【17】狼に花束
唐突なプロポーズから、時間は少し遡る。
静かに私室へ戻ったマイロナーテは急いで着替えて庭へ出て、必要な花を探しはじめる。
途中で遭遇した庭師に尋ねれば、求める花を手際よく教えてくれた。
そうして集まったのは、ミモザとカモミール……そしてカスミソウ。
遠い国の旧い神話の、求婚の花冠――のうち、種類が判っている花――がコンセプトだ。
用途を聞いた庭師は、そのまま馴染みのメイドに声をかけ、そこで可愛らしいブーケを拵えてくれた。
これは、マイロナーテが考えた、“マイロナーテらしい求婚”だ。
グレイオットが彼なりのやり方で歓迎してくれたように、マイロナーテも自分なりのやり方で応えたかった。
それに、ミモザとカモミールは思い出深い花でもある。
マイロナーテがグレイオットからはじめに貰った花のミモザと、陰口事件のお詫びのカモミール。両方とも、強く印象に残っているものだ。
そのふたつに、「幸福」や「感謝」の意味を持つカスミソウを添える。
これしかないと、マイロナーテは確信している。
私室に戻って崩れた髪型を直し、夫婦の寝室へ繋がる扉の前に立つ。
――グレイオットは大丈夫だろうか。傷ついていないだろうか。
マイロナーテがうっかり隙だらけになったせいで、グレイオットは狼になってしまった。
結婚式の夜ですら、グレイオットは自分が狼にならないよう長椅子で寝るほどに紳士だったのに。
グレイオットはまだ狼になりたくなかったはずなのに、隙だらけのマイロナーテが彼を狼にしてしまったのだ。
だからこそ、マイロナーテは伝えるのだ。
マイロナーテは、グレイオットが好きなのだと。もう、狼で問題ないのだと。
「――グレイオット様……私と、結婚、してくださいませ!」
なお、色々と考えすぎて“告白”という段階を飛ばしていることにマイロナーテは気づいていないし――気づく者はここにいない。
※
マイロナーテが叫んだ瞬間、賑やかにさえずっていた朝の小鳥たちは口をつぐんでしまった。
そんな静寂の中でばくばくと跳ねる心臓は煩わしく、マイロナーテの前へ来たグレイオットにも聞こえてしまいそうだ。
グレイオットはきゅっと口を結び、初めて会ったときのように硬い表情をしていた。その表情から彼の感情がうまく読み取れず、マイロナーテは怯みかける。
ふいに、ブーケを持つマイロナーテの手を、グレイオットの大きな手でそっと包みこむ。
その際にマイロナーテの身体がぴくんと跳ねたが、グレイオットは離さなかった。
いままでふたりの間に、エスコート以外の接触はほぼ無かった。
思い返せば、少し前の結婚式では人前で口づけなどもしたが……言ってしまえば、あれはただの儀式でしかない。
義務でも儀礼でも作法でもない手は温かく――熱く。
ドンドンとうるさい心臓にまでその熱が伝わり、炎が身体の内で燃え盛っている。
心臓の音と息遣いだけが響く部屋は、世界から切り離されてしまっているように思えた。
手と手が触れたままで、グレイオットは何も言わない。
マイロナーテは熱く跳ねる心臓を持て余しだし、沈黙が恐ろしくなってきた。
(……勢いのままに求婚してしまったけれど、断られたらどうしよう)
公的には既に夫婦である。しかし、心は別なのだ。
グレイオットがマイロナーテを気に掛けるのは公的な夫婦だからで、友人関係の維持に必要だからで……そんな卑屈なことをつい考えてしまう。
公的な妻であるマイロナーテが実質的な友人になれば、秘密の恋人を実質的な妻に出来る。
温かく包まれているはずの指先から血が引き、冷えていくような感覚。
放棄したはずの妄想が再び目の前に現れ、マイロナーテを苛んでいく。
いますぐこの腕を引いて部屋に戻ってしまおうかと、マイロナーテの内にある卑屈な自分が囁いたそのとき――かたく強張った彼女の指先を、グレイオットの片手がそっと撫でた。
「俺は情けない。先を越されてしまったな…………もちろん、よろこんで」
グレイオットの温かくも熱い眼差しが、マイロナーテの指先を温める。
そんな視線ですら火傷してしまいそうだと錯覚したマイロナーテは、顔中を真っ赤に染めたまま、ぱっと視線を逸らす。
「そ、あ、あの…………だ、だから大丈夫です。グレイオット様が狼になったのは私のせいですけど、私はグレイオット様が好きなので。大丈夫なんです」
「……ン゛、ンンンン………………狼? 君のせいとは?」
「あっ……えぇと、その……もしかしたら失礼な表現かもしれませんが、デビュタントの頃に指導を受けまして――――――――」
マイロナーテは、状況の説明をさせられ誤解を正された――。
――が、その際に正解を実践で教え込まれたため、結論は何も変わっていない。
マイロナーテは「男は狼だ」という伯母の教えを、数年越しに心の底で理解することになった。
ちなみに、その日は朝食ではなくブランチを部屋で一緒に摂ることになったし、諸々を察した周囲によってふたりの予定は休日に塗り替えられていた。
そうしてクラウデン辺境伯家の一部の家臣や上級使用人をヤキモキさせていた一連の友人計画は、これにて完遂と相成ったのだった。