169話 引きと後押し(別視点)
鮮明に、あの時のことを思い出すことができる。
私にとって忘れることのできない、大切な日。
「カミシロ様との出会いはこんな感じでしたよね…フフ…。あの後カミシロ様と共にグランドルに行って、セシル様とシュトルム様を紹介してもらって…。共に東に行って稽古する日々を過ごして…アンリ様が加わって…ジーク様との悶着の後に、ジーク様も輪に加わって…」
目を閉じて、記憶を思い返します。
その中には、戸惑いや不安も確かにありました。私は誰かと長期間共にいたことはありませんから、いつも失礼がないように心掛けるのが大変でした。
今日までの日々、それは…なんと濃密で大切な時間だったことだろうか。
カミシロ様と出会え、仲間として受け入れられ、お父様とも和解が出来た。
カミシロ様には…感謝してもしたりないくらいです。
「そうですねぇ。あの頃は…ヒナギさんは今よりももっと積極的に稽古に執心してましたよね…」
「最近はちょっと控えさせてもらってます。あの時は少し興奮してしまっていて…」
カミシロ様が笑いながら言っていますが、確かにその通りです。
ですが今はなるべくカミシロ様の時間を取るようなことはしたくありませんから…。
「あのヘッドスライディングは迫力あるよね。しかも服に汚れが一切ないっていう謎の技術には驚いたよ~」
「うぅ…あれは度が過ぎました…」
あれは…マーライト家に伝わる束縛技法です。
お父様とお母様から幼い頃より教わったもので、相手を逃がさない時に使いなさいとお聞きしています。
本来は別の事情で使うものですが…私はこれをカミシロ様に自然と行ってしまってたんですよね…。アハハ…。
カミシロ様と稽古をしたい時は、維持でもその時間を長くするために結構駄々を捏ねたものです。
自分でもあのような行動に出るとは思いませんでしたが、動かずにはいられなかった。
カミシロ様もそれを不思議と嫌がる素振りは見せませんでしたし、それが嬉しく感じてしまっていたんですよね。
ですが…
「でも、この時ですよ。カミシロ様がその後、情報の開示を条件に稽古に付き合ってくれると了承してくれた時、カミシロ様は言いました。『なら…お互いに困った人同士ですし、よろしくお願いします。いや~実に助かりましたよ、どこにも文献とかなくてすごく困ってたんですよ~。これでようやく一歩前に進めそうです。やっぱり助け合いって大事ですね、これが人間の神髄ってやつですかね?』…と」
「…ぷっ! 確かに言ってたね」
「よ、よくそんな長い台詞を覚えてましたね…。というか…俺そこまで大したこと言ってなくないですかね? ヒナギさんが美化しすぎなんじゃ…」
「私はこういうことを言っているのだと思っていたのですが…違いましたか?」
「う~ん。捉え方の違いってやつなのかなぁ…。まぁそう聞こえなくもないですけど…一応」
違ったのでしょうか?
カミシロ様は難しい顔をして、腕組みしています。
私には理解できない違いがあったのかもしれません。
「ヤバい…っ~~! ヒナギ、それは予想してなかった…流石だよ。でも、そこまで…か」
「はぁ…? それはどうも…?」
私が長々と台詞を吐き終わった後からケラケラと笑っていたナナ様でしたが、次第にその顔を正し、神妙な顔つきになってしまわれました。
…ナナ様は何をお考えになっているのでしょう?
失礼かもしれませんが、ナナ様はカミシロ様以上に何をお考えになっているのかが分からないことが多々あります。
普段は大変陽気で明るく、皆様に和みを与えてくれているナナ様には日頃から感謝していますが…どうかお教え頂けると嬉しいです。
「あ、それとヒナギさん」
「はい?」
「…さっきはすみませんでした。やっぱりヒナギさんは大人の女性ですね。俺はまだまだ子供ですよ…」
「えっと…」
カミシロ様の急なお言葉に、私は戸惑いました。
「でも、だから見ててください。今回の件は恐らく俺しか介入できないんで待っててもらうことになっちゃうと思うんですけど…どんな結果になっても皆には頼ることになるでしょうから。いや、悪い結果になんてさせやしませんが」
あ、これは先程の話の続きですね。
「駄目だと思ったら皆を頼ります。もう嫌だと思っても、皆を頼ります……多分」
そこは多分なんてつけなくても良いんですよ?
