【18】これからのこと
クラウデン辺境伯夫妻が、友人から真の夫婦になった日から三ヶ月後、マイロナーテは茜色が差し込むコンサバトリーの日陰で、長椅子に座ってレッド・タビーの仔猫を撫でていた。
マイロナーテによって「ティグル」と名付けられた仔猫は、すくすくとふくふくに無事育っている。
「…………ここに居たか。調子はどうだ?」
「おかえりなさい、グレイ。私はまだ全然元気ですよ」
「無理はしないように。何かあればすぐに言うんだぞ」
領軍本部から帰ってきたグレイオットが、マイロナーテの膝上の仔猫を抱き上げて横に座る。
そのままマイロナーテの薄い腹を、温めるように優しく撫でた。
マイロナーテは、第一子を妊娠中である。
まだ腹が目立つ段階でなく悪阻もひどくないため、マイロナーテ本人はあっけらかんとしている。そんな彼女を心配したグレイオットは、過保護だと笑われつつも色々な対策をしているのだ。
コンサバトリーの日陰もそのひとつで、外の刺激に出来るだけ晒したくないグレイオットの苦肉の策だ。
「ああ、そうだ……芸術都市に到着したマイの姉は、とある劇団に採用されたようだ」
「あらまあ、それは……………………なんとも、凄いことで」
「まったくだ。その劇団への伝はもともとあったものだが、彼女の採用自体は実力らしい」
「……姉は夢を叶えようとしているんですね、きっと」
「そうだな……きっと、そうだろう」
グレイオットに身を寄せて目を閉じたマイロナーテの目蓋の裏に、幼き日のアイロオーテが蘇る。
お気に入りの真っ赤なドレスを着て、お気に入りの赤いリボンで髪を飾って、茜色の子供部屋の中央で彼女は歌っていた。
マイロナーテの拙い拍手に、アイロオーテが笑顔で応える。田舎貴族の子供が歌える曲なんてほんの少ししかなかった。だから、同じ曲ばかりを歌っていた。
それでも、マイロナーテが知る中で一番輝いている舞台は、そこにあった。
※
――数年後。
夫とふたりの子供に囲まれて、日々忙しく楽しいマイロナーテの下に、多色リトグラフで刷られた一枚のポスターが届けられた。
芸術都市で話題になっている「愛しき妖精姫と秘密の花園」の続編の舞台のものだ。
小説に先駆けて公演されている舞台は大人気で、小説の発売への期待も高まるばかりだと、国境を超えて聞こえてくる。
芸術都市最大の歌劇場で行われる、人気舞台。
紅薔薇王女を演じるのは、流星のごとく現れて芸術都市中の話題をさらった稀代の歌姫アイロオーテ。
ダブルヒロインの片割れである白薔薇姫は、可憐な儚さが売りの実力派女優。
紅薔薇王女と白薔薇姫の歌唱対決が、一番の見所だという。
ポスターは、そんなふたりの歌姫が全面に描かれていた。
指先や長い髪の流麗さと、瞳が持つ力強さ、ボディラインをはっきり見せる大胆な衣装。
ポスター越しに見える赤いドレスのアイロオーテは、幼い頃のように何よりも輝いていた。
――過去、姉によって罵られ刻まれた小さく深い傷は癒えても、その記憶は消えていない。
けれど、姉もマイロナーテによって傷つけられていたのだと、今ならわかる。
昔のマイロナーテは勉強が楽しくて、姉妹に無関心な両親に少しでも褒められるのが嬉しかった。妹と比較されるアイロオーテのことなど、考えたことがなかった。
それに気づいたのは、マイロナーテが下の娘だけを褒めると上の息子が拗ねるからだ。もちろん、逆も然り。
たまにグレイオットも拗ねるので、マイロナーテも拗ねることにしている。
兄妹はまだ小さいが、きっとマイロナーテとアイロオーテのように得意分野が違うはずである。
だから、得意を伸ばして不得意を何かで補って、まっすぐに育ってほしいと思う。
それ同じように、不仲の末に絶縁となってしまったが、異国で輝くアイロオーテのことを心から応援している。
いまのマイロナーテは、そんなふうに思えるのだ。
これにて「姉の代わりに嫁いだ先で友人からはじめた夫婦の話」は、完結となります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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なお、裏設定を語るだけの予定だった姉アイロオーテの話を、番外編として執筆中です。(この作品に追加すると思います)
たぶん、近い内に投稿できると思いますので、もしよかったらそちらもお願いいたします。