99話 東に舞い込む異物
昼食も終わろうかという頃、突如として玄関から聞こえてきた声に、全員が意識を向ける。
今までヒナギさんの家で過ごしていたわけだが、誰かが訪れることはなかったので誰が来たのかと皆思っているのだろう。
「ヒナギ~? いないのか~?」
再度聞こえてくる声は、先ほど同様にヒナギさんを呼んでいるようだった。
ヒナギさんはと言うと、目を丸くして驚いていた。
「この声…お父様です」
あ、そうなの?
ヒナギさんの家に泊めてもらう時に、父親が今は仕事でここを離れていると聞いていたんだが、どうやらヒナギさんのお父さんが帰って来たらしい。
「へー、ヒナギちゃんの親父さんか…。なら挨拶しねぇとな。世話んなってるし…」
シュトルムが立ち上がり、ヒナギさんよりも早く部屋を出ていく。
それから数秒後…
「ぬ!? 誰だ貴様は!?「ここで世話になってるも」私の家で一体何をしている!」
「ぐえっ!!?」
何やらよろしくない声が聞こえてきて、ヒナギさんが慌てて後を追う。
残った俺たちとセシルさんも後をついていったが…
「お父様!? ああっ! シュトルム様! 大丈夫ですか!?」
シュトルムがピクピクしながら、うつ伏せで倒れていた。
…何があったんだろうか? この一瞬の間に。
てか大丈夫かコイツ…?
「む、無理…」
あ、平気っぽい。
若干白目だったけど、これなら平気だろ。
「よし、じゃあ大丈夫だな」
「心配しろよお前!」
シュトルムがうつ伏せのまま俺に吠える。
「ほら大丈夫じゃん。無理とかいう奴って大抵無理じゃないからさ」
「お前鬼だな!?」
「なんとでも言え」
本当に無理な奴は自分で無理なんて言ったりしないだろ。
「ヒナギ…? この人らは…一体誰だ?」
「お久しぶりですお父様。……私の客人です。数日前からこちらにお泊めしています」
「なにぃ!? …そう、だったのか。ならば申し訳ない」
「……ああ…まぁ別にいいんだけどよ」
「ドMだもんな」
「違うからな!?」
「まぁそれはどうでもいいとして。なんていうか…随分と豪快な人ですね」
シュトルムが「どうでもよくねぇから!」と言っているのを無視しポポ。
「仰る通りです…」
それを聞いたヒナギさんはというと、何とも言えない顔で返答していた。
ちゃっかりヒナギさんも既にシュトルムのことをスル―しているが…。
この辺りは俺たちの日常的なことだったので、ヒナギさんも感化され始めているんだろう。
「ほう? 喋る従魔とは珍しい…。随分と知能が高いように見受けられるが…」
「あ、俺の従魔です」
「それほどでも~」
いつも通りのやり取り…。随分と数をこなしたもんだ。
「…ここで話すよりも、一回部屋に戻らない? 私お茶淹れてくるよ」
そこに、そんな俺たちを傍観していたセシルさんが割って入る。
家事全般をヒナギさんと共にしていたからか、もう家主みたいにこの家のことを熟知している。そのため、お茶を淹れるくらい手が掛からないのだろう。
「あ、私が淹れますのでセシル様は「ん、いいの。ゆっくりしてなよ」……すみません。では…お願いします」
「ん」
セシルさんの申し出を断ろうとしたヒナギさんだが、途中で言葉を遮られてしまったからか勢いを失っていき、最終的には素直に受け入れたようだ。
「ふむ…」
それを見たお父さんが何やら驚いたような顔をしているが、どうしたんだろ?
