお約束だったはずだ……なのに! アイツがいつもよりも覚悟決めて行くからすっかり抜け落ちてた…。クソッ!」
本人がこの場にいたら文句を必ず言うだろう。普段からどんな見方をしてるんだ…と。
「…本人はそんなこと願ってなさそうだけどね」
「アイツはトラブルメーカーなんだよ、俺からしたらいい意味で! 何が何でも次からはアイツについていくぞ俺は!」
「まぁ…ツカサと一緒にいると何が起こっても不思議じゃねーからな」
「いやいや、それジークが言う台詞じゃないでしょ」
「えっと…取り合えずいつも通りということですよね?」
司が王に言ったように、特に何事もなかったかのようにいつもの会話を繰り広げるメンバー。
本当に王はグランドルへと例の部隊を送り込んだのか、それがにわかには信じがたい状態を見せている。
だが、その和気あいあいした様子に口出しする者が、その場にいた別の人物から放たれ、一度戯れを中断するメンバー達。
「…本当に、争う意思はない…のか? これほどのことを…貴殿らはされたのだぞ?」
翡翠の鎧を纏ったその者は…メンバーのすぐ近くで地面に伏している状態だった。
顔を苦渋に歪ませ、鎧についている傷や凹みから恐らく攻撃を受けたのだろう。痛みに耐えている様子なのが分かる。
他にも、数にして中規模の部隊程の人が彼と同じように地面に倒れており、こちらに至っては全ての人物が意識を失っている。
当然、王が派遣した部隊である。
意識を未だに保っている者は、その部隊の隊長であるイーベリアと呼ばれる人物。
王は部隊をグランドルに送らなかったわけではない。
その部隊は、待ち構えていたメンバーによって、グランドルの町に辿りつく前に草原で迎撃されてしまっていただけである。
司が王に説明したことに嘘偽りなどは一切なく、事実としてこの場の惨状がそれを物語る。
イーベリアの問い掛けに対し、相対したジークが対応する。
「ん? これほどのことって何のことだ? お前らは普通に俺達にやられただけだろ?」
そう、今回はジークが全てをやってのけたと司は現在思っているが、真実は少々違う。
実は、ジークはイーベリアの相手しかしておらず、彼が率いていたそれ以外の部隊の者達については、ジークは一切手出しをしてはいなかったのである。
つまり…アンリを含む他のメンバー達で迎撃をしたのだ。
司とジークだけに今回の出来事全てを背負わせるのではなく、自分達も共に最後まで背負うと言い出した結果がこれで、敵対ではないが…全員が部隊に対して迎撃する姿勢を見せたのだ。
勿論、司はそんなことをこれっぽっちも知りはしない。
なぜなら、皆が直接手を出さなくともジークがいるから平気だろうと割り切っていたからなのだが…そこはまぁ流石ジークと言うべきか。
結構無責任かつ適当な対応で…
『別にいいんじゃね? 俺そこまで言われてねーし』
と、皆の意見をすんなり承諾してしまった。
これは、ジークを少しでも信じた司が悪い。ホウ・レン・ソウの重要性を理解していなかった結果である。
司がメンバーに教えた魔力循環の技術。
まだまだ精進中だがそれが今、教えられてから日が浅いとはいえ、遂に真価を発揮し始めたのだ。
イーベリアの部隊はイーベリアのみならず、他の者の実力も非常に高い人物が多く集まった精鋭達だ。その戦力は以前のラグナの災厄に投入されれば、まず間違いなく時間は少々掛かるとはいえ、確実に制圧できると言われるほどの戦力を有している。
前衛・中衛・後衛・指揮官。その全てが高レベルにまとまっており、セルベルティアの最強の部隊と言われる程に。
…それにも関わらず、まだ実力の低いアンリですらその部隊に魔法で圧倒できる程に、メンバーの実力は人知れず高くなっていたのだ。
シュトルム、セシル、ヒナギはともかく、アンリは一応学院で魔法については高いレベルで熟知し行使できていたため、元々持っているレベルが高かったと言う理由はあるのだが…。
魔力循環を覚えることは、魔法だけに特化するというわけではない。自らのスタイルの幅を広げることを意味する方が大きい。
