【09】レターセット
サーカスを観覧した翌日の午前、マイロナーテは迷っていた。
例によってユフィータの誘導で吐き出させられたマイロナーテの口からは、惚気にも近い悩みがこぼれ出た。
「――いただいてばかりというのも気になるし、グレイオット様に何かしらのお返しをしたくて……」
グレイオット本人に「礼は気にせず」と言い切られているとはいえ、まったく気にしないのは無理な話。
よって、礼とは言えない程度の何かをしたいと、マイロナーテは思っている。現状は思っているだけで、何も思いつかないのだが。
「でしたら……奥様から何かをお誘いになれば旦那様はお喜びになるかと」
「そうかしら…………それに私はまだ屋敷やこの辺りのことに詳しくないし……」
あまり捗らぬ読書を切り上げたマイロナーテに、ユフィータはお茶の給仕を始めた。本当に主の様子をよく見ている侍女である。
「……では、お手紙などいかがでしょう? 文通は友人関係の基本ですよ」
「それはそうだけど、毎日顔を合わせているのに?」
「はい。想う相手からのお手紙は格別……というのは、恋愛小説の醍醐味ですから」
「想う相手云々はともかく、小説のセオリーで言ったらそう……かもしれないわね」
少しずつ読んでいる恋愛小説では、恋文というものは確かに刺激的な小道具だった。推理小説でも、手紙が重要なファクターになることは多々ある。
「じゃあ、とりあえず手紙を書いてみるわ。実は、グレイオット様と私的なお手紙のやりとりをしたことないもの」
「かしこまりました、ご用意いたします。……紋章入りは候補から除外するとして、どれになさいます?」
現在の社交界では、便箋はエッチング印刷を用いた繊細かつ優美なデザインのもので文章を華やかに装い、封筒はエンボス加工を用いたさり気ないデザインで滲み出る気品を演出するという流れが主流である。
特に女性向けのものは種類も多く、誰に向けて何を使うかで評価されるという、実に貴族的なアイテムだ。楽しいが、ちょっと面倒でもある。
「そうね、季節の花のものー…………確か、スイートアリッサムのレターセットがあったはず……」
手持ちのレターセットのデザインを思い返すと、すぐにピンとくる。ちょうど、今朝に届いた花がスイートアリッサムだったのだ。
ほどよい大きさの花瓶が無かったため、シンプルなティーカップに生けられた小さな花が、マイロナーテの視界の中で控えめに主張する。
「はい、ございましたよ。スイートアリッサムの花言葉は、優美や飛躍。新婚の奥様を表すのにぴったりなお花ですね」
「こら! そうやって妙な言い方をするなら、他のデザインにしたくなっちゃうでしょ!」
マイロナーテの抗議に、ユフィータがころころと笑う。
ここ数週間の濃密な付き合いで、マイロナーテが本当に怒っているわけではないと理解しているユフィータが、焦らず手際よくデスクの準備をしていく。
おかげでスイートアリッサムが生けられたティーカップもすぐに机上の仲間に入り、マイロナーテは暫くの間、手紙の内容に頭を悩ませる時間をとった。
そうして残りの午前の時間をたっぷり使い、マイロナーテは短い手紙を書き終えた。
内容といえば、毎朝の花とカード、そしてサーカスの件についての礼が主だ。無論、婚姻の条件などは、手紙ですら訊けず仕舞いである。礼なのだから、楽しい話だけがしたかった。
「……そういえばこれ、いつ渡そうかしら」
「せっかくですので、直接の手渡しも良いかと思いますが……本日の夕食後に旦那様の手元に渡るよう手配をいたしましょうか」
「んー、そうね。そうしてちょうだい」
封蝋を冷ましつつ、マイロナーテはユフィータの提案に乗った。
文通であるのなら、受取時には差出人が不在のほうが良いだろう。多分、きっと。