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橙々色の真実

―2072年3月3日

  桜のつぼみも膨らみ、というのが卒業式の有名なセリフらしい、

  俺にはよくわからない。

  ただつぼみが膨らむというのは見たことがある。

  青いつぼみの真ん中から淡い赤の花弁が顔を出す。

あれのことだ。

  とても綺麗だった。


―2072年4月20日

  また病院をうつることになるらしい。

  ここの機器ではお手上げだ、と。

  転々としたところで何が変わるわけでもないのに、もう楽にしてくれないかな。ここの庭よりきれいなところだといいな。


―2072年5月1日

  新緑の季節、とテレビで話していた。

  新緑って浸緑じゃなくて、新緑だったんだとテレビの文字を見て気づいた。

納得はしたけどやっぱり青い。


―2072年 6月 30日

  今年もまた夏が来たらしい。

  何度目かも分からない夏だ。

  何色かも分からない空だ。

  何が面白いのだろう。

  あと何度見れるかもわからない。

  早く解放してくれないか。




 ボクはソッと日記から顔を上げた。

 あの時の手紙と日記の表紙の字からは想像も出来ないほどしっかりした筆跡で、本当にあの天方が書いたのかを疑った。


 気になった点はもう一つ。



「久さん」

「うん」

「アイツは…何か。いや、何を抱えていたんですか」


 ボクの顔を久さんは優しく見つめ返す。


「日記で何かに気付いたの」

 

 ボクは肯く。


「つぼみは、青くない。緑だ。新緑もそう。アイツは、部屋を塗った時も、緑を青と言っていました」

「部屋を塗った⁉待ってそれは初耳。嘘だろ。母さんたちの内緒話はそれか...。あーそっか、うん、そうなのか。いいのか?う~ん。まぁ.....そう、えっと、弓弦、アイツは色盲患者だったんだ。それも第三色盲って言って伝わる?」


 頭を抱えてうなる久さんにボクは肯きを返した。

第三色盲。青色を光として認識しづらい人、青錐体が機能しづらい人のことだ。青が、真っ黒に見えて、緑が淡い青に見えて、黄色が白やピンクに見えて。症例が少ないとも聞いたことがある。


『浸緑じゃなくて新緑』

 

空の青色に若い葉の緑が溶けていくから。



『最初に駒の色決めただろ、ボクが黄色でお前がオレンジ』

 

あれはどっちもピンクに見えていたから。



『万里の長城とマチュピチュをつなぎ合わせて、真っ青な海の上に浮かべている。』

 

違う、アイツにとっては海じゃないんだ。



『おぬしを海の世界に招待しよう~』


 あれは緑が青に見えていたから。草原じゃなくて浅瀬のつもりだったから。

 




『どんどん空がひろくなるな!』


 あれは、緑を青空だと思っていたから。

 狭いわけじゃなかった。草原から樹海に変わったあの部屋は、ボクが窮屈だと思ったあの部屋は、この世のどこよりも広かった。真っ黒い夜が明けて青空が顔を出した、太陽の部屋だった。

アイツにとってあの部屋は、どこまでも自由で、どこまでも広くて、どこまでも鮮やかな世界だったんだ。




「アイツはさ、生まれつき体が弱くて、18まで頑張れたら御の字って感じだったんだよ」

「18」

「それに色盲までがなんでかな、違う世界が見えるっていうことがアイツにどうしても孤独感を与えてしまっていたみたいでさ。こっちが気を遣うからって、アイツはその手の話を一切しなくなった。」

「そうですね」

「アイツ、キミにも自分の話しなかっただろ」

「はい」

「ははっ、日記にそう書いてあった。天使には何も伝えてないから、って。なんだよ天使って、と思ってたけどアンタの姿を見て納得したね」


 その白い髪と赤い目。言葉に出さずとも伝わった。


「鈍い色ばっかに見えてる人間の中にいきなり真っ白の髪と真っ赤な目の人間が表れたら困惑しますよね」

「あ、悪口に受け取っちゃった?ほめてるよ。キミと一緒にいられる空の上の一室。そりゃ、そんな部屋はアイツにとっての夢の中....天国だったろうね」


 天方さんは、「部屋を塗るまでしてるとは思わなかったけどな」と続けた。


「夢のような、天国のような、一室...」



 ボクはのこされた日記の続きをパラパラとめくり目を通す。

 






―2072年7月2日

  奇妙なやつに出会った。

  何を考えているのかわからないヤツだ。

  長く人と喋っていなかったせいで、

  なんだか変な感じだ。

  看護師は腕力がある。



―2072年7月3日

  今日も名前をきくことができなかった。

  名前を教えてくれないから天使様ってよんだらすごい目で見られた。それでも口はきいてくれる。


―2072年7月15日

  蓬。白石蓬っていうらしい。

  看護師さんと話しているところに聞き耳をたててゲットした。

  