威力の増大と魔力消費の軽減も魅力ではあるが、魔力循環の最大の利点は、やはり無詠唱による魔法の超高速発動なのだから…。
それは相手からしたら、銃が単発式なのか連射式なのかの違い以上の差があると言っても過言ではない。
「…フッ、貴殿程の強さを…持つ者を、私は今までに見たことが…無かったが、恐ろしい男だな…。なるほど、私達をそのように思える程…か…。他の者達も…相当な手練れと見た」
イーベリアが、ジーク以外の者も目だけを動かして確認する。
イーベリアの目から見ても、ジーク以外のメンバーの実力は抜きんでて他の者よりも高いと思わしめる程だったようだ。
「…まぁ今となっちゃそうだろうな。それもこれも…アイツが与えた影響だがな」
「…『神鳥使い』か」
ジークの言葉に、神妙な顔つきをするイーベリア。
その心境は、これほどの集まりの核を成す司に対し恐れを抱いているのか、それとも周りに与える影響が大きすぎることを危惧しているのか…それは分からない。
そして…
「……もう一度聞きたい。何故…我々を殺さない? 貴殿…らには、そうするだけの理由が…あるはずだろう…? こちらに非があるのは…明白なのだから…」
メンバー全員に対し、イーベリアは再度質問をぶつける。
自ら側に非があることを理解した上で、今回このような行動に出たことに対し何もしないメンバー達を不思議に思ったのだろう。
その答えは…セシルが代表して答えた。
「それはね、ツカサがそういうのを嫌っているから。…だから私達はそれに従う。争いなんて無い方がいいのは確かだと思うしね」
「ハイ。カミシロ様が普段から仰っている…平和が一番ですからね」
ハッキリ言って、セシルやシュトルム…それからヒナギは、人を手に掛けたことは当然ある。
これは、冒険者であればむしろ普通であり、人を殺す覚悟もなしに高ランクは目指せないと言える程基本的なことでさえある。
勿論、それは盗賊や悪党といった…殺されても誰も文句を言わないような類の人物に限っての話だが。
それでも、好き好んで人を殺すようなことは当然嫌だと思う気持ちはあり、司が人を傷つけたり殺したりすることに嫌な反応をするのを、メンバーはジークも含め好ましく思っているのである。
それは、あれほどの力を持ってしてなおその考えを捨てないことで、司への信頼度に直結していたりもする。
「あのあの、なんで非があるのを分かってて…こんなことしたんですか?」
ここで、アンリがイーベリアへと逆に質問を始める。
アンリの質問だが、それは普通の人からしたら当然の質問であろう。
「…私はセルベルティア王家に、忠義を…捧げた身だ。何代も前から…私の代に至るまでの間ずっと……。命令に背くことなど…できない…!」
どうやら何世代にも渡る自国への忠義心が彼をそうさせているようで、今回の事は彼の意思とは別物であるようだ。
その返答を聞いたシュトルムは溜息を吐くと、やれやれと言った様子でイーベリアに進言する。
「難しい性格してんなぁお前さん。一応分からなくはないんだが…忠義を尽くす相手は選んだ方がいいぞ? お前さんはもっと良い王の下につくべきだ」
「そうかも、しれないな。このまま更に酷くなれば…刺し違えてでも動かなければ…ならなかっただろうな…。…だが、先程の『神鳥使い』の言葉で、王はようやく変わられたかも…しれない。それなら…変わられたお姿を、最後まで見届けるのもまた…忠義だろう」
「「「「「………」」」」」
イーベリアの本心と今後を聞いたメンバー達は、その真筆な姿勢に口を閉ざした。
刺し違えてでもという言葉と覚悟に対しても相当な驚きはあったが、そのような考えを持つに至った相手…つまり王を未だに信じ、支えて行こうというそのひたむきな精神に何も言えなかったのである。
忠義に厚いことから、イーベリアはただ頭の固いだけの頑固なイメージを持っていたが、それは違ったようだ。
王を支える者として、イーベリアは相応以上の器を今ここで示したのだ。
