赤いランプ
雨の日も、雪の日も、晴れた日だって、天方の創作は続いた。一心不乱に、心身を削るように絵に没頭する天方の姿に驚きと困惑を覚え始めた、そんなある日。
「コールドスリープ、ですか」
「あぁ」
定期検査に呼ばれたボクに医者が告げたのは、科学技術の進歩による、延命法だった。ボクの病の特効薬が見つかるまで、体を仮死状態にして、病状の進行を止める。
つまりは人間タイムカプセルだ。
必ずしも特効薬が発明されるとは限らない。限りなく近くにいる死を少し先延ばしにするだけだ。
「考える時間を...ください」
「あぁ、ご両親には既に話を通してある。あとは君の心持次第だ」
ボクは悩んだ。諦めていた命に転がり落ちてきた小さな希望に手を伸ばすか否か。吹けば飛びそうな小さな火。それに縋るべきか否か。
手の中から零れ落ちていったはずの砂をいきなりつぎ足しましょうか、と問われても、理解するのと受け入れられるのは別問題で。とりとめもないことが、浮かんでは消え、浮かんでは消え、ぼーっと窓越しに雲を見ながら物思いにふけった。
生きる、ということをあきらめていたのかもしれないと、ふと気づいた。どうせ先がないから、と未来に目を向けるのを厭っている自分と向き合うのが嫌だった。
くさいものに蓋をするように、現実を直視したくない自分の防衛本能に、ふと気づいた。
「やればいいじゃん、コールドスリープ」
ぽつりとこぼした弱音から、天方に相談すると、コイツはあっけらかんとそう言い放った。
「でも、」
「これ描いて待ってるからさ。行って来なよ、ヨモ」
壁に絵筆をはしらせたまま、相変わらずこっちを見もしない。
「治る確証も無事に目覚められる確証もないんだぞ」
「じゃあ、治らない保証も、ないんでしょ?今より少しでもよくなるなら、考えてみたっていいじゃん。もう実は心は決まってるんじゃないの?」
わかってる。自分の選択に迷うから、天方に背中を教えてほしいという甘えが出ているのだということは十分に理解している。
「ん、」
「ははっ、やっぱりね」
天方は絵筆をパレットの上に置き、静かに天井を見上げた。
「そっかぁ、でもいいなぁヨモは」
「....何がだよ?」
「寝てたら一瞬、なんでしょ」
「.....は?」
疲弊して考えることに疲れていたボクは、その言葉が理解できなかった。
寝てたら一瞬。....寝てたら一瞬?
何が?
目の前が真っ赤に染まったのを覚えている。
「一瞬て、何がだよ?死ぬのがか?目覚められなくても苦しまなくて済むってか?...はッ、結局お前もボクを『可哀そうな子』と思ってる奴らと一緒だったってことか。なんだよ一瞬って。その一瞬がどれだけ重いものかも理解できてないくせに。簡単にいうなよ。ボクの何がわかるんだ!いいよな、お気楽に絵を描いて過ごしてる奴は!内心でずっと自分より先にいなくなるボクのことを馬鹿にしていたんだろう!」
「え、ちが、ヨモ」
完全な八つ当たりだった。天方はそんなやつじゃない。ただ自分の将来への不安と死への恐怖を投げつけただけだ。
頭が少しクリアになり、冷静に戻ってきたときにはっとした。
「あ、」
「ごめんね、ヨモ。俺、頭冷やしてくるよ」
天方は泣きそうな顔で笑っていた。ボクの体を、後悔と罪悪感が駆け巡る。
全身がどんどんと冷えていく。
今本当に手のひらから砂が溺れ落ちている。ボクはすくおうと必死に天方に手を伸ばした。
「あ、ちが」
「今日は切り上げて戻るね。ヨモ.....またね」
天方は道具を両手に抱えて、ボクの病室を出ていった。
走り去っていく天方の顔は、口を固く引き結び、泣きそうにも、覚悟を決めたようにも見えた。
その後、コールドスリープを受けることにしたボクは病室を移され、天方と話すことなく、入眠日となった。
「では白石君。この赤いランプの機械に横たわる.....その前に、こちらをどうぞ」
地下の機械設備室で、カプセルに横たわる直前に渡されたのは、手紙だった。
「君が無事に目覚められるように、帰ってくる意思を強く持てるように、一度読んでおくことをお勧めしますよ。実は私も少し心配していたので、少しでも助けになればと思ってね。書くことを勧めたのです」
お茶目に笑う先生から説明を受けたボクは、渡された手紙に視線を落とす。
手紙の差出人欄、宛名欄は見たこともないくらいへにょへにょの字をしていた。
便箋の字も同じくらいへにょへにょで、ところどころ水で滲んだ跡がある。
『蓬へ
こんなかたちでしか伝えられなくてごめん。
直接言いに行きたかったけれど、顔を合わせると余計なことを言っちゃいそうだったから。
贈り物をたくさん作っておくから、目が覚めたら覚悟しておくこと!待っててね。
待っててね、っていうのも変か。
待ってるよ、かな。
早めに帰ってきてね。
いってらっしゃい、ヨモ。
天方』
「…、」
「白石君」
「はい」
「伝えたい言葉は決まりましたか?」
「はい」
カプセルにそっと横たわる。
もうこれ以上泣きの言葉はいらない。
深呼吸をしてゆっくり瞬きをすると、恐怖と不安の震えは武者震いに変わった。
次に会った時、アイツはどんな顔をするだろうか。
考えるのはそれだけでいい。
「いってきます」
かすかに流れた涙と、ぼんやり最後に見えた見慣れたアホ毛は、多分ボクの思い違いだ。
『いってらっしゃい』
―2073年12月24日
最期に顔だけ見せられたかな。
間に合わなかったかな。
寂しくなるな。
もう会いたいや。
童話の世界で、俺が王子様だったらよかったのに。
眠った大事な人を起こすのは、だいたい王子様なんでしょ。