「だから、俺も皆がそれで良いんなら…俺は皆をできる限り助けます。勿論ヒナギさんもですよ? あとまだ結構固い所ありますし、もっと我がままを言ってくれていいですから」
「…はい!」
一応元気よく返事をした私でしたが、カミシロ様の言った何気ない発言が胸を締め付けました。
もっと我がままを言っていいというなら今すぐにでも……。
…いえ、これは駄目ですね。亀裂を作るわけにはいきません。
カミシロ様にはこんなことを言っていますが、私も…カミシロ様に説教染みたことを言える立場ではなかった。
お父様と別れる際に言われた一言。それを聞くよりも前からずっと意識なんてしていました。
稽古の時、普段の日常、話し方。お風呂に一緒に入ったのだって、少しでもカミシロ様に意識してもらいたかったからです。
カミシロ様に口から出まかせで言ったあの言い訳は嘘。あんな風習なんてありません。
正直嘘だと気付かれるだろうなと思ってある意味賭けでしたが、幸か不幸かカミシロ様はそれを信じてくださったので助かりましたね。
私は…この方を好いてしまっている。
何度も自分を疑った。それは勘違いだと…。
でもその度何度も味わった。あの…胸の高なりを。
今までに感じたことのない、息を乱してもいないのに早まる鼓動。
それを経験した分だけ、そしてそれを嘘だと否定してきた分だけ…それは事実なのだと気付く要因になった。
「ん~…アニメみたいなやり取り? それとも昼ドラ? ま、どっちでもいいけどどうもありがとう。いいもん見させてもらいました~」
自分のことに意識を割いていた私は、ナナ様の言葉で現実に引き返されます。
「空気壊してくるね…お前は…」
「二人で何絆を深め合ってるの? なんか除け者にされた気分でナナちゃんは怒り心頭だよー」
「………」
それはそれは…申し訳ありませんでした。
ナナ様の言葉に、私の気持ちは少し紛れました。ヒルドラというのが何かは分かりませんが…。
きっと誤魔化し程度でしょうが、助かりました。
◇◇◇
「先生……」
「…一見落着はしたみたいだな…」
『安心の園』の屋根上。
そこに腰掛け、司達のやり取りを見届けている者達がいる。
シュトルムとアンリだ。
以前司を尾行していた二人は、今もこうして司のことを見ていた。
その2人の前にあるのは、シャボン玉のように浮いた小さな丸い空間。
その空間には、司とナナとヒナギが映し出されており、リアルタイムで先程のやり取りを覗き見していたようである。
「…ナナは気づいてたみたいだが、特に邪魔することもしなかったからOKだったんだろうな。それだけナナも今の状態を気にしてるってことだ」
シュトルムの精霊を使う力は…ハッキリ言って万能とさえ言える力である。
シュトルムはまだ完全には扱えてこそいないが、これは…全属性適性と同じくらいに価値のあるモノと言える。
魔力の根源に近しい存在である精霊は、魔法の様に自由の利かないものを意のままに操り、望むことをほぼ体現してくれるからだ。
シュトルムが秘密にしていた理由には、それが含まれていたりもするわけである。
「アタシには相談してくれたことってないのに…」
「う~む…」
落ち込んだ様子を見せるアンリに対し、シュトルムは唸った。
ただ、アンリは落ち込む反面、司の態度を納得と捉えていたりもする。
きっとあそこにいるのがヒナギではなく自分であれば、司はきっと強がる姿勢を見せてしまうと思ったのだ。
司は…ヒナギには何故か頼ることがあるのをアンリは知っている。仲が良いとはまた別のようなものを…。
それはこの約1ヵ月の間で分かっている。
自分には無い何かを持つヒナギに、アンリは嫉妬していた。
自分には絶対にできない。だがそれをしてあげたいと思っても、どうしようもできない…そんなジレンマを抱えていた。
「ヒナギさんには…敵わないなぁ…」
ナナが一緒にいることから、司が決して浮気や下心で今ヒナギと接しているわけではないということは分かる。
隣にいるシュトルムも、それを理解しているからこそこうしてアンリにこの光景を見せている。
「まぁ…複雑だとは思うが、ツカサを思えばこれが一番良かったのかもしんねーな。アンリ嬢ちゃんだと強がってそうだし」
「そうですね。先生は…そういう人ですから」
「…少しずつでいいさ。アイツが頼りたいと思わせるように色々考えていきゃいい。…ってまぁ、ヒナギちゃんがツカサに言ってくれてたから、アイツ自身がどう変わるかってのもあるな」
「でも、今の先生を見ると…ヒナギさんとすごく仲良さそうでした。それにヒナギさんって…」