「…そうかい、なら参った。お前さんのその精神は本物だ。でもまぁ…困ったらイーリスに来な。あそこの王は…民の中で暮らし、争いを好まないことで有名だからよ。お前さんみたいな奴は大歓迎だと思うぜ?」
「イーリスか…あそこは昔から良い話で…溢れているな。民と王族の境を…感じさせぬ歴史は、最早この先も不動であろうな…。それが要らぬ世話になると良いが…」
「ハハ…違ぇねぇや」
イーリス大陸にあるエルフの国。そこの人々の在り方を知っていたイーベリアは、シュトルムの言葉に納得した様子を見せる…が、自国への忠義は捨てきれない姿勢を見せる。
今のセルベルティアとはほぼ正反対の在り方に自国を重ね合わせ、願わくばそうあって欲しいと願っているかのように、シュトルムに対し微笑んでいる。
「取りあえず話はついたか? あ~毎度騒がしくて忙しいよな…でもツカサといると退屈しないからいいぜ。ホント、こっち側についてよかっ………」
「…ジークさん?」
迎撃されたのかすら疑問なほど落ちついた雰囲気になってきたところで、ジークは大きな屈伸をしながらがリラックスし始めるが途中でそれをやめてしまい、アンリがその姿に違和感を覚える。
ジークが急に口を噤んで、誰もいないはずの空間に目を向ける。その方角は…グランドルの町方面。
そして軽く首を回しながら両の指の骨を鳴らすと、先ほどまでの面倒臭そうな目つきをやめ、鋭い目つきへと変化させた。
その目は司と戦った時と同様の目で、今にも戦いが始まりそうな雰囲気だった。
「なんだぁ? やっとお出ましか? アイツがいないから仕掛けて来たってわけか……だが残念、俺がいるんだなこれが。…出てこいよ、匂いで分かる」
ジークが片手を前に出し、クイクイっと動かすと…
『時間が空いたからと思って来てはみたけど、やっぱり駄目ね。アンタも『神鳥使い』と一緒で厄介すぎることこの上ないわ』
「やっぱお前か……『夜叉』」
「「「「!?」」」」
『夜叉』という言葉に、咄嗟に反応をする4人。
ジークからは『ノヴァ』の情報は全て教えて貰っている。そしてその中には、『ノヴァ』の幹部…執行者と呼ばれる存在がいたことをすぐに思い出したのだろう。
『夜叉』という名は、そこに含まれていたはずだと…。
『夜叉』はジークの向いていた方向から全身黒いオーラに覆われた姿で突然現れ、ユラリと皆の前に立ち塞がる。
『夜叉』は漆黒のドレスに身を包んでおり、傍目から見ればミステリアスな印象と、その美しき美貌が目に付くといったところか…。
「一昨日のあの夜から既にいるのは知ってた。アイツには余計な心配されんのも面倒だったから言わなかったけどな。…ふわぁあぁぁ……あ゛~…ったく、勘弁して欲しいぜ。アイツがいねぇからおかげで寝不足なんだぜ?」
大きな欠伸をしながら、ジークがダル気に話す。
実は、司と別れる時から既に、ジークはグランドルに『夜叉』が潜んでいることに勘付いていた。司が出立の間際にジークを眠そうだと思ったのは間違いで、神経を索敵に集中させていたのを勘違いしただけである。
しかしまぁ、2日間気を張って夜間も索敵を行っていた為、ジークは結局のところ寝不足の状態になってしまっているが。
「……?(心が見えない? そこにいるのになんで…)」
一方セシルはというと、目の前の『夜叉』を目の当たりにして不思議に思っていた。
セシルは他人の心を見抜く、スキルとは別の…特異とも呼べる力を持っている。それはスキルで覗けないようにしているか、はたまた別の力で抵抗する以外には例外なく覗きこめるという、破格の性能を持つ。
にも関わらず、目の前の『夜叉』からは何も伝わってこないし、感じることもできない。それを不思議に思っていたのだ。
『相変わらずの馬鹿げた嗅覚と気配察知ね。随分と楽しそうにしているみたいだけど、本当に寝返ったとはね…。報告で聞いてはいたけどこの目で見るまでは信じられなかったわ、アンタがまさかそっち側につくなんて…』
見た目に反し、『夜叉』の言葉遣いは上品と呼べるものではなく少々荒っぽい。
勝気な姉御肌といったところか。
「だからどうしたってんだ? 俺がお前ら側にずっとついているとでも思ってたのかよ?」
