109話 VSブラッドウルフ⑤
俺が出た場所は、集落からほんの少し離れた場所だ。
あの土煙の舞っている所は、ここから大体1㎞くらいか…。見晴らしがいいからよく見える。
さっきまではOFFにしていた【隠密】を、ONへと切り替える。
もうこれで遠慮はいらない。自由気ままに動いても何も心配いらない。
誰にも視認できない速度で、人知れずに動けるんだ。
心配することが何一つないのがここまで開放的だとは…。知らなかったな。
そんな考えをしつつ、今…村の防壁を越えた。
防壁といっても、木でできた簡素なものだが…。この辺りは比較的安全な地域だし、木程度のものでも十分に効果を発揮するんだろう。
…紫のデカブツを発見。
ポポとヒナギさんも近くにいる……ナナは当然いないな。
皆こっちを見てるけど、あの空間を破壊した音で気づいたのか?
そんな風に思いながら、デカブツと2人の間に割って入るように、降り立つ。
「!?」
「え!?」
「ご主人!?」
気づいた時には既に近くにいたことに驚いたのか、ビクリと一斉にこちらを振りむく。
ん? なんでそんなに驚いてんだ? 確かに全く音とかも立ててはいないけどさ…。
ヒナギさんはともかく、お前は分かってただろうに…。
…まぁいい。今はこのデカブツのことの方が気になる。
ポポの反応は取りあえず保留にしておく。
「遅くなって悪ぃ。…で、コイツは?」
「…シュトルムさん曰く、ブラッドウルフというらしいです。…非常に強力な個体です」
ブラッドウルフねぇ…。なんか名前的に赤い体してそうな気がするのに、紫かよ。
違和感がちょっとあるな…。
名前と外見が少々一致しないことを不思議に思いつつ、ヒナギさんへと声を掛ける。
「そうか…。ヒナギさん、傷…大丈夫ですか? 今治しますから」
「は、はい」
ヒナギさんの肩を見ると肩に大きな傷があり、その周りに赤い血がべっとりと滲んでいた。非常に痛々しい。
傷は…なんか氷で塞がっているみたいだが…。
そう思いつつ、回復魔法をヒナギさんへと掛ける。
傷は次第に治っていくが…
…なんかヒュンヒュン音聞こえるんだが、何だこれ?
ヒナギさんの周りからは…何やら風を切る様な変な音が聞こえる。
「! すごい…」
あ、止まった…。ヒナギさんの傷が治ったと同時に…。
何だったんだろ……分かんね。
「どこか不具合とかは?」
取りあえず音のことは放置し、念のため傷の具合を聞いてみる。
「いえ! ナナ様が出血を防いでくれましたので」
そっか…。じゃあ大丈夫か。
やっぱりナナは最初ココにいたのか…。
「…で、ナナはどうした? あとセシルさんとシュトルムも…」
この場にいないことを不思議に思い聞いてみる。
「セシル様とシュトルム様は避難誘導をしてもらっています。ナナ様は逃げ遅れた子を今避難させています」
ポポに聞いたつもりだったんだが、ヒナギさんが代わりに答えてくれた。
ああ…なるほどね。だからいつもよりも移動が遅いのか…。
どうやら今はこっちに戻ってきているみたいだが、それまでの移動速度は非常に遅いものだった。
まぁ、ナナが急いだら子供に掛かる圧力は凄いだろうし、耐えられないからだろうけど…。
気絶どころじゃなく、最悪の場合は死が待っている。
そう考えると移動速度には納得だった。
「…じゃあ後は任せろ」
「すみません、お願いします」
気持ちを切り替え、このデカブツに向き直る。
「律儀に待ってくれてどうも…。やろうか?」
なぜか動くこともなく待っていてくれたブラッドウルフに感謝をし、開戦を誘う。
だが…
「……あん?」
「………」
「どうしたよ…来ないのか? なら…」
俺がブラッドウルフに面と向かっても、コイツは全く微動だにしない。
理由はよく分からんが…こっちとしては待つ理由などないので、先手必勝。俺は『アイテムボックス』から取り出した大剣で、ブラッドウルフの首を一閃する。