「気づいたか? …あれは東に俺達が行ってた時から知ってはいたんだけどな。ツカサはヒナギちゃんの気持ちには気づいてないみたいだが…」
ヒナギが司に対して好意を寄せていること。それにアンリはようやく気付いた。
いや、確信したというべきか…。
「やっぱり、そうなんですね…。普段から仲が良いのは知ってて、ちょっと嫉妬してましたけど…」
「(ちょっとか?)」
アンリの言うちょっとに疑問を持ったシュトルムだったが、口には出さないことにしたようだ。
今アンリは少々お悩み中であるし、余計な指摘をするのはあまり良くないと思ったらしい。
「ま、まぁ…アンリ嬢ちゃんから見ればそりゃそうだろうな。…でもこればっかりは俺には何も出来ねぇ。ただ、それぞれ後悔しないために動いてくれることを祈るだけだ。それでこのパーティがギクシャクしても…俺は誰も責めねーよ。恋なんて感情は…どうしようもないだろうからな。解放しても時には地獄、押し殺していれば、それこそ地獄だろうしな」
ヒナギの恋情についてを悩む2人だったが、そこに思わぬ人物が参戦してくる。
「ん、だからこそ今の状態は見てられない」
「「!?」」
突如近くで聞こえた声に驚く二人だったが、その声の主はよく知る人物であった。
…セシルである。
「あ…セシルさん? いつからそこに…」
「急に脅かすなよ…」
「そんなつもりじゃなかったけどね…。というかほぼ最初からだけど…まぁそんなことは別にいいよ。それよりもアンリ。アンリは…どうしたい?」
「へ?」
急に現れて驚いている2人を他所に、セシルはアンリに問いかけ始める。
「私は…ぶっちゃけた話、アンリよりもヒナギといた時間の方が長い。だから、今ヒナギが毎日苦悩してるのは…見てられないんだよ」
「「………」」
「できれば私は、ヒナギを後押ししたいと思ってる。でも、私はこのパーティの皆といるのが好きだから…失敗してパーティの関係がギクシャクして欲しくもない」
「つまり…何が言いてぇんだ?」
後押しのその意味を察したシュトルム。だがセシルが最終的に何を考えているのかが分からなかったシュトルムは……聞いてみた。
「アンリさ……ツカサがアンリだけを向いてくれないのは…嫌?」
「…はい?」
「(マジか。それを狙ってんのかよ…)」
アンリに向かってそう聞いたセシルだが、この時点でシュトルムは確信を持つに至った。
勿論、セシルが何を考えているかについてである。
アンリは呆けた反応をしているが。
「ツカサの判断になるけど…ツカサにはヒナギとアンリのどっちとも付き合ってもらえないかなって考えてる」
「えっ!? アタシとヒナギさんがっ!? で、でも…それって…!」
セシルの言ったことに、戸惑いを見せるアンリ。
既に付き合っているカップルに、さらに別の人物を加えようとしているのだから無理もない。
「オイオイセシル嬢ちゃん。何言ってるか分かってんのか? 確かに複数の女性を囲う奴はいるが…アイツのいたとこってそれが禁止だったんだろ? アイツ変なとこでルールにうるさいし、それを素直にいいですよーと言うとも思えないぜ。しかもアイツの気持ちが俺達は分からん。判断しづらい」
司から色々と地球での話を聞いていたシュトルムは、地球の文化についても十分聞いている。
特に、司の住んでいた日本のことを中心に。
そのため、重婚ではないが複数の女性を侍らすことが忌避されるようなことであることを知っている手前、シュトルム自身は案外納得はできていても、司の立場からしてみればそうではないと思わざるを得なかったのだ。
地球とは違い、こちらの世界では重婚が許されている。かなり寛容的に…。
貴族王族は正妻を決める必要がある関係で悶着があり、寛容的という言葉で済まされない事情があるにはあるが、それを気にする必要性がそれほどない一般人からしてみれば、普通に行われていたりするほどである。
この世界の者であれば多少珍しくはあっても、別段驚愕するようなことではないのだ。
人は生きている内に多くの人を自然と愛するものである。
その中で、自分にとって一番相性の合う人物を、自分の持つ様々なものから決め、最後は生きた証…種を残していく。
これは…生ける者の大半が起こす行動でもある。
だが、それはその手順を必ずしも守らなければならないという理由にはならない。
その愛した人物を、たった1人に絞ることの方が難しい。それは高い知能を持った人であるからこそ、特に感じてしまうことだろう。
それならば…愛した人物を1人に絞る必要なんてものはないのではないか?
自分に許される可能な限りの範囲で、囲ってしまえば良いのでは?