『意外に思っただけよ。アンタは『闘い』を宿命付けられた奴だと思ってたし…。もしかして…『神鳥使い』に決めるつもりなのかしら?』
「…さてな。いずれいなくなる奴だしどうだか…。そんで…一体何の用だぁ?」
『決まってるでしょ。そこの『鉄壁』の魂をついでに貰おうと思ったのよ』
「!? っ!」
『夜叉』の言葉に、ヒナギが臨戦態勢へと瞬時に移行。腰に下げた刀に手を掛け、すぐにでも抜ける状態になる。
しかし…
『…けど、アンタがいるんじゃね…や~めた。流石に勝ち目なんてないし、このまま帰るわよ。無駄足だったわ』
どうやら状況的に狙うのが困難だと判断したようで、早々と諦めの姿勢を見せる『夜叉』。
「お前らじゃアイツの周りにいる奴の魂は取れねーよ。諦めな」
『はいはい。見りゃ分かるわよ………あら? ………』
このまま素直に引き下がってくれる…かと思いきや、『夜叉』はある人物を視界に入れると、何か気にしたように注視し始める。
そして何を思ったのか…震えた手つきでアンリを指さし始めたのである。
『え……う、うそでしょ!? なんでこんな所に…!」
「へ? アタシ…?」
「(ちっ…やっぱり勘付きやがったか…。俺とは違ってアンリのソレが何か知ってるみたいだが…)」
ジークは内心、自分の懸念していた事が的を得ていたことに納得はしたが、それが更なる懸念事項になってしまったことに対し、舌打ちをしたい気持ちとなっていた。
一方当事者のアンリは、自分のことを指さしている理由が分からず、少々戸惑っている。
『は、ハハ…。私運を使い果たしたのかしら…』
乾いた笑い、それは…予想を超えた事実に歓喜している様相であり、一周回って平静に近い状態へと、『夜叉』を誘ったようである。
笑いをやめた『夜叉』は、先程までの姿勢を一転させる。
『……予定変更、気が変わったわ。やれるだけ…やってやろうじゃないの!』
「「「「っ!?」」」」
「っ! お前ら離れてろ! あとそいつらもだ!」
『夜叉』を覆う黒いオーラが、うねりを上げて一際大きなものとなる。
それと同時に、この場の全員に向けて放たれた威圧が、それぞれの身体を襲った。
ジークと同質の威圧…。それは『夜叉』も使えるようで、見た目は違くともそれの質はジークと変わらない。
『…あら? 案外耐えられるのね…これは予想外だわ』
その威圧に耐えきる姿勢を見せた人物が多かったことに対し、『夜叉』は素直に関心したようだ。
威圧に耐えたのは…なんということかほぼ全員である。
『夜叉』の考えでは、ジークとヒナギ…それからイーベリアが耐えることは分かっていたものの、セシルやシュトルム、そしてアンリが自分の威圧を耐えるとは思っても見なかったのである。
威圧に耐えたシュトルムが、案外いつもと変わらぬ顔つきで『夜叉』に言葉をぶつける。
「耐えるってのは…この圧力のことを言ってんのかお前さん? へっ、だったら悪いな…もっとすげぇ奴らが2人もいるんでな…慣れちまったんだよ」
「は、はい! ジークさんに比べればこれくらいは…!」
「ん、いつもよりも断然へーき」
「お、おおう…。そ、それはよかった…のか? まぁいい、早くしろ」
それぞれの言葉に複雑そうな顔をジークがするが、それでも相手が皆にとって驚異的な存在であることに変わりはない。
早くこの場から離れるよう指示を再度繰り返す。
「なるほどね…コイツの威圧を味わってれば納得かも。…まぁいいわ。今はアンタが先だものn「…ちっ、やっぱ『闇分身』か」
「えっ!?」
「(やっぱり本物じゃないか…納得)」
ジークが一気に間合いを詰め、『夜叉』の身体を容赦なく青白い自らの独特の武器で貫く。
構えは特にしていなかったはずだが、その状態からでも圧倒的速度で繰り出される攻撃は、格の違いをこの場の者達に改めて植え付けさせた。
ジークに決まった型はいらない。普通の姿勢が臨戦態勢のようなものである。
しかし、ジークの攻撃は『夜叉』に有効打を与えることは出来ていなかったのか、『夜叉』の身体は黒く霧散して散り散りとなるだけだった。