―2072年8月2日

  今日もアイツはいつも通り。

  雑誌の中でもサイエンス誌の記事だけは、意外と面白いから今度から目を通してやろうと思う。


―2072年9月30日

  なんで神様は最初からここに連れてきてくれなかったんだろうか。

  同じ夏が来ない。

  そんなことがこんなに楽しくて寂しいなんて知らなかった。


―2072年10月16日

  未来の約束なんていらないと思ってた。

  神様なんていないと思ってた。

  願っても叶わないこと、祈っても届かないことのほうが多いから。

  有限って言葉が嫌いだった。

  誰かの記憶に残ってしまうのが嫌だった。

  でも、誰かの記憶に残りたかった。

  たったひとつの希望にすがりたくなる人の気持ちがようやくわかった気がする。






「アイツの体がもたないと、医者から俺たちに連絡が入ったのは、ここに来た次の夏。俺たちも覚悟はしてたんだけど。やっぱり受け入れ難くてさ。そしたらアイツが言い出したんだよ。『残りの時間でやりたいことがある』って。誰よりもアイツがアイツを諦めていなかった気がするよ」



 ここに天方が来た、次の夏。

それは、僕の病状が悪化した春と同じ年で、天方が部屋に色を付けだした時期だ。






―2073年8月31日

  ねぇ、俺は決めたよ。

  少し欲張りになろうって。

  逆になることがあるかもしれないなんて、初めてだ。

  君はいつも驚きを連れてくる。

  仕返しは成功したようだ。

  まずはそのための第一歩。

  驚いた顔が見れたから、

  しばらくはホクホクだ。



―2073年10月2日

  完成するんだろうか。

  間に合うんだろうか。

  間に合わせたい。

  ようやく思えたんだ、もう少し、って。

  この世じゃない場所につれていかれてしまう前に。

  目が見えなくなる前に。

  見てみたい。

  見せてあげたい。



―2073年11月11日

  あんなに怒ったヨモは初めて見た。

  眠っていればつらいことを見ないで済む。

  言葉は難しい。

  ヨモにとっては明けない夜がくるようなものだったかもしれない。

  目覚めの来ない、太陽の来ない夜は確かに怖い。

  明日が来る、って本当に奇跡のようなことだよな。

  誰だって怖いものは怖いんだな。

  俺も怖い。

  ごめん、ヨモ。


―2073年12月24日

  最期に顔だけ見せられたかな。

  間に合わなかったかな。

  寂しくなるな。

  もう会いたいや。

  童話の世界で、俺が王子様だったらよかったのに。

  眠った大事な人を起こすのは、だいたい王子様なんでしょ。






「アンタが眠ってからも、弓弦は天使の部屋に入り浸ってたときいてる。さっきの話に繋がるなら、おそらく…」


 ボクは、久さんの言葉を聞き終えるより先にボクの元の病室へと駆け出した。






―2074年1月8日

  ヘヤを一面空にしても何かが足りない。

  完成したはずなのに、思い出せない何かでうまらないようだ。

  どうしてくれよう。






 走れ、動け。

目的地なんて一か所しかない。

両手で日記を抱えて方で息をしながら、足を叱咤し、走り続ける。

一年半のつまったあの小さな空へ。






―2074年2月1日

  描きたして、描きかえて、形になりそうでならない。

  おれにはもしかしたら画家の才があるのではないか?

  完成させられない、という芸術的な欠点付きで。

  名前は何にしようかな。





 階段を上がってすぐ左。

 横開きの重いドアを持つ一室。





―2074年5月5日

  何かが足りない絵はヨモが起きてから埋めることにする。

  筆が上手く持てなくなってきたから、ときおりせっかく描いたものがつぶれそう。

  それも味がある、のか。

  けど、せっかく描いたのに潰しちゃったらもったいないからちょっと休憩だ。

  早く夢からかえってきてよ。

  それとも、妖精だったとか?

  顔がロバじゃなくて、本当に天使みたいなのが嫌みなヤツだなぁ。



―2074年6月3日

  ここにきてから二年しかたってないのに、なん十ねんと、ここにすんでるみたいに楽しい。

  もっと早く出あえたらよかったのに。いっしょに行く約束がまもれそうにないよ。

  俺たちはじつはちがう種ぞくだった。

  今度の作品はこれで決まりだな。






 ボクは扉をすっと開いた。

「遊びに来たぞ」という声がどこからか聞こえてくるようだ。






―2075年 7月 14日

  うんと悩んで決めたんだ。

  『天弓』はどうだろう。

  虹の別名らしい。ぴったりだろ。

  さい初の作品名は、あすぽでろす、だ。

  やくそく、こんどはまもってみせる。

  君のい見も聞かせてくれたらうれしい。







 一歩、部屋に足を踏み入れる。



「うわ、これは」


 後ろからついてきた久さんが感嘆の声を上げる。



 壁いっぱいに広がる緑、まるで深い森林を思わせるその先、足を進めて部屋に入る。

天方の言葉を脳内で反芻しながら。瞼の裏で、色を付ける。


      緑を、青に。


 囲まれていた空が開けて青々とし、

ベッドの周りは大木の根に包まれたようで。

人知れない森の奥に住む、精霊の寝床。

そこから広々とした空を見上げているような一室。

ボクらは部屋中をぐるっと見回して、一点に目を留めた。


 空にかかる虹の足元。

 白い少年と黒い少年が青空の花束のもと駆け出している。


『ヘヤを一面空にしても何かが足りない。』


「どっちが妖精だよ...この、悪戯好きが」


 ボクは部屋の天井と、虹をじっと見つめ続ける。


「...足りないものは、もう、そろわないんだよ」


『なければ、つくればいい!

