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胎動

 とある国の、深い森。奥まで足を踏み入れて、戻って来た者はいないと噂される森。その深部には、長方形の小屋がある。


 黒色の小屋、その地下には複数の部屋。下向きに何層にも重なる部屋の最深部には、秘すられた一つの命。

 それは、培養液に浸かる少女。十代前半に思える彼女は、整った容姿も相まって人形のよう。


 少女は緑色の培養液に満たされた生体ポットの中で華奢な肢体を余すところ無く晒して浮かんでいた。

 ポットの回りは、いくつかの機器が配置されている。機器から規則的に発せられる無機質な音が、一層部屋の暖かさを無くしていた。

 明らかに異常なこの空間に閉じ込められた少女は、しかし、何も感じ入った様子は無く、静かな瞳を正面に向けている。

 異常な空間は、幾年も前から変わらず、正常に在った。


 普段通りに変わらず寂寥感溢れる部屋に、突如、非日常が紛れ込んだ。

 冷たい静寂を破ったのは、やはり無機質なけたたましい警報音。続いて侵入者の発生を告げ、避難を促す。

 小さく響く怒号、悲鳴、物の壊れる音。それらの騒音が、段々と大きな交響曲となる。

 騒々しい地下空間の中にありながら、少女が揺れる部屋内は相変わらず寒々しく、まるで少女が暖かみを奪っているかのよう。


 ふと、十数分に及ぶ騒音が部屋の近くで、止んだ。

暫くして、少女の封じられた部屋の扉が静かに開いた。


 部屋に侵入したのは、精悍な顔付きをした黒髪黒目の男。鋭い眼光が特徴的なその男は、茶色のロングコートを羽織り、腰脇に帯刀している。

 彼は部屋の中を見渡すと、室内の中央を陣取る少女に視線を移した。

 少女を囲うポッドは、牢獄のようであった。


 空虚な眼差しの、それに収納された少女に目を奪われ、憐れみに眉尻を落とす。二人の視線は、不確かながらも交わった。

 器械の作動音のみが鳴る数秒の後、彼は力強い瞳を取り戻し辺りを見回す。

 観察の末に、彼は近くにあったパネルの操作を始めた。始動させ、朧げな手つきながらも作業を進めて行く。



 少しの間操作すると、器械たちが音を立て動き始める。これまでの死んだ音とは違い、生が始まったような音であった。

 次いで、ポッドの周りに発光が起こる。発光と共に、魔法陣と呼ばれる奇怪な紋様が幾つも発生し、ポッドの周りを渦巻いた。


 複数の紋様がポッドを囲むと、少女と現実を隔てる硝子が緑の液体と共に消えた。現実との境が失われ、少女の姿が明確となる。


 少女は、白かった。ほんの僅かに青みがかった純白の長髪に、惜しげなく晒す病的なまでに白い肌。

 新雪のきめ細やかな白の中に一対の紅の瞳が存在感を主張する。白い肌に赤い瞳。それは、

「…アルビノ、か」

 先天性色素欠乏症。アルビノの症状であっ

た。

 幾ばくかの間、宙に浮いていた少女の足は地につき、体がよろめく。素早く、男が抱き支えた。少女は小さな咳を繰り返しす。


「大丈夫か?」

 男の問いに、数度のゆっくりとした瞬きを終えたら少女が小さく頷く。

「だい、じょうぶ」

 たどたどしさの残る、透明な声だった。


 弱々しくも自力で立ち上がった少女は、膝を震わせながらも直立不動の体勢を崩さない。

 男は、そうかとだけ呟くと、コートを脱いで少女に羽織らせる。逃げるぞ、と簡潔に伝え、フードを被せた。コートのサイズは合っておらずぶかぶかで、フードも少女の目を完全に隠している。


「逃げる?」

 少女が首を僅かに傾げる。

「ああ、追っ手に見つかる前にな」

 何ひとつ理解していない様子の少女が、それでも微かな頷きで肯定すると、男は少女に一つ約束させた。フードを深く被り、取らないことを。


 少女を背負い、廊下を走り階段を駆け上がる。その速さはおおよそ人の出せる限界を凌駕していた。時速に換算すると六十キロほどになる。


 背負われ通路を移動する途中、あまりの速度に

少女ははためくフードの隙間から赤い水溜まりを覗いた。 通路から、階段から、濃厚な鉄臭い匂いが漂い鼻を刺激する。

 それが意味することに、少女は気付くことはない。

 少女は何も考えることなく、ただ流されるまま他者の力により上へ上へと進み行く。



◇◆◇◆◇



 建物から脱出した二人は、一切の会話も交わさずに木々の間を縫うように走っていた。もっとも、少女は男の背の上で負荷としてだが。


 陽光をさえぎる緑の枝葉に閉ざされた薄暗い空間を、男は幹にかすることも、水気を含んだ苔に足を滑らせることすらなく駆け抜ける。

 木々の根元には光るキノコが群生し、陽光の届かない森を不気味に照らす。唯一の光源は紫色だった。

 周囲の空気は、淀んでいる。



 滑るように走る男の脚が不意に、止まった。

 けもの道から人の足が踏み固めた痕跡の残る道に辿りついた男は、背負った少女を肩から降ろす。街道までは、まだ少し距離がある。

 僅かながらの木漏れ日が、男の顔を差す。

 腰を下ろした男は、少女の華奢な肩に両手を置いた。強く、真摯な眼差しを向ける男に、少女はフードの中から空虚な瞳で返す。


 二人を包む空気は、静寂。

 沈滞する空気を先に破ったのは、男だ。瞳を逸らすことなく、問いかける。

「身体に異常はないか?」

「…ない」

 少女の短い返答に、男もそうか、とだけ返した。


 一度目を閉じ、軽く息を吸う。真っ白な少女に、ゆっくりと語りかけた。空気は、澄んでいる。


「ここから先の世界は、自分の足で、歩くんだ。誰かに背負われることなく、お前の進みたいと望む場所に進め。自分の目で世界を見るんだ」


 男のわかったな、という問いかけに、少女は首を僅かに傾げながらも、やはり小さく頷く。

 しかし、男は少女の頭に手を軽く載せると、告げた。

「さあ、行こうか。外の世界へ」


 遠くに見える木々のトンネルの終着点。

 そこには、あふれんばかりの陽光が降り注いでいた。

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