そこに、霧散した黒い粒子が再度集合し、また『夜叉』の身体を形成する。
セシルはというと、心の見えない理由が分かって納得していたが。
『…酷いわね不意打ちなんて。でも、アンタがいるのに本体がここにいるわけないでしょうが』
「ま、そうだよなぁ…流石にそこまで馬鹿じゃねぇか」
『戦闘凶の馬鹿なアンタには言われたくないわ。…さて、せっかく『グランドルの夜』も補充したところだし使ってみましょうかね…。ステージを作らせて貰うわ』
復活した『夜叉』がそう言うと、『夜叉』から溢れ出るドロドロとした黒いオーラが地面へとボタボタと滴り落ちる。落ちた部分から染み渡って広がっていく黒いオーラは、草原を黒い絨毯へと変えていった。
ある程度広がると、今度は空に黒い塊が太陽に重なって出現する。
そして噴水の様に、黒い塊からも溢れ出たオーラは放物線を描いて降り注ぎ、次第に周囲の景色が暗くなる。そのままやがて、世界は色を黒に染めてしまったのだった。
まるで夜の様に。
「夜になった!? 嘘…!?」
「これは幻術…なのか?」
真っ暗闇とまではいかないが、明かりが無いと歩くこともままならない程の暗さに、皆不安を覚えた表情をしている。
今は本来であれば昼間だ。それが突然夜に変わってしまったのだから、仕方のないことだ。
ただ、ジークだけは表情すら変えずに『夜叉』を見据えている。
「本当に戦る気か? お前が何を考えてんのかは知らねーけど、お前如きが俺に勝てるわけねーだろ。無駄な抵抗はやめてさっさと消えろよ。お前らに関してはもう俺は特に伸びしろも感じてねーし……容赦なく殺すぜ?」
ジークは司と同様に、人を殺さないという信念を持っている。しかし、それは極力誰も殺さないに留まる程度のもので、殺せないというわけではない。
ジークは自分が期待した人物のみしか生かさない。それは…自分を恨み、復讐に燃えてくれるような人物も該当するが、それ以外は論外なのだ。…勿論、いたずらに命を奪いはしないが。
ただ、例え強大な力を持っていても、それが自分に矛先を向けられないのであってはジークからしたら嬉しくもなんともない。戦うことが生きがいのジークにとって、常にお預けを食らっているようなものだからである。
ましてやその力に伸びしろが見えず、既に限界に達しているとなれば、自分に矛先を向けてくれるという淡い期待すら持てない。それなら一々生かす理由など無いし、中途半端に強いことで、自分が期待してわざわざ生かした者を知らぬうちに潰されても困るという考えから、その邪魔者に関してのみ限定で殺す考えを持っているのだ。
今の『ノヴァ』のメンバーに対しては、組織を抜けたことでジークはそう考えている。
『…どっちみち分身しかいないから殺すことなんて無理よ。…で、アタシ言ったわよね、やれるだけのことはやるって。今アタシが持つ全ての『夜』を、分身を介して今ここで解放させてもらうわ! それならほんの少しだけアンタの時間稼ぎができる!』
「はぁっ!?(退かねーのかよオイ…!)」
ジークが驚くのも無視して、『夜叉』はジークの周囲を即座に一際暗い闇で覆い始める。
覆うとは言っても、気づいたら既に闇が纏わりついてしまっていたため、ジークも避けるに避けられなかったようだ。
そしてそのまま…
『夕闇秘儀…『常闇の園』』
「(俺の知らねぇ技がまだあったのか!?)っ…クソが!」
ジークの悪態をつく声と同時に、ジークの身体は闇に覆い尽され、その場から姿を消した。
消えさるまでの様子は、かつて司が『虚』に『虚構迷宮』に飛ばされた時と似ていて、似た種類の拘束技であるようだ。
「ジークさんっ!?」
ジークが消えたことで、アンリが驚愕に声を上げた。
他のメンバーも口には出してはいないものの、その表情はアンリと同様だ。ただ、絶句しているだけである。
「まったく…こっちだってただ指加えて見てるだけなわけないじゃない、アンタ達への対策くらい練るっての。……さて、これで邪魔者は消えたわ。少ししか持たないだろうけど…その間にお嬢さんは頂こうかしら?」