 俺が連れてってやるよ、あすぽでろす!』


 アイツが太陽みたいに笑ってる。

 そんな幻覚が見える気がして、目をつむる。


「一緒に、じゃないのかよ。先に一人でいくなんて」


 一度もこちらから会いに行けたことなんてなかった。

 それでも会えたことがうれしかった。

 気づいていたよ。訪ねてくるたびに、少しずつ憂いを、焦燥を、最期を感じさせたお前の笑顔に。

 それでも、「ただいま」と「ごめん」を伝えられると疑っていなかった。

 せめて一緒に連れて行ってほしかった。

 いや違う、一緒に走っていたかった。


「ばかは、ボクか」


 目を閉じると君がいて。

目を開いても君の欠片が残っていて。

苦しい。

苦しいよ。

ボードゲームも、くだらない話も、空の色も、太陽の色も。

 君の目にうつる世界を一緒に見られなかったことがこんなにも悔しい。悔しくて、寂しい。

この現実が、夢であったなら。

「驚いたか!?」とでも茶化して、もう一度顔が見れたなら。

ハッピーエンドは、仲直りして二人で末永く幸せに暮らしました、で気持ちよく終われたのに。

現実が夢であってくれ。

どこまでも苦しい現実に夢の欠片が残ってる。

普通は目覚めたら夢を思い出せないんだろう。

それでよかったじゃないか。


「これは...夢じゃないんだろ」


 二人で作った青い地図も、あのうたかたのような不思議な時間も。全部全部夢じゃない。

 アルバムの中にしまっておきたいのに、忘れてしまいたいのに、しまい込めないほどあまりにも鮮明で強烈で、あたたかい記憶たち。ボクらが作ったたくさんの青写真が閉じ込められた記憶。


「ボクをおいていくな」


 きこえてるわけないだろう。

先にこの部屋を飛び出して野原を駆け回っているアイツの姿を想像して、思う。

やっぱりアイツには太陽が似合う。



 瞼を閉じればそこにいるんだ。

 また、「遊びにきたぞ」、って笑いながら入ってくるんだ。

 扉にも椅子にも、ベッドにも、壁にも。

 染みついた記憶が消えないんだ。

 触れたいのに、触れられない。

 消えないのに、もう増えない、お前との記憶。


「ほんとうに、おまえは、馬鹿だよな。完成するわけないだろ。2人必要っていったのはお前なんだから」


 次にあえるのはアスポデロスの野原だろうか。

 ボクが牢屋行だったらどうするつもりなのだろうか。


「お前みたいな大馬鹿者が残した未解決事件をとけるわけないだろ。だってボクは『ワトソンクン』なんだろ」






 それからボクは筆を手に取った。

 アイツとみていた景色を、アイツが見ていた景色を見てみたくて。

 でも見れなくて。

 揃うことのない、完成することのないパズルのピースを探すかのように一心不乱に絵を描き続けた。

 不思議な色遣いが世間の目に留まって評価されて最初にしたことは、病院の一室を買い取ることだった。

 一人ただ必死にに焼き付いた記憶を忘れないように、2人で一緒に見たかった世界を描き出すように、青のない虹を描き続けた。









「え、先生。そのお話によると、ここは」


 記者さんは手を止め、部屋を見回す。

画家・天弓はじまりの地。記者さんが口にしたその言葉は間違っていない。

ただ、ここの虹には青が残っているだけだ。

誰よりも鮮やかな、消せない青が。


「はい、天方弓弦。初代『天弓』の作品であり、私のかつての病室です。アイツののこしてくれた、未完で難解な青写真なのですよ」


 ボクは部屋をぐるっと見回してから、記者さんを見据えた。


「あなたの前に座っているのは、二代目『天弓』とでも言いましょうか。この未完成なアスポデロスの野原への旅路に迷う、一人の男です。最初に言ったでしょう。夏に取り残された男の話なんですよ。」


 未だに、ね。


「そ、そんな大事なお話が未だに世に出たことがないんて!?どうやってまとめたらいいんだ!うわっぁあああ」


 記者さんは、自分のメモと、部屋を見比べて声をあげている。その様子が何ともおかしくて、笑いが隠せない。


「あっ、先生」

「はい、なんでしょう」

「どうして、この話を、今回話してくださる気になったのか、お聞きしても?やはり、日記について伺ったからですかね」

「そうですね、それもありますが....そうですね、なぜ、なのでしょうか」

「...?」


 記者さんの黒髪のアホ毛が揺れている。

 思いがけない質問の答えに、自分がようやく思い至った。


「あぁなるほど」

「はい?」

「ふふっ、秘密です」



 温かさのある瞳は、太陽の面影を感じさせながら、困惑の色で瞬いた。


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