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【08】サーカス

 その日はサーカスを訪れるため、軽い昼食の後から支度をはじめ、クラウデン辺境伯家が用意したドレスに袖を通す。

 これはアイロオーテのために誂えたもののサイズを直し……ではなく、なんとマイロナーテのためのものだ。大変申し訳無いことに、領都の針子たちは相当にフル回転しているのかもしれない。

 

 グレイオットのコートと揃いになるようにデザインされたそれは、辺境伯家の象徴色である深い緑をベースに上品にまとめられていた。

 マイロナーテのドレスは淡い黄色に染められたレースやフリルがアクセントになっていて、グレイオットのコートの袖口などには同じ淡い黄色の刺繍が入っている。

 時間がない中での最善が尽くされた、職人の技が光る逸品であった。


 つまり今、支度を終えたマイロナーテの前に、揃いのデザインのコートを纏ったグレイオットがいるのである。

 

 国境を守る騎士や兵の規範となるべく、彼らに負けないように鍛えられたグレイオットの身体は、全体的に大きく堅い。

 その身体の厚さは国境を護る領主への頼もしさへと繋がり、頭からつま先までしっかりと整えられた姿は威厳を感じさせる。


(か、かっこいい……)


 チョロいと言うな、惚れた欲目だ。いや、惚れていない、自分はまだ惚れていない。だから、彼がかっこいいのはただの現実だ。

 一瞬にして、マイロナーテの脳内を怒涛の言い訳が流れていった。


 婚礼式でのグレイオットは、髪をしっかりと撫でつけていた。しかし今は、邪魔にならない程度のラフさを残して整えたヘアスタイルである。

 敢えて隙を見せることで、ちょっとした親しみを持たせる作戦かと、マイロナーテは舌を巻く。

 

 ちなみにマイロナーテも、礼装の時のように髪を固く結い上げているわけではない。

 ゆるくまとめた髪はいまにも崩れてしまいそうだが、ユフィータがしっかりとピンで留めていたので不安にはならなかった。


「――ああ、よく似合っている。領民も美しい領主夫人を目にできて喜ぶことだろう……いや、美しさは既にパレードで知れ渡っているから、可憐さという新たな一面がことさら話題になるだろうな」


 惚けて言葉を失っていたマイロナーテに向け、グレイオットが称賛の言葉をかけてくる。

 グレイオットは堅物のようでいて、必要な部分はしっかり抑えてくるから侮れない。

 この辺りが、秘密の恋人疑惑を捨てきれない理由のひとつである。


「……あ、あの! き、今日は既に夫婦として…………でしょうか!?」

「うん……? そういうわけでは……いや、そうだな、今日の我々は夫婦だ」

「は、はい…………」


 マイロナーテは、楽しそうに微笑む目の前の偉丈夫を、何故だか直視できない。

 コンサバトリーで見た茜色の世界で、ユフィータに向けていたような気を抜いた笑顔とは違った魅力がある。

 

 自分はもう駄目かもしれない……なんてことをマイロナーテが思っている間、グレイオットが手際よく出発の手配を終えていた。


「それでは、行こうか。――我が妻よ」

「お、おねがいします」


 差し出されたグレイオットの大きな手に、マイロナーテは震える手を載せた。

 マイロナーテの頼りない指は、自分とはまったく違う節くれだった指に優しく包まれて、ただでさえ落ち着かない心臓がうるさくなる。


 そのままグレイオットに手を引かれ、マイロナーテは馬車へ向けてゆっくりと足を踏み出した。




 ※




 結論から言えば、マイロナーテは人生で二度目のサーカスをとても楽しんだ。


 縁起が悪いということで、刃物を使った演技が控えられていたのもあり、過剰なスリルが無く純粋に楽しめたという理由もある。

 刃物の小道具を用いないと言っても、炎を使ったものや高所での演技にはハラハラとさせられ、刺激は十分であった。

 大きな猛獣は迫力満点で、公演の後に近くで観察する場を設けてもらった。檻越しの対面ではあったが、動物使いの指示をよく聞く様子に、マイロナーテもグレイオットも感心するばかりである。


「大きい獣は見た目の威圧感が強いな。屋敷の警備に、ああいった動物は有効だろうか……」

「トラブルが多発しそうですから、結局のところは犬が最適かと思います」


 帰りの馬車で、数日ぶりにグレイオットの素っ頓狂な発言を聞く。

 流石にそれを実行されては堪らないと、マイロナーテは即座にたしなめた。


 グレイオットがあの猛獣をそれだけ気にいったのかと、マイロナーテは驚く。

 確かに、体躯は大きく頼もしく、よく手入れをされた毛並みは手触りがよさそうだった。

 

 あの黒い縞模様が入ったオレンジ色の猛獣を庭に放し飼いすれば、侵入者に強い圧を掛けられそうでもある。

 ……もちろん、猛獣を導入する場合のリスクを考えれば、これは意味のない仮定だと思う。ついでに、現在務めに励んでいる犬たちだって仕事をやりにくかろう。


 マイロナーテは、考え込んでしまったグレイオットを正面から眺める。

 猛獣を随分と気に入ったものだと意外に思いながら、もしかしたらグレイオットは“秘密の恋人”ではなく“秘密の猛獣”を囲んでいるのではないかと、詮無いことを考えてしまった。

 

 隠している猛獣を表舞台に出すための手段を模索している……なんて荒唐無稽な妄想よりも、恋人を囲っていると考えるほうがよっぽど現実的である。


 いくら関係を友人からはじめているとはいえ、マイロナーテとグレイオットは公的な夫婦だ。この婚姻に関する条件を、わざわざ遠方の父に問い合わせるより、目の前の夫に訊くほうがよっぽど早い。

 それでも、その早くて単純な手段をマイロナーテが選べないのは、今の関係が壊れてしまうのが怖いからだ。


 朝に一輪の花とメッセージカードが届き、都合が合えば食事やお茶を共にし、少なくない時間を交流に費やす。

 何も知らないお飾りの妻だからこそ、こんなにも温かく穏やかな時間を与えられているのかもしれない。

 薄氷のような薄い壁で守られたそれは、つつけば簡単に壊れてしまうかもしれない。


 そう思ってしまえば、たったひとつの質問がどうしても口にできない。


 だから、自らが小さく息を吐き俯いた様子を、グレイオットがじっと観察していたことに気づく余裕など、マイロナーテにはなかった。

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