まぁ飯が終わったばっかりだけど、ちょいと談話しましょうか。
◆◆◆
セシルさんが淹れたお茶を飲みながら話をし、数十分程時間が過ぎた。
「うむ、事情はあいわかった。シュトルム殿、済まなかった」
「いいっていいって。娘を心配しての行動なら仕方ないさ」
「…ん。良かった良かった」
今ここにいる経緯を一通り説明し終えると、状況を理解したヒナギさんのお父さん…トウカさん。
ヒナギさん同様に黒髪であり、こちらの世界の人と比べると日本人に若干似た顔つきをしている気がする。髪は肩までくらいの長さがあり、若干長めだ。
…まぁ、ヒナギさんは背中くらいまであるからインパクトにはやや欠けるが。
「まぁ…何もないところではあるが、ゆっくりしていってくれて構わない」
どうやら出てけなどということはなく、歓迎されているようだ。
こっちの世界はフレンドリーな方が多くて助かる。
ただ…
「ありがとうございます。でもお邪魔になりますので…やることが済んだらすぐにグランドルに戻ります。それまではお願いします」
既に結構経ってるけど、長居はできない。
それに一旦グランドルに戻りたいし…。
「やることは順調に進んでるのかね?」
「はい。えっと~………あ。さっき終わったんでした…」
「さっき習得したって言ってたしな…」
自分で言って気づいた。
そうだよ……さっき【隠密】を習得したから、もうやることは特にないじゃん俺。
シュトルムはまだ書物を読み漁ってるみたいだが…俺がここにいる理由って特にないな。
しいて言えば、ヒナギさんと稽古するくらいか?
「ま、俺ももう少しで終わるし、それ終わったらグランドルに戻ればいいんじゃね?」
なんか、シレッと俺が連れて帰るみたいに言ってるのが癪に障るが、流石にこんな遠方に放置するわけにもいかないので、グッと堪える。
「…そうだな。シュトルムのやることが終わったら、グランドルに戻りますよ。セシルさんもそれでいい?」
俺がセシルさんの方を向いてそう言うと、セシルさんはコクコクと頭を縦に振った。
「ん。異存なし。…十分満喫できた」
でしょうね。貴女は完璧に旅行気分で来てましたもんね。
「そうですか…」
すると…なにやらヒナギさんがシュンとした顔つきになる。
なんでだ?
「ヒナギさん?」
「ふむ…」
俺がヒナギさんの様子が気になっている時、トウカさんはまたも驚いたような顔をしている。
…よく分からん。
心が読めればいいんだがね。そんな特殊能力なんて持ち合わせちゃいない。
「いえ、なんでもないです。…カミシロ様、それまでの間、稽古の方をお願いします」
「あ、ハイ…」
ヒナギさんの表情にはもう先ほどのシュンとしたような顔はなく、今は普通の笑みになっている。
…何だったんだろうか?
◇◇◇
「ふ~ん。あそこに彼がいるのかー。初めて来たけど随分と他の所と雰囲気違うね。…ね、ウォルちゃん」
「…グルウ!」
『アネモネ』から遠く離れた山地から、『虚』と呼ばれる青年は集落を眺めている。
彼の隣には巨躯な体躯と紫の毛並みが印象的な狼がおり、口からはダラダラと涎を垂らしている。
落ちた涎からは煙が上がり、足元に落ちていた落ち葉や木々は溶けていく。
狼の正式名称は『ブラッドウルフ』。戦いに飢え、非常に好戦的なことで知られる危険度の非常に高いモンスターである。
そんなモンスターを、『虚』は従えているようだった。
「あ、『ゲート』は消しておかないとね~。流石に平気だとは思うけど勘付かれたらやだし…。白いのに注意注意~♪」
そう言うと、彼らの後ろにあった黒い空間…『ゲート』を閉じる。
「これでよぅし。…さてさて、どこにい~るのっかな? まずは居場所を確認確認。…ウォルちゃんは大きいから迂闊には動けないし、なんかいい方法ないかな~」
「グルル…」
「………んー、まぁいいか。今ここらへんに厄介な奴はいないし、僕がまずは近づこうかな…。ウォルちゃん、ちょっと待っててくれる? 様子見てくるから、その後に作戦会議ね~♪」
「グルゥ!」
これからの行動が決まったのか、『虚』は『ブラッドウルフ』を置いてその場から動き出す。
「皆はああ言ってたけど、せっかく来たんだし…ちょっとくらい手出しても…いいよね?」
崖っぷち同然の場所から山を下りながら、『虚』はそう口にしたのであった。