…という考えが、無意識にこの世界では定着しているのだ。
そこに忌避感は存在しない。
また、これはこの世界ではむしろ器の高い者としての示しとなるという特徴があり、特に男性に対して多く見受けられる事案でもある。
特に大きなマイナスイメージを受けるようなことでもないが、司のことを思えば、そこに踏み切った姿勢をシュトルムは今まで提案することが中々出来ずにいた。
「それは…確かにね。でも、少なからず一定以上の好感度を持ってるのはもう知ってるでしょ? アンリといた時間よりも長く接してるしね…。あ、いや…アンリを悪く言ってるわけじゃないけど」
「あ、ハイ…それは別に…」
勘違いしないで欲しいと言わんばかりに、セシルがアンリに忠告する。
それに対し、アンリも言われて納得してしまっていたりする。
急に現れた人物に意中の人を横から掻っ攫われては、やるせない気持ちしか残らないのは想像に難くないからだ。
勿論これは、ヒナギ観点から見たアンリへの悪く言えばの例えであるが。
むしろアンリに対してヒナギが、嫉妬や怒りの感情を表にほぼ出さないのが不思議なくらいである。
ただ、見えずともその考えがあるのではと今までに疑ってしまうことはあり、少なからずそのように思ってしまう気持ちはあったのだ。
的を突かれた気持ちというのが正しい。
「それに…結婚するわけじゃないから問題ないでしょ。あっちのルールは守ってるし…。あくまで重婚がいけないのであって、それよりも前の関係であれば多分平気だよ」
「…」
「本人達同士でそれで良いって言うんなら、俺は…パーティがギクシャクしないだろうし越したことはないと思う。だが、気持ちを一番優先させてやりてぇ。俺達が介入するんじゃなく、本人の意思だけで最後まで見届けるべきなのが妥当だと思う」
シュトルムの主張は、当人同士の個々の考えを尊重し、見守りを継続するというものだった。
もしも司がシュトルムと同じ立場で同じような場面に遭遇すれば、迷わず同じことを口走ることだろう。
どちらかというと、シュトルムは司を後押ししようとする考えがやや強かったりする。そのため、司の気持ちを考えて物を考える傾向となっている。
そのシュトルムの言葉に対しセシルは…
「多分、ヒナギは自分の気持ちを最後まで押し殺しちゃうよきっと…。あの子…我慢強いから」
まるで親のように、ヒナギの立場になってそれを覆す発言をしてくる。
セシル自身も言っていたが、セシルはヒナギを後押しする傾向が強く、ヒナギの今の状態の早期解決を望んでいる。
「あの子って…一応大人の女性だぜ? 何言ってんだよ…」
話している内容と関係はないが、セシルの言い方を指摘するシュトルム。
一番幼いセシルが一番年上のような発言をすることに、少々違和感を覚え、苦笑いしている。
この場で最も年上なのはシュトルムなのだから無理もない。
「うん、そだね。……でもさ、好きな人がいるのに手が届かないって……すごく苦しいんだよ? 私は…会いたくても会えない人がいるからそれは分かるんだ…。ヒナギは手が届くところにその人がいるんだから…私はそれを叶えさせてあげたい」
ここまでは一切表情をのんびりした表情から変えることのなかったセシルだが、ここで急にその表情を変化させた。
それは今まで見たことのなかった非常に悲し気で哀し気な…どちらの方の意味でも取れるもの。
その表情を見た2人は、セシルのこのような表情を見たことが無かったことも驚きだったが、それ以上に、これほど悲しみの伝わらせてくるセシルに、一番驚きを感じていた。
当然…
「せ、セシルさん…?」
「…セシル嬢ちゃん。何かあったのか?」
2人がセシルに声を掛けても無理はない。
それほどまでに予想しなかった人物でもあったのだ。
対するセシルは…
「…色々とね。もうずっと前のことだけど…ね」
少し表情を和らげ、幾分か落ちついた様子を見せた。
過去に何かしらの経験をしていることだけを口にしたが、セシルはその中身までは話さなかった。
「だから、アンリの意見も聞きたいの。今まさに付き合っている人同士を引き裂きかねないようなことを言ってるのは自覚してるけど……アンリは今のヒナギを見てどうしたい? 別にアンリの言うことは否定しないし、反論してきても当然だろうから聞き入れる」
「あ、アタシは………」
セシルの今の表情を見て、アンリはセシルの言っていたことが本気で冗談などではないことを確信した。
そして自分に問いかけ、今自分にとっては何が一番大事なのか。それを深く思案し、答えを探し始めた。
次回更新は土曜です。




