第五章
「それっ!」
ぱちぱちという音とともに色取り取りの火花が飛び散る。
僕たちは表の駐車場で花火を楽しんでいた。練習後で遅いというのに元気が有り余っていた。夢中で先端に火をつける。
みんなも同じだ。練習を乗り越えたからこそ全力で楽しめる。
「やはり、一眠りしたあとの花火は美しい。」
……約一名除いて。
「糸音、くらえっ!」
不意に、姫乃が足下に何かを投げつけた。投げつけられたそれはいきなり火花を散らして動き出す。ネズミ花火だ!
「うわっ!」
「にゃはは!」
「こいつ、だったらこれだ!」
今度は俺が姫乃の足下に球体のものを投げた。投げられた球は足下で転がり、何も起きなかった。
「あれ?」
予想外の反応に俺は首をかしげる。何も起きず、静寂が生まれる。
「何を投げつけたの?」
姫乃がそれを拾った。そして顔を近づけて覗く。
「馬鹿っ!それを拾ったら……。」
言い終わらないうちに姫乃の手元でモクモクと煙を上げた。俺が投げつけたのは煙幕だ。気味の悪い黄色い煙が辺りに広がる。
「ゴホッゴホッ。」
煙を思いっきり吸いこんだのか、蒸せて咳き込んだ。それでもなお、花火をつけている。とても半日前に流されていたなんて思えないくらい元気だ。
肝心の僕はと言うと煙幕を投げつけただけで疲れてしまった。隅の地べたに座り込んでみんなの様子を眺めている。元々家の中で引きこもっていたんだ、体力なんてそんなに無い。
「ヒロくん、お疲れさま。」
僕に掛けてくる声がある。彩加さんだった。
「ヒロくんのおかげでここまで無事に合宿が行えてよかったわ。ありがとう。」
隣にいるからか、緊張する。
「まさか男の子が一人だけなんて思わなかったから、予想外の出来事ばかりだったわ。でも、いてくれてよかった。部外者なのに、いっぱい協力してくれて助かった。明日で最後だから楽しみにしてね。」
「はい、部員が入って早く部になるのを期待しています。」
この二日間見ていてよかったと思った。先輩たちもいい人だから部になってほしいと思う。
「そう言われると嬉しいなぁ。頑張るよ。」
「あの…。」
「んっ、何かな?」
先輩がこちらを向く。無垢なるオーラに僕はたじろぎ、何を言うのか忘れてしまった。
話題を振れ、話題を振るんだ!このままじゃ会話が終わってしまう。聞きたいことだってあるだろ!とにかく先輩と会話するんだ!
「彩加さんってどうして箏曲部を作ろうと思ったんですか?」
「私は中学時代に琴の演奏を見たときに印象受けちゃって、箏曲部に入りたいなって思ったんだけど、箏曲部が無くてびっくりしたのよね。」
普通なら諦めてしまう。
「他の部に行こうとは思わなかったんですか?」
「それは考えなかったわ。だって……、」
彩加さんの目が真面目な顔になった。何か大きな思いを胸に秘めている、そんな顔つきだ。
「それでも琴がやりたいなと思ったから。」
寒気が走る。彩加さんがどこか遠い存在に見える。そこまでやるなんて凄いですね、と相槌を打つのが精一杯だった。
「ほんの興味だけどね。でも、もうやりたくない!って思うところまでやりたいな。」
――もうやりたくない!僕にはもう限界なんだ!