音も無く起こったそれは、まだ何もしていないかのような感じがしたが、確かに俺は斬り伏せたはずだ。
「「「…」」」
俺以外は誰も事を認識できていないのか反応すらしない。
ズ…
あ、斬れてる斬れてる。少しずつ首がズレ始めてるわ。
見れば、スーっと斬った部分に紫色の筋が現れ始め、厚みをどんどんと増していった。
そこでようやく…
「一体何が…」
「ご主人…?」
首がズレ始めたことと、俺が大剣を手に持って…既に振り切っている姿勢になっているのを見て、ようやく気付いたようだ。
…周りからしたら、瞬きした合間に景色が変わってるみたいな感じなのかもな。
だから何? ってかんじですけども…。
しかし、呆気なく終わったなと俺が思ったところで、首のズレは急に動きをピタリと止めてしまった。
「…あれ?」
デカブツを取り囲む黒いオーラが、俺が斬りつけた首部分で強まり、グチュグチュと気味の悪い音を立てる。
数秒後には傷は元に位置に戻り、俺が初めて見た時と変わらない状態のデカブツがそこにはいた。
なんというか…スローで逆再生しているかのような光景に、ただ見つめてしまっていた。
俺がその光景に口をポカンとしていると…
「ご主人! そいつの回復能力は異常です! 先程どれだけ傷をつけても、全て回復していました!」
我に返ったのか、後ろでポポが何か言っているのを横目でチラリ。
オイオイ…先に言ってくれよ。
てか、やっぱあのオーラはそういうことかよ。
見た瞬間に頭で連想したのは、ヴィンセントの時のことだ。
あの異常な回復能力…あれは忘れようもない。コイツが首を吹き飛ばされても死なないのを見るに、ヴィンセントもこれほどの回復力があったのだろうか? 今はどうでもいいけど…。
ただ、指輪みたいなのは確認できないんだけどな…。もしくはそれっぽいのも。
…どういう原理じゃい。
まぁ…
「……跡形もなく消すか」
体の構造や不可思議な要素。
それら諸々をあれこれ考えたが、結論として出た俺の考えは…跡形もなくコイツを消すことだった。
どうせあれだ…体の一部が少しでも残って、核が傷ついていなければ再生できちゃうとかいうチート能力なんだきっと。スライムと一緒だ。
なら、跡形もなく消してしまえばいい。
何やら少々震えてるみたいだけど…悪いな、容赦はしない。
俺はブラッドウルフが震えているのを見て、そう思った。
◇◇◇
立ち振る舞い、雰囲気、見た目。外見から確認のできるものからは…全くと言っていい程に脅威を感じ取れない。むしろ弱者のそれと変わらないと言っていい。そこら中にいる、自分よりも遥かに劣る人間の一人にしか見えない。
だが、それでもブラッドウルフは、そいつを視界に入れた瞬間から…動くことができなかった。
目の前にいるのは、大剣を手に持つ黒髪の男。
そいつを目の前にして、ブラッドウルフは悟ったようだ。
コイツはヤバいと。
ブラッドウルフはそう感じたのだろう。
いつ、コイツは自分の目の前に出て来た? そしていつ、自分は斬られたのか?
自分が先ほどの轟音で警戒していたにも関わらず…コイツは全く気付くことも自分の目の前に現れ、首を斬り伏せた。
それが今まで感じたことのない恐怖となって、自らを蝕み、動けなくしているようだ。
「………!」
身動きが取れない。
今すぐここから逃げなければ確実に死ぬ。そうは分かっていても、体は言うことを聞かない。全身を隈なく鎖で繋がれているかのように、一歩すら踏み出せない。
息をすること自体が苦痛で仕方なく見える。
だがブラッドウルフは、その状態からある形で解放されることとなる。
自分が認識することも出来ぬ間に、ブラッドウルフの体は空から降り注ぐ光に照らされ、その体を消滅させた。
…この瞬間、この世界で上位に位置する強き獣は…その人生に終わりを迎えるのだった。