ジークへの対処を済ませた『夜叉』は、今度はお前たちだと言わんばかりにアンリ達の方へと振り向く。
身体を翻した時に自然に揺れたドレスが、今この時では非常に恐ろしく感じてしまう程、『夜叉』が持つ存在感は他と一線を画していた。
一挙一動に畏怖が込められている。
だがそれでも、へこたれるよりも先にやることのあった者達はというと…
「させないよ。アンリは…渡さない!」
「アンリ嬢ちゃんは下がれ。狙いはどうやらアンリ嬢ちゃんみたいだからな」
「は、ハイ…」
狙いがアンリだと分かった今、アンリを守らないわけがない。
アンリを背に、3人がその前へと出て、守る意思を『夜叉』へと示す。
先程の問答で既に刀に手を掛けていたヒナギの手には、既に鞘から抜かれた刀があった。
その切先を『夜叉』へと向け、気になっていた質問を投げかける。
「貴女の狙いは私ではないのですか?」
『確かにそうだけど…それよりも優先するものができた。それだけよ…。さぁ時間がないからさっさと雑魚の邪魔者は死んでくれる?』
ヒナギは自分を狙っていた人物が急に態度を変えたことを不思議に思って質問したが、それは要領を得ない形ですぐに済まされてしまう。
すぐさま『夜叉』は、時間がないという理由の元行動を開始する。
『おいで…『黒傀儡』』
『夜叉』がそう呼ぶと、ゾワゾワと、地面から次々に黒い人の形をした塊が出現する。
髪も顔もない、まるで人形の原型のような塊が…二本足で立ちあがってくるのだ。
小柄な塊、中肉中背の塊、非常に大柄な塊、他には小人のような塊等々…。全ての塊が一緒の規格ではなく、多種多様に富んだその姿には妙にリアリティーがあり、人間そのものを思わせて仕方がない。
その理由は、『夜叉』の言葉で驚愕という形で理解することとなる。
『基準に満たない贄でも利用価値はあるのよ。『黒傀儡』…コイツらは人だった頃の力をそのまま持っている。甘く見てると死ぬわよ? …といっても殺すつもりだけど』
「人だったって……まさか本物…!?」
「なんてことを…!?」
「傀儡…か。魔道具として代用する奴がいるのは聞いたことあるが、これを本物でやる奴がいたとはな。趣味悪ぃんじゃねーか? お前さんよ…」
『そこにある資源を無駄にしないで再利用しているのだから、環境に優しいと思うけど?』
「ちっ…やっぱまともじゃねーな、『ノヴァ』って奴らはよ…!」
人を資源と言い放ち、道徳のない行いを平然と行える『夜叉』に、シュトルムは未知の力を行使している点よりも先に、気味悪さを感じていた。
今の『夜叉』の言葉を信じるなら、万が一ヒナギが狙われてしまってお眼鏡に適わなかった場合、今見ているかつて人だったモノと同じ扱いを受けると言うことだ。それを考えると、ただ単純に不快感を持つだけには留まれなかったのである。
「これが『ノヴァ』のやること…ですか。なるほど、放置することなどできないですね」
『…だったらなによ?』
「お、オイ…ヒナギちゃん?」
ヒナギは『黒傀儡』が一通り出揃うのを見届けた後、更に『夜叉』へと一歩近づいていく。
その顔は…いつも穏やかな表情とは違う、鋭い針の様に冷たいものであった。
『人だった』ということから、今見ている『黒傀儡』には命が既にないことは分かっている。
しかし、『ノヴァ』の目論見に巻き込まれ、死してなお利用され続けている姿を見て、ヒナギは彼らを『ノヴァ』から解放したいと考えたようだ。
普段から慈愛精神に溢れたヒナギだからこそ、今の『黒傀儡』達の状態は見ていられなかった。
せめてあるべき姿へと戻したい…それだけを願ったのだ。
「貴女が私達の命を…魂を狙うというなら、それを甘んじて受け入れる道理など微塵もあらず。全力で抵抗させていただきます。アンリ様は絶対に渡しませんし…その方々も解放させてもらいます!」
『流石『鉄壁』…意思も鉄並ね。ならその意思を見せて貰おうかしら? 周りにいる奴らも一緒にね…!』
「来るぞ!?」
「参ります…!」
『ノヴァ』の執行者…その1人である『夜叉』との戦いが、今ここで繰り広げられ始めた。
次回更新は木曜です。