過去に叫んだことのある言葉。記憶の中から呼び覚まされる。思い出したくない過去の記憶が。
幼少期の自分。幼稚園に入る前からヴァイオリンを握っていた。周りの人に褒められていた。みんなに凄い凄い言われて将来はプロになると思っていた。いや、自然と歳を重ねていくうちになってしまうものだと心の中では思っていた。
――自分は当然進むべき存在、だっけ。そんな風に考えていたよね。
今では恥ずかしいが、当時はそんな風に考えていた。
「実際にやってみて、上手くなっている自分の実感するのが楽しいの。」
段々と自分の力の無さに気づいたのは中一の頃。自分がただ弾いているだけの機械になっていくのを感じる。
「弧詠ちゃんに会えたのは本当によかった。本当に音楽やっている人って世界が全然違う、そんな気がした。」
僕が世界について教えてくれたのは弧詠の兄の弓弥さんだ。弓弥さんは俺に大切なことを教えてくれた。俺とは住む世界が違うんだということ。
最後に出たコンサート。中学生のエリートを集めて行ったアンサンブル。当然、弓弥さんもそこに呼ばれた。当時、僕は努力の成果を見せることができるんだと意気揚々だった。
しかし、僕が見せられたのは世界の違いだった。どうやったらあんな風に楽しそうに弾ける?どうやったらのびのびと自分の世界を表現できる?自分が努力して身につけたものが滑稽に見えた。
諦めよう、他に道がある。僕が音楽をやめたのはその冬だった。
「そこまで行ったらどうなるのかな?何か他の道に歩むのかな?」
絶望しかなかった。何をすればいいのかよくわからなかった。だって、それまでの俺にとってヴァイオリンが全てだった。ヴァイオリン以外のことをやっているなんて想像もできない。俺にはヴァイオリンが全てだったんだ。
「今はわからないわ。この夏休み中、琴のことばかり考えて忙しい。」
こうして時間だけ渡された俺はどうすればいいかと方にくれていた。何を考えてもヴァイオリンのことしか考えられない。
ただ、僕には金があった。何故か?俺は親にヴァイオリンをやめたことを告げていなかった。毎月の月謝は相当な額であった。高校生になってバイトを始めた今でもあの金額の重さを憶えている。でも、それをどうすればいいかわからなかった。毎度毎度レッスンの日になると、空白を埋めるために多額の金を抱えて夜を歩く。特に何もすることはなく、時間を過ぎることだけを待っていた。時々空白を満たそうと金を使う。使う場所はカラオケボックス。親に申し訳ないと思いながらも歌い続ける。僕はいったい何なのだろう、考えていても答えは出てこなかった。
「あっ、ごめんね。さっきから聞きっぱなしでうんざりだった?」
「いや、大丈夫です。」
いつの間にか彩加さんの話を聞いているうちに僕の過去がオルゴールのように回想していた。別の話題だ。お互いに話しやすい話題に切り替えよう。
「彩加さんと先輩っていつから知り合いなんですか?」
「知り合ったのは中学の時よ。中二かな?真実子とは別の中学だけど、車に轢かれそうになったところを助けられたのよ。」
衝撃過ぎる出会いにびっくりした。でも。僕もそんな感じだった。
「あの時はタバコを吸っていたから年上の女の人かなって思ったけど、同い年だからびっくりしたわ。」
「その時からタバコ吸っていたんですか、あの人は。」
「ヒロくんも知ってたんだ。知らないと思ってた。そうよね、同じ中学で今も同じ部活だから知らないわけ無いよね。」
僕が初めて先輩に出会ったときも、先輩はタバコを吸っていた。出会ったのは今から二年前、一人でカラオケをしていたときのこと。いきなり扉が開いて一曲歌った。よくわからなかったが、先輩の支えになるという言葉から付き従った。あとで理由を聞いたら、うちの学生服を着ている男子が一人でカラオケボックスに入ったから気になって入ったらしい。
「高校受験の時に同じ高校受けようって言ってここにしたのよ。」
「そんなノリで受かったんですか、凄いなとしか言えません。一応ここ、進学校で県トップクラスの入りづらさですよ。」
「私はここに入るために結構努力したけど、真実子は楽に入ったみたい。」
先輩はなんでも器用にこなす人間だから。
「ただ、高校に入ってから忙しくなったみたい。箏曲同好会を立てるときも誘ってみたけど、忙しそうだった。」
それって……、
「それって、去年の話ですよね。」
「そうね。それが、どうかしたの?」
去年。俺が高校受験をした年。俺は先輩と同じ高校に入ると決めた。その旨を先輩に打ち明けると、意外にも先輩は協力してくれた。俺に家庭教師をしてくれた。
――ヒロがそう決めたのなら私は大いに協力しよう。
平日はほぼ毎日、時には休日も先輩と一緒だった。夏休みにはつてを借りて施設を用意して勉強合宿までしてくれた。先輩と話しているあの時間が最高だった。先輩に聞いても暇だからと言っていつも付き合ってくれた。先輩は他を犠牲にしてまで俺のことを優先していたのか。
――私だってヒロと同じく、誰かに身を委ねたいのだよ。
思えば、先輩が誰かに頼ったことなんて一度も見たことがなかった。先輩が完璧すぎるからだと思っていた。どうしてだろうか?
「ヒロくん、どうしたの?」
いつの間にか、先輩の事を考えて黙り込んでしまった。
「すいません、ちょっと先輩の事を考えていて黙っていました。」
「あっ、この話は知ってるかな?」
彩加さんが声を潜めて言う。
「真実子の好きな人のハナシ。」
「ええっっ!?」
「大声出さない。真実子が来たら離さないからね。」
ついつい叫んでしまった。それにしても先輩に好きな人がいるなんて全然思ってもいなかった。
「真実子が好きなのは同じクラスの鮫島くんなの。ほら、これ。」
そう言って携帯の写真を見せる。先輩の隣には男性がいた。背が高く、爽やかな感じだ。好青年と呼べばいいのかな。でも、先輩が惹かれるようなイメージではない。
「本当にこの人なんですか。」
「そうよ。」
こんな男に先輩が好きになるのだろうか。
「真実子って最近吸わなくなったの知ってる?」
「ええ、そうですね。」
……一応高校生だから吸わなくて当然のはずですが。
「あれって、鮫島くんの影響よ。三ヶ月前に、タバコを吸う女の子がかわいいかどうかの話になったの。あっ、真実子が吸ってることは周囲には知られてはないよ。それで、鮫島くんがタバコを吸う女の子に反対したのよ。その時は聞いてるだけだったんだけど、あれから真実子が吸わなくなったのよ。」
「でも、それが先輩が好きになったという証拠にはなりませんよ。」
真っ向から反論する。
「鮫島って人ではなく、異性を意識して吸わなくなっただけのことかもしれないです。僕だってそれを言われたら吸いませんよ。」
「そう、真実子にもそう反論されたのよ。でも、もう一つ揺るぎない証拠があるのよ!」
「……どんなのですか?」
「その前に一つ確認したいことがあるの。ヒロくんも真実子のこと『マミさん』って呼ばないよね?呼んだら怒られるよね?」
「はい、そうでした。」
一回だけ呼んだことがある。そのときの怒りようは憶えている。向こうはこちらのことを『ヒロ』と呼んでいるのに何故いけないのだろう。不公平だと思った時期もあった。
「でもね、鮫島くんは真実子のことを『マミさん』って呼んでいるのよ」
「なっ!?」
「驚くでしょ?絶対に好きに決まってるわ。」
思わず天を仰ぐ。あいにく空は曇り空で何も見えなかった。月は出ているが、それでも星が見えるほどの明るさではない。本当に、何も見えなかった。
――ほら、私だって吸っていないだろ。
先輩は本当に変わってしまったのだろうか。
「みんな元気ね。わたしももう寝たいわ。」
彩加さんは遠くの方を見ている。姫乃たちはまだ花火で遊んでいる。
「戻りませんか?」
疲労の限界はとっくに越えていた。一緒に戻ってくれる人がいるだけで心強い。
「そうね、戻りましょう。」
とぼとぼと歩いた。
「先輩に好きな人がいるなんて……。」
「やっぱり意外だった?でも、人なんて見ないうちに変わっていくものだから。」
先輩の言葉は僕の琴線を貫いた。誰だって変わっていくのだろうか。僕は変われるのだろうか。
わからない。でも、僕に変わることの出来る力なんて無い。
――そう、僕にはそんな力はない。だから、片意地張らないでまた音楽をやればいいじゃないか。そうじゃないと、段々と、僕が
心の中の自分は気味悪い笑みを浮かべる。
――壊れていくよ?自分自身の安息のためにももう一度やった方がいい。救いが欲しいんだろ?僕が嫌なんだろ?僕が悩む度に僕は現れるよ?
また頭が痛くなってくる。
ふと、上を見る。シャワー台だった。そっちの方向は違う。前を進んでいるうちに変な場所へと来てしまった。建物はあっちの方向だ。
「痛っ。」
急に方向転換したら、足と足がぶつかってしまった。彩加さんがよろめく。
「危ない。」
バランスを失った彩加さんを支える。あと一歩遅かったらシャワー台の柱にぶつかるところだ。
「大丈夫ですか?」
「ありがとう。」
気を取り直して進もうとした刹那、なにかスイッチみたいなものを踏んだ感触を感じた。
シャワーのスイッチだ!上から水滴が止めどなく降ってくる。
「うわぁ!」「きゃあ!」
お互いにずぶ濡れになってしまった。
「っくしょん。」
彩加さんがくしゃみをした。
ずぶ濡れになった浴衣が彩加さんの身体に張り付いて、彩加さんの肢体を表している。まるで素肌のように鎖骨の湾曲がくっきりと浮かび出ている。それだけではなく、浴衣の淡い色の奥から、彩加さんの肌が透けて見える。無意識に目線が顔より下に、肩より下にと行ってしまう。
「はやく中まで戻りましょう。」
とにかく、気が気でなかった。
段々とまとまりがつかなくなってきましたね(笑)
今回はこれで終わりです。
あと2話ほどで終わります。
元々出せなかったのを若干の手直しをして公表しているだけなのですぐには出せるかと